2016年11月28日月曜日

おことわり

       やっと退院しました

ブログの更新が途絶えていますが、その理由は10月23日~11月24日の1ヶ月あまり、全治8週間の大怪我をして入院治療していたからです。

今日で退院後4日たちました。

怪我は、左大腿骨骨幹部骨折と左膝靱帯の損傷です。

自転車で道路横断中、左方から来た普通乗用車に時速40キロの速度で左大腿部に衝突され、ふっとばされました。

死亡してもおかしくない交通事故でしたが、奇跡的に左大腿骨の骨折のみで済みました。
頭部を含め、鎖骨、肋骨など上半身には一切怪我がなく、これが奇跡的だということです。

というわけで、ブログの更新はもうしばらくお休みしたいと思っています。


2016年10月7日金曜日

SAM催眠学序説 その98

「要求特性」と前世人格の顕現化について


催眠における「要求特性」とは、催眠中のクライアントが、セラピストの要求していることを察知して、無意識的にその要求に応えようとする心理傾向を意味する用語です。

「要求特性」が、前世療法の「前世記憶」の想起の批判に用いられた場合、語られた前世記憶の真偽の検証がない事例については、批判を甘んじて受けるほかありません。 


私が、まだSAM前世療法の開発前、「タエの事例」にも遭遇していない2004年時点で、日本催眠医学心理学会で前世療法セッションの検証不可能な前世の語りについて実践発表をしたときの「要求特性」にかかわる部分の討議記録を紹介します。


アカデミズムに所属する代表的催眠研究者が、「前世療法」および、「前世の記憶」についてどのように批判的に評価しているかがよく分かります。


下記逐語録の頭のC・D・Eの記号各氏はそれぞれ大学の著名な催眠研究者です。
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: 年齢退行催眠中に「生まれ変わり」などを先生(稲垣)が言ったので、クライアントがそれに応える形で「生まれ変わり」などの言葉を出してきたのではないか。

稲垣:そういうことは言っていない。子宮に宿る前の世界があるかどうかを確かめるために「あなたは時間や空間に関係のない世界に入っていく」という言い方の誘導はした。

:あなたが、そういう世界に入るだろうと誘いをかけている。ということは、そういう世界にセラピストが誘導した結果、クライアントがセラピストの期待に応えるために「生まれ変わり」や「魂」を作話していく可能性がある。

稲垣:それは違う。クライアントが「時間や空間を超越した肉体のない状態でいる」と言ったので、「あなたは魂の状態か」と聞くと「そうだ」と答えたということだ。魂や前世が出てくるように、こちらからクライアントに誘導的に押しつけた事実はない。

:私には前世療法を実施した経験はないが、クライアントが魂を語ったのはフィクションだと思う。大事なことはフィクションがどういうふうに作られていったかであって、それはこのクライアントの精神状態のありかたによると思う。たとえば、絵を描くことによって、絵に託した自分自身を作り替えていくことができる。それと同様の状況が、催眠中のクライアントに起きているのではないか。つまり、自分の状況をフィクションに置き換えて自分を作り替えていくという催眠技法の一つとして前世療法には意味があるし、改善効果もある。そういう解釈ができると思う。

:前世がフィクションであるという前提に立てば、前世療法による改善メカニズムは、イメージ療法による改善と同様のメカニズムで説明できる。つまり、クライアントの心理には、現実問題を直視しないでフィクションに置き換えて語るという安全装置があり、自分を置き換えた前世という架空のイメージを語ることで自分の安全を守り、問題を解きほぐして改善していくという治癒の力がはたらいていると考えられる。
 したがって、自分の前世の物語というフィクションを語ることによって治癒の力がはたらき、顕著な改善効果があがるという前世療法は、イメージ療法と同様の治癒メカニズムがはたらいていると考えても十分説明できると思う。

:前世療法には効果があるといって、何でもかんでもセラピストのほうから前世にひきずり込んでいくことには危惧を感じる。前世があくまでクライアントが出してきたものであれば、それに乗って面接を進めていくのはいい。そうした過程をたどって、クライアントの前世の物語の決着がつくならば改善効果は大きいと思う。だから、前世療法はナラティブセラピー(物語療法)の観点からみることもできる。つまり、自分のそれまでの古い物語を作り替え、新しい自分へと脱皮していき、治癒していくという観点からの考え方もできる。
また、一般の人たちはの中には、催眠と言うと前世に行くのかと思っている人が多い。だから、そうした催眠に対する期待や思い込みによって、自分の想像した前世に行ってしまうということもありえる。

稲垣:私はこのクライエントに前世療法を実施することを事前に一切告げていない。その点が、普通は了解のもとで実施される前世療法とは異なっている。また、私のほうから意図的に前世にもっていこうとしたわけでもない。にもかかわらず、魂や前世が出てきたことが不思議だ。事例発表した動機もこの点にある。事前の予告なしに実施した前世療法という特異な事例だと思っている。

『前世療法の探究』春秋社、PP.138-140
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上記討議でわかるように、C・D・Eの大学在籍催眠研究者は、前世の存在などはじめからフィクションだと決めつけています。
そして、そのフィクションだと解釈できる根拠として「要求特性」を持ち出しています。
C氏の発言の「セラピストが誘導した結果、クライアントがセラピストの期待に応えるために『生まれ変わり』や『魂』を作話していく可能性がある」という批判がそれに当たります。
前世療法は、既存の催眠療法であるイメージ療法やナラティブセラピイ(物語療法)の範疇で説明可能であって、フィクションである「前世」など持ち出すことは不要である、ということなのでしょう。
しかし、こうした前世療法における「前世記憶」の批判は、想起された「前世記憶」の検証がなく真偽が不明な場合には、甘んじて受けるほかありません。
ちなみに、この学会発表の1年後2005年に「タエの事例」に遭遇し、これを2006年に『前世療法の探究』に収載し、これら批判者に献本しましたが、梨の礫でした。

さて、こうした「要求特性」を根拠した、前世療法における「前世記憶」への批判を、イアン・スティーヴンソンは、さらに辛辣に下記のようにおこなっています。
私には、この批判が、ブライアン・ワイスの前世療法を念頭において記述されていると思われます。
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こうした集中力をさらに高めていくなかで、被術者は、思考の主導権を施術者に委ねてしまうため、施術者の催眠暗示に抵抗できにくく(あるいは少なくとも抵抗する気が弱く) なってくる。催眠暗示により施術者になにか想い出すように命じられた被術者は、それほど正確に想起できない場合、施術者を喜ばせる目的で不正確な発言をおこなうことも少なくない。それでいながら大半の被術者は、自分が語っている内容に事実と虚偽が入り交じっていることに気づかないのである。

(中略)「あなたはこれから、生まれる前の別の時代の別の場所まで戻ります」と施術者に言われると、被術者はその指示に従おうとする。施術者が、たとえば、「あなたはこの頭痛の原因が過去のどこかにあることを想い出します」など、それほど明確でない催眠暗示を与えた場合ですら、同じように従順にその指示に従うのである。催眠によって誘発される特殊な服従状態のなかで被術者は、何らかの、過去にあった出来事らしきものを物語らずにはいられない衝動に駆られる(あるいは、そう仕向けられる)ため、現世の生活のなかからそれらしきものが捜し出せない場合には、前世らしき時代の記憶がそれまでにまったくなかった場合でも、それらしき話を作り上げるかもしれないのである。

(中略)催眠術を見世物にしている者をはじめ、催眠に関係したきわもの的な主張をする者たちは、催眠こそ記憶を蘇らせるための絶対確実な手段であるとする思い込みを助長してきたけれども、実際にはそれは、事実からほど遠いのである。

(中略)前世の記憶らしきものをある程度持っている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも想出すのではないか、とお考えになるかもしれない。私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ数名の者に催眠をかけたことがある。
私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したことがある。一部では私が施術をおこなったが、それ以外の実験では他の施術者に実験を依頼した。その結果、ただの1件も成功しなかった。

 『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.72-80
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イアン・スティ-ヴンソンは、同書P7において、「遺憾ながら催眠の専門家のなかには、催眠を使えば誰でも前世の記憶を蘇らせることができるし、それにより大きな治療効果が挙がるはずだと主張するか、そう受け取れる発言をしている者もある。私としては、心得違いの催眠ブームを、あるいはそれに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者があるという現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている状況を、何とか終息させたいと考えている」と、これまた痛烈な前世療法で想起された「前世の記憶」批判を展開しています。

これまで紹介してきた、日本の催眠アカデミズムや、イアン・スティ-ヴンソンの前世療法批判に対抗するための唯一の手段は、語られた「前世の記憶」を科学的検証にかけ、それが限りなく真実に近いことを実証する以外にないでしょう。

しかし、私の公開している「タエの事例」と「ラタラジューの事例」以外に、前世療法による「前世記憶」の真偽の科学的検証事例を、本にしろ論文にしろ公開されたものを私は知りません。


さて、それでは、私の主張するSAM前世療法における「前世人格の顕現化」現象は、「要求特性」によって説明できるフィクションでしょうか。

次に、セッション逐語録の一節を取り上げて検討してみたいと思います。(SAM催眠学序説その64参照)
このセッションは、2007年1月27日に、私あて霊信の受信者M子さんにおこなったものです。
逐語録の記号CLはM子さん、THは私です。

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CL:「そのもの」ではなく、あなたが今日、癒すべきものはM子という存在であり、アトランティスでの過去世について深く触れることは今日はできない。
だが、あなたは先ほど癒した傷ともう一つ、あなたが知らなければならない傷がある。
だが、その傷は癒され始めている。
それは、直接あなたと過去世で関わり合う者であり、「その意識」は、先ほどからあなたを見詰めている。


注:上記CLの語りの主体は、クライアントM子さんではなく、私の守護霊だと思われる。


TH:そうですか。


CL:その幼子は、あなたへと伝えたい言葉をずっと胸のうちに秘めていた。

TH:残念ですが、わたしにはそうした存在と交信する能力がありません。
M子さんに代弁してもらえますか?その幼子の言葉を。
M子さんが霊媒となって、訴えてる幼子とわたしとの仲立ちになってくだされば、その幼子を癒すことができるかもしれませんが。

:このあとのCL:の語りは、M子さんの前世である少年の口調に変わって話す。


CL:先生!・・・先生、ありがとう。(泣き声で)ぼく、先生を悲しませて、ごめんなさい。

TH:分かりました。で、あなたは何をしたんですか?


CL:(泣き声で)ぼくだけじゃなくて、みんな、みんな死んで、先生泣いたでしょ。
ぼく、先生が、ずっとずっといっぱい大切なことを教えてくれて、先生、ぼくのお父さんみたいにいっぱいで遊んでくれて、ぼくは先生のほんとの子どもだったらよかったと思ったけど、でも、死んだ後に、ぼくのお父さんとお母さんがいてね、先生は先生でよかったんだって・・・。
でも、ぼく、先生に、先生が喜ぶこととか何もできずに死んだから、ぼく、ずっとね、先生に恩返ししたいってずっと思ってて・・・このお姉ちゃんは、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね。


:この少年人格は、M子さんの魂表層を構成している前世人格の1つとして存在し、魂表層から顕現化し、現世のM子さんの肉体を借りて自己表現していることを示している。つまり、このセッション1年後に定式化されるSAM前世療法の前駆的セッションであると言えよう。


TH分かりました。きっと忘れませんよ。
それからあなたがね、こうやって現れて、直接あなたの声を聞く能力は、わたしにはありません。
でも、そのうちにそういう能力が現れるかもしれないと霊信では告げられています。
ですから、そのときが来たら存分に話しましょう。
先生は忘れることはないだろうし、あなたからひどい仕打ちを受けたとも思っていません。
だから、あなたはそんなに悲しまないでください。


CL:ぼくは、先生に「ありがと」って言いたかった。


TH:はい。あなたの気持ちをしっかり受け止めましたからね。
そんなに悲しむことはやめてください。先生も悲しくなるからね。

CL:うん。


TH:あなたは片腕をなくしていますか?


CL:生まれつき右腕がないんです。でも、先生は、手が一本だけでも大丈夫だっていつも言ってくれた。


TH:そうですか。今、あなたが生きている時代はいつ頃でしょう。
わたしには、それも見当がつかない。西暦で何年くらいのことか分かりますか?


CL:紀元前600年。(この語りの主体の声音は少年ではない。私の守護霊だと思われる。)


注:これに続く語りで、紀元前600年のマヤ文明の町パレンケで、私は、5名の孤児を世話をする教師であったことが明らかになる。この顕現化した片腕のない少年は、その孤児たちの一人であった。この私のマヤ時代の教師であった前世の検証はできない。

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さて、上記に紹介した逐語録をお読みになれば、私と、顕現化したM子さんの前世の少年人格とのやりとりが、「前世記憶」ではなく、現在進行形の対話であることに気づかれると思います。
また、前世の少年人格の次の語りは注目に値します。

このお姉ちゃんは、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね。 

「このお姉ちゃん」とは、クライアントM子さんです。
この前世人格の「少年」は、その生まれ変わりである現世のM子さんに憑依して(自己内憑依して)、私と対話していると告げているわけです。
さらに、この前世人格の「少年」は、彼の生まれ変わりである現世のM子さんとずっと一緒だ、と告げています。
つまり、M子さんとともにM子さんの魂の中に今も生き続けている、と告げているわけです。

このこと、つまり、ここで起きていること、魂の表層に存在している前世人格が顕現化し、現在進行形で対話するということは、まさにSAM前世療法そのものです。

しかし、SAM前世療法が完成するのは、この2007年のM子さんとのセッションの1年後です。
したがって、私の中には、魂の表層に存在している前世人格を顕現化させる、などの作業仮説(魂の二層構造仮説)があるはずがなく、当然のことながら、M子さんが、そうした作業仮説を知った結果、「要求特性」によって、前世人格の少年を顕現化させたはずがありません。
このセッションにおいては、M子さんに、SAM前世療法の作業仮説による「要求特性」の生じる余地は、まったくないのです。
にもかかわらず、自発的に、M子さんの魂の中に生き続けている前世人格の少年の顕現化が起きたという現象は、これが「要求特性」などと無関係な、おそらく普遍的に起こるであろう催眠現象だと考えてよいように思われます。

こうして、M子さんや里沙さんのように、きわめて高い催眠感受性とすぐれた霊媒体質に恵まれている者にしか現象しない、自発的な魂状態への遡行と前世人格の顕現化現象を、一般の人々にも90%以上の確率で、意図的に現象させる催眠法こそ、SAM前世療法だと言えます。

そして、SAM前世療法で顕現化する前世人格が、「要求特性」によって現象したフィクションの人格だと断言できないことを、「ラタラジューの事例」が、明白に示しています。
ネパール人村長ラタラジューを名乗る前世人格が顕現化し、クライアントの学んでいないネパール語対話(応答型真性異言)ができることは絶対ありえないからです。


ただし、SAM前世療法で顕現化する前世人格の真偽は、検証によって確認するほかありません。
しかし、「ラタラジューの事例」という前世人格の存在の確かな検証事例を、SAM前世療法は持っています。

したがって、検証不能な前世人格の顕現化については、「要求特性」によるフィクションだと切り捨てるのではなく、判断留保とすることが妥当であろうと思っています。

今後、SAM前世療法を私から学んだセラピストによる、前世人格の真偽の検証が、地道に累積されることを期待しています。 

2016年9月16日金曜日

SAM催眠学序説 その97

SAM前世療法の特異性と固有性

SAM前世療法で起こる特異・固有の現象には、一般のワイス式前世療法(前世の記憶にアクセスする技法)と比較して、いくつかの解明できていない謎があります。

ワイス式前世療法でうまくいかなかったクライアントで、SAM前世療法で成功しなかった事例は今のところありません。
両方の前世療法を経験したクライアントは50名を超えています。

この両方の前世療法を経験したクライアントが報告される大きな共通項は2つあります。

①催眠中の意識状態が明らかに違う。SAM前世療法の場合、ワイス式前世療法と比べてさらに深い意識状態に入ったという自覚がある。

②ワイス式ではセラピストの質問に対して口頭で答えられるのが普通なのに、SAMの場合には前世人格の5人のうち4人程度は口頭で答えることがどうしてもできない。

この①と②について、それぞれ現時点で分かっている限りの考察をしてみます。


①について、ワイス式前世療法では、催眠学の先行研究に則った「標準催眠尺度」によって確認することなく誘導が進められるので、どの程度の催眠深度に至ってセッションがおこなわれているかが不明です。

SAM前世療法が創始される2006年以前、私がワイス式でおこなっていた前世療法では、「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」の順に、催眠深度を成瀬悟策博士の「標準催眠尺度」を用いて確 認し、「記憶催眠」レベルの深度到達後、年齢退行によって子宮内まで退行し、その先の「子宮に宿る前の記憶(前世記憶)」がもしあるのなら、そこに戻ります、という暗示をしてい ました。
しかし、私の知る限り、ワイス式体験者は、「記憶催眠」より浅い催眠体験である印象を受けます。
それは、記憶催眠以上の深度で多くの被験者に共通して観察される、深いリラックス状態における「企図機能の低下」と、 筋肉の深い弛緩による緩慢で小声でつぶやくような発語状態が観察されないからです。


催眠学の明らかにしているところでは、「知覚催眠」レベルでは、五感が暗示通り知覚されます。
したがって、さまざまな幻覚を暗示によってつくり出すことが可能です。
また、創造活動が活性化され、自発的にイメージが次々に現れるようになります。
しかも、被験者は、そうした自発的に出てくるイメージに対して、自分が無意図的にイメージをつくり出しているという自覚を持つことはありません。

つまり自発的イメージは架空のものとは感じられず、自分の中に潜んでいた真実の記憶が自発的にイメージ化して現れてきたという錯覚をもつ可能性が大きいということです。

こ うした催眠中のイメージ体験の特性を根拠にして、大学のアカデミックな催眠研究者は、前世療法における前世の記憶とは、セラピストの期待に応えようとする無意識的心理傾向である「要求特性」がはたらき、想起された「フィクション」であると口をそろえて主張します。

私の敬愛してやまない成瀬悟策先生も、こうした立場を明確にとっておられます。
拙著『前世療法の探究』を献本したコメントで「あなたの扱っている前世の記憶はフィクションとしてとらえなさい。さもないと危ういですよ」という警告を受けています。
私の立場から反論すれば、「タエの事例」は綿密な検証の結果、これをフィクションとするには超ESP仮説を適用しない限り説明は不可能です、成瀬先生は超ESP仮説を認めておいでになりますか? そうでないとすれば、被験者里沙さんの知り得ないはずの、タエの語りと史実との一致をどのように説明されますか? ということになります。

SAM前世療法では、「知覚催眠」レベルの深度に至っていることを標準催眠尺度を用いて必ず確認します。
知覚催眠レベルに至ることがない深度で、「魂状態の自覚」まで遡行 できないことが明らかになっているからです。
そして、知覚催眠に至れば、ほぼ誰でも記憶催眠に至ることも明らかになっています。
したがって、SAM前世療法では記憶催眠レベルの確認はおこないません。
記憶催眠を突き抜けて、さらに深度を深めていきます。

標準催眠尺度には無い「魂遡行催眠」と呼ぶ、私が独自に名付けている最深度レベルにまで深めます。
企図機能の低下により身体の自発的運動は完全停止し、筋肉・関節の完全な弛緩状態にもっていきます。
SAM前世療法ではこうした催眠状態にまで誘導するので、ワイス式前世療法より深い意識状態に至ったという報告が共通してされるのではないかと推測しています。


②については、その解明は容易ではありません。
 
SAM前世療法の魂遡行状態では、顕現化した前世人格が口頭で答えられる割合は5人に1人、約20%以下しか口頭で話せません。
5人のうち4人までが、どうしても口頭で答えることができないと答えます。

ワイス式前世療法では、前世の記憶内容を音声化できないことを聞いたことがありません。
ワイス式体験者は、誰でも前世記憶のビジョンを口頭で報告することが可能です。

SAM前世療法における顕現化した前世人格が口頭で話せないという現象は、SAMの催眠深度がワイス式よりも深く、筋肉の弛緩状態がきわめて深く、声帯も弛緩し切っているので発声できないのではないか、という推測は的外れのようです。

どうも、SAM前世療法の作業仮説に理由が求めることができるのではないかと考えています。
ワイス式前世療法では、「前世の記憶として現れるビジョンをクライアントが報告する」という前提になっています。
あくまでクライアントが、「前世記憶を想起し報告する」のです。
SAM前世療法では、「顕現化した前世人格が、彼の生まれ変わりであるクライアントの身体を借りて対話する(自己内憑依)」という作業仮説でおこないます。

したがって、クライアントは普通、まず、前世人格の喜怒哀楽の感情を共体験します。
ビジョンは、それにともなって体験することになります。
感情のみの共体験で終わる場合も多くあります。
心理療法としての治癒効果は、ビジョンより感情のほうが有益ですから、前世人格の語り内容の真偽を科学的検証にかける目的でなければ、それで大きな問題はないと思っています。

セラピストの対話相手はクライアントではなく、魂表層を構成している、意識体として当時のままの感情で生きている、身体をもたない、前世人格という死者なのです。
死者である前世人格は、身体を失ってすでに長い時間を経ている存在です。
そこで、何人かの顕現化している前世人格に、なぜ話すことができないのかその理由を指で回答してもらうことを試みたところ、「肉体を失ってから長い時間が経過し、声帯と舌の操作の仕方を忘れているからどうしても声に出すことができない」という回答でした。

指や、うなづくという単純な動作なら、現世の身体を借りてその動作で回答することが可能であるということでした。
一理あるとは思いますが、さらに探究する必要があると思っています。

ここで注目すべきは、SAM前世療法においては、クライアントは前世人格の霊媒的な役割を担うということです。
私の創始したSAM前世療法は、クライアントの意識の中に憑依として顕現化した死者である前世人格と、発声器官にしろ指にしろ、クライアントの身体を借用して自己表現をする前世人格と対話するという世界の前世療法にまったく類のない作業仮説に立って展開しているのです。

つまり、クライアントは、自分の身体を自分の魂の表層に存在する前世人格に貸している霊媒的役割を担うことになっているということです。
つまり、前世人格は、自分の生まれ変わりである現世の肉体に憑依している、と考えられます。
この現象はこれまで発見されたことはなく、私はSAM前世療法独自の固有概念として「自己内憑依」と名付けています。

クライアントの魂表層から顕現化した前世人格は、現世クライアントの身体を媒介にして、現在進行形でセラピストと対話をしている、これがSAM前世療法のセッションの構図になっているということです。

そしてまた、このような作業仮説に基づく前世療法は、SAM前世療法以外にありません。
そして、このような信じがたいセッション構図は、「ラタラジューの事例」によって実証されたと思っています。

里沙さんの前世人格ラタラジューは、セッション中にネパール語話者カルパナさんと次のような現在進行形でのやりとりをしています。

里沙  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)
カルパナ  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)
里沙  O. ma Nepali.
   (おお、私もネパール人です)

つまり、前世人格ラタラジューは、ただ今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いか け、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈がすでに成り立たないことを示しています。

ラタラジュー は、現世の里沙さんの身体(発声器官)を借りて、自己内憑依して、自己表現している身体を持たない意識的存在です。
里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。

このことは、このラタラジューのセッション後に、研究資料としてお願いして書いていただいた以下の体験記録からも垣間見ることができるでしょう。
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セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。

ラタラジューの前に、守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。
ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラ タラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの七八年間の生涯を現世 の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。

はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。
なぜネパール人が日本語で 話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のよ うな存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言 葉を伝えていました。

カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできまし た。
現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。
ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。

セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験して いるかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでに ラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格 が違っていることも自覚していました。 

ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。
こういう現世の私の意識がはっきりあり、片 方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。
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「ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした」
という里沙さんの述懐は、彼女がラタラジューに「体を貸している」霊媒的役割を果たしたことを如実に語っていると思われます。

イアン・スティーヴンソンは、退行催眠中に現れた信頼できる応答型真性異言を2例あげています。
ともにアメリカ人の女性2名に現れた「イェンセンの事例(スウェーデン語会話)」と「グレートヒェンの事例(ドイツ語会話)」です。

「ラタラジューの事例」を含めると、催眠下で偶発的に起き、科学的に検証された事例で、公刊されたものとしては、世界でこれまでわずか3例の応答型真性異言しか発見されていません。

ちなみに、スティーヴンソンも、私と同様、顕現化した前世人格を「トランス人格」と呼んで、真性異言の話者を、クライアントとは別の人格が現れていると考えています。
つまり、クライアントが前世の記憶として真性異言を語ったとは考えていません。

生まれ変わりが普遍的事実であるならば、なぜもっと多くのクライアントが応答型真性異言を話さないのか、これは、ほんとうに大きな前世療法の謎です。
多くのクライアントは、日本人以外の前世人格が顕現化する事例を示すからです。

この謎について、里沙さんの守護霊に尋ねたところ、「非常にすぐれた霊媒体質を備えている者だけが、異言を話すことができる」という回答でした。

同様に、霊媒資質を備えたクライアントに顕現化した(自己内憑依した)前世人格だけが、口頭で答えることができる、と類推してよいように思われます。

2016年9月1日木曜日

SAM催眠学序説 その96


顕現化した前世人格と憑依人格の識別の問題


この問題は、未知への探究の魅力に富んでいます。

なぜなら、生まれ変わり研究の泰斗イアン・スティーヴンソンすら、催眠中に意識現象として顕現化した人格が、被験者の前世人格なのか、第三者の憑依人格なのか、その識別の考察をしていない、まったく未開拓の研究分野であるからです。

ただし、スティーヴンソンは、被験者のアメリカ人女性が、ドイツ語の応答型真性異言を語った「グレートヒェンの事例」の中で、顕現化したドイツ人少女グレートヒェンに対して「トランス人格」という呼び方をしており、前世人格の顕現化だと認めているらしいと判断できます。

私は、セッション中の「意識現象の事実」として確認してきた諸事実から、他者の憑依人格と前世人格の識別は、「里沙さんに限定」して判断する限り、他者の憑依人格だとは判断できません。
ラタラジューもタエも、里沙さんの前世人格であると判断しています。
その理由を述べてみたいと思います。

なお、この試論は、霊能者と呼ばれる人たちが、自らの「霊感」やら「直感」を根拠に、ラタラジュー人格を里沙さんの前世人格ではなく、他者の憑依人格だと主張されることに対する、私のセッションから得た諸事実に基づく反論でもあります。

憑依人格か前世人格かを見分ける最後のよりどころは、結局、自我を形成する魂は、おのれであるか他者であるかは、魂自身が根源であるがゆえに、見誤ることはあり得ないだろう、という一種の信念に立ち返ることになってきます。

私が里沙さんにセッションから間を置かないで、セッション中の意識状態を内観して記録するようにお願いしたのは、最後は里沙さん自身の「魂」を信頼するほかないと思っていたからです。

①SAM催眠学の作業仮説に基づき、ラタラジューは「魂の表層」から呼び出している。魂がおのれの一部である前世人格と「異物」である憑依人格と見誤ることはありえない。
ゆえに、魂の表層のものたちが作り出しているはずの「意識」の内観記録を信頼することは道理に適っている。

②SAM前世療法の経験的事実として、ラタラジューが最初から憑依しているとしたら、魂状態の自覚に至ることを妨害する。
したがって、里沙さんは魂状態の自覚に至ることができない。
しかし、事実はすんなり魂状態の自覚に至っている。
つまり、憑依霊はいないということになり、ラタラジューが最初から憑依していた可能性はまず考えられない。

③魂の自覚状態に至ると、霊的存在の憑依が起こりやすくなる。低級霊も高級霊も憑依することはセッションに現れる意識現象の事実である。
したがって、魂状態をねらってラタラジュー霊が憑依した可能性を完全に排除できない。
しかし、4年前のセッションで、タエの次の前世としてすでにラタラジューは顕現化している。
今回も、ラタラジューという前世人格を「呼び出して」顕現化させた。
憑依が、呼び出しによって起こった可能性は考え難い。
もし、魂表層への呼び出しによって低級霊の憑依が起こるとすれば、SAM前世療法で現れた人格はすべて他者の憑依霊ということになりかねない。

④SAM前世療法は、呼び出した前世人格との対話によって、その人格が癒され、連動してモニターしている現世の意識も癒しを得るという治療仮説を持っている。
前世人格ではなく、異物である憑依人格を癒して、これと関係の全くない現世の意識が連動して癒されるとは考えにくい。
里沙さんはラタラジューについて同一性の自覚を持っている。
そして、第一にモニター意識が、憑依人格を異物として感知しないはずがない。
第二に憑依が起きたとすれば、人格を占有されるわけで、その間の記憶(モニター意識)は欠落する。
これはシャーマニズム研究の報告とも一致する。
シャーマンは憑依状態の記憶が欠落することが多いとされている。
里沙さんも守護霊憑依中の記憶は完全に欠落することが、過去3回の守護霊の憑依実験から明らかになっている。
しかし、ラタラジュー顕現化中の記憶は明瞭にあると報告している。
それは、ラタラジューが憑依霊ではない状況証拠である。
憑依ならば、里沙さんの場合、その間の記憶は完全に欠落しているはずである。
しかも、ラタラジューには、真性異言会話実験後、魂の表層に戻るように指示し、戻ったことを確認して催眠から覚醒してもらった。
憑依霊が、私の指示に素直にしたがって憑依を解くとは考えられない。
ラタラジューが憑依霊であれば、高級霊とは考えにくく、低級霊であろう。
とすれば、憑依を解くための浄霊の作業なしに憑依が解消するとは考えられない。

⑤被験者の潜在意識は原則嘘をつかない。
魂状態に戻ったときに憑依した霊は、セラピストの問いかけに未浄化霊であれば、救いを求める憑依であることを告げる。
沈黙をしているときは、「悪いようにはしないから正体を現しなさい」と諭すとたいていは未浄化霊であることを認める。
手強い沈黙に対しては脳天に手をかざし霊体に向かって不動明王の真言を唱えると正体を現す。
クライアントは痙攣、咳き込み、のけぞりなどの身体反応を示す。

⑥そして、里沙さんは、四年前の「タエの事例」後、他者に憑いた霊や自分に憑こうとしている霊を感知し、それは悪寒という身体反応によって分かると言っている。
ある種の霊能らしきものが覚醒したらしい。
その霊能は、彼女の知人の二名の評価の高い霊能者から認められている。
ちなみに、この二名の霊能者は、ラタラジューが憑依であることをきっぱり否定している。
このような里沙さんが、ラタラジュー霊の憑依を感知できないとは考えにくい。
憑依であるなら、彼女が自ら感知し、違和感を訴えるはずである。  

以上はSAM前世療法によって、これまでに現れている「意識現象の事実」に基づく考察です。
こうした諸事実からも、「里沙さんに限定すれば」、ラタラジューが憑依霊であるとは考えられないというのが私の判断です。
まとめてみると、憑依人格と前世人格を識別する一応の指標として
① 被験者に現れた人格の会話中の記憶の有無
② 被験者に現れた人格とおのれとの同一性の自覚の有無
を区別するための仮説として設定しています。

私の判断の根拠になっている、里沙さんのセッション中の内観記録を下記に再掲します。
あくまでラタラジュー霊の憑依を主張される人は、この内観記録が憑依をされている人物の書くことのできるものと考えられるでしょうか。

ちなみに、応答型真性異言発話中の意識内容の内観記録は世界的にも一切公開された例がなく、里沙さんの手記はきわめて貴重なものです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。

こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。

思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。

ラタラジューの前に、守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。
ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。

はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。
なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。

対話相手のカルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。
現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。
ただ、このときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。

セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッ ション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してとい うのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 

ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。

こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。

セッション後、覚醒した途端に、セッション中のことをどんどん忘れていき、家に帰るまで思い出すことはありませんでした。
家に帰っての夜、ひどい頭痛がして、頭の中でパシッ、パシッとフラッシュがたかれたかのように、ラタラジューの記憶が、再び私の中によみがえってきました。

セッション中に感じた、私がラタラジューと一体となって、一瞬にして彼の意識や経験を体感したという感覚です。
ただ全部というのではなく、部分部分に切り取られた記憶のようでした。
カルパナさんの質問を理解し、答えた部分の意識と経験だと思います。
とりわけ、ラタラジューが、カルパナさんに「あなたはネパール人か?」と尋ねたらしく、それが確かめられると、彼の喜びと懐かしさがどっとあふれてきたときの感覚はストレートによみがえってきました。 

一つは、優しく美しい母に甘えている感覚、そのときにネパール語で「アマ」「ラムロ」の言葉を理解しました。
母という意味と、ラタラジューの母の名でした。

二つ目は、戦いで人を殺している感覚です。
ラタラジューは殺されるというすさまじい恐怖と、生き延びたいと願う気持ちで敵に斬りつけ殺しています。肉を斬る感覚、血のにおいがするような感覚、そして目の前の敵が死ぬと、殺されることから解放された安堵で何とも言えない喜びを感じます。
何人とまでは分かりませんが、敵を殺すたびに恐怖と喜びが繰り返されたように感じました。

現世の私は、それを受け入れることができず、しばらくの間は包丁を持てず、肉料理をすることが出来ないほどの衝撃を受けました。
前世と現世は別のことと、セッション中にも充分過ぎるほどに分かっていても、切り離すのに辛く苦しい思いをしました。

三つ目は、ネパール語が、ある程度わかったような感覚です。
時間が経つにつれて(正確には夜、しっかり思い出してから三日間ほどですが)忘れていってしまうので、覚えているうちにネパール語を書き留めてみました。
アマ・ラムロもそうですが、他にコド・ラナー・ダルマ・タパイン・ネパリ・シャハ・ナル・ガウン・カトマンズ・ブジナ・メロ・ナムなどです。
 
四 つ目は、カルパナさんにもう一度会いたいという気持ちが強く残り、一つ目のことと合わせてみると、カルパナさんの声はラタラジューの母親の声と似ていたの か、またはセッション中に額の汗をぬぐってくれた感覚が母親と重なったのか(現世の私の額をカルパナさんが触ったのに、ラタラジューが直接反応したのか、 現世の私がラタラジューに伝えたのか分かりませんが、一体化とはこのことでしょうか)。
母を慕う気持ちが、カルパナさんに会いたいという感情になって残ったのだろうと思います。

セッション一週間後に、カルパナさんに来てもらい、ネパール語が覚醒状態で理解できるかどうか実験してみましたが、もう全然覚えてはいませんでした。

また、カルパナさんに再会できたことで、それ以後会いたいという気持ちは落ち着きました。

以上が今回のセッションの感想です。

このことから、私が言えることは、

①生まれる前から前世のことは知っていたこと、それを何かのきっかけで(私の場合はSAM前世療法で)思い出したこと。

②生まれ変わりは、信じる信じないの問題ではなく、事実として間違いなく確かにあること。

③前世にとらわれることなく現世を生きなければならないこと、です。
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里沙さんの以上のようなセッション中の意識状態を内観した記録を検討すれば、ラタラジューを他者の憑依人格だと考える判断の根拠は、ほとんど考えられないと思います。

催眠下で顕現化した人格が、前世人格であるのか憑依人格であるのかという疑問は、「前世の記憶の想起」を前提にしたワイス式前世療法にはまったく問われることのない問題です。

「前世記憶の想起」ではなく、「前世人格の顕現化」を作業仮説とするSAM前世療法であるからこそ、必然的につきまとう特有の根本的かつ重大な問題です。

そして、この問題は、SAM催眠学とSAM前世療法の存立にかかわって、今後も継続して探究を必要とする問題であると認識しています。

2016年7月29日金曜日

SAM催眠学序説 その95

SAM催眠学の「未浄化霊」についての考察


SAM催眠学では、「霊魂仮説」を認める立場を明確に表明しています。

そもそも、私あて霊信の告げた内容が、SAM催眠学の諸仮説の根本基盤ですから、その霊信を送信してきた高級霊を名乗る「通信霊」を認めざるをえないことは論理的必然です。

SAM催眠学では、「霊とは、肉体を持たない死後存続する意識体」、「魂とは、肉体という器に宿った霊を呼び変えたもの」、という「霊」と「魂」の概念の明確な区別をしています。

したがって、魂は肉体という器を無くした時には霊にもどるわけで、香典袋の表書きに「御霊前」と 

書くことは理に適っています。

さて、私あて第12霊信(SAM催眠学序説 その59で公開) で、私の守護霊団の一員を名乗る霊は「未浄化霊」について次のように告げています。(注:「未成仏霊」と「未浄化霊」は同義語)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この世に残る「未成仏霊」のような存在は、残留思念の集合体である。 

だが、それらは意志を持つようにとらえられる。 

よって、魂と判断されがちだがそれらは魂とは異なるものである。

それらの持つ意志は意志ではない。

なぜ、それらが意志を持つものだととらえられるのか、そして、魂が別の道をたどりながらそのような意志を残すのか。

それを残すのは、その魂ではない。

それらを管理するのは神である。

それらは計画の一部である。

転生し旅を続けるものに対する課題として必要なものである。

その詳細への説明は与えるものではない。

あなた方は、なぜそのような仕組みになっているのか答えを待つのではなく、自らが探究して得るべきなのだ。                                                  
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「未浄化霊」とは、いわゆる魂(霊)ではなく、「残留思念の集合体」である、というとらえ方は初耳でしたし、このことについてはしばらくの間、探究することを怠ってきました。                なぜなら、SAM前世療法のセッションでたまたま顕現化する未浄化霊は、1個の人格を持つ意識体として人間的対話が可能だからです。                                    「残留思念の集合体」というとらえ方のほうが不自然だと思われたからです。

その一つの例示として、SAM催眠学前世療法の最終過程「魂遡行催眠」のセッション中に顕現化した未浄化霊との対話事例を提示してみます。


クライアントは30代の女性であり、「魂遡行催眠」の過程で、憑依していたとおぼしき未浄化霊が、唐突に「セノーテ、セノーテ」と発話しはじめました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
: セノーテってなんですか? 

: 泉、泉。

: セノーテとはどこの言葉ですか。

: マヤ、マヤ。

: あなたはマヤの時代の人なんですね。それで、あなたは迷っている霊ですね。

: うん。そう、そう。

: マヤは日本から遠く離れています。あなたは、苦しくて、それを分かってほしいから、この者に憑依したのですか? そのために、マヤから日本までやってきたのですか?

: ちがう。この人が来た。

: この者が、あなたのいたマヤのセノーテにやってきた。それであなたが憑依して、そのまま日本に来てしまった、そういうことですか。

: うん。そう、そう。

: あなたは何歳で命を落としたの? 命を落とした場所がセノーテなの?

: 3歳の女の子。セノーテへお母さんが投げ込んだので死んでしまったの。

: お母さんがあなたを殺したわけですね。なぜそんな惨いことをお母さんがしたの?

: 神様への生け贄だって。

注: ここでまたクライアントは激しくイヤイヤをしながら、激しく泣き出しました。それがすすり泣きに変わるまで待って、対話を続けました。 

: そうやって生け贄にされて殺されたから迷っているのですね。でもね、この者にくっついていても、あなたはいくべき世界にいつまでたってもいけませんよ。あなたのいくべきところは光の世界です。そこへいけば、お母さんと会えますよ。あなたを守っておいでになる神様とも会えますよ。

: いやだ。光の世界はいやだ。お母さんは大嫌い、私をセノーテに投げ込んだ。会いたくなんかない。神様はもっと嫌い。私を生け贄にした。

:  お母さんがね、喜んであなたを生け贄にするはずがないでしょう。ほんとうは悲しくてたまらなかったのに、マヤの掟で泣く泣くあなたを生け贄にしたのですよ。そうして、幼子のあなたを生け贄に求めたというマヤの神様はまやかしです。そんなことを求める神様なんているはずがありません。悲しいことですが、マ ヤの時代の迷信です。

: でも、お母さんは、神様の求めで私をセノーテに投げこんだ。お母さんには絶対会いたくない。いやだ、いやだ。お母さんのいるところへなんか行きたくない。この人のところがいい。

:  じゃあね。私の言っていることがほんとうかどうか、ためしてみませんか。きっと、あなたが来るのを待っているお母さんが心配をして、お迎えに来てくれるはずですよ。お母さんがやさしく迎えに来ないことが分かったら、光の世界に行かなくていいのです。ためしてみましょうか。いいです ね。浄霊っていう儀式 をしましょう。きっとお母さんがお迎えにきてくれますよ。

霊: でも、いやだ。お母さんは嫌い。私を殺した。光の世界には行きたくない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

このような対話を繰り返し、マヤの女の子が、浄霊に応じることを納得してくれるまで待ちました。
30分近く説得し、浄霊してよいという了解を得たので、浄霊をはじめました。
浄霊の儀式が終わったところで、お母さんが迎えに来ていますか、と尋ねると、うん、とうれしそうに返事が返ってきました。こうして、浄霊作業は終了しました。


ちなみに、このクライアントが、いったいどこで、この子どもの未浄化霊に憑依されたのか覚醒後に確認したところ、3ヶ月ほど前の旅行でマヤ遺跡のチツェンイツァのセノーテを訪問していたことが確認できました。

ここのセノーテでは、実際に生け贄を投げ込んで神への供物とすることがおこなわれていたとされています。

このクライアントは、おそらく旅行先のここで憑依されたものと推測できます。

さて、ここで私と対話した未浄化霊である3歳の女の子は「残留思念の集合体」なのでしょうか?

だとすれば、「残留思念の集合体」は、あたかも一個の人格として振る舞っていることが明らかです。

このことについては、「SAM催眠学序説その82」において次のような見解を示しておきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
通信霊の告げている、未成仏霊は残留思念の集合体である、という説を採用すると、インナーチャイルド、多重人格にあらわれる副人格、生き霊といった 現象も、「強烈な思念の集合体であり、それらは意志を持つ人格のように振る舞う」という仮説が成り立つのではないか、というのがここでのテーマです。

なぜなら、SAM前世療法のセッションにおいて、たしかに未浄化霊を名乗る霊的存在が顕現化する意識現象があらわれ、「残留思念の集合体」であるにもかかわらず、あたかも意志を持った一個の人格として振る舞うからです。

このことをさらに考察しますと、「憎悪・悲哀・嫉妬などの強烈な思念」、つまり「強烈な負の意識」が凝縮された集合体になると、それが一個の人格的存在を創出することがある、という仮説が成り立つと思われるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

つまり、「インナーチャイルド」・「多重人格」・「生き霊」と呼ばれる存在は、生者の強い思念が凝縮して、一個の人格的存在として振る舞っているわけですから、死者のこの世に残した強い「残留思念」も、一個の独立的な人格的存在として振る舞っても不思議ではないということです。

そして、顕現化した未浄化霊が、本当に「残留思念の集合体」であるのかどうか、は当の未浄化霊に尋ねてみるしかない、というのが私のとった確認方法です。

その結果、尋ねた十数事例のすべての未浄化霊が、自分はいわゆる霊ではなく「残留思念の集合体である」と答えています。
それでは、本体である霊(死者の魂)はどこに存在しているかを尋ねると、どうやら「残留思念の集合体」が浄化されて上がってくるのを霊界で待っているとの回答でした。

本体の霊には、本体の霊と分離したまま地上に残してしまった「残留思念」が浄化され、本体の霊と統合され、霊として十全な状態になることが求められているようです。
どうやら、そのような十全な霊となるように統合がなされるまでは、霊界からの次の生まれ変わり(転生)が許可されないのではないかと思われます。

 そうした消息を霊信では次のように告げていると思われます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
なぜ、それら(注:残留思念の集合体)が意志を持つものだととらえられるのか、そして、魂が別の道をたどりながらそのような意志を残すのか。・・・(中略)

転生し旅を続けるものに対する課題として必要なものである。(第12霊信)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「残留思念の集合体が意志を持つものだととらえられる」理由は、インナーチャイルド、多重人格、生き霊などの事例からすでに明らかと言ってよいでしょう。

「魂(霊)が別の道をたどる」ということは、残留思念を地上に残し、本体から分離したままの十全ではない霊は転生が足止めされ、そうした転生を許可されない霊たちの居場所が、霊界のどこかに用意されていることを意味しているのかもしれません。

また、残留思念を地上に残したばかりに、願っても転生が許可されず、霊として成長進化する機会を奪われていることへの後悔や悲しみなどの苦悩や反省が、「転生し旅を続けるものに対する課題」ということかもしれません。

こうして、われわれが未浄化霊と呼んできた霊的存在は、どうやら「霊」ではなく「残留思念の集合体」であると判断してもよいようです。

以下は、「残留思念の集合体」であることを認めたうえで、それを従来どおり 「未浄化霊」と呼んで記述していきます。

しかし、私は残念なことに、未浄化霊の生前の身元の検証に完全に成功したことがありません。
未浄化霊の語った生前の身元が実証できるあと一歩まで肉薄した事例は2例ほどあります。

したがって、未浄化霊の存在の有無は判断留保という前提において、未浄化霊とおぼしき存在に憑依されている複数のクライアントの「意識現象の事実」を累積した結果としての見解をこれまで述べてきました。

そして、クライアントに憑依している未浄化霊の語りが、客観的事実であるのか虚構であるのかは、検証して確認するほかありません。

ただし、検証の結果、生前の身元が客観的事実であると確認できたとしても、厳密な研究者からは、クライアントが超ESPによってそうした身元の情報を入手して語ったのだ、という疑惑が提出されるかもしれません。

未浄化霊と対話した私の実感としては、例示したマヤの女の子のような霊的存在の生前の身元が確認できないからといって、その実在を完全否定できないと思われます。

もちろん、クライアントの妄想の産物であるとか、役割演技とかの説明は可能でしょうが、なぜそのような妄想を語ったり役割演技をクライアントがする必要があるのか、必然性も利得もないからです。
ちなみに、統合失調症などの精神疾患は、このクライアントにはまったく認められませんでした。


さて、さらに、未浄化霊に憑依されていたとおぼしき諸クライアントの告げた「意識現象の事実」を、それを告げた未浄化霊の実在は判断留保という前提において、未浄化霊との対話で確認してきたことを取り上げてみたいと思います。


未浄化霊は、何を求めて憑依するのか、どういう人を選んで憑依するのか、どこに憑依するのか、という問題です。
また、未浄化霊に憑依されやすい人は、どのようにしてそれを防ぐことができるのか、という問題です。

未浄化霊の求めていることは、自分のように苦しんでさまよっている霊への理解と共感だということです。
要するに、さまよっている霊の心情を分かってくれそうな人を選ぶといいます。
つまり、未浄化霊に対して、意識的にも、無意識的にも、受容的態度を持つ人を選ぶということです。
多くは霊的感性の豊かな人が、そうした霊への受容的態度を持っているようです。

それでは未浄化霊は何をもって、その人が霊への受容的態度を持っていることを知るのでしょうか。

未浄化霊の語るところによれば 、その選択の指標はオーラだと言います。

SAM催眠学では、霊体に意識・潜在意識が宿っている、という「霊体仮説」を設けています。
その霊体の色がオーラです。

したがって、未浄化霊に、霊体に宿っている意識内容を読み解く能力があるとすれば、その霊体に宿っているその人の意識・潜在意識に、霊への受容的態度があるのかないのかが判断できるということになり、実際にそのようにして受容してくれそうな人に憑依すると言います。

逆に言えば、未浄化霊に対して強い拒否的意志を固めていれば、その拒否の意識は霊体に反映し宿っているわけであり、それを察知した未浄化霊は、憑依したところで理解も共感も得られないので憑依をあきらめることになるようです。
または、霊感に無理解、あるいは無い人に対しても憑依は無駄であり、あきらめることになります。

したがって、憑依されやすい人が憑依を防ぐには、ふだんから未浄化霊への強い拒否的意志(思念)を固めておくことが、もっとも有効な手段であると言えるでしょう。

この憑依を防ぐ方法は、マヤの幼子に憑依されていたクライアントの守護霊によって確認しています。

それでは、未浄化霊はどこに憑依するのでしょうか。

霊体に憑依すると言います。

この霊体への憑依によって、被憑依者の霊体に宿っている本来の意識・潜在意識に、憑依した未浄化霊の意識(残留思念)が併存、ないし混入することになる、という理解が「霊体仮説」から導き出されます。

こうして、憑依によって、未浄化霊の残留思念(悲しみ、怒り、憎しみなどマイナスの思念)の影響を多かれ少なかれ受けざるを得ない被憑依者の意識は、理由の思い当たらない憂鬱感や悲哀感、怒りなどの意識に彩られることになります。

強力な未浄化霊の憑依によっては、その優勢な残留思念に支配され、一時的に本来の人格が変わってしまうような意識現象があらわれるかもしれません。
このことは、生き霊に憑依されたクライアントが示した事例からも類推できそうだと思われます。

私の体験した唯一の事例においては、統合失調症の診断の下りている青年で、精神科に入院するために病院に入ると同時に寛解状態に戻り、入院の必要なしと診断されて病院から出ると同時に異常行動に戻ることを繰り返すという不思議な病態を示しました。

大胆な私見を述べれば、この事例は、被憑依者の病院内での治療を嫌う未浄化霊が、憑依したり、離れたりするという解釈をすれば理解できそうです。
私の信頼している唯一の霊能者も、この青年の事例は私見のとおりだろうとコメントしています。

とすれば、統合失調症の患者さんの中には、強力な未浄化霊の憑依による病態だと推測できる患者さんがおいでになるかもしれません。


2016年7月21日木曜日

SAM催眠学序説 その94

SAM催眠学とスティーヴンソンの生まれ変わりについての見解


私の研究の方法論は、イアン・スティーヴンソンの諸著作から学んだことを手本としています。
彼は、自らの手で集めている生まれ変わりを示す証拠が、自ら事実を物語るはずだ、と次のように繰り返し述べています。

私の見解は重要ではない。私は自分の役割は、できる限り明確に証拠を提示することにあると考えている。読者諸賢は、そうした証拠をー厳密に検討されたうえで自分なりの結論に到達する必要があるのである。
(イアン・スティーヴンソン『「生まれ変わりの刻印』春秋社、1998、P198)


また、生まれ変わりという考え方は、最後に受け入れるべき解釈なので、これに替わりうる説明がすべて棄却できた後に、初めて採用すべきである、という慎重な研究方法を一貫して採用しています。

拙著、『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』のタエ・ラタラジューの両事例の諸検証は、スティーヴンソンの検証方法を忠実に守っておこなったつもりです。

私が死の恐怖について、きわめて臆病な人間であったことはこのブログに書きました。
そして、死の恐怖から免れるために、宗教に救いを求めることは、生来の気質からできなかったことも正直に述べました。

こうした私だからこそ、イアン・スティーヴンソンの生まれ変わりの科学としての研究に強く惹かれるものを感じてきました。
彼こそ、生まれ変わりという宗教的概念を、宗教的なものから科学的探究の対象へと位置づけることに成功した先駆的科学者であると評価できると思うからです。

そこで、ここでは、彼の生まれ変わりについての見解がもっとも濃厚に述べられている『前世を記憶する子どもたち』日本共文社、1989から、その見解を紹介し、SAM催眠学の魂二層構造仮説と比較してみたいと思います。
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生まれ変わったと推定される者では、先述のイメージ記憶、行動的記憶、身体的痕跡という三通りの要素が不思議にも結びついており、前世と現世の間でもそれが一体になっていなかったとは、私には想像すらできない。
このことからすると、この要素(ないしその表象)は、ある中間的媒体に従属しているらしいことがわかる。この中間的媒体が持っている他の要素については、おそらくまだ何もわかっていない。

前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)

私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実 際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。人格は、一人の人間がい ずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているのに対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去 世の残渣が加わる。したがって、私たちの個性には、人格としては決して表出することのないものや、異常な状況以外では人間の意識に昇らないものが数多く含 まれているのである。
(前掲書PP.359-360)
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上記のスティーヴンソンの見解とSAM催眠学の「魂の二層構造仮説」の見解とを比較してみると、ほぼ整合するところが指摘できます。

彼の言う「中間的媒体」、「心搬体(サイコフォア)」は、SAM催眠学の「魂」と同義です。
おそらくスティーヴンソンはSoulという語にまとわりつく宗教臭を回避したのだと思われます。
このことについて彼は次のように述べています。

私は、この中間媒体を表す用語として(心を運ぶと言う意味を持つ)「心搬体(サイコフォア)」という
言 葉を提案した。(私は、生まれ変わり信仰を持つ多くの宗教に、こうした中間媒体を意味する言葉があることを承知している。しかしながら、生まれ変わりに関 する私たちの、依然として初歩的な科学的研究を宗教と結びつけるのを避けるため、新しい言葉を作った方がよいと考えたわけである。)
(イアン・スティーヴンソン『「生まれ変わりの刻印』春秋社、1998、P198)


私は、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を、そのまま従来の「魂」の概念でも不都合はないと思いますし、取り立てて新しい概念でもないのに「心搬体」などの造語を用いることは不要だと思っています。

また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化(変化)する仕組みになっている」という仮説を支持するものと言えそうです。

ただし、「心搬体」=「魂」を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない、と述べています。
私は、私あて霊信によって、「魂を構成する要素がどのような配列になっているのか」を教えられ、催眠を道具にその真偽の検証によって、魂表層を構成する前世の人格たちを呼び出すことに成功したと思っています。

しかも、「ラタラジューの事例」によって、前世人格ラタラジューは、魂表層で、肉体はなくとも生きて活動していることを実証できたと思っています。

つまり、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世諸人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化する仕組みになっている」というのが、SAM催眠学の見解です。

つまり、「心搬体」=「魂」の表層全体は、変化していくものだということを、顕現化した前世諸人格の語りから確かめています。

さらに、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない、というスティーヴンソンの見解は、そっくりSAM催眠学の見解と同様です。

現世の私という人格が、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層の一つとして生き続けるのであって、魂が生まれ変わるとは、「表層を含めた一つの魂全体」だというのが、SAM催眠学の示す生まれ変わりの実相だと言えます。

また、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの考え方も、SAM催眠学の見解にほぼ一致します。

現世の個性は、魂表層の前世人格たちから人生の知恵を分かち与えられており、このようにして繰り返された前世の諸人格に由来する「個性」と、現世での諸経験とによって、形成されているに違いないのです。

さて、私が、故スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「記憶」の所在についての考究でした。

彼が、「前世の記憶」が脳にだけあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」を想定していたことに照らせば、間違いありません。

私の期待したのは、その「心搬体」と「脳」との関係についてのスティーヴンソンの考究です。

前世の記憶を語る子どもたちは、その前世記憶の情報を、心搬体から得て話したのか、脳から得て話したのか、いずれなのでしょうか。

私の大胆な仮説を述べてみますと、すべての事例がそうではないにしても、子どもの魂表層に存在する前世人格が、顕現化(自己内憑依)し、子どもの口を通して、前世人格みずからが自分の人生を語った可能性があるのではなかろうか、ということになります。

それは、その前世を語った子どもの12事例のうち、8つの事例で、次のように話し始めた(ふるまった)とスティーヴンソンが紹介しているからです。

①ゴールパールは、「そんなものは持たない。ぼくはシャルマだ」と答え、周囲を仰天させた。(前掲書94)

②コーリスが1歳1ヶ月になったばかりの頃、母親が名前を復唱させようとしたところ、コーリスは腹立たしげに、「ぼくが誰か知ってるよね。カーコディだよ」と言った。(前掲書P98)

③日本に帰りたいという願望をよく口にし、ホームシックから膝を抱いてめそめそ泣くこともあった。また、自分の前で英米人の話が出ると、英米人に対する怒りの気持ちを露わにした。(前掲書P101)

④シャムリニーは、その町に住んでいた時代の両親の名前を挙げ、ガルトウダワのお母さんのことをよく話した。また、姉妹のことやふたりの同級生のことも語っている。(前掲書P104)

⑤ボンクチはチャムラットを殺害した犯人は許せないという態度を示し、機会があると復讐してやる、と何年か言い続けた。(前掲書P116)

⑥おまえの名前は「サムエル」だと教えようとしても、サムエルはほとんど従おうとしなかった。「ぼくはペルティだ」と言ってきかなかったのである。(前掲書P121)

⑦前世の話をもっとも頻繁にしていた頃のロバータは、時折前世の両親や自宅の記憶を全面的に残している子どもが養女にきているみたいにふるまった。(前掲書P126)

⑧3歳の頃マイクルは、全く知らないはずの人たちや出来事を知っているらしい兆候を見せ始めた。そしてある日、「キャロル・ミラー」という名前を口にして、母親を驚かせたのである。(前掲書P141)

以上のような事例の事実は、「子どもが前世の記憶を話した」というよりは、「前世人格が現れて人生の出来事を話した」と、現象学的にありのままに受け取ることのほうが、自然だと私には思われるのです。

スティーヴンソンは、応答型真性異言の「グレートフェン」の事例において、グレートフェンを顕現化した「トランス人格(前世人格)」として解釈しています。

前世を語った子どもにおいても、前世人格の顕現化の可能性をなぜ検討しなかったのか、私には不満が残ります。
子どもが語ったのは「前世の記憶」だという思い込みがあるように思われてなりません。
仮に、子どもが語ったのは「前世の記憶」だとして、その記憶の所在はいったいどこにあるのでしょうか?


とりわけ、上記③⑤⑦などのような、「態度」や「ふるまい」があらわれる事例は、前世の記憶ではなく、魂表層に存在する「前世人格の顕現化」として受け取るのが自然だろうと思います。

スティーヴンソンが存命しているなら、是非尋ねてみたいものです。

2016年6月24日金曜日

SAM催眠学序説 その93

SAM催眠学における前世人格との対話現象


SAM催眠学のもっとも大胆、奇怪な作業仮説は、「前世の記憶」にアクセスするのでなく、魂の表層に存在する「前世人格」にアクセスするという方法論をとっていることでしょう。

私の知る限り、「魂表層に存在する前世人格にアクセスする」という明確な作業仮説のもとにおこなっている前世療法士は海外を含めて皆無です。

それほど認めがたい作業仮説だろうと思われます。
そもそも、私あて霊信が教示した魂の構造から生み出された作業仮説であり、人間が考えた仮説ではありません。

魂表層に存在している前世人格とは、つまりは死者であり、その死者である前世人格を顕現化させ対話することは、死者との対話をすることになります。

しかし、この作業仮説を裏づけ、顕現化した前世人格の実在が検証できた事例が確かに存在し、その映像と音声の証拠記録が残っています。

それが「ラタラジューの事例」と「タエの事例」にほかなりません。

前世人格ラタラジューは次のような、現在進行形でのきわめて象徴的な対話をしています。
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注:CLは被験者里沙さん、KAはネパール語対話者ネパール人カルパナさん

CL  Tapai Nepali huncha?         
   (あなたはネパール人ですか?)

KA  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

CL  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)
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この短いやりとりの重要性は、ついうっかり見落とすところですが、現れた前世人格のありようについて、きわめて興味深く示唆に富むものだと言えます。

それは、前世人格の顕現化というSAM催眠学の作業仮説が成り立つことを裏づけるものだからです。

つ まり、前世人格ラタラジューのありようは、ただ今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、 ここで、問いかけ、その回答を求めているわけで、「里沙さんの潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示していま す。

ラタラジューは、前世記憶の想起として里沙さんによって語られている人格ではないのです。
里沙さんとは別人格として現れている、としか考えられない存在です。

その「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯と舌)を用いて自己表現している」と解釈することがもっとも自然な解釈ではないでしょうか。

前世を生きたラタラジュー人格は、肉体こそ持たないものの、ただ今、ここに、存在している人格(意識)として現れており、現在進行形で会話しているのです。

この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、そこには前世のものたちが、今も、生きて、意識体として存在している、というSAM催眠学独自の作業仮説が正しい可能性を示している検証の証拠であると考えています。

ところで、生まれ変わり研究の先駆者、とりわけ生まれ変わりの最有力な証拠である応答型真性異言の研究者であるイアン・スティーヴンソンも、応答型真性異言の実験セッションにおいて次のように述べ、私と同様の見解を示しています。

ちなみにこの被験者女性は、アメリカ人女性で、退行催眠下で学んだことのないドイツ語で応答的会話した応答型真性異言「グレートヒェンの事例」の被験者です。
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私自身は、この被験者を対象にした実験セッションに4回参加しており、いずれのセッションでも、トランス人格たるグレートヒェンとドイツ語で意味のある会話をおこなっている。(『前世の言葉を話す人々』春秋社、P9)

ドイツ人格とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた。そして、それに成功し、この新しいトランス人格は、自分を「Ich bin Gretchen(私はグレートヒェンです)」と名乗ったのである。
(前掲書P11)
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スティーヴンソンも、この事例において、被験者が記憶を想起して会話しているのではなく、顕現化した「トランス人格」自身が会話をした、という解釈をするしかなかったのです。

ただし、彼の用いた「トランス人格」という語は両義性を含んでおり微妙です。

なぜなら、トランス人格とは、退行催眠下のトランス状態で顕現化した人格一般を指すのであり、それが被験者の前世人格であるのか第三者の憑依人格(憑依霊)であるのかは不明であるからです。

慎重・厳密な科学者であるスティーヴンソンは、その判断を留保し、トランス人格という語を用いたと思われます。

穿った推測をすれば、グレートヒェン人格を前世人格だと判断した場合、その前世人格はどこに存在しているのかが問題となることを回避したかったのかもしれません。

いずれにせよ、応答型真性異言現象を目の当たりにした者は、その応答的会話をする主体を、被験者が記憶を想起して語っているのではなく、被験者とは別個に顕現化している人格自身であると認識せざるをえない、ということを私は主張しているのです。

SAM催眠学に基づくSAM前世療法では、魂の表層は生まれ変わりをした前世諸人格によって構成されており、その前世人格を呼び出し、対話するという作業仮説に基づいてセッションを展開します。

ラタラジューもタエも、そのようにして、魂表層から呼び出し、顕現化させた前世人格です。

SAM前世療法の他のセッションにおいても、同様の手続きをして呼び出した前世人格が、応答型真性異言現象を示さないにしても、その前世人格を、すべて被験者の願望や潜在記憶が投影された架空人格(偽造人格)だと切り捨てることはできない、と考えています。