2016年7月29日金曜日

SAM催眠学序説 その95

SAM催眠学の「未浄化霊」についての考察


SAM催眠学では、「霊魂仮説」を認める立場を明確に表明しています。

そもそも、私あて霊信の告げた内容が、SAM催眠学の諸仮説の根本基盤ですから、その霊信を送信してきた高級霊を名乗る「通信霊」を認めざるをえないことは論理的必然です。

SAM催眠学では、「霊とは、肉体を持たない死後存続する意識体」、「魂とは、肉体という器に宿った霊を呼び変えたもの」、という「霊」と「魂」の概念の明確な区別をしています。

したがって、魂は肉体という器を無くした時には霊にもどるわけで、香典袋の表書きに「御霊前」と 

書くことは理に適っています。

さて、私あて第12霊信(SAM催眠学序説 その59で公開) で、私の守護霊団の一員を名乗る霊は「未浄化霊」について次のように告げています。(注:「未成仏霊」と「未浄化霊」は同義語)

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この世に残る「未成仏霊」のような存在は、残留思念の集合体である。 

だが、それらは意志を持つようにとらえられる。 

よって、魂と判断されがちだがそれらは魂とは異なるものである。

それらの持つ意志は意志ではない。

なぜ、それらが意志を持つものだととらえられるのか、そして、魂が別の道をたどりながらそのような意志を残すのか。

それを残すのは、その魂ではない。

それらを管理するのは神である。

それらは計画の一部である。

転生し旅を続けるものに対する課題として必要なものである。

その詳細への説明は与えるものではない。

あなた方は、なぜそのような仕組みになっているのか答えを待つのではなく、自らが探究して得るべきなのだ。                                                  
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「未浄化霊」とは、いわゆる魂(霊)ではなく、「残留思念の集合体」である、というとらえ方は初耳でしたし、このことについてはしばらくの間、探究することを怠ってきました。                なぜなら、SAM前世療法のセッションでたまたま顕現化する未浄化霊は、1個の人格を持つ意識体として人間的対話が可能だからです。                                    「残留思念の集合体」というとらえ方のほうが不自然だと思われたからです。

その一つの例示として、SAM催眠学前世療法の最終過程「魂遡行催眠」のセッション中に顕現化した未浄化霊との対話事例を提示してみます。


クライアントは30代の女性であり、「魂遡行催眠」の過程で、憑依していたとおぼしき未浄化霊が、唐突に「セノーテ、セノーテ」と発話しはじめました。

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: セノーテってなんですか? 

: 泉、泉。

: セノーテとはどこの言葉ですか。

: マヤ、マヤ。

: あなたはマヤの時代の人なんですね。それで、あなたは迷っている霊ですね。

: うん。そう、そう。

: マヤは日本から遠く離れています。あなたは、苦しくて、それを分かってほしいから、この者に憑依したのですか? そのために、マヤから日本までやってきたのですか?

: ちがう。この人が来た。

: この者が、あなたのいたマヤのセノーテにやってきた。それであなたが憑依して、そのまま日本に来てしまった、そういうことですか。

: うん。そう、そう。

: あなたは何歳で命を落としたの? 命を落とした場所がセノーテなの?

: 3歳の女の子。セノーテへお母さんが投げ込んだので死んでしまったの。

: お母さんがあなたを殺したわけですね。なぜそんな惨いことをお母さんがしたの?

: 神様への生け贄だって。

注: ここでまたクライアントは激しくイヤイヤをしながら、激しく泣き出しました。それがすすり泣きに変わるまで待って、対話を続けました。 

: そうやって生け贄にされて殺されたから迷っているのですね。でもね、この者にくっついていても、あなたはいくべき世界にいつまでたってもいけませんよ。あなたのいくべきところは光の世界です。そこへいけば、お母さんと会えますよ。あなたを守っておいでになる神様とも会えますよ。

: いやだ。光の世界はいやだ。お母さんは大嫌い、私をセノーテに投げ込んだ。会いたくなんかない。神様はもっと嫌い。私を生け贄にした。

:  お母さんがね、喜んであなたを生け贄にするはずがないでしょう。ほんとうは悲しくてたまらなかったのに、マヤの掟で泣く泣くあなたを生け贄にしたのですよ。そうして、幼子のあなたを生け贄に求めたというマヤの神様はまやかしです。そんなことを求める神様なんているはずがありません。悲しいことですが、マ ヤの時代の迷信です。

: でも、お母さんは、神様の求めで私をセノーテに投げこんだ。お母さんには絶対会いたくない。いやだ、いやだ。お母さんのいるところへなんか行きたくない。この人のところがいい。

:  じゃあね。私の言っていることがほんとうかどうか、ためしてみませんか。きっと、あなたが来るのを待っているお母さんが心配をして、お迎えに来てくれるはずですよ。お母さんがやさしく迎えに来ないことが分かったら、光の世界に行かなくていいのです。ためしてみましょうか。いいです ね。浄霊っていう儀式 をしましょう。きっとお母さんがお迎えにきてくれますよ。

霊: でも、いやだ。お母さんは嫌い。私を殺した。光の世界には行きたくない。
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このような対話を繰り返し、マヤの女の子が、浄霊に応じることを納得してくれるまで待ちました。
30分近く説得し、浄霊してよいという了解を得たので、浄霊をはじめました。
浄霊の儀式が終わったところで、お母さんが迎えに来ていますか、と尋ねると、うん、とうれしそうに返事が返ってきました。こうして、浄霊作業は終了しました。


ちなみに、このクライアントが、いったいどこで、この子どもの未浄化霊に憑依されたのか覚醒後に確認したところ、3ヶ月ほど前の旅行でマヤ遺跡のチツェンイツァのセノーテを訪問していたことが確認できました。

ここのセノーテでは、実際に生け贄を投げ込んで神への供物とすることがおこなわれていたとされています。

このクライアントは、おそらく旅行先のここで憑依されたものと推測できます。

さて、ここで私と対話した未浄化霊である3歳の女の子は「残留思念の集合体」なのでしょうか?

だとすれば、「残留思念の集合体」は、あたかも一個の人格として振る舞っていることが明らかです。

このことについては、「SAM催眠学序説その82」において次のような見解を示しておきました。

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通信霊の告げている、未成仏霊は残留思念の集合体である、という説を採用すると、インナーチャイルド、多重人格にあらわれる副人格、生き霊といった 現象も、「強烈な思念の集合体であり、それらは意志を持つ人格のように振る舞う」という仮説が成り立つのではないか、というのがここでのテーマです。

なぜなら、SAM前世療法のセッションにおいて、たしかに未浄化霊を名乗る霊的存在が顕現化する意識現象があらわれ、「残留思念の集合体」であるにもかかわらず、あたかも意志を持った一個の人格として振る舞うからです。

このことをさらに考察しますと、「憎悪・悲哀・嫉妬などの強烈な思念」、つまり「強烈な負の意識」が凝縮された集合体になると、それが一個の人格的存在を創出することがある、という仮説が成り立つと思われるのです。
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つまり、「インナーチャイルド」・「多重人格」・「生き霊」と呼ばれる存在は、生者の強い思念が凝縮して、一個の人格的存在として振る舞っているわけですから、死者のこの世に残した強い「残留思念」も、一個の独立的な人格的存在として振る舞っても不思議ではないということです。

そして、顕現化した未浄化霊が、本当に「残留思念の集合体」であるのかどうか、は当の未浄化霊に尋ねてみるしかない、というのが私のとった確認方法です。

その結果、尋ねた十数事例のすべての未浄化霊が、自分はいわゆる霊ではなく「残留思念の集合体である」と答えています。
それでは、本体である霊(死者の魂)はどこに存在しているかを尋ねると、どうやら「残留思念の集合体」が浄化されて上がってくるのを霊界で待っているとの回答でした。

本体の霊には、本体の霊と分離したまま地上に残してしまった「残留思念」が浄化され、本体の霊と統合され、霊として十全な状態になることが求められているようです。
どうやら、そのような十全な霊となるように統合がなされるまでは、霊界からの次の生まれ変わり(転生)が許可されないのではないかと思われます。

 そうした消息を霊信では次のように告げていると思われます。
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なぜ、それら(注:残留思念の集合体)が意志を持つものだととらえられるのか、そして、魂が別の道をたどりながらそのような意志を残すのか。・・・(中略)

転生し旅を続けるものに対する課題として必要なものである。(第12霊信)
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「残留思念の集合体が意志を持つものだととらえられる」理由は、インナーチャイルド、多重人格、生き霊などの事例からすでに明らかと言ってよいでしょう。

「魂(霊)が別の道をたどる」ということは、残留思念を地上に残し、本体から分離したままの十全ではない霊は転生が足止めされ、そうした転生を許可されない霊たちの居場所が、霊界のどこかに用意されていることを意味しているのかもしれません。

また、残留思念を地上に残したばかりに、願っても転生が許可されず、霊として成長進化する機会を奪われていることへの後悔や悲しみなどの苦悩や反省が、「転生し旅を続けるものに対する課題」ということかもしれません。

こうして、われわれが未浄化霊と呼んできた霊的存在は、どうやら「霊」ではなく「残留思念の集合体」であると判断してもよいようです。

以下は、「残留思念の集合体」であることを認めたうえで、それを従来どおり 「未浄化霊」と呼んで記述していきます。

しかし、私は残念なことに、未浄化霊の生前の身元の検証に完全に成功したことがありません。
未浄化霊の語った生前の身元が実証できるあと一歩まで肉薄した事例は2例ほどあります。

したがって、未浄化霊の存在の有無は判断留保という前提において、未浄化霊とおぼしき存在に憑依されている複数のクライアントの「意識現象の事実」を累積した結果としての見解をこれまで述べてきました。

そして、クライアントに憑依している未浄化霊の語りが、客観的事実であるのか虚構であるのかは、検証して確認するほかありません。

ただし、検証の結果、生前の身元が客観的事実であると確認できたとしても、厳密な研究者からは、クライアントが超ESPによってそうした身元の情報を入手して語ったのだ、という疑惑が提出されるかもしれません。

未浄化霊と対話した私の実感としては、例示したマヤの女の子のような霊的存在の生前の身元が確認できないからといって、その実在を完全否定できないと思われます。

もちろん、クライアントの妄想の産物であるとか、役割演技とかの説明は可能でしょうが、なぜそのような妄想を語ったり役割演技をクライアントがする必要があるのか、必然性も利得もないからです。
ちなみに、統合失調症などの精神疾患は、このクライアントにはまったく認められませんでした。


さて、さらに、未浄化霊に憑依されていたとおぼしき諸クライアントの告げた「意識現象の事実」を、それを告げた未浄化霊の実在は判断留保という前提において、未浄化霊との対話で確認してきたことを取り上げてみたいと思います。


未浄化霊は、何を求めて憑依するのか、どういう人を選んで憑依するのか、どこに憑依するのか、という問題です。
また、未浄化霊に憑依されやすい人は、どのようにしてそれを防ぐことができるのか、という問題です。

未浄化霊の求めていることは、自分のように苦しんでさまよっている霊への理解と共感だということです。
要するに、さまよっている霊の心情を分かってくれそうな人を選ぶといいます。
つまり、未浄化霊に対して、意識的にも、無意識的にも、受容的態度を持つ人を選ぶということです。
多くは霊的感性の豊かな人が、そうした霊への受容的態度を持っているようです。

それでは未浄化霊は何をもって、その人が霊への受容的態度を持っていることを知るのでしょうか。

未浄化霊の語るところによれば 、その選択の指標はオーラだと言います。

SAM催眠学では、霊体に意識・潜在意識が宿っている、という「霊体仮説」を設けています。
その霊体の色がオーラです。

したがって、未浄化霊に、霊体に宿っている意識内容を読み解く能力があるとすれば、その霊体に宿っているその人の意識・潜在意識に、霊への受容的態度があるのかないのかが判断できるということになり、実際にそのようにして受容してくれそうな人に憑依すると言います。

逆に言えば、未浄化霊に対して強い拒否的意志を固めていれば、その拒否の意識は霊体に反映し宿っているわけであり、それを察知した未浄化霊は、憑依したところで理解も共感も得られないので憑依をあきらめることになるようです。
または、霊感に無理解、あるいは無い人に対しても憑依は無駄であり、あきらめることになります。

したがって、憑依されやすい人が憑依を防ぐには、ふだんから未浄化霊への強い拒否的意志(思念)を固めておくことが、もっとも有効な手段であると言えるでしょう。

この憑依を防ぐ方法は、マヤの幼子に憑依されていたクライアントの守護霊によって確認しています。

それでは、未浄化霊はどこに憑依するのでしょうか。

霊体に憑依すると言います。

この霊体への憑依によって、被憑依者の霊体に宿っている本来の意識・潜在意識に、憑依した未浄化霊の意識(残留思念)が併存、ないし混入することになる、という理解が「霊体仮説」から導き出されます。

こうして、憑依によって、未浄化霊の残留思念(悲しみ、怒り、憎しみなどマイナスの思念)の影響を多かれ少なかれ受けざるを得ない被憑依者の意識は、理由の思い当たらない憂鬱感や悲哀感、怒りなどの意識に彩られることになります。

強力な未浄化霊の憑依によっては、その優勢な残留思念に支配され、一時的に本来の人格が変わってしまうような意識現象があらわれるかもしれません。
このことは、生き霊に憑依されたクライアントが示した事例からも類推できそうだと思われます。

私の体験した唯一の事例においては、統合失調症の診断の下りている青年で、精神科に入院するために病院に入ると同時に寛解状態に戻り、入院の必要なしと診断されて病院から出ると同時に異常行動に戻ることを繰り返すという不思議な病態を示しました。

大胆な私見を述べれば、この事例は、被憑依者の病院内での治療を嫌う未浄化霊が、憑依したり、離れたりするという解釈をすれば理解できそうです。
私の信頼している唯一の霊能者も、この青年の事例は私見のとおりだろうとコメントしています。

とすれば、統合失調症の患者さんの中には、強力な未浄化霊の憑依による病態だと推測できる患者さんがおいでになるかもしれません。


2016年7月21日木曜日

SAM催眠学序説 その94

SAM催眠学とスティーヴンソンの生まれ変わりについての見解


私の研究の方法論は、イアン・スティーヴンソンの諸著作から学んだことを手本としています。
彼は、自らの手で集めている生まれ変わりを示す証拠が、自ら事実を物語るはずだ、と次のように繰り返し述べています。

私の見解は重要ではない。私は自分の役割は、できる限り明確に証拠を提示することにあると考えている。読者諸賢は、そうした証拠をー厳密に検討されたうえで自分なりの結論に到達する必要があるのである。
(イアン・スティーヴンソン『「生まれ変わりの刻印』春秋社、1998、P198)


また、生まれ変わりという考え方は、最後に受け入れるべき解釈なので、これに替わりうる説明がすべて棄却できた後に、初めて採用すべきである、という慎重な研究方法を一貫して採用しています。

拙著、『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』のタエ・ラタラジューの両事例の諸検証は、スティーヴンソンの検証方法を忠実に守っておこなったつもりです。

私が死の恐怖について、きわめて臆病な人間であったことはこのブログに書きました。
そして、死の恐怖から免れるために、宗教に救いを求めることは、生来の気質からできなかったことも正直に述べました。

こうした私だからこそ、イアン・スティーヴンソンの生まれ変わりの科学としての研究に強く惹かれるものを感じてきました。
彼こそ、生まれ変わりという宗教的概念を、宗教的なものから科学的探究の対象へと位置づけることに成功した先駆的科学者であると評価できると思うからです。

そこで、ここでは、彼の生まれ変わりについての見解がもっとも濃厚に述べられている『前世を記憶する子どもたち』日本共文社、1989から、その見解を紹介し、SAM催眠学の魂二層構造仮説と比較してみたいと思います。
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生まれ変わったと推定される者では、先述のイメージ記憶、行動的記憶、身体的痕跡という三通りの要素が不思議にも結びついており、前世と現世の間でもそれが一体になっていなかったとは、私には想像すらできない。
このことからすると、この要素(ないしその表象)は、ある中間的媒体に従属しているらしいことがわかる。この中間的媒体が持っている他の要素については、おそらくまだ何もわかっていない。

前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)

私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実 際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。人格は、一人の人間がい ずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているのに対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去 世の残渣が加わる。したがって、私たちの個性には、人格としては決して表出することのないものや、異常な状況以外では人間の意識に昇らないものが数多く含 まれているのである。
(前掲書PP.359-360)
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上記のスティーヴンソンの見解とSAM催眠学の「魂の二層構造仮説」の見解とを比較してみると、ほぼ整合するところが指摘できます。

彼の言う「中間的媒体」、「心搬体(サイコフォア)」は、SAM催眠学の「魂」と同義です。
おそらくスティーヴンソンはSoulという語にまとわりつく宗教臭を回避したのだと思われます。
このことについて彼は次のように述べています。

私は、この中間媒体を表す用語として(心を運ぶと言う意味を持つ)「心搬体(サイコフォア)」という
言 葉を提案した。(私は、生まれ変わり信仰を持つ多くの宗教に、こうした中間媒体を意味する言葉があることを承知している。しかしながら、生まれ変わりに関 する私たちの、依然として初歩的な科学的研究を宗教と結びつけるのを避けるため、新しい言葉を作った方がよいと考えたわけである。)
(イアン・スティーヴンソン『「生まれ変わりの刻印』春秋社、1998、P198)


私は、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を、そのまま従来の「魂」の概念でも不都合はないと思いますし、取り立てて新しい概念でもないのに「心搬体」などの造語を用いることは不要だと思っています。

また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化(変化)する仕組みになっている」という仮説を支持するものと言えそうです。

ただし、「心搬体」=「魂」を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない、と述べています。
私は、私あて霊信によって、「魂を構成する要素がどのような配列になっているのか」を教えられ、催眠を道具にその真偽の検証によって、魂表層を構成する前世の人格たちを呼び出すことに成功したと思っています。

しかも、「ラタラジューの事例」によって、前世人格ラタラジューは、魂表層で、肉体はなくとも生きて活動していることを実証できたと思っています。

つまり、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世諸人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化する仕組みになっている」というのが、SAM催眠学の見解です。

つまり、「心搬体」=「魂」の表層全体は、変化していくものだということを、顕現化した前世諸人格の語りから確かめています。

さらに、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない、というスティーヴンソンの見解は、そっくりSAM催眠学の見解と同様です。

現世の私という人格が、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層の一つとして生き続けるのであって、魂が生まれ変わるとは、「表層を含めた一つの魂全体」だというのが、SAM催眠学の示す生まれ変わりの実相だと言えます。

また、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの考え方も、SAM催眠学の見解にほぼ一致します。

現世の個性は、魂表層の前世人格たちから人生の知恵を分かち与えられており、このようにして繰り返された前世の諸人格に由来する「個性」と、現世での諸経験とによって、形成されているに違いないのです。

さて、私が、故スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「記憶」の所在についての考究でした。

彼が、「前世の記憶」が脳にだけあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」を想定していたことに照らせば、間違いありません。

私の期待したのは、その「心搬体」と「脳」との関係についてのスティーヴンソンの考究です。

前世の記憶を語る子どもたちは、その前世記憶の情報を、心搬体から得て話したのか、脳から得て話したのか、いずれなのでしょうか。

私の大胆な仮説を述べてみますと、すべての事例がそうではないにしても、子どもの魂表層に存在する前世人格が、顕現化(自己内憑依)し、子どもの口を通して、前世人格みずからが自分の人生を語った可能性があるのではなかろうか、ということになります。

それは、その前世を語った子どもの12事例のうち、8つの事例で、次のように話し始めた(ふるまった)とスティーヴンソンが紹介しているからです。

①ゴールパールは、「そんなものは持たない。ぼくはシャルマだ」と答え、周囲を仰天させた。(前掲書94)

②コーリスが1歳1ヶ月になったばかりの頃、母親が名前を復唱させようとしたところ、コーリスは腹立たしげに、「ぼくが誰か知ってるよね。カーコディだよ」と言った。(前掲書P98)

③日本に帰りたいという願望をよく口にし、ホームシックから膝を抱いてめそめそ泣くこともあった。また、自分の前で英米人の話が出ると、英米人に対する怒りの気持ちを露わにした。(前掲書P101)

④シャムリニーは、その町に住んでいた時代の両親の名前を挙げ、ガルトウダワのお母さんのことをよく話した。また、姉妹のことやふたりの同級生のことも語っている。(前掲書P104)

⑤ボンクチはチャムラットを殺害した犯人は許せないという態度を示し、機会があると復讐してやる、と何年か言い続けた。(前掲書P116)

⑥おまえの名前は「サムエル」だと教えようとしても、サムエルはほとんど従おうとしなかった。「ぼくはペルティだ」と言ってきかなかったのである。(前掲書P121)

⑦前世の話をもっとも頻繁にしていた頃のロバータは、時折前世の両親や自宅の記憶を全面的に残している子どもが養女にきているみたいにふるまった。(前掲書P126)

⑧3歳の頃マイクルは、全く知らないはずの人たちや出来事を知っているらしい兆候を見せ始めた。そしてある日、「キャロル・ミラー」という名前を口にして、母親を驚かせたのである。(前掲書P141)

以上のような事例の事実は、「子どもが前世の記憶を話した」というよりは、「前世人格が現れて人生の出来事を話した」と、現象学的にありのままに受け取ることのほうが、自然だと私には思われるのです。

スティーヴンソンは、応答型真性異言の「グレートフェン」の事例において、グレートフェンを顕現化した「トランス人格(前世人格)」として解釈しています。

前世を語った子どもにおいても、前世人格の顕現化の可能性をなぜ検討しなかったのか、私には不満が残ります。
子どもが語ったのは「前世の記憶」だという思い込みがあるように思われてなりません。
仮に、子どもが語ったのは「前世の記憶」だとして、その記憶の所在はいったいどこにあるのでしょうか?


とりわけ、上記③⑤⑦などのような、「態度」や「ふるまい」があらわれる事例は、前世の記憶ではなく、魂表層に存在する「前世人格の顕現化」として受け取るのが自然だろうと思います。

スティーヴンソンが存命しているなら、是非尋ねてみたいものです。

2016年6月24日金曜日

SAM催眠学序説 その93

SAM催眠学における前世人格との対話現象


SAM催眠学のもっとも大胆、奇怪な作業仮説は、「前世の記憶」にアクセスするのでなく、魂の表層に存在する「前世人格」にアクセスするという方法論をとっていることでしょう。

私の知る限り、「魂表層に存在する前世人格にアクセスする」という明確な作業仮説のもとにおこなっている前世療法士は海外を含めて皆無です。

それほど認めがたい作業仮説だろうと思われます。
そもそも、私あて霊信が教示した魂の構造から生み出された作業仮説であり、人間が考えた仮説ではありません。

魂表層に存在している前世人格とは、つまりは死者であり、その死者である前世人格を顕現化させ対話することは、死者との対話をすることになります。

しかし、この作業仮説を裏づけ、顕現化した前世人格の実在が検証できた事例が確かに存在し、その映像と音声の証拠記録が残っています。

それが「ラタラジューの事例」と「タエの事例」にほかなりません。

前世人格ラタラジューは次のような、現在進行形でのきわめて象徴的な対話をしています。
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注:CLは被験者里沙さん、KAはネパール語対話者ネパール人カルパナさん

CL  Tapai Nepali huncha?         
   (あなたはネパール人ですか?)

KA  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

CL  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)
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この短いやりとりの重要性は、ついうっかり見落とすところですが、現れた前世人格のありようについて、きわめて興味深く示唆に富むものだと言えます。

それは、前世人格の顕現化というSAM催眠学の作業仮説が成り立つことを裏づけるものだからです。

つ まり、前世人格ラタラジューのありようは、ただ今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、 ここで、問いかけ、その回答を求めているわけで、「里沙さんの潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示していま す。

ラタラジューは、前世記憶の想起として里沙さんによって語られている人格ではないのです。
里沙さんとは別人格として現れている、としか考えられない存在です。

その「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯と舌)を用いて自己表現している」と解釈することがもっとも自然な解釈ではないでしょうか。

前世を生きたラタラジュー人格は、肉体こそ持たないものの、ただ今、ここに、存在している人格(意識)として現れており、現在進行形で会話しているのです。

この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、そこには前世のものたちが、今も、生きて、意識体として存在している、というSAM催眠学独自の作業仮説が正しい可能性を示している検証の証拠であると考えています。

ところで、生まれ変わり研究の先駆者、とりわけ生まれ変わりの最有力な証拠である応答型真性異言の研究者であるイアン・スティーヴンソンも、応答型真性異言の実験セッションにおいて次のように述べ、私と同様の見解を示しています。

ちなみにこの被験者女性は、アメリカ人女性で、退行催眠下で学んだことのないドイツ語で応答的会話した応答型真性異言「グレートヒェンの事例」の被験者です。
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私自身は、この被験者を対象にした実験セッションに4回参加しており、いずれのセッションでも、トランス人格たるグレートヒェンとドイツ語で意味のある会話をおこなっている。(『前世の言葉を話す人々』春秋社、P9)

ドイツ人格とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた。そして、それに成功し、この新しいトランス人格は、自分を「Ich bin Gretchen(私はグレートヒェンです)」と名乗ったのである。
(前掲書P11)
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スティーヴンソンも、この事例において、被験者が記憶を想起して会話しているのではなく、顕現化した「トランス人格」自身が会話をした、という解釈をするしかなかったのです。

ただし、彼の用いた「トランス人格」という語は両義性を含んでおり微妙です。

なぜなら、トランス人格とは、退行催眠下のトランス状態で顕現化した人格一般を指すのであり、それが被験者の前世人格であるのか第三者の憑依人格(憑依霊)であるのかは不明であるからです。

慎重・厳密な科学者であるスティーヴンソンは、その判断を留保し、トランス人格という語を用いたと思われます。

穿った推測をすれば、グレートヒェン人格を前世人格だと判断した場合、その前世人格はどこに存在しているのかが問題となることを回避したかったのかもしれません。

いずれにせよ、応答型真性異言現象を目の当たりにした者は、その応答的会話をする主体を、被験者が記憶を想起して語っているのではなく、被験者とは別個に顕現化している人格自身であると認識せざるをえない、ということを私は主張しているのです。

SAM催眠学に基づくSAM前世療法では、魂の表層は生まれ変わりをした前世諸人格によって構成されており、その前世人格を呼び出し、対話するという作業仮説に基づいてセッションを展開します。

ラタラジューもタエも、そのようにして、魂表層から呼び出し、顕現化させた前世人格です。

SAM前世療法の他のセッションにおいても、同様の手続きをして呼び出した前世人格が、応答型真性異言現象を示さないにしても、その前世人格を、すべて被験者の願望や潜在記憶が投影された架空人格(偽造人格)だと切り捨てることはできない、と考えています。

2016年6月12日日曜日

SAM催眠学序説 その92

生まれ変わり仮説を阻む最強の否定仮説

生まれ変わり仮説を否定する最強の仮説ー超ESP仮説

「タエの事例」の検証の考察で取り上げた「透視などの超常能力(超ESP)仮説」は、生まれ変わり(死後存続)を否定するための十分な裏付けのないまま強引に作り上げられた空論だ、と私は考えています。

徹底的な裏付け調査によって、私の心証として里沙さんの証言には嘘はあり得ないという確信があり、タエの実在証明ができなかったにせよ、生まれ変わりの科学的証明に迫り得たという強い思いがありました。

ポリグラフ検査によっても、タエに関する諸情報を里沙さんが事前に入手していた記憶の痕跡は全くない、という鑑定結果が得られているからです。

しかし、ここに「超ESP仮説」を登場させると、生まれ変わりの証明はきわめて困難になってきます。
人間の透視能力が、かなり離れた場所や時間の事実を、認知できるということは、テレビの「超能力捜査官」などをご覧になって、ご存じの方も多いと思います。

この透視能力(ESP)の限界が現在も明らかではないので、万能の透視能力を持つ人間が存在する可能性があるはずだ、と主張する仮説が「超ESP仮説」と呼ばれているものです。
超ESP仮説を初めて唱えたのはホーネル・ハートとされていますが、その趣旨は、ESPの限界が分かっていないので、霊との交信とされるような複雑な現象も、生者のESPによって起こりうると考えるべきで、霊魂仮説は不要であり、思考節減の原理に反するというものでした。


超ESPを発揮すれば、情報である限り、ありとあらゆる情報を、透視やテレパシーによって入手できるわけで、そうした諸情報を編集し、組み合わせて、もっともらしい前世の物語を作話することが可能になるわけです。

これを里沙さんに適用すれば、彼女は、普段は透視能力がないのに、突然無意識的に、「万能の透視能力」を発揮し、しかるべきところにあるタエに関する「記 録」や、人々の心の中にある「記憶」をことごく読み取って、それらの情報を瞬時に組み合わせて物語にまとめ上げ、タエの「前世記憶」として語ったのだ、と いう途方もない仮説が、少なくとも理論的には可能になるのです。

もちろん、普段の里沙さんに透視能力がないことは確認してありますが、催眠中に里沙さんが絶対に超ESPを発揮してはいない、という証明は事実上不可能です。

そのうえ、海外の事例には、催眠中に突如透視能力が発現したという現象が確かに存在するので、ますますやっかいです。

また、万能に近いと思われる透視能力者が過去に実在していることも事実です。

たとえば、グラディス・オズボーン・レナード婦人は、一度も行ったことのない家の中にある閉じた本に書かれた文章を何らかの方法で読み、その文章が何ページに出てい るか(場合によっては、そのページのどのあたりにあるか) や、その書物が本棚のどのあたりに置かれているかを正確に言い当てる能力を持っていました。
この透視実験について、ケンブリッジ大学トリニティの道徳哲学教授ヘンリー・シジウィックは、レナード婦人の書籍実験に関する厳密な分析をおこなった論文を発表しています。(イアン・スティーヴンソン、笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』P500)


こうなると、前世記憶とは、透視によって獲得した情報を前世記憶のように装ったフィクションに過ぎず、したがって、生まれ変わりなどを考えることは不要であり、生きている人間の超能力(心の力)によってすべてが説明可能だというわけです。

ところで、この超ESP仮説自体を証明することは、現在のところESPの限界が分かっていない以上不可能なことなのです。

しかし、この仮説を完全に反証しなければ、生まれ変わりの証明ができないとすれば、生まれ変わりは完全な反証もされない代わりに、永久に証明もできないという袋小路に追い詰められることになってしまいます。

一方、前述の「超能力捜査官」などの例でテレパシーや透視の存在は知られていますが、人間の死後存続の証拠は直接には知られていません。

したがって、生まれ変わりという考え方自体のほうが奇怪で空想的であるとして、これを認めるくらいなら他の仮説を認めるほうがまだましだ、とする立場を採る研究者たちによって超ESP仮説は支持されてきたという事情があるのです。

こうして、心霊研究と超心理学の百数十年に及ぶ「生まれ変わり」の証明努力の前に、最後に立ちはだかった最強の壁が、この超ESP仮説でした。

多くの心霊研究者や超心理学者は、超ESP仮説さえなければ、死後存続はとっくに証明されていたはずだと考えています。

それを何としても阻むがために、この「超ESP仮説」は、考え出され支持されてきた仮説だと言ってよいでしょう。
そして、超ESP仮説を持ち出せば、どのよ うに裏付けが十分な前世記憶であろうと、すべて超能力で入手した情報によるフィクションだとしてなぎ倒すことが少なくとも理論的には成り立ち、生まれ変わりの完全な証明など永久にできるはずがないということになります。

とすれば、仮に、苦労を重ねて「タエ」の実在を文書等の「記録」によって発見できたとしても、万能の超ESP仮説がある限り、里沙さんがその情報を超ESPによって収集したのだという説明が可能であり、「タエの事 例」は前世存在の完全な証明とは認められず、検証のための努力は徒労であったということになってしまいます。

やはり、生まれ変わりの証明などということは、宗教者や霊能者と呼ばれる人々の観念的言説に留めておくべきことで、誰もが納得できるレベルでの生まれ変わりの科学的実証などは、ないものねだりとして断念すべきことなのでしょうか。

この難題に真っ向から挑んだ研究者が、『前世を記憶する子どもたち』などの一連の著作で知られる、バージニア大学のイアン・スティーヴンソン教授でした。

超ESP仮説では説明できない応答型真性異言

スティーヴンソンが着目したのは、もし、ESPによって取得不可能なものであれば、それは超ESPであろうとも取得が不可能である、という事実でした。
少し長くなりますが、彼の着目点以下にを引用してみます。
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デュカス(注 カート・ジョン・デュカス、哲学者)は、本来、霊媒は他人の持つあらゆる認知的情報をESPを介して入手する力を持っているかもしれないことを原則として認めているが、その情報を本来の所有者と同じように使うことはできないと考える。

デュカスによれば、霊媒は、テレパシーを用いてラテン語学者からラテン語の知識をすべて引き出すこともあるかもしれないが、その知識をその学者の好みとか癖に合わせて使うことはできないのではないかという。

以上のことからデュカスは次のように考える。

もし霊媒が、本来持っているとされる以外の変わった技能を示したとすれば、それは何者かが死後生存を続けている証拠になるであろう。
もしその技能が、ある特定の人物以外持つ者がない特殊なものであれば、その人物が死後も生存を続けている証拠となろう。
技能は訓練を通じて初めて身につくものである。

たとえば、ダンスの踊り方とか外国語の話し方とか自転車の乗り方とかについて教えられても、そういう技能を素早く身につける役には立つかもしれないが、技能を身につけるうえで不可欠な練習は、依然として必要不可欠である。

ポランニー(注 マイケル・ポランニー、科学哲学者)によれば、技能は本来、言葉によっては伝えられないものであり、そのため知ってはいるが言語化できない、言わば暗黙知の範疇(はんちゅう)に入るという。

もし技能が、普通には言葉で伝えられないものであるとすれば、なおさらと言えないまでも、すくなくとも同程度には、ESPによっても伝えられないことになる。
(スティーヴンソン「人間の死後生存の証拠に関する研究ー最近の研究を踏まえた歴史的展望」笠原敏雄編『死後生存の科学』PP41-43)
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ESPである透視・テレパシーなどによって、取得可能なのは、あくまで「情報」です。
そしていくら情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、「技能」の取得はできません。

自転車の乗り方をいくら本や映像で知っても、自転車に乗ることはできないように、たとえば言語も情報による伝達だけでは「応答的会話」まではできないはずです。

つまり、「超ESP」によっても、「外国語の会話技能」までは獲得することができないわけです。
実際、超能力によって、本人の学んでいない外国語で会話した事例は発見されていません。

したがって、ある人物が、前世の記憶を、その前世での言語で語り、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、「生まれ変わり」が最も有力な説明仮説となる、とスティーヴンソンは考えたのです。

そして、前世記憶を語る中には、ESPによる「情報取得」では説明できない、学んだはずのない外国語での応答的会話を実際に示す事例が、きわめて稀ですが、これまで世界で4例報告されています。
これを「応答型真性異言」responsive xenoglossyと呼びます。

4例のうち、2例は覚醒中に起き、2例は催眠中に起きています。

応答型真性異言は超ESP仮説を打破した

 「真性異言」(xenoglossy ゼノグロッシー)とは、フランスの生理学者で心霊研究協会の会長も務めたシャルル・リシェの造語で、本人が学んだことのない外国語を話す現象のことを言います。

『新約聖書』などにも「異言」(glossolaria グロッソラリア)という現象が記述されていますが、「真性異言」は、その言語が特定の言語であり、学んでいないことが確認されたものです。

このうち、特定の文章や語句だけをオウムのように繰り返すものを「朗唱型真性異言」、その言語の話者と意味のある会話ができるものを「応答型真性異言」と呼びます。

さて、真性異言のうち、「朗唱型真性異言」は、「情報」ですから超ESPによって取得が可能と言えます。
しかし、意味の通った会話ができる「応答型真性異言」は、そうではありません。

言語を自由に話せるというのは、「技能」であり、いくら単語や文型の情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、応答的会話は可能にはなりません。

自転車の乗り方をいくら本や映像で知っても、自転車に乗ることはできないように、言語も情報による伝達だけでは技能である「会話」まではできないのです。

つまり、「超ESP」によっても、「学んでいない外国語の応答的会話技能」は取得できないことが明白です。
こうして、ある人物が、前世の記憶を、その前世での外国語で語り、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わりを最も有力な説明仮説として採用せざるをえないということになります。

生まれ変わりの証拠である応答型真性異言は、スティーヴンソンが20年にわたって世界中から収集し精査した2000余りの生まれ変わり事例の中で、わずか3例にすぎません。

「イェンセンの事例」と、「グレートヒェンの事例」、および「シャラーダの事例」です。

イェンセンとグレートヒェンの事例は、催眠中に偶発的に前世人格が出現したもので、前者はスウェーデン語、後者はドイツ語で、短い会話によるやりとりが記録されています。

シャラーダの事例は、覚醒時に前世人格が出現し、きわめて長い会話で流暢に受け答えし、歌まで歌っています(『前世の言葉を話す人々』春秋社)。

スティーヴンソンの報告以外に信頼できる事例として、数名の科学者によって調査され、覚醒時にスペイン語で流暢な長い会話をした「ルシアの事例」の調査報告があります(心霊現象研究協会 (The Society for Psychical Research)。

つまり、世界中で信頼にあたいする検証を経た応答型真性異言の事例は4例発見されており、そのうち2例が催眠下で起こった事例ということになります。

さて、こうしたスティーヴンソンの応答型真性異言研究(生まれ変わりの実証研究)は、きわめて綿密な調査と、公正で慎重な検証によって、他の領域の一流科学者たちにも説得力をもって認められつつあるようです。

た とえば、著名な天文学者カール・セーガンは、「時として、小さな子どもたちは、調べてみると正確であることが判明し、生まれ変わり以外には知りえなかった はずの前世の詳細を物語る」という主張は、「真剣に検討する価値がある」(『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』P302)と述べています。

また、行動療法の創始者ハンス・アイゼンクは、「スティーヴンソンの著作を何百ページも読み、スティーヴンソンとは別個に研究が始められているのをみると、 真にきわめて重要なことがわれわれの前に明らかにされつつあるという見解からむりやり目を逸らせることは、誠実であろうとする限りできない」 (Eysenck & Sargent, Explaining the Unexplained, Prion, 1993. いずれも、『生まれ変わりの刻印』笠原敏雄・訳者後記)と述べています。

そして、応答型真性異言こそが生まれ変わりの最有力な証拠だ、とするスティーヴンソンの主張を、科学的・実証的に反証し、論破した研究はいまだに提出されてはいないのです。

このこと、すなわち、応答型真性異言こそは、超ESP仮説を打破できたことが認められたということを意味します。
ひいては、現時点で、応答型真性異言は、生まれ変わりを証明する科学的証拠としてついに認められたことになります。

2016年5月23日月曜日

SAM催眠学序説 その91

前世療法と前世記憶の検証放棄という現状

今回は、前世療法の歴史と問題点について考えてみます。

(1) 前世療法の発見

一般に呼ばれる前世療法は、催眠療法の一種であり、年齢退行催眠によりクライアントの記憶を本人出産以前まで誘導し、前世の記憶にある心的外傷等を取り除くことによって、現在の症状を改善できると主張されている療法です。

具体的には、退行催眠によって出生以前にさかのぼり、さに「あなたの現在の症状に関係した過去の人生があるなら、そこに行ってみましょう」などの誘導によって、前世とおぼしき記憶のイメージが出てくるというものです。

そして、その前世記憶の想起によってクライアントの抱えていた心身症状が改善するといった効果があるとされています。

さて、退行催眠によって前世記憶の想起が可能になるという「発見」は、1956年アメリカで起きた「ブライディ・マーフィー事件」にまでさかのぼります。

モーリー・バーンステインという催眠術師が、ヴァージニア・タイという女性に退行催眠をほどこしところ、彼女は、アイルランドに暮らし、1864年に66歳で死んだブライディ・マーフィーという女性の前世を想起し、建造物や自然地形を始め様々な記憶を語りました。
ヴァージニアはアイルランドを訪れたことがないのに、そこで語られた情報は、調査をしてみると驚くべき一致を見せました。

そして、この実験は『ニューヨーク・タイムズ』を始めとするメディアで大きく取り上げられ、全米およびヨーロッパで話題となったのです。 

彼女は「ブライディ・マーフィー」としての膨大な記憶を語っており、その記録が『第二の記憶・前世を語る女ブライディ・マーフィー』(邦訳)として出版されました。 

この本はベストセラーになり、アメリカに輪廻転生ブームを巻き起こしました。
マスコミによる「ブライディ・マーフィー」探しがおこなわれ、前世記憶の真偽を調査するために、多くの記者がアイルランドに派遣されるという騒ぎに発展しました。

その結果は、前世記憶の真偽は確認された点もあれば、そうでない点もあるという中途半端なものでした。

より重要な調査結果は、「ブライディ・マーフィー」の実在が確認できなかった点と、ヴァージニアが幼少の頃の家の近くに、ブライディ・マーフィー・コーケルというアイルランド移民が存在していたという二点です。

こうした事実が明らかにされたことによって、多くの論者は、ヴァージニアの前世記憶とは実は幼少の頃、ブライディ・マーフィー・コーケルから得た情報であり、それが催眠中に引き出されたに過ぎない、と結論づけたようです。

し かし、ヴァージニアはブライディ・マーフィー・コーケルとの会話の記憶はなく、また会話したことを忘れているとしても、催眠中に語られた内容は非常に詳細 であって、とてもこれだけの内容をブライディ・マーフィー・コーケルから聞き出したと結論づけるには無理があると思われます。

いずれにせよ、こうして前世記憶の真偽をめぐる「ブライディ・マーフィー事件」は幕を閉じたようです。

(2) 前世療法の発展

「ブライディ・マーフィー事件」以降、1970年代になって様々な医師や催眠療法士が、「前世退行」の研究を開始したものと思われます。

そ して、1983年にグレン・ウィリストンの『生きる意味の探究』(邦訳)、1986年にジョエル・L・ホイットンの『輪廻転生――驚くべき現代の神話』 (邦訳)、1988年にブライアン・L・ワイスの『前世療法』(邦訳)が相次いで刊行され、特にワイスの本がベストセラーとなって、前世療法は一般に広く 普及していったと思われます。

イギリスでも1979年に、ピーター・モスという催眠療法家によって『Encounters with the Past』という前世記憶に関する本が刊行されています。
ちなみに、これらの療法家は、それぞれ独自に前世療法を「発見」していったようです。

こうしてアメリカでは前世療法(退行催眠法)専門の学会が発足し、会報誌も刊行されるようになりました。

日本でもワイスの本は、1991年に邦訳・出版され、前世療法の一大ブームを巻き起こしました。
ワイスは普通の医師・催眠療法家で、死後存続や生まれ変わりに関する知識は全くなく、1980年、偶然の指示から患者の「前世記憶」の想起に出会いました。

「偶然の指示」とは、「あなたの症状の原因となった幼い頃の出来事に戻りなさい」と指示するところを、ただ「原因となった時まで戻りなさい」と指示したことでした。
すると、クライアントは驚くべきことに紀元前19世紀に生きた女性の人生を語り出した、というものです。

一人の患者への退行催眠による治療をめぐって、偶然に想起された前世記憶という未知の領域の探究を描いたミステリアスな内容と、物語風の読みやすい文体とが相まって、多くの読者を引きつけました。

退行催眠を深化していくことで、「前世記憶」とおぼしきものが想起されるという説は、アメリカでは1956年の「ブライディ・マーフィー事件」以来、比較的知られていたのでしょうが、日本ではそういった情報はなく、ワイスの本は驚きと感動をもって迎えられたようです。

これ以後、前世療法は催眠療法における大きな潮流となり、かなりの大衆的人気を博すことになりました。
アメリカはもちろん、日本でも人気があり、現在、100を越える機関が前世療法を掲げて実施していると見られます。

(3) 前世療法への批判


一方、前世療法に関する批判も多く出されています。 
もちろん、死後存続や生まれ変わりなどを頭から否定する唯物論者が、前世療法を批判するのは当然のことです。

ところが、生まれ変わり研究の第一人者イアン・スティーヴンソンも、前世療法や催眠による前世想
起に対して、厳しい批判をしています。

それは、彼が、前世の記憶をある程度持っていると思われる者を催眠に入れ、前世想起の実験を13例実施し、地名・人名を探り出し特定しようとした試みがすべて失敗した(『前世を記憶する子どもたち』P80)ということにあるようです。

こ うして、催眠中に前世の記憶らしきものが語られたにしても、催眠によって誘発された催眠者に対する従順な状態の中では、何らかの前世の記憶らしきものを語 らずにいられない衝動に駆られ、通常の方法で入手した様々な情報をつなぎ合わせて架空の人格を作り上げてしまう可能性が高いと主張します。

そして、催眠中に語られたリアルな前世の記憶が、実は架空の作話であったと検証された実例を数例あげて、催眠が過去の記憶を甦らせる有効な手段だと考えるのは誤った思いこみであって、実際には事実からほど遠いことを証明しようとしています。

こうしてスティーヴンソンは、次のように痛烈な前世療法批判を展開しています。
「遺憾ながら催眠の専門家の中には、催眠を使えば誰でも前世の記憶を甦らせることができるし、それによる大きな治療効果が挙がるはずだと主張するか、そう受け取れる発言をしている者もある。私としては、心得違いの催眠ブームを、あるいは、それに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者があるという現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている現状を、何とか終息させたいと考えている。(『前世を記憶する子どもたち』P7)

こうしたスティーヴンソンの批判の矛先が、ワイスやホイットンの前世療法に向けられているとは必ずしも言えないでしょうが、この批判がなされる同時期に、相次いで彼らの著作が公刊されていることも事実です。

前世記憶の真偽を研究するために、膨大な労力と綿密な検証作業を長年積み上げてきたスティーヴンソンにとって、催眠中に語られた前世の記憶を確かな科学的検証にかけないまま、症状改善を理由に、前世の存在を安易に認めてしまう前世療法家が、苦々しく思えることは当然でしょう。
ただし、彼は、催眠中に語られる前世の記憶をすべて無意味だとしているわけではありません。

催眠による事例の中には、彼自身の検証の結果、通常の方法では入手できない情報が少数ながら存在することも認めています。
スティーヴンソンはその後の著書『前世を記憶する子どもたち2』P106で、「私は、自らの手で調べた応答性真性異言の2例が催眠中に起こったという事実忘れることができない。このことから私は、催眠を使った研究をけっして非難することができなくなった」といくぶん持論を修正しています。

ところで、スティーヴンソン以外にも、催眠中に語られる前世の記憶は、脳の作り出したフィクションに過ぎない、とする唯物論的否定論者は少なくありません。

例えば、超常現象の否定論者として知られるロバート・A・ベイカーは、1982年のアメリカ臨床催眠学会機関誌に、自らおこなった前世療法実験の結果を発表しています。

それによれば、前世療法を褒め称(たた)えたうえで実施した被験者は、高い割合で前世記憶の想起をしたのに対し、逆に前世療法を否定し貶(けな)したうえで実施した被験者が、前世記憶を想起した割合は、非常に低かったと報告しています。

この結果から、ベイカーは前世療法による前世の記憶は事実などではなく、催眠者の誘導暗示によって作り出されたフィクションである可能性が高いと結論づけています。


(4) 日本のアカデミズムと前世療法

日本のアカデミックな催眠研究者にとっても、前世療法は目障りな存在のようです。

そもそも催眠というものは、世間では根強い偏見と誤解を持たれ続けてきたものです。
現在の科学体系に加わろうと科学としての催眠を必死に目指してきた催眠研究者にとって、前世療法は世間の偏見・誤解をいっそう助長する、けしからぬ存在と映るのも当然です。

こうした動向を示す一つのエピソードを紹介してみます。
私は、2004年、京都立命館大学で開かれた、日本催眠医学心理学会・日本教育催眠学会合同学会で、前世療法の特殊事例を研究発表しました。

なお、両学会を通じて、前世療法について発表したのは私が二人目で、過去に元田克己氏(元田教育・心理相談研究所長)が発表しているのみということでした。

私の発表分科会には、日本の心理学系催眠を代表する大学の研究者、医師、現場の教師など60名ほどが参加しています。

前世療法に対する大学研究者の象徴的意見が次の討議のやりとりに示されています。
A氏は国立大学所属の若手の催眠研究者です。

A氏 : 年齢退行催眠中に「生まれ変わり」などを先生(筆者)が言ったので、クライアントがそれに応える形で「生まれ変わり」などの言葉を出してきたのではないか。

稲垣 : そういうことは言っていない。子宮に宿る前の世界があるかどうかを確かめるために「あなたは時間や空間に関係のない世界に入っていく」という言い方の誘導 はした。

A氏 : あなたが、そういう世界に入るだろうと誘いをかけている。ということは、そういう世界にセラピストが誘導した結果、クライアントがセラピストの期待に応えるために「生まれ変わり」や「魂」を作話していく可能性がある。
前世療法には効果があるといって、何でもかんでもセラピストのほうから前世に引きずり込んでいくことには危惧を感じる。前世があくまでクライアントが出してきたものであれば、それに乗って面接を進めていくのはいい。
そうした過程をたどって、クライアントの前世の物語の決着がつくならば改善効果は大きいと思う。
だから、前世療法はナラティブセラピー(物語療法)の観点からみることもできる。
つまり、自分のそれまでの古い物語を作り替え、新しい自分へと脱皮していき、治癒していくという観点からの考え方もできる。
また、一般の人たちはの中には、催眠と言うと前世に行くのかと思っている人が多い。
だから、そうした催眠に対する期待や思い込みによって、自分の想像した前世に行ってしまうということも十分ありえる。

このA氏の意見は、語られる前世記憶の想起がセラピストの誘導とその期待に応えようとするクライアントの「作話」「前世の物語」「想像した前世」である可能性が濃厚であるという点で、前述したベイカーの出した結論と共通しています。

そして、この分科会討議は、前世記憶は論じるまでのないフィクションだという共通認識で終始しました。
私の事例発表以後、両学会で前世療法研究が発表されたことをいまだ耳にすることはありません。

前世療法は、科学としての催眠研究の対象には加わる資格のない催眠療法として日本のアカデミズムから白眼視ないし、無視されていると思われます。


(5) 前世記憶の実証放棄という現状

前世療法は、いまだ実証されていない「前世」を前提としているように見えるために、日本のアカデミズムからは正統的催眠療法とは認められていないように思われます。
一方で、日本の100を越える民間機関では現在も最も人気の高い催眠療法です。

そして、前世療法を白眼視していると思われるアカデミズムは当然としても、盛んに前世療法を実施している民間の前世療法士も、どういうわけか「前世記憶」の実証研究をまったく放棄しているという現状が続いています。

それでは海外においてはどうでしょうか。

ワイスの『前世療法』で述べられているキャサリンの事例で示された前世記憶の信憑性の裏付けは、キャサリンが絶対知るはずのない三つの情報を語ったことにあるようです。

一つはワイスの父親のヘブライ名であるアブロムを言い当てたこと、もう一つはワイスの娘の名が彼女の祖父にちなんで命名されたこと、さらに一つは、生後間もなく死んだワイスの息子の死因である心臓の先天的異常を言い当てたことでした(前掲書P56)。

このことをもってワイスはキャサリンの語った前世について、「私は事実を掌握したのだ。証拠を得たのだった」(前掲書P61)と結んで確信しています。

しかし、この三つの事実をもって前世の証拠を「確信」したとすれば、軽信の誹(そし)りを受けるのではないでしょうか。

ワイスは、イアン・スティーヴンソンの著作や、デューク大学のESP(超感覚的知覚。テレパシーや透視など)研究に関する資料にも目を通したと語っています(前掲書P39)。

であるならば、キャサリンが強力な超常能力(透視・テレパシーなど)を発揮して、ワイスの意識下から三つの情報を引き出したかもしれないというESP仮説によって説明できることをなぜ検討しなかったのでしょうか。

結局、ワイスの著作『前世療法』は、読み物としては興味深くても、学問的に信頼のおけるきちんとした検証の裏付けという観点からすれば、前世記憶の科学的実証への努力はほとんど何もおこなわれていないと言えるでしょう。

さらに同じく前世療法を扱ったホイットンの『輪廻転生』ではどうでしょうか。
ハロルドというクライアントがバイキングの前世に戻ったときに、ホイットンの求めに応じて書き記した22の語句を専門家が検証した結果、10語がバイキングの言語であったという記述(前掲書P211)については、前世存在の状況証拠として採用できるように思われます。

例えば、古ノルド語の、氷山・嵐・心臓・静かな天候、湾・容器などの単語、セルビア語の、おいしくない、堅い氷・流氷などの単語を書き綴ったとされていま す。

古ノルド語は、現在完全に死語となっている言語です。
しかも、同様の死語である古典ラテン語や古典ギリシア語のように現在も学ばれる機会のある言語ではなく、北欧の言語専門家のような特殊な研究者にしか理解不能な死語だそうです。

では、こうしたバイキングの用いた特殊な単語を書き綴ったというハロルドの事例は、前世記憶の存在を支持する強力な証拠として手放しで採用できるのでしょうか。

しかし、この事例についても、ハロルドというクライアントが強力なESP能力を発揮して、書物等から死語である単語の情報を入手した可能性を疑うことができるわけで、そうした検討がされないままで、「状況証拠ではありますが、きわめて有力なものがそろっている現在、理屈のうえで輪廻を認めるのに特に問題はな い」(前掲書P7)と断定できるものではないと思われます。

ほかに催眠療法家の検証した前世記憶の検証としては、ブルース・ゴールドバーグ 『前世探検』(邦訳)による、アイビーというクライアントの語った「グレース・ドーズの事例」が挙げられます。
詳細な殺害状況を語った前世人格グレース・ ドーズの語り内容が、ことごとく60年前の新聞記事と警察の記録に一致したというものです。
ただし、このセッションは筆記録しかないものであり、しかも、 邦訳を見る限りグレースと殺人者であるジェイクという男の対話は創作とも受け取ることができる点で、科学的信憑性に疑問が残ります。

結局、ワイスの著作、ホイットンの著作、ブルースの著作にしても彼らの実施した前世療法の中で語られたクライアントの前世記憶の厳密な科学的検証という点において、検証が不十分なままに終わっていると言わざるをえないと思います。


(6) 再び前世記憶の実証放棄という現状

(5)で述べてきたように、海外においても前世療法家自身による「前世記憶」の厳密な科学的検証は、ほとんど放棄されているという現状は、日本とあまり大差がないように思われます。

こうした前世記憶の実証放棄の現状について、超心理学者である笠原敏雄氏は、ホームぺージ「心の研究室」で次のような前世療法批判を展開しています。
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ほとんどの前世療法家は、驚くべきことに、患者の発言を歴史的事実に照らし合わせる作業をまったくしていないようです。
仮に、患者の口から、歴史的に正しい事実が語られたとしても、それが「前世の記憶」なのか、それまで本などの情報から得たものなのかはもちろんわかりません。
ですから、そうした情報に基づいたものではないことを証明できない限り、「前世の記憶」とは言えないわけです。
しかし、ほとんどの前世療法家は、それ以前に、歴史的事実との照合すらしていないし、にもかかわらず前世の記憶だと断定してしまうのです。
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一方で、前世療法について私の知る唯一の学術論文の著者である相模女子大学石川勇一氏は、その論文『前世療法の臨床心理学的検証』(「トランスパーソナル心理学/ 精神医学Vol.5 No.1)の中で次のように主張しています。
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臨床家的視点に立つならば、果てなき真贋(しんがん)論争に全精力を注ぎ込むよりも、心や魂の現実としてのイメージについて精通し、その扱い方を洗練させる 方が、ずっと有益であるように思われる。・・・前世体験が客観であるか想像であるかは括弧にくくり、どちらの可能性も残しながら、イメージその ものを現象学的に扱っていくのである。
したがって、「前世療法」は正式には「前世イメージ療法」というべきなのである。
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前世を実証することは、個人はもちろん、社会すべてにとってきわめて重大な影響を及ぼす問題です。

そうしたやっかいな真偽の検証は「括弧にくくり」、「前世イメージ療法」として扱っておくことが有益で生産的だという石川氏のような主張が、あれこれ真偽の詮索をすることより、治ればOK、とする大方の前世療法臨床家の立場を代弁し、前世記憶の科学的検証を放棄する論拠になっているのではないでしょうか。

こうして、前世記憶の科学的な検証放棄という現状が現在もなお続いていると考えられます。

前世療法の否定・批判を受けて立つ最善の策は、語られた前世記憶の科学的検証しかないと考えるのは私だけでしょうか。

 検証のされない凡百の前世記憶の羅列より、前世の実在に肉薄するたった一つの検証事例こそが、前世療法の存在意義を主張できる、と私は思います。

2016年5月12日木曜日

SAM催眠学序説 その90

スティーヴンソンの生まれ変わりの見解とSAM催眠学

私の研究の方法論は、イアン・スティーヴンソンの諸著作から学んだことをモデルとしています。
彼は、自らの手で集めている生まれ変わりを示す証拠が、自ら事実を物語るはずだ、と繰り返し述べています。

また、生まれ変わりという考え方は、最後に受け入れるべき解釈なので、これに替わりうる説明がすべて棄却できた後に、初めて採用すべきである、という研究方法を一貫して採用しています。

拙著、『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』のタエ・ラタラジューの両事例の諸検証は、スティーヴンソンの科学的検証方法を忠実にたどっておこなったつもりです。

私が死の恐怖について、きわめて臆病な人間であったことは、このブログでも述べてきました。
しかし、死の恐怖から免れるために、宗教(信仰)に救いを求めることは、生来の気質からできなかったことも正直に述べました。
こうした私だからこそ、イアン・スティーヴンソンの「生まれ変わりの科学的研究」に強く惹かれるものを感じてきました。

彼こそ、生まれ変わりという宗教的信仰を、科学的探究の対象へととらえ直し、変貌させることに成功した先駆的科学者であると評価できると思うからです。

そこで、ここでは、彼の生まれ変わりについての見解がもっとも濃厚に述べられている『前世を記憶する子どもたち』日本共文社,1989から、その見解を紹介し、私のSAM催眠学の立場と比較してみたいと思います。
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生まれ変わったと推定される者では、先述のイメージ記憶、行動的記憶、身体的痕跡という三通りの要素が不思議にも結びついており、前世と現世の間でもそれが一体になっていなかったとは、私には想像すらできない。
このことからすると、この要素(ないしその表象)は、ある中間的媒体に従属しているらしいことがわかる。
この中間的媒体が持っている他の要素については、おそらくまだ何もわかっていない。

前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。
 私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)
私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。
そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。
人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているのに対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去 世の残渣が加わる。
したがって、私たちの個性には、人格としては決して表出することのないものや、異常な状況以外では人間の意識に昇らないものが数多く含 まれているのである。

前掲書PP.359-360
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上記のスティーヴンソンの見解とSAM催眠学の「魂の二層構造仮説」の見解とを比較してみると、ほぼ整合するところが指摘できます。

彼の言う「中間的媒体」、「心搬体(サイコフォア)」は、私の「魂」概念と同義です。
おそらくスティーヴンソンはSoulという語にまとわりつく宗教臭を嫌ったのだと思われます。

私は、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」を、そのまま従来の「魂」の概念でも不都合はないと思いますし、新しい概念でもないのに「心搬体」などの新しい用語を用いることは不要だと思っています。

また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化(変化)する仕組みになっている」という仮説を支持するものと言えそうです。
ただし、彼は、「心搬体(魂)」を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない、と述べています。

私は、私あて霊信によって、「魂(の表層)を構成する要素がどのような配列になっているのか」を教えられ、催眠を道具にその真偽の検証によって、魂表層を構成する一つの要 素である、前世の人格たちを呼び出すことに成功したと思っています。
そして、ラタラジューの事例によって、前世人格ラタラジューは、魂表層で、肉体はなく とも生きて活動していることを実証できたと思っています。

つまり、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人 格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化する仕組みになっている」というのが、私の見解です。
つまり、「心搬体」= 「魂」の表層全体は、生まれ変わりをするたびに、表層の前世人格が増え、その人生で得た智恵が加わり、表層全体が変化していくものだということを、顕現化した前世人格の語りから確認しています。

さらに、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない」、というスティーヴンソンの見解は、そっくり私の見解と同様です。

現世の私という一つの人格が、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層を構成する諸人格の一つとして生き続けるのであって、生まれ変わるのは「表層の前世諸人格を含めた一つの魂全体」だというのが、SAM催眠学の明らかにしてきた生まれ変わりの実相だと言えます。

また、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの考え方も、私の見解にほぼ一致します。

現世の個性は、魂表層の前世諸人格たちから人生の知恵を分かち与えられることによっており、このようにして繰り返された前世の諸人格に由来する「個性」と、両親からの遺伝的資質と、現世での諸体験とによって、形成されているに違いないのです。

さて、私が、故スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「記憶」の所在についての考究でした。
彼が、「前世の記憶」が脳にだけあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」を想定していたことに照らせば、間違いありません。

私の期待したのは、その心搬体と脳との関係についてのスティーヴンソンの考究です。
前世の記憶を語ったとされる子どもたちは、その前世記憶を、心搬体からの情報として話したのか、脳から得て話したのか、いずれなのでしょうか。

私の大胆な仮説を述べてみますと、すべての事例がそうではないにしても、子どもの魂表層に存在する前世人格が、顕現化(自己内憑依)し、子どもの口を通して、前世人格みずからが自分の人生を語った可能性があるのではなかろうか、ということになります。

それは、その前世を語った子どもの12事例のうち、8つの事例で、次のように話し始めた(ふるまった)とスティーヴンソンが紹介しているからです。

①ゴールパールは、「そんなものは持たない。ぼくはシャルマだ」と答え、周囲を仰天させた。(前掲書P94)

②コーリスが1歳1ヶ月になったばかりの頃、母親が名前を復唱させようとしたところ、コーリスは腹立たしげに、「ぼくが誰か知ってるよね。カーコディだよ」と言った。(前掲書P98)

③日本に帰りたいという願望をよく口にし、ホームシックから膝を抱いてめそめそ泣くこともあった。また、自分の前で英米人の話が出ると、英米人に対する怒りの気持ちを露わにした。(前掲書P101)

④シャムリニーは、その町に住んでいた時代の両親の名前を挙げ、ガルトウダワのお母さんのことをよく話した。また、姉妹のことやふたりの同級生のことも語っている。(前掲書P104)

⑤ボンクチはチャムラットを殺害した犯人は許せないという態度を示し、機会があると復讐してやる、と何年か言い続けた。(前掲書P116)

⑥おまえの名前は「サムエル」だと教えようとしても、サムエルはほとんど従おうとしなかった。「ぼくはペルティだ」と言ってきかなかったのである。(前掲書P121)

⑦前世の話をもっとも頻繁にしていた頃のロバータは、時折前世の両親や自宅の記憶を全面的に残している子どもが養女にきているみたいにふるまった。(前掲書P126)

⑧3歳の頃マイクルは、全く知らないはずの人たちや出来事を知っているらしい兆候を見せ始めた。そしてある日、「キャロル・ミラー」という名前を口にして、母親を驚かせたのである。(前掲書P141)

以上のような事例の事実は、「子どもが前世の記憶を話した」というよりは、「前世人格が現れて人生の出来事を話した」と、現象学的にありのままに受け取ることのほうが、より自然だと私には思われるのです。

ス ティーヴンソンは、応答型真性異言の「グレートフェンの事例」において、ドイツ人少女グレートフェンを顕現化した「トランス人格(前世人格)」として解釈しています。

前世を語った子どもにおいても、前世人格の顕現化の可能性をなぜ検討しなかったのか、私には不満が残ります。
「前世の記憶」だという思い込みがあるよう に思われてなりません。

とりわけ、上記③⑤⑦などの事例は、「前世人格の顕現化」として解釈するのが自然だろうと思います。

現世の生活歴がわずかしかなく、現世の諸体験による夾雑物の少ない3歳から5歳の子どもでは、魂表層の前世諸人格のうち、より現世に近い新しい前世人格が、条件や状況に応じて自動的に顕現化することが起こりやすくなっているのではないか、と私は考えます。

成長するにしたがって現世の諸体験によるさまざまな夾雑物の増加が、子どもに起こるような自動的な前世人格の顕現化を妨げるようになると考えられます。

成人においては、そうした現世の諸体験による夾雑物からのとらわれから開放される深い催眠状態(魂状態の自覚)に至ると、前世人格の顕現化が可能になるのだ、という理解のしかたは一理あるだろうと思われます。

スティーヴンソンが存命していれば、こうした私の見解についてどう評価するか問うてみたいものです。

2016年4月30日土曜日

SAM催眠学序説 その89

ウィリストンの前世療法5つのレベルとSAM前世療法

ウィリストンは、『生きる意味の探究』徳間書店、1999の中で、退行催眠(前世場面への遡行)のレベルを5つに設定して示しています。

そのことを「クライアントがどの程度場面に入り込んでいるか、退行体験の現実味をどの程度主観的に評価しているかによって決定した」(同書P293)」と述べています。

以下にそのレベルの概要と、それへ達する割合を紹介します。(前掲書PP294ー302)
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レベル1
 退行のもっとも浅いレベル。通常イメージはぼんやりしている。特定の何かを実際に見た、と感じる人はあまりいない。約25%の人がこのレベルに留まる。

レベル2 誰か過去生の特定人物の肉体に気持ちが入り込むことはなく、実体のないとらえどころのない存在として「その場面を漂っているような感じ」がするのが普通である。約75%の人がこのレベルに到達する。

レベル3 このレベルの経験は「映画を見ているような感じ」だと言える。しかし、登場人物になりきるのではなく、その場面で繰り広げられるアクションを、客観的に眺めているだけである。約50%がこのレベルに到達する。

レベル4 目前の状況に関与しており、傍観者というよりも、場面に参加している当人になりきっている。約30%の人がこのレベルに到達する。

レベル5 完全に場面に引き込まれ、現実味あふれる体験をする。方言、アクセント、珍しい言い回しなどがはっきり現れる。外国語を話し始めることもある。過去生での自分の感情が完全によみがえり、過去の自分の心で、すべてのことを考えるようになる。約10%がこのレベルに到達する。 
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ウィ リストンもブライアン・ワイスも、「前世記憶の場面」へアクセスすることを前提としており、その催眠誘導の技法は、「トンネルの向こうには、過去生の場面が開けてい ます」と暗示する(前掲書P314)としているので、「階段を下りるとドアがあり、ドアの向こうの時間も空間も超越した次元に入ります」といったブライア ン・ワイスの退行誘導の技法との本質的な差異はない、と判断しても差し支えないと思われます。

トンネルにしろ、ドアにしろ、そうした現世と前世を隔てる「イメージとしての関門」を通過させ、前世記憶の特定場面にアクセスさせようとする誘導技法であるからです。
こうした誘導技法によって、前世記憶にアクセスする前世療法(退行催眠法)を、私は「ワイス式」と呼んでいます。

さて、ワイスはウィリストンのように、退行催眠のレベルやその到達度を述べていないようですが、1990年のあるインタビューでは、過去生まで行けるケースは被験者の3~5%(ブライアン・ワイス/山川夫妻『前世療法』PHP、P268)だと語ったとされています。
この3~5%の数字は、ウィリストンのいうレベル5に到達できた数字に該当するであろうと思われます。

こうした数字は、私の「SAM前世療法」臨床体験からすると、低すぎる、あるいは低く見積もっているのではないかと感じられます。
ただし、ワイス式とは、前提仮説も誘導技法も、まったく異なる「SAM前世療法」とを比較することは、そもそも無理があるかもしれません。

さ て、私のおこなうSAM前世療法では、誘導の最終プロセスである「魂遡行催眠」によって魂状態の自覚に至るまで催眠深度を深めます。
「魂状態遡行催眠」の誘導に入る前段階で、催眠学の先行研究である「標準催眠尺度」を用いて「運動催眠レベル(浅い深度)」、「知覚催眠レベル(中程度の深度)」のそれぞれの催眠現象が認められるかどうかの客観的測定をおこない、クライアントが確実にそれぞれの催眠深度に到達していることを確認し、さらに次の深い催眠レベルに誘導するという手続きを踏んでいます。


なぜなら、クライアントが今、どの程度の催眠深度レベルに到達しているか、の客観的判断は、標準的な何らかの尺度(物差し)によって確認しないかぎり、クライアントはもちろんのこと、セラピストにも判断できないからです。
催眠状態中と推測できる場合の脳波を調べても、瞑想状態やまどろみ状態と同様のアルファ波優勢の脳波が確認できますが、催眠状態特有の脳波は確認できないことが分かっています。
現時点で、催眠状態の深度レベルを科学機器で測定することはできません。

ちなみに「標準催眠尺度」とは、もっとも現れやすい催眠現象から、もっとも現れにくい催眠現象までを、22段階の難易度として設定し、催眠暗示によってそれぞれの尺度の催眠現象実現の有無を観察し、催眠の深度を客観的に測定するための尺度(物差し)のことです。
スタンフォード大学で研究開発され、日本では成瀬悟策医博が標準化しています。
標準催眠尺度によって測定される催眠現象について、浅い深度から順に「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」→「夢遊催眠」のように呼ばれています。

理由は不明ですが、ワイス式前世療法では、誘導プロセスに催眠の深度を客観的に確認する手続きがありません。
前世療法実践者として、私がもっとも知りたく思うことは、前掲ウィリストンの示すレベル1~5のクライアントのそれぞれが、「標準催眠尺度」のどのレベルであるのか、の測定結果です。
クライアント自身の「主観的評価」の5段階レベルが、前世療法の成否を判断するもっとも重要な尺度であることはもちろんですが、クライアントの各主観的レベルと、セラピスト側の「標準催眠尺度」による客観的催眠深度測定との照合があれば、臨床的にさらに有効な参考データとなるに違いないのです。

さて、もっとも深い深度であると推測できる「魂状態遡行」によって魂状態の自覚に至れば、「前世人格」を顕現化させることが可能になり ます。
ただし、「魂状態の自覚」という尺度は、標準催眠尺度にはありません。
第2段階深度の「知覚催眠」以上の催眠深度に至っていることは確実です。
「知覚催眠」をクリアできない場合には、「魂状態の自覚」に至ることができないことが確認できているからです。

こうして顕現化した前世人格は、自分の生まれ変わりである現世のクライアントの肉体を借りて(自己内憑依して)激しく泣いたり、怯えの感情をあらわにしたり、まさに、ただ今、ここに、意識体として顕現化している、としか思えない意識現象をあらわします。
ウィリストンの退行レベル5のような様相を示します。

しかし、「前世場面に引き込まれる」のでなく、「前世人格そのものが顕現化している」という前提ですから、レベル5の様相を示すことは当然と言えば当然でしょう。

そして、前世人格の顕現化する割合は、直近100事例で91%です。
9%は魂状態まで遡行できても、前世人格の顕現化が起こりません。
SAM前世療法における催眠状態深化レベルは、魂状態の自覚まで遡行できるか、できないか、の二者択一であり、顕現化した前世人格の様相は、ウィリストンの退行レベル5に相当していると言っても過言ではありません。

ただし、前世人格のうち口頭で答えられる割合は約20%未満であり、5人のうち4人までの前世人格は、私の質問に対して指を立てたり頷いたりすることでしか回答できないと言います。

こうした前世人格に、口頭で答えることがなぜできないかを尋ねると、肉体を離れて時間が経っているので、現世のクライアントの脳に命じても発声器官を操作することが難しくなっている、指や頷くといった簡単な操作ならできる、と回答します。
そして、現時点でほぼ間違いなく判断できていることは、クライアントに霊媒資質がある場合には、前世人格の口頭での対話が可能であるということです。
さらに、里沙さんの守護霊の告げるところによれば、そうした霊媒資質のきわめてすぐれている場合にかぎり、「応答型真性異言」現象をあらわすことが可能であるらしい、ということです。

顕現化した「タエ人格」も「ラタラジュー人格」も、すぐれた霊媒資質を有する被験者里沙さんであったので、彼女の発声器官を用いることができたということです。

ワイス式前世療法では、前世の記憶を口頭で答えることができない、といった事例はないようです。
クライアント自身が前世の記憶を語る、という前提ですから、これは当然のことなのでしょう。

SAM前世療法は2008年に私が創始した療法であり、先行研究がまったくありません。

さらに事例の累積を積んで検証をしていく必要があります。
前世人格の口頭回答率が20%未満でしかない理由も、さらに検証を重ねていくなかで明らかになっていくものと思っています。