2011年7月5日火曜日

唯物論と前世療法

以下は、「東京スピリチュアリズム・ラボラトリー」http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/3-3.htm
 管理人T氏からいただいた提案です。


前世療法が含意している「前世」、つまり「死後存続仮説」は、今の科学(医学や臨床心理学や人文科学を含む)が標榜している「唯物論」とは鋭く対立します。これに対して、前世療法(ないし死後存続仮説)を擁護する側としては、どのように対応すべきなのでしょうか。
いくつかの戦略をあげてみます。
①実証事例をなんとかして集め、それを積み上げる。

 
これまで120年に及ぶサイキカル・リサーチ(心霊研究)及び超心理学はこの闘争でしたが、これは実に困難な闘いでした。唯物論側は様々な誹謗や奇説(超ESP仮説)を繰り出して、それらの信憑性を否定してきました。また反唯物論的現象の希少性や「とらえにくさ問題」もあって、成果ははかばかしくありません。
(こうした歴史については、笠原敏雄編著『サイの戦場』や同氏のホームページ「心の研究室」、明治大学教授石川幹人氏のサイト「メタ超心理学研究室」http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/などをぜひ参照してください。)
 この道で最もめざましい成果を上げたのは、イアン・スティーヴンソンの研究でしょう。彼は厖大な時間と手間をかけて、2000に及ぶ信憑性の高い再生事例を収集したのみならず、否定論者の最後の盾、「超ESP仮説」を棄却しうる「応答型真性異言」や「前世記憶と一致する先天性刻印(birthmarks)」の事例をもつきとめ、死後存続説の擁護に大きく貢献しました。(このことの簡単な説明は、東京スピリチュアリズム・ラボラトリーのホームページ、http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/3-3.htmlを参照してください。)
 ところが、こうした実証に対して、唯物論体制は、「無視」という態度で応戦しています。スティーヴンソンは、4巻にわたる精緻な研究書『再生と生物学』が、広く注目を集めなかったことに失望していたと言います。死後存続否定論者が、彼の研究をきちんと読んだ後に批判をしているという例は、皆無だと思います。
 なお、この立場で戦う研究者は、だいたい死後存続仮説を「受け入れている」とは表明しません。そう表明するだけで、信憑性が疑われると思われてしまうのです(実はこれは奇妙な話で、例えば宇宙の暗黒物質に関する研究では、当人がそれを信じているかどうかは問題にされません。反唯物論現象のみこうした要求があるのです)。
②唯物論や実証主義の論拠自体が絶対ではないことを論証する

 
 実は、唯物論や科学や実証主義自体、絶対完璧の基盤を持っているわけではありません。唯物論自体は憶説に過ぎませんし、実証主義、数理論理主義、基礎物理学なども、つきつめていくと、様々な論証不能性の壁にぶち当たります。また、科学や医学などを作り上げている知識のある部分は、「欺瞞」や「思い込み」や「政治性」などに汚染されています。一般の人はもちろん、正当科学に従事する人の多くも、こうした議論を知りませんが、現代哲学や物理学の先端では、「実証」という概念も成立しなくなってきているのです。
こういった議論は、しばしば難解ですが、案外楽しいものです。『七つの科学事件ファイル』『背信の科学者たち』といった暴露書、渡辺幹雄『リチャード・ローティ』などの現代哲学ものなど、エキサイティングな本もたくさんあります。
③権威からの白眼視などどこ吹く風で、やることをやる

 
 へたをすると、狂信家、頭の不自由な?オカルティストと変わらなくなってしまう危険性があります。当人の知性、人格、(論争史など)学史的知識などが、きびしく問われることになるでしょう。
④大衆の支持に訴える

 
 アカデミズムの権威などに関係なく、唯物論信仰に深く汚染されていない、多くの“一般大衆”(こういう表現は反発を買うでしょうが、あえてこう表現しておきます)は、反唯物論的現象への拒否反応も少ないようです。むしろ、「ニューエイジ」の流行や、「何たらの泉」現象に見られるように、唯物論の支配を脱しようとする動きは、ますます大きくなっているようにも思われます(疑わしい部分もありますが)。アカデミズムの威光の衰退も、かなり顕著になってきているような気配もあります。ひょっとしたら、ニューエイジャーの言うように、人類は意識革命をしつつあるのかもしれません。ともあれ、そうした動きと連動する道を探るという戦略です。
 ただし、3)と同じく、へたをすると「怪しいオカルティスト」と変わらなくなるでしょう。
 前世療法を擁護したい人、特に実践者は、①の立場をある程度は保持してもらいたいと願う次第です(現実にはめったに実証性のあるデータは出てこないかもしれませんが)。しかし、③)や④の戦略もまた「あり」かなとも思います。

 特に言いたいことは、③の道において、「死後存続仮説を受け入れる」という表明は、サイキカル・リサーチや超心理学、特にスティーヴンソンの研究が蓄積されている現在、まったく「理性を疑われる」ようなものではなくなっているのではないかということです。つまり、ちゃんと勉強すれば、論拠は十分にあるよ、と言えるようになるはずだと思います。
 逆に、態度を留保しているような表現を重ねている(あるいは人生論ないし思想という安全枠に逃げている)一部の「前世物書き」(しかも実証の努力もしていない人々)は、不徹底なのではないかと思います(まあ、職を失うのは誰でもこわいものでしょうが)。
 また、④の道を探れば、あまり細かいことを言わずに、「何でもあり」でやってみる、前世想起体験をしてみたい人にどんどんやってあげて、納得する人が少しでも増えればOK(こういう表現は少し不埒ですね)というのもありかな、などと思う次第です。

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