2011年9月24日土曜日

私は実証的スピリチュアリスト

タイトルで、私は「実証的スピリチュアリスト」だと言いました。
しかし、この表現は、実はヘンなのです。
スピリチュアリストとは、実証できないであろう信憑性の高い霊信内容の告げている霊的真理を「信じる人」のことを普通は呼ぶわけですから。
私が実証的スピリチュアリストだと言うのは、私の実践しているSAM前世療法よって確認(実証)できた意識現象の事実(霊的真理)に限定してそれを認めるという表明をしているので、その立場を強いて呼ぶなら「実証的スピリチュアリスト」と位置づけてよいというだけのことです。
私が自覚して納得しているのは、自分は「プラグマティスト」であるということです。プラグマティストとはいかなる立場・態度をとる人間であるのか、以下に説明します。

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「道具主義」と訳されるプラグマティズムが、卑近な実用と功利だけを重んじる安手の常識哲学だと思い込むことは誤りです。プラグマティズムを基盤とする「プラグマティスト」は次のような生活態度を反省的に身につけようとします。そもそもプラグマとはギリシア語で「行為」を意味します。
①官僚の文章や仏教、儒教、キリスト教の熟語に代表されるような美しい荘重な文言を、聞いたり口にしたりすれば、それで万事片付いたように思う言語主義(バーバリズム)を捨てて、ことばや文章の意味する内容からどういう実際的帰結が生ずるかを見届けようとする実際主義を身につけようとする。

②生活体験を十分にくぐらない観念や信念だけでものごとを解決しようとする態度を捨て、事実の構造と法則に裏付けられた観念や信念を形成し、またこの真偽を行動・体験によって吟味する態度を身につけようとする。

③自分の正当な利害や幸福を追求することを何か悪いことのように感ずる卑屈感を捨て、自己を正当に主張するよい意味の個人主義的な自主性を身につけようとする。こうした態度があってこそ、他人の人格や権利を正当に尊重し、他人と民主的に交わることができるようになると考える。またこうした考えにもとづいて行動しようとする。

④こうしたプラグマティズムは、一つ間違うと功利主義、実利主義へとかたより、個人の直接体験を偏重する主観主義に傾き、また悪い意味での自然主義におもむいて、手放しのオプティミズム(楽観主義)に走りやすくなる。そうならならないよう絶えず反省的思考によって、バランスある言動・思考態度をとろうとする。

こうして、プラグマティズムは、専門的哲学の体系というよりは一種の生活態度だといえます。

たとえば、プラグマティズムの系譜に連なる教育哲学者J・デューイは、哲学的生活態度を次のように述べています。

「哲学とは全体的・普遍的・究極的な生活態度である。世界の素材と取り組んで、統一ある、一貫した完全な人生を自覚的に努力するとき、人は哲学する(philosophize)。人は、哲学することによって、生活の進め方を規定する知恵を得ようとする」

その「哲学する(philosophize)生活態度.」とは次の3つの態度に集約されます。

A、「全体性」・・・起こってくるさまざまな事件に対する反応のしかたの一貫性を保とうとする態度。

B、「普遍性」・・・何事もバラバラに受け取らず、それぞれの事実をそれに意味を与える広い文脈の中に位置づけようとする態度。

C、「究極性」・・・すべての事象や対象の裏面にまで進んでいって、それらの連関を発見しようとたゆみなく努める態度。  

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私がプラグマティストであるがゆえに、「確信的スピリチュアリスト」になりきれず、実証的態度を手放さないでいる意味において、「実証的スピリチュアリスト」にとどまっていることがお分かりいただけると思います。
これから先のブログは「実証的スピリュアリストとして、これまで紹介してきた私あて22通の霊信をどのように受け止め、検証していったか、その結果どのような見解を持つに至っているかについて述べていきます。


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