2011年10月5日水曜日

生まれ変わりの証拠「タエの事例」その1

私は、生まれ変わりの科学的証明をライフワークにしています。その契機となった前世療法のセッションが、これからしばらく連続して紹介していく「タエの事例」です。
私が前世療法に取り組み始めたのは、2002年ですがその4年後に「タエの事例」と遭遇しました。この事例は実験セッションとしておこなったもので、ビデオとして音声・映像の証拠が残っています。
生まれ変わりの証拠として濃厚なこの「タエの事例」は、2006年5月に春秋社から『前世療法の探究』として出版し、これがフジTV「奇跡体験アンビリバボー」の目にとまり、2006年10月に25分間放映されています。
「タエの事例」との遭遇前後から、私と私の周囲に超常現象が頻発するようになっていきます。私自身と被験者里沙さんにヒーリング能力が覚醒したり、先に紹介した私あての霊信がきたのもその一つです。あるいは、セッション中のクライアントに守護的存在の憑霊らしき現象が起こりメッセージを告げるという霊的現象です。
さて、被験者里沙さんの初回セッションは、2005年3月30日におこなったものです。彼女の催眠感受性(被暗示性)はきわめて高く、短時間のうちに深い催眠性トランス状態まで誘導することが可能でした。
子宮内までの退行催眠後、階段を降りて時空を越えた次元の世界へ続く扉を開けるという暗示をしました。そして、筆者が「もし、あなたの前世があるとすれば、あなたは自由にそこへ戻ることができます。そのエピソードの場面に行ってみましょう」と誘導すると突然、悲痛な叫び声が発せられました。
 「苦しい、助けて」
里沙さんは前世の死の場面にいきなり戻ってしまったのです。押し寄せてくる川の泥水に呑み込まれ、溺死するという情況のようでした。筆者の腕にしがみつき必死でもがく苦悶の表情を見て、「大丈夫です。あなたは、自分の姿を映画をみるように、離れて見ることができますよ」という暗示を繰り返しましたが、その人物が死を迎えてぐったりするまで彼女の苦悶は一分近く続きました。
 
それは、前世の記憶を想起して見ているのではなく、前世の人格と一体化し、今、再現しているのだという実感と臨場感があり、その迫力に驚愕し圧倒されました。
 
さらに言えば、前世の記憶を現世の里沙さんが想起して語っているというよりは、「前世の人格そのもの」が現れ、自分の人生での溺死の場面を再現しているという強烈な印象を与えるものでした。この印象こそ、その後の私あて霊信の告げたことを作業仮説に用いた新しい前世法開発の契機となっていったものです。「ラタラジューの事例」は、この新しい技法(SAM前世療法)でおこなっています。
 
溺死後、肉体を離れて魂状態となり、どうやら中間世(霊界)に行ったことを確かめて、いつ何が起きたのかのおおよそを尋ねてみました。
ようやく平静に戻った里沙さんは、淡々とした声で、江戸時代中期の天明三年(1783年)に、お山が火を噴いたこと、それを鎮めるためと思われる人柱となって、川中の柱に白い着物を着せられて裸足で縛り付けられたのだと語りました。しかし、お山の名前もその人物が住んでいた場所も、思い出すことはできませんでした。ただ、名前はタエであること、死んだのは一六歳の時だったということが明らかになりました。
 筆者は、それ以上セッションを続けることができず、早々に里沙さんを覚醒させました。彼女の生々しい前世の死に際を目の当たりにして、戦慄を覚え、彼女の生きる指針をつかませるところまで持っていくだけの余裕が持てなかったのです。
 結局、不完全燃焼のまま、早々にセッションを切り上げてしまいました。
 果たして彼女は、このセッションの夜から三日間ほど、タエが苦悶しながら溺死する恐怖の夢を見たということです。
(つづく)

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