2011年10月30日日曜日

ラタラジューの語りの検証その1

ラタラジューの語りの検証の第一の眼目は、退行催眠中に現れた応答型真性異言としてイアン・スティーヴンソンが20数年かけて発見し、公表している世界でたった二例(「イェンセンの事例」、「グレートヒェンの事例」)に、「ラタラジューの事例」を加えることができるかどうか、ということに尽きます。
もし、「ラタラジューの事例」が応答型真性異言である証明に成功すれば、それは催眠中に起きた事例として世界で3番目の事例となり、21世紀最初の事例となります。
そして、その証拠ビデオ撮影に成功したのは世界初となります。
読者のみなさんの中には昨年2010年8月5日、アンビリバボーでそのセッションの一部をご覧になった方もおいでになるでしょう。
「タエの事例」はその検証結果からも納得していただけると思いますが、生まれ変わりの証拠として極めて濃厚な事例と思われました。
しかし、超心理学の生まれ変わり研究では、「超ESP仮説」によって「タエ」の語り内容は生きている人間の心の力、つまり、被験者里沙さんが催眠中に発揮した万能の超能力(透視、テレパシーなどESP)によって、タエに関する諸情報を入手してタエの物語を作話した、という仮説がまかり通るというわけです。
この超ESP仮説こそ、生まれ変わりの科学的研究100年余の歴史の最後にたちはだかっている厚い壁です。
超ESP仮説さえなければ、生まれ変わりの科学的証明は、とっくに出来ていると言って過言ではありません。
そして、超ESPによっても入手できないもの、それは「技能」です。
どんな超能力者でも、学んでいない技能を超能力で入手できないのです。技能は情報ではないからです。技能は練習抜きで獲得不可能だからです。技能は暗黙知、つまり言語化できないもので、情報として伝達できません。
その技能の一つの典型が、応答的会話能力です。単に学んだはずのない外国語の単語やセンテンスだけを発話するだけなら、超ESPで説明できますが、相手と応答的に対話する会話技能は超ESP仮説の適用ができません。
ここに着目したのが、生まれ変わり研究の先駆者イアン・スティーヴンソンでした。
私が、ラタラジューの語りの検証の第一の眼目は、ラタラジューのネパール語が応答型真性異言である証明だと最初に述べた理由はこうした事情にあるということです。
もちろん、それ以外に語り内容の事物の検証も大切ですが、いかにそれが事実と一致しても、結局は超ESP仮説によってなぎ倒され、生まれ変わりの決定的科学的証明とはなりえません。したがって、ラタラジューの語りの検証においては第二義的な意味合いになります。検証の第一義は、応答型真性異言の証明です。
それでは、これから一つずつ、ラタラジューのネパール語会話の検証と被験者里沙さんがネパール語を学んではいないことの検証について述べていきます。

ネパール語会話の成立度

 会話の成立度の分析に当たっては、同じ話題のひとまとまりの対話ごとに58の部分に分けてみました。そして、それぞれの対話部分について、ラタラジューの受け答えの整合性の有無を検討し、推測を交えて判断した結果は次のようなものになりました。
ア 応答に一応整合性があり会話が成立している・・・・26部分(45%)
イ 応答に全く整合性がなく会話が成立していない・・・・8部分(14%)
ウ 応答が短く曖昧で会話成立の判断が難しい・・・・・・24部分(41%)
「対話が成立していない部分」とは、家に妻がいますかと尋ねられ、分かりませんとか、何を食べていますか尋ねられ、シバ、宗教などと応答した場合です。明らかに質問の回答になっていない対話部分です。
「会話成立の判断が難しい部分」とは、「わかりません」「はい」など短い回答で、質問の意味が理解できているのかどうか判然としない対話部分です。 
以上のおおよその分析・検討から、ネパール語での応答的会話は、完全とは言えないものの、八割程度は成立していると判断できると思われます。
セッション逐語録を読んだ読者のみなさんは、応答的会話といっても、ラタラジューの応答は、「はい」とか「わかりませんなど短い単語の単純なものが多いではないか、という問題を指摘されるでしょう。
また、会話したと言っても、たどたどしいものでネパール語のきちんとした会話とは認められないではないか、という疑問も出ることでしょう。 
しかし、この点については、スティーヴンソンの発表している「グレートヒェンの事例」のドイツ語会話の記録と比較しても、けっして見劣りするものではありません。
前世人格グレートヒェンの応答も、「いいえ」「知りません」「町です」など短い単純な応答がほとんどです。
そもそも、催眠中のクライアントの発話は総じて緩慢であり、質問に対して即座に長い文脈で回答することはほとんどない、と言えます。また、自分から自発的に話すということも、まずありません。
スティーヴンソンも、「グレートヒェンは、自分から話すことは稀であり、通常は、質問を受けるまで黙っていた。質問があると、それについて手短かに答え、また口をつぐんでしまうのが通例だったのである」と述べています。
ラタラジューも質問の回答ではなく、自ら発話したことは、「あなたはネパール人ですか?」とカルパナさんに逆に質問したことと、腹痛を訴えたことの二度だけです。
なお、グレートヒェンのセッションは19回に及んだそうですが、録音記録を見ると後のセッションになっても、流暢さを欠いた短い応答しかしていないという傾向はほとん変わっていないようです。
このことについて、「グレートヒェンは、応答することができたが、たどたどしいものであったし、文法も語彙も不完全であった」、「後のセッションまでの間に、はっきりした向上も低下も見られなかった」とスティーヴンソンは述べています。
ラタラジューの会話もこれとほぼ同様であり、だからこそ、応答型真性異言としての信憑性は高いと判断できると思われます。
こうしたことを考えれば、ラタラジューが初めてのネパール語会話セッションでこれだけのネパール語会話を出来たことは、むしろ評価されるべきだと思います。
(つづく)

0 件のコメント: