2011年11月1日火曜日

ラタラジューの語りの検証その3

(その2から()き)
ネパール語と日本語の言語学的距離の大きな隔たり

日本語とネパール語の間には言語的系統性が見られず、言語学的に大変距離の遠いものと言えます。
例えば、スティーヴンソンの発表している催眠中の応答型真性異言事例は、英語を母語とする被験者がスェーデン語で会話した「イェンセンの事例」、同じく英語を母語とする被験者がドイツ語で会話した「グレートヒェンの事例」という二つですが、これら言語は先祖を同じくするゲルマン語派です。
言語学的に近いわけで語彙も文法も似通った体系であると言えます。つまり、学びやすい言語関係だと言えます。
また、マラーティー語を母語とする女性が、覚醒中に突如人格が変換されてベンガル語で会話した「シャラーダの事例」は、同じインド語派に属する言語です。
したがって、スティーヴンソンの発見しているこれら三つの事例は、比較的近縁関係のある言語間において起こった応答型真性異言事例だと言えます。
ネパール語は、日本人にとって非常に馴染みの薄いマイナーな外国語です。日本人でネパール語の単語を知る人も極めて少ないでしょうし、会話能力ともなると外交官・商社マン・ネパール研究関係者などごく限られた人間以外は学ぶ機会がない言語です。大都市以外でネパール語を学ぶための会話学校は皆無でしょう。里沙さんの在住する人口50万人の地方都市にはネパール語を学ぶ施設はありません。里沙さんが、ネパール語を学んだとすれば、ネパール語会話のできる友人と数年間にわたる交遊以外に機会はないと推測できます。
かつて、NHK教育テレビでネパール語講座があったようですが、里沙さんがそれを視聴していた疑いはご家族の証言から否定できます。
こうしたことを重ね合わせると、スティーヴンソンの発見している事例の被験者と比べて、「ラタラジューの事例」の被験者里沙さんは、言語学的距離の離れた、つまり、日本人の里沙さんが獲得するには非常に困難なネパール語で会話できたという点で、他の応答型真性異言事例に比較して、「きわめて学び難い異言」で会話したという事実の重みが大きいと評価できるのではないでしょうか。
もちろん、里沙さんはネパールに行ったことも、ネパール人と会ったことも、いわんやネパール語を学んだ事実も一切ないと証言しています
(つづく)

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