2011年11月9日水曜日

被験者里沙さん証言の検証その1

(ラタラジューの語りの検証からのつづき)
これまでの検証で、ラタラジューのネパール語会話が「応答型異言」であることは確認できました。
また、ラタラジューの語り内容の諸事実に誤りのないことも検証できました。
問題は、「真性異言」であるかどうかです。
つまり、被験者里沙さんが通常の方法でネパール語を学んでいた可能性の有無についての検証を徹底的にすることです。
里沙さんの、これまでの人生の過程で、ネパール語を学んでいない、という検証結果が確認できてはじめて、「応答型真性異言」だと判断できるのです。
この検証は、100%の結果を期すためには相当の困難が伴います。
しかし、限りなく100%に近い調査結果を出さないところでは「真性」の「異言」、つまり、学んだはずのないネパール語で会話した、と判断することはできません。
「応答型真性異言」の証明は、超心理学における生まれ変わり研究で、生まれ変わりの科学的証拠として最有力な現象とだとされているのですから、慎重にも慎重を重ねた綿密な検証が必須の条件です。
そこで、科学的検証のために、次の3点についての検証をおこなうことにしました。
①里沙さんの生育歴の中でネパール人、あるいはネパール語との接触の有無を徹底的に調査すること。
②学会発表や出版物に公表する前提を了解のうえで、里沙さんご夫婦に証言書の署名・押印していただくこと。
③経験豊富で権威が認められている検査者によるポリグラフ検査を実施し、鑑定書を発行してもらうこと。
以上が現行の検証調査で考えられるもっとも信頼度の高い方法だと思われます。ちなみに、先行研究者イアン・スティーヴンソンも同様の検証をおこない「応答型真性異言」事例を公表しています。(『前世の言葉を話す人々』)
里沙さんの証言の裏付け調査

まず最初に疑われるのは、里沙さんが生育歴のどこかでネパール人と接触し、そこでネパール語を無意識的、あるいは意図的に学んでいたのではないかということです。
そこで、まず里沙さんに綿密な聴き取り調査をし、その裏付け調査を可能な限りおこないました。
最初に、家族・親戚でネパール人、およびネパール語の話せる人間はいないことを確認しました。
それ以外の聞き取り調査と、その裏付け調査の結果は次のようでした。

①結婚するまでの生育歴調査

昭和33年、A市近郊田園の広がる田舎町B町の自営業両親の二人姉弟の長女として生まれました。幼稚園・小中学校・高校ともに地元の学校へ通学しています。
幼稚園は一クラス30名、小学校は一学年二クラス約60名、全校360名程度の小模校でした。
中学校も、一学年二クラス60名の小学校時代の卒業生がそのままスライドして、もう一つの小学校卒業生と一緒になり一学年二クラス80名弱、全校240名程の小規模校でした。
高校は地元の普通科高校に通い、一学年400名、全校1200名ほどの規模でした。
幼・小・中・高時代の各親しい友人の中で、里沙さんとネパール人、あるいはネパール語との接触を知っている、噂を聞いているという人物は皆無でした。
昭和40年代当時の在日ネパール人状況からしても、地方都市近郊の田舎町B町に在住していた形跡はないと推測でき、仮に里沙さんの幼・小・中・高時代にネパール人知人・友人があり、しかも、ネパール語会話が身に付くほどに親しく長く交際していれば、その事実を友人・両親・弟・に隠し通すことはまず不可能だと思われます。
また、ネパール人との交際を隠さなければならないような事情があるとは思われません。
大学はA市の全学400名程度の四年制私立大学家政学部へ入学し、実家から通学、栄養士の資格を取得しました。
彼女の大学時代に、ネパール人、あるいはネパール語との接触を知る友人は皆無でした。
卒業後、初めて実家を離れ、全校150名ほどの山間僻地中学校の学校給食栄養職員として就職、勤務先教員住宅で自炊生活を3年間経験します。
この就職中にも、ネパール人、ネパール語との接触を知る同僚職員はいませんでした。
就職3年後、24歳で結婚のため退職、地方都市A市内商店街の食品小売り業の長男(地方公務員)の家に嫁ぎ、舅・姑との同居生活を送り、現在に至っています。
24歳で結婚するまでの生育歴で、里沙さんは、ネパール人との接触の事実は一切ないと証言してますし、ネパール語を学ぶ機会のもっともありそうな高校・大学時代の友人への問い合わせ、高校・大学事務局への問い合わせ調査の結果、ネパール国籍の生徒・学生が在籍していた事実はありませんでした。
また、当時(昭和50年代初頭)通学した大学のあるA市、A市から40kmほどの距離にある名古屋市にも、ネパール語会話の学べる施設はありません。
なお、里沙さんの高校・大学時代(昭和40年代後半)に、A市またはその周辺にはインド人・ネパール人が働くインド料理店・ネパール料理店などははありませんでした。
こうして、幼・小・中・高・大学の各友人への聴き取り調査を通して、ネパール人、あるいはネパール語との接触を証言した人物は皆無でした。
(つづく)

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