2011年11月19日土曜日

生まれ変わり反論仮説その3

(その2からのつづき)

(3)遺伝子記憶仮説
前世記憶とおぼしき記憶に関して、「遺伝子の中に記憶が保存されるのではないか」という仮説も成り立ちます。
しかし、タエのケースではそれはありえません。タエが実在したとすれば、彼女は一六歳で人柱になったことになります。
彼女に子どもがいて、それが里沙さんの祖先であったということは考えられません。
若い母親を人柱にするということは、人間の心情としても、龍神という神様への「人身御供」という意味からしても、ありえないでしょう。
また、人柱になる前に白い花嫁衣装を着てごちそうを食べたことをうれしそうに語っているのは、子を持った女性の心情とは思えません。
ラタラジューのケースではどうでしょう。
里沙さんと血のつながりのある父方・母方の先祖の分かる限りの家系をたどってもネパール人は存在しません。
また、ラタラジューの生きた19世紀初め以後の里沙さんの先祖の家系に限っても、ネパール人が存在していないことが確認できています。
ラタラジューと血のつながる先祖は皆無であるということです。
そして、そもそも、遺伝子にこれだけの微細な事柄が記憶されるという科学的実証はありません。
したがって遺伝子記憶仮説は、棄却できるでしょう。
(つづく)

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