2011年12月12日月曜日

SAM前世療法の確立その4

(その3からのつづき)
(4) 「心・脳二元論」と前世療法
これまで紹介した一連の霊信の符合を偶然と見なすか、何らかの意図を持つ霊的存在による働きかけと考えるかは判断が分かれるでしょう。
が、筆者は後者の判断をとってみようと思いました。
だからといって、「エドガー・ケイシー」を名乗る霊、その他の霊の存在や、その告げた内容ををそのまま鵜呑みにしたわけではありません。
存在の真偽の判断はとりあえず留保し、告げられた内容のうち検証可能なところから手をつけてその結果を待って態度を決めていこうと思いました。
そして、まずは脳・魂・潜在意識・霊体などの関係についての霊信内容の真偽を検証してみる価値はあると思いました。 
前世療法の前提として、霊信の告げた「心・脳二元論」の立場をとることについては大きな抵抗はありませんでした。
「タエの事例」の解釈として、「心・脳二元論」に立って、生まれ変わり仮説(死後存続仮説)をとることが妥当であろうと判断していたからです。
「心・脳一元論」では、生まれ変わりなどありえないからです。
そして、「心・脳二元論」は極めて少数ながら第一級の脳科学者も唱えているからです。
筆者の畏敬する九州大学名誉教授で世界的催眠学者の成瀬悟策医博は、2004年明治学院大学における第29回日本教育催眠学会の講演で次のような見解を述べておられます。
「脳は心の家来です。・・・脳の病変によって動かないとされている脳性麻痺の動作訓練を催眠暗示でやってみると、動かないとされていた腕が動くようになりました。
しかし、脳の病変はそのままです。こうしたことから身体を動かすのは脳ではなく「おれ」であることにやっと気づきました。
私のこの考え方を正統医学は賛成しないでしょうが、21世紀の終わりには、私の言っていることが明らかになるでしょう」
成瀬悟策氏の言う「脳は心の家来です」とは、自らの催眠実験研究の結論としての「心・脳二元論」の立場の表明だと思われ、ちょうどその時期に前世療法によって顕現化する魂や霊的存在の解釈に思いを巡らしていた筆者に大きな示唆を与えていただきました。
この成瀬講演以後、筆者は、生まれ変わり仮説(死後存続仮説)を認める立場で前世療法をおこなっていくことに躊躇がなくなっていきました。
また、海外でも脳の優れた研究者であるW・ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなどが、自らの実験研究に基づいて「心・脳二元論」に至っているのです。
そして、一般に信じられている「心・脳一元論」、つまり、心は脳の付随現象であり、脳の消滅とともに生前に経験されたものはすべて無に帰してしまうという言説は、唯物論科学の立場から、その立場上構成されている信念や主張をそのまま表現したものであって、この言説自体は、科学的に確定された手続きによって、検証・証明されたものでは決してないのです。
生まれ変わりなどありえない、とする唯物論的立場は、科学的根拠のない信念・主張の域を出るものとは思われません。
およそどのような種類の科学的データ・事実を提示したら、この信念・主張が論証されたことになるか、雲をつかむような話ではないでしょうか。
さて、日本で一般におこなわれている前世療法のほとんどは、15年ほど前にブライアン・ワイス著『前世療法』の出版によって広められた催眠技法です。筆者もそれ以外に技法を知らなかったので「タエの事例」まではワイス式を用いていました。
しかし、ワイス式には前提となる前世記憶の所在についての仮説が明示されていないのです。
仮説がないと言ってもよいでしょう。
前世記憶がどこに存在するかは不問のまま、催眠状態をどんどん深め、扉やトンネル等のイメージを描いてもらい、そこをくぐった先の時空を超越した次元に入ったという暗示をすると前世記憶の場面が想起される、といった経験的事実によっておこなわれていると言ってよいと思われます。
したがって、前世療法と銘打っていながら、想起された前世記憶の真偽を問うことは棚上げされたまま、療法として治ればOKで済まされてきているようです。
あげくには「前世イメージ療法」などの呼び方まで提唱されています。いったい、「前世イメージ」とは何なのでしょうか?
筆者は、思い切って、「心・脳二元論」など、霊信に基づいた霊的作業仮説を採用し、それに基づいた前世療法に取り組んで、前世記憶の「果てなき真贋論争」を半歩でも前進させる検証事実を提示したいという思いを強くしていったのです。
(つづく)

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