2012年3月20日火曜日

前世療法に対するスティーヴンソンの批判

生まれ変わりの実証的研究者イアン・スティーヴンソンは次のように、催眠学に基づく前世療法の批判を展開しています。(ゴチック体は筆者)
催眠状態にある被術者(被催眠者)は、前世まで遡るよう命じられたとき、5歳以前の年齢まで戻るように命じられたときと同様に、施術者(催眠者)の指示に従う傾向がある。「あなたは、これから、生まれる前の別の時代の別の場所まで戻ります」と施術者に言われると、被術者はその指示に従おうとする。施術者が、たとえば「あなたは、この頭痛の原因が過去のどこかにあるのを思い出します」など、それほど明確ではない催眠暗示を与えた場合ですら、同じように従順にその指示に従うのである。催眠によって誘発される特殊な服従状態の中で被術者は、何らかの、過去にあった出来事らしきものを物語らずにはいられない衝動に駆られる(あるいは、そう仕向けられる)ため、現世の生活の中からそれらしきものが捜し出せない場合には、前世らしき時代の記憶がそれまで全くなかった場合でも、それらしき話を作り上げるかもしれないのである。次いで、自分の記憶にある他の事柄をも利用しようとするため、義務教育しか受けていない者ですら読書やラジオやテレビから拾い上げた歴史上の大事件に飛びつくのがふつうである。歴史の知識が全くなくても、また、たとえあるとしても、施術者を落胆させないよう架空の話をして聞かせるかもしれない。
 また、被術者は、催眠のもう一つの特徴である演技力を利用することも多い。記憶の中に潜んでいるいろいろな情報をつなぎ合わせ、それをもとに「前世の人格」を作り上げてしまうのである。このようにして作られた前世の人格は、長年にわたって繰り返し呼び出されても、それなりの感情や一貫した性格を示して見せることであろう。
(イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP72-73)
上記ゴチック体の、「催眠によって誘発される特殊な服従状態」とは、催眠学では「要求特性」として知られている催眠中の特徴的な心理状態です。クライアントが、セラピストの要求していることを無意識的に察知し、その要求に協力しようと努力する心理的傾向を指しています。

もう一つのゴチック体の、「催眠のもう一つの特徴である演技力を利用すること」とは、催眠学で「役割演技」とか「人格変換」として知られている心理現象です。たとえば、「あなたは、野田首相になりました。国会で、これより消費税増税の必要について演説をします」などの暗示をすると、クライアントの持っている野田首相のイメージや情報を駆使し、野田首相のつもりになって、つまり人格変換し、役割演技として、野田首相を演じる現象が起こります。
ワイス式前世療法で語られる「前世の記憶」しろ、SAM前世療法で顕現化する「前世人格」にしろ、そうした事実に対して、アカデミックな催眠研究者のほとんどが、これまでの催眠学が明らかにしてきた「要求特性」と「役割演技=人格変換」という説明で切り捨てます。つまり、前世の存在などありえないというわけです。
また、詳細に前世の地理や歴史的事実を語った場合に、しかも、クライアントがそうしたことを事前に情報として持っていないことを証言した場合には、「潜在記憶」として片付けようとします。
つまり、本人の通常の意識として情報を入手した記憶が忘れられているが、どこかで入手しているはずの情報が潜在意識に蓄えられていたのだ、というわけです。そして、やっかいなことに、潜在記憶の有無はポリグラフ検査では判明しません。
さらに、語られた地理や歴史的事実について、それを本やラジオ・テレビなどの通常の方法で入手することがまず不可能であり、潜在記憶では説明できない、という検証がされた場合には、透視やテレパシーなど超能力を用いて情報を入手したのだ、という「超ESP仮説」によってなぎ倒されるというわけです。
筆者は、前世や生まれ変わりを絶対認めようとしないこうした諸仮説による説明について、もっともなことだと思います。前世が存在するとおぼしき現象を、徹底的に懐疑的に追究することは健全な思考態度だと思うからです。
生まれ変わりという考え方は、これに取って代わる説明が全て棄却できた後に、最後に受け入れるべき仮説だと思うからです。
そして、応答型真性異言「ラタラジューの事例」は、学んだことがない外国語で応答的会話能力が超能力で入手できることが実証されないかぎり、生まれ変わり仮説以外に説明が成り立たない事例です。

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