2012年3月25日日曜日

魂の実在証明はできるか

筆者の用いる「魂」という用語の概念は、諸宗教と無縁な概念です。
「生前の個性と記憶を保持し、死後も存続する意識体」という意味で用いています。
スティーヴンソンは、科学としての生まれ変わり研究を強調してか、soulではなく、「サイコフォー」という独自の用語を用いています。
超心理学者笠原敏雄氏は、これを「心搬体」と訳しています。つまり、「死後も存続し心を運ぶ意識体」という意味です。
筆者は、「魂」というなじみの用語がすでにあり、そこにあらたな概念づけをするわけでもないので、魂という用語をそのまま用いています。
さて、標題の「魂の実在証明はできるか」はどのようにして可能でしょうか。
筆者は以下の3点を考えています。
①生まれ変わりの実在を証明する。それによって、魂の実在が間接的に証明できる。
被者は、この仕事を「ラタラジューの事例」で成功できたと判断しています。
なぜなら、ラタラジューという前世人格は、SAM前世療法の魂遡行催眠によって、魂の表層から呼び出した前世人格であるからです。
ラタラジューは応答型真性異言現象をあらわし、死後も魂表層で存続している前世人格であるからです。
応答型真性異言は、「技能」です。「技能」は超ESPを駆使しても獲得できないことが、百数十年にわたる心霊研究、超心理学研究によって明らかになっています。
今後、学んでいない技能を超能力で獲得したという超能力者が発見がされないかぎり、「ラタラジューの事例」は生まれ変わりの科学的証拠として超心理学史上に残っていくはずです。
②臨死体験による偶発的体外離脱現象の報告の中で、当該臨死体験者の知り得ない事実を体外離脱中に見聞したという実証をする。
この臨死体験研究者による報告は数多くされています。
しかし、いまだに報告される体外離脱体験が「脳内の意識現象」であるのか、「現実体験」であるのかの決着はついていません。
そして、「現実体験」である実証のためには、単なる脳幹死状態ではなく、脳の血流停止状態の確認が必要です。
つまり、脳が血流停止状態になり脳細胞の死滅が明らかである状態での体外離脱現象であれば、体外離脱した意識体(魂)は脳細胞内現象ではないことが確認されることになるからです。
しかし、臨死体験とは生き返ってこそ報告される体験ですから、脳細胞が死滅すれば生き返ることはまず不可能となり、臨死体験報告から魂の実在を証明することはきわめて困難でしょう。
また、実際に事例を集める臨死体験研究は筆者の守備範囲外です。
③意図的、実験的体外離脱現象を起こさせ、その体験報告を検証する。
意図的に体外離脱を起こすことができる、と広言する人はいないわけではありません。こうした被験者に実験室で体外離脱現象を観察する試みは、超心理学分野でおこなわれています。
しかし、確実に体外離脱現象を確認したという成功例はいまだ報告されていません。
ヘミシンクや隔離タンク実験でもそれらしき報告はあります。
しかし、そもそも、体外離脱して見聞したことが、現実体験であるのか、超ESPによる透視(脳内現象)であるのかの仕分けがきわめて困難です。体外離脱をできると広言する人には、超ESP仮説のあることすら知らない人がいるようです。
筆者は、SAM前世療法によって、魂状態への遡行が可能であるらしいことを確認してきてました。
しかも、「ラタラジューの事例」によって、魂の実在を間接的に証明できたと判断しています。
催眠という道具によって誘導した魂状態の自覚が、はたしてほんとうに肉体と魂の分離状態であるなら、これを完全な肉体との分離状態(体外離脱状態)にまでもっていくことが可能ではないか、というのが今の筆者の探究課題です。
催眠を道具として扱える私の守備範囲です。
こうした探究をすることによって、SAM前世療法の新たな展開が生まれるかもしれません。
魂の実在を宗教的信仰レベルや個人的体験の直感レベルで当然のことと信じている方には、筆者の態度・考え方は、厳密すぎ理屈っぽすぎ、つきあい切れないと感じられるでしょう。
しかし、超心理学の立場で生まれ変わりの実在や魂の実在を科学的に証明するためには、避けて通れない手続きです。
超心理学は、他の諸科学以上に厳密性が要求されるのです。
なぜなら、生まれ変わりと魂の実在が科学的事実であると証明された場合、唯物論に染め抜かれた個人の人生観、世界観の変革はもちろん、人間科学や政治・経済など広汎な領域にまで根本的変革が波及せざるをえないからです。
だからこそ、唯物論陣営からは感情的反発論や無視という手段によって攻撃されることになります。
たとえば、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された』ナチュラルスピリット、のアマゾン書評にある酷評が典型です。
この書評者は、提示された科学的事実を正当に否定するためには、同様に科学的事実を根拠に反論する立証責任がある、というルールを知らないか、無視して、いたずらな感情的反発に終始しています。
そもそも拙著をきちんと読んでいないか、ふつうレベルの読解力が欠如していると思われのです。

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