2012年5月30日水曜日

アンビリの「タエ・ラタラジューの事例」はヤラセか?

先日、インタネット上で検索していたところ、アンビリで放映された「タエの事例」および、「ラタラジューの事例」について、ヤラセである、という感想・主張が少なからずあることを知り、愕然としました。
こうした批判者は匿名性をいいことに、無責任で、放埒な、言いたい放題をやっている輩ですからまともに相手にするのも大人気ないと思うのですが、両事例を語った里沙さんの名誉のために反論をしておきます。

第1の反論は、両事例が、生まれ変わり仮説を支持する科学的諸検証の結果から導かれた結論である、と主張していること、つまり、反証可能性にひらかれた形で、セッション記録映像証拠の提示と、2冊の拙著『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』の文字記録によって提示しているので、それら筆者の提示した諸証拠によって他者に対して、「反証可能性」にひらかれているのです。
したがって、筆者の主張に対して、ヤラセであるという反論をするからには、私の提示した諸証拠をもとにヤラセであることを立証しなければ、正しく反論たりえないのです。正当な反論とは、そのような立証責任がともなうというのが反論のルールだということです。

反証可能性(はんしょうかのうせい、: Falsifiability)とは、
「科学哲学で使われる用語で、検証されようとしている仮説実験観察によって反証される可能性があることを意味する。ある仮説が反証可能性を持つとは、その仮説が何らかの実験観測によって反証される可能性があることを意味する。例えば、「明日、太陽から昇る」という仮説は、「明日、太陽が東から昇らない」という観測によって反証されるかもしれない。これに対して、いかなる実験や観測によっても反証されない構造を持つ仮説を反証不可能な仮説と呼ぶ
というわけですから、「タエ」「ラタラジュー」両事例にもとずく「生まれ変わり仮説」支持の主張は、生まれ変わりを示す具体的諸証拠の提示によって反証可能性にひらかれています。

にもかかわらず、立証抜きでヤラセを主張することは、単なる言いがかりに過ぎません。
おそらく、生まれ変わりの事実を認めることに、強い恐怖、あるいは不安に駆られているのか、
唯物論の土台にヒビや揺らぎが生じ、いわゆる、「認知的不協和」による強迫的観念に怯えるからだと思われます。

それとも、アンビリは娯楽番組であるから、おもしろおかしく演出しているに決まっている、ヤラセがあるに決まっている、という偏見による先入観からの短絡的感想・主張かも知れません。
しかし、ヤラセの主体が、フジTVのアンビリ制作スタッフであるとするなら、見当違いも甚だしいと言わねばなりません。

「タエの事例」が放映されたのは2006年10月ですが、研究のために、この実験セッションの映像が撮影されたのは2005年6月です。翌2006年5月に、「タエの事例」を収載した『前世療法の探究』が出版され、それを読んだアンビリ制作スタッフから、セッション映像提供の依頼が来たのが、2006年7月です。
つまり、「タエの事例」の映像撮影時点で、アンビリがヤラセなどに関与できるはずがなく、アンビリ制作スタッフによるヤラセの可能性は100%ありません。
ただし、私の提供したセッション映像記録の音声に1個所、筆者の了解なしに音声を消去した部分があります。
タエは人柱になった理由を、「水が止まってあぶないので、上の村が水にやられるので・・・私がお供えになります」と語っていますが、上の村が水にやられるので・・・の音声が消去されています。
おそらく、タエの人柱がタエの住む渋川村を洪水から守るためのものという筋書きのほうが視聴者が分かりやすいという判断があってのことでしょう。

「ラタラジューの事例」も同様の経緯があり、アンビリ制作スタッフによるセッション記録映像へのヤラセなど関与の余地は100%ありません。
なぜなら、「ラタラジューの事例」の実験セッションがおこなわれ、その撮影がされたのは2009年5月であり、これのアンビリ放映は翌2010年8月です。
この事例がアンビリ放映に至ったのは、真性異言研究チームの末武信宏医師が知り合いの学研編集者に「ラタラジューの事例」を紹介し、2010年3月、学研の雑誌『ムー』によって「ラタラジューの事例」が特集掲載され、それを読んだアンビリスタッフから映像提供の依頼が7月にあり、2010年8月に放映に至ったという経緯があるからです。
したがって、「ラタラジューの事例」の記録映像撮影時点で、アンビリ側が、ヤラセなどの関与ができる余地はまったくありえません。
ただし、「ラタラジューの事例」の映像編集されたナレーションの中に、アンビリスタッフが、フラッシュバックするナル村風景を里沙さんにスケッチしてもらった、というくだりがありますが、これは嘘です。
フラッシュバックするナル村風景のスケッチを里沙さんに依頼し、それ保管していたのは私です。
アンビリスタッフが、ナル村の現地取材に入るというので、それならこのスケッチ風景に該当するナル村風景の有無を検証してほしい、と私がスタッフに預けたというのが真相です。
というわけで、アンビリ側からヤラセをさせたことは事実関係から、一切ありえません。

とすれば、残るヤラセの可能性は、私と里沙さんが共謀して、タエの人柱物語を作話した、また、ラタラジューのネパール語会話の特訓をし、台本をもとにネパール語対話者カルパナさんとのヤラセ会話セッションを捏造したという疑いになります。

両事例の見学者である、酒向猛医学博士、小野口裕子可児市教育委員、大門正幸中部大教授、同大学岡本聡准教授、末武信宏医学博士など社会的地位のある複数の人たちが、なんの利得もないヤラセに加担する可能性は常識的にも考えにくいでしょう。

また、後々この貴重なセッション証拠映像にヤラセの疑惑をかけられないよう、一定の社会的地位のある立会人に同席をお願いしたという事情があるのです。

ここまで詳細な説明をしても、ヤラセの疑惑を払拭できない人には、いったいどのような説明であるなら納得できるのですか、とお尋ねしたいと思います。

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