2012年11月30日金曜日

「タエの事例」全セッション記録その2

その1からの続き
CO:あなたが人のために犠牲になることをなんて言うんですか?
CL:お供えに。・・・馬も。馬。ばと様。ばと様。・・・馬頭観音様。
※馬頭観音を「ばと様」と呼ぶことを里沙さんは知らない。里沙さんの周辺地域には馬頭観音を祀ってあることが稀である。なお、渋川市上郷良珊寺の僧侶より、現在でも「ばと様」という呼び方が現地に残っていることが確認出来ている。ちなみに、このときの私には、「ばと様」という意味がまったく理解できなかった。
CO:馬頭観音様と一緒に? ふーん。
CL:雷神様は馬に乗ります。龍神様はわたしを乗せて行きます。
CO:龍神様というのは吾妻川のことですか?
※2006年アンビリ放映では渋川市教委小林氏が、吾妻川を龍神に見立てたのであろう、という推測を述べているが、そうではなく、タエの言うように、浅間山に龍神が住まうと当時の村人は考えていた。吾妻川そのものを龍神と考えていたわけではない。浅間山に龍神信仰のあったことは、浅間山麓嬬恋村住人から確認している。
CL:浅間のお山に住む龍神様です。熱くて、住めないので、川を下ります。
CO:お山が熱くて住めないので、浅間山から川を下る龍神様に、あなたが乗るということですか。じゃ、今あなたはどこにいるのですか? 川の中ですか?
CL:はい。
CO:川の中でどんなふうにされているんですか?
CL:白い着物を着て、橋の柱に縛られています。
※この橋は現存していない。当時の街道を結ぶ橋のあったことは事実で、その場所は現地調査で確認している。再セッションでは、雷神を乗せる馬も、タエとともに橋の柱に繋がれていたと語っている。当然、馬も流されているはずであるが、渋川村の流失人馬の被害の中に、馬の記述はない。流されることが自明のことなので被害として計上されなかったと思われる。タエも同様に流死することが自明であったはずであるが、さすがに人の流死は伏せることができなかったのであろう。「人壱人流(ヒトイチニンナガル)」の記録がされている。
CO:それは自分から縛ってもらったのですか?
CL:はい。
CO:じゃ、川岸では誰かあなたを見守ってるでしょ?
CL:行者様。導師様。みんないます。
CO:あなたの村では他にも犠牲になった人はいますか? 人々のために。
CL:いません。
CO:他の村でも、そういう話を聞きましたか? 人柱って言うんですよ。
CL:知らない・・・。・急ぐの・・・急ぐ。
CO:急ぐ?
CL:急ぐ! 時間がない。
※天明三年七月八日(旧暦)午前10時頃の浅間山大噴火の火砕流(鎌原火砕流)で堰き止められた吾妻川上流部のダムによって下流の流れが一時的に止まった。やがてダムは決壊し、未曾有の大泥流が一気に流れ下った。200km下流の伊勢崎市には午後3時に押し寄せた記録が残っている。この事実から計算すれば、渋川村辺りに大泥流が押し寄せたのは決壊後約2時間程度のことになる。この史実から推定すると、タエの死亡は七月八日正午前後になる。
CO:それで、そうやって人のために犠牲になると、みんなが供養してくれませんか?
お地蔵さんかなにかに祀られませんか?
※一般に人柱の犠牲者を供養するために、地蔵尊などを祀ることが多い。こうした供養の事実を地元郷土史家に調査していただいたが、タエの人柱供養のための地蔵尊、供養塔などの言い伝えは渋川市には残っていないとの回答を得ている。上流の村々の多数の流死者被害に紛れて、タエの供養どころではなかったかもしれない。ただし、渋川村の流死者は「人壱人流(ヒトイチニンナガル)」となっている。他の村々の流死の記述は「人、○○人」となっており、渋川村に限って流死者の数の後に「流」が付け加えられている。意味深な記述に思われる。
CL:分からない。
CO:あなたは自ら望んで、みんなのために、人柱になったのですね。
CL:(頷く)・・・うれしい。(微笑む)ごちそう食べて、白い着物着て。
CO:その着物って絹ですか?
CL:花嫁衣装。
※タエは、やがて起こる大洪水から上流の村々を救うために、吾妻川を下る龍神の背に乗る花嫁として人柱になるということ。そのタエを送り出すための酒宴がおこなわれたと再セッションでタエは語っている。そこで、タエはキチエモンに勧められるまま、意識朦朧となるまで飲酒させられたとも語っている。
CO:花嫁衣装で。あなたは、今、何歳?
CL:一六。
CO:一六歳ですか。川岸にキチエモンさんの姿見えますか? それで川の水は増えているんですか?
CL:昼間だけど真っ暗で提灯が・・・ 分からない。
※浅間山から東南東に50km離れている渋川村で、大噴火の噴煙で「昼間でも真っ暗で提灯が必要」というタエの語りは誇張のように思われる。しかし、当時の日記に東に60km離れている伊勢崎市でも「七月七日(旧暦)昼になっても暗夜のようだ」と記述されている。また東南東62km本庄でも「七日、14時頃にわかに暗くなり闇となった。往来の人は提灯を使う」と当時の記録(『天明度沙降記』)にある。こうした史実に照らせば、タエの「昼間だけど真っ暗で提灯が」という語りが、真実を語っていることに間違いない。ちなみに、七月七日深夜に大爆発があり、吾妻火砕流が起きている。翌八日午前には鎌原火砕流を起こした大爆発が続いて起きている。
CO:なぜ昼間なのに暗いんでしょう? 分かりますか、そのわけが。
CL:お山が火を噴いてるから。
CO:煙で暗いわけですか。太陽が遮られて。(CL頷く)そういうことですか。それで昼間に提灯がいるくらい暗い。あなたのいる川の水は今どんどん増えていますか?
CL:は、は、はい。増えてます。ウウーククー。苦しいー。ハア、ハア。ググッウー ウウー・・・ハア、ハア・・・。                      
CO:どんどん増えてますか? 大丈夫ですよ。苦しいですか?
※ここでタエは泥流に呑まれて溺死する。このタエの溺死の苦悶が里沙さんに再現され、その苦しさ筆舌に尽くしがたいと言う。したがって、タエの再セッションを7年後の2012年5月まで許可していただけなかった。そして、この再セッションにおいても、突然溺死場面に戻ることが起き、その苦悶はすさまじかった。このことは証拠映像に撮ってあるので、今回制作の映画の中で公開される。
その3へ続く

2012年11月28日水曜日

「タエの事例」全セッション記録その1

『催眠・魂・生まれ変わりの真実』と題したドキュメンタリー映画制作にあたって、「タエの事例」のセッション全記録映像を前半のメインとしました。
タエの台詞を字幕で入れる作業が終わりましたので、その過程で、2005年6月4日のセッション以後、今日までの7年半の間に、新たに分かってきたことを※印のコメントを加えて公開します。
なお、COはカウンセラーの筆者、CLはクライアント里沙さんの略です。
CO:さあ、これであなたは、時間も空間も関係のない次元に入りました。もし、あなたに、今の人生のほかにも人生があったら、そこに自由にどこへでも行くことができ ます。でも、最初にこの前行った江戸時代へ行ってみましょう。何も心配したり怯(おび)え ることはありません。私が付き添ってガイドしますからね。それでは、これから三つ 数えます。そうしたら天明の時代に生きたあなたの楽しい場面にまず行ってみましょうか。いいですか、天明に生きたおタエさんの一番楽しい場面に戻りますよ。一・二 ・三。さあ、あなたはどこで何をしていますか?
※一番楽しい場面に戻る、という暗示をしたのは、前回3ヶ月前のセッションで、タエ溺死の場面に戻りてパニックになったことが分かっているので、それを避けるためである。
CL:・・・桑畑で桑の葉を摘んでいます。
CO:あなたのお名前は?
CL:タエ。
CO:それで、桑畑には他にもあなたの知ってる人がいますね。誰がいますか?
CL:・・・働いてる。
CO:働いてる? あなたの親とか兄弟はいませんか? あなたは一人ですか?
CL:はい。
CO:あなたはみなし子ですか?
CL:はい。
CO:今あなたは何歳ですか?
CL:一三。
CO:一三歳ですか。あなたがみなし子だった事情を誰かから聞いていませんか?
CL:捨てられてた。
CO:気がついたときには、赤ちゃんで捨てられていたのですか?
CL:そう。
CO:それで、あなたを育ててくださった人がいますね。どんな人ですか?
CL:安永九年(一七八○年)、渋川村、上郷(カミノゴウ)、名主クロダキチエモン。
※渋川市教委を通じて、渋川市史編集委員の郷土史家の蔵書の検索によって、当時の渋川村の名主が4名であったことが判明。そのうち一人がホリグチキチエモンであった。クロダキチエモンではなかった。2012年5月29日の再セッション(映画で公開予定)によって、クロダキチエモンは、「クロダのキチエモン」と呼ばれていたことをタエが語った。名主キチエモンの田畑の土が黒かったので村の衆がそう呼んだ。つまり、「クロダのキチエモン」は俗称であり本名ではなかった。本名をタエは知らないと語っている。ホリグチ家は初代以後明治になるまで当主は代々ホリグチキチエモンを襲名していることが判明。村の衆は、当代ホリグチキチエモンを先代、先々代と区別するために「クロダのキチエモン」と俗称で呼んだことは信憑性が高いと思われる。
CO:クロダキチエモンがあなたの義理のお父さん。キチエモンさんの連れ合いであなたの義理のお母さんは?
CL:ハツ。
※ハツの実在を検証するため、渋川市上郷の良珊寺にあるホリグチ家の墓碑を探したが、古い石塔は苔むして文字が判読不可能で特定に至らなかった。残る検証方法は良珊寺に残る過去帳で検索することであるが、差別戒名の問題によって過去帳の公開は禁止となっている。なお、当時の人別帳は焼失して残っていない。
CO:クロダキチエモンさんとハツさんご夫婦に、あなたは育てられたわけですね。あなたが捨てられていたことは、そのお父さん、お母さんが話してくれたわけですね?
CL:(頷く)・・・たくさん。
CO:たくさん拾われた子どもがいるんですね。キチエモンさんは、そういう篤志家(とくしか)ですか。渋川村の名主さんですね。渋川村というのはどの辺りですか?
※渋川村は、現群馬県渋川市となっている。渋川市には上郷(カミゴウ)の地名が残っており、天明年間は(カミノゴウ)と呼ばれていたことが判明。渋川村が現渋川市として存在していることを、私を含めて8名全員が知らなかった。 
CL:上州、上野(こうずけ)の国。
CO:あなたは今一三歳で、年号は何年ですか?
CL:安永九年。(一七八○年)
※安永は九年で終わっていることがセッション後判明。安永という年号があることは、私を含めてその場の見学者7名全員が知らなかった。
CO:はあ、安永九年で一三歳。で、今、桑畑にいる。それがなぜ一番楽しいのでしょう?
CL:桑の実を摘んで食べる。
CO:桑の実を食べるんですか。口の周りどんなふうになってるか分かりますか?
CL:真っ赤。(微笑む)おカイコ様が食べる桑の木に実がなる。
CO:それならどれだけ食べても叱られることないんですか。ふだんはやっぱり遠慮がちなんですか? (CL頷く)拾われてるから。あなたと同じように拾われた兄弟も 一緒に葉を摘んでますか? (CL頷く)楽しそうに。(CL頷く)じゃ、ちょっと 夕飯の場面に行ってみましょうか。三つで夕飯の場面に行きますよ。一・二・三。今、 夕飯の場面ですよ。どこで食べてますか?
CL:馬小屋。みんなも。
CO:下は?
CL:ワラ
CO:どんな物を食べてますか?
CL:ヒエ。
CO:ヒエだけですか。おかずは?
CL:ない。
CO:ヒエだけ食べてるの。白いお米は食べないんですか? (CL頷く)だからあまり夕飯は楽しくない。で、みんなとどこで寝るのですか?
CL:馬小屋。
CO:馬小屋で寝るの。お布団は?
CL:ない。
CO:寒いときは何にくるまるのですか?
CL:ワラ。
CO:ワラにくるまって寝るの。あなたの着てる物を見てごらんなさい。どんな物を着てますか?
CL:着物。
CO:着物の生地は何でできていますか?
CL:分っからない。
CO:粗末なものですか。(CL頷く)手を見てごらんなさい。どんな手になってます か?
CL:きれいな手じゃない。
※キチエモンは捨て子を拾い育てているが、おそらくは農作業の労働力として使役するためであろう。したがって、牛馬同様の過酷な扱いをしていたと考えられる。
CO:じゃ、もう少し先へ行ってみましょう。三年先へ行ってみましょう。悲しいことがきっとあると思いますが、その事情を苦しいかもしれませんが見てください。どうですか? で、三年経つと何年になりますか?
CL:天明三年。(一七八三年)
CO:天明三年にどんなことがありましたか? 何か大きな事件がありましたか?
CL:あ、浅間の山が、お山が、だいぶ前から熱くなって、火が出るようになって・・・。
※天明三年五月あたりから浅間山が断続的に大噴火を始めた。七月に入ってますます噴火が激しくなり、遂に七月七日夜にかけて歴史的大噴火を起こした。この夜の大噴火によって、鎌原大火砕流が発生し、このため麓の鎌原村はほぼ全滅、火砕流は吾妻川に流れ込み、一時的に堰き止められた。半日後に火砕流によるダムが決壊し、大泥流洪水となって吾妻川沿いの村々を襲った。この大泥流洪水の被害報告が、『天明三年七月浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』として残っている。この大泥流に流されてきた噴火による小山のような岩塊が、渋川市の吾妻川沿いの川面から数メートル高い岸辺に流れ着いて、「浅間石」と名付けられて現存している。
吾妻川沿岸55か村におよぶ被害は、流死1624名、流失家屋1511軒であった。ちなみに、渋川村の上流隣村の川島村は、流死76名、流失家屋113軒、流死馬36頭であり全滅状態であった。ただし、渋川村の被害は「田畑少々流水入 人壱人流」となっており、流死はたった一人であった。こうした事実はセッション後の検証で判明した。
CO:火が渋川村から見えますか?
CL:うん。
CO:噴火の火がみえますか?
CL:ふんか?
※天明の頃には「噴火」という語は無く、浅間山の噴火を「浅間焼」と言った。
CO:噴火って分かりませんか? (CL頷く)分からない。火が山から出てるんですか?
CL::熱い!
CO:煙も見えますか?
CL:は、はい。
CO:じゃ、灰みたいな物は降ってますか? そのせいで農作物に何か影響が出てますか?
CL:白い灰が毎日積もります。
※渋川市は浅間山の南東50Kmの風下に位置する。天明3年5月から断続的に噴火を続けた浅間山の火山灰が相当量積もったことは事実である。
CO:どのくらい積もるんでしょう?
CL:軒下。
CO:軒下までというと相当な高さですね。単位でいうとどのくらの高さですか? 村の人はなんて言ってますか?
CL:分からない。
CO:軒下まで積もると農作物は全滅じゃないですか。
CL:む、村の人は、鉄砲撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いても、雷神様はおさまらない。
※火山灰に苦しむ村々が、鉄砲を撃ったり、鉦を叩いたり、太鼓を叩いて噴火を鎮めようとしたことは当時の旅日記などに記述されている事実である。当時の村人たちは、噴火にともなう火山雷を、雷神の怒りと見なした。
CO:その結果なにが起きてますか?
CL:龍神様は川を下ります。
※浅間山は龍神信仰の山であった。浅間山に住む龍神が、噴火で住めなくなって、浅間山麓の東を流れる吾妻川を下ると当時の村人は考えたのであろう。
CO:その結果どうなりました?
CL:天明三年七月、七夕様の日、龍神様と雷神様が、あま、あま、あまつ、吾妻(あがつま)川を下るので ・・・水が止まって危ないので、上(かみ)の村が水にやられるので・・・わたし がお供えになります。
※2006年10月放映のアンビリバボーでは上記「上の村が水にやられるので」の台詞が消去されてしまっている。この台詞があると、タエが人柱になる理由が渋川村を救うためではなく上流の村々を救うためになり、視聴者には人柱の理由が分かりずらくなる。タエが自分の住む渋川村を救うために人柱になる、としたほうが分かりやすいとアンビリ側が考えたうえで事実の歪曲がおこなわれたものと思われる。ちなみに、「吾妻川」を知っていたのは7名の見学者のうち1名だけであり、私も知らなかった。
CO:自分から志願したの?
CL:・・・そうです。きれいな着物を着て、(微笑む)おいしいごちそう食べて・・・。
CO:それをしたかったのですか? でも、命を失いますよ。それでもいい?
CL:村のために・・・。
CO:誰か勧めた人がいますか?
CL:おとっつあん。
CO:キチエモンさんが、そう言ってあなたに勧めた。
※セッション後のフラッシュバックで、キチエモンは、吾妻川上流の村々から生糸や野菜を買い入れ吾妻川を舟で運んで交易をしていたとタエは語っている。そのための船着場を持っていた。キチエモンは交易相手の上流の村々を救うために、人柱を仕組んだと推測できる。タエは渋川村を救うための人柱ではなかったのである。
CL:恩返し。・・・みんなのために(微笑む)・・・うれしい。
CO:もう一度確認しますよ。あなたのいる村は?
CL:渋川村、上郷。
CO:川の名前が吾妻川?
CL:吾妻川。
その2に続く

2012年11月24日土曜日

ラタラジューの応答型真性異言その4

その3からの続き
KA  Tapaile zutta lagaunuhuncha? Zutta?
   (あなたは靴を履いていますか?)
CL  Ke?
   (何?)
KA  Zutta.
   (靴です)
CL  Ke?
   (何?)
KA  Zutta.
   (靴です)
KA  Tapaile luga, ke luga lagaunuhuncha? Kasto luga lagaunuhuncha? Luga ...
   (どんな服を着ていますか? どんな服を着ていますか? 服を)
CL  Bujina.
   (分かりません)
KA  Luga. Tapaile jiuma kosto luga lagaunuhuncha?
   (服です。身体にはどんな服を着ていますか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Tapailai git gauna aucha? Git. Git. Nepal ko git. Nepali git
   (あなたは歌を歌えますか? ネパールの歌です。ネパールの歌)
CL  Bujina.Oh, bujina.
   (分かりません。おー、分かりません)
KA  Tapailai baja bajauna aucha? Sarangi bajauna aucha? Ke bajauna aucha.
   (あなたは楽器を弾くことはできますか? サランギを弾けますか?どんな楽器を弾けますか?)※サランギは楽器
CL  Ah ...
    (あー)
KA  Madal bajauna aucha?
   (マダル(楽器)を弾くことはできますか?)※マダルは楽器
CL  Bujina.
   (分かりません)
KA  Ke aba, ke garne ta, aru kehi sodou ki nasodou?
   (どうしましょうか? もっと聞いてもいいですか? やめた方がいいですか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Sodon?
   (聞いてもいいですか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Tapaiko gauma manche morda keri ke garni garekocha? Gauma?
   (あなたの村では人が死んだらどうしますか? 村では?)
CL  Ah,
    (あー)
KA  Hai.
   (ハイ)
CL  Himal.
   (山、ヒマラヤ)
KA  Himal?
   (山、ヒマラヤ)?
CL  Himala ... Himal.
   (山、ヒマラヤ)
KA  Himal?
   (山、ヒマラヤですか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Manche morda keri Himal lera jani?
   (人が死んだ後、山、ヒマラヤに運ぶのですか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Himalma?
   (山、ヒマラヤに?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Ke ho, jalauni ki gadni? Himalma lagera ke garni jalauni ki gadni?
   (山、ヒマラヤで燃やすのですか、埋めるのですか?)※ナル村の風習では、遺体をヒマラヤの見える山上に運び、遺体の顔をヒマラヤに向けて火葬にする。骨と灰を一旦地中に埋め、その後掘り出して川に流す。墓を作る習慣はない。
CL  Ho.
   (はい)
KA  Jalauni?
   (燃やすのですか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Gadni?
   (燃やすのですか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Tapailai kehi bannu man cha bhane bhannusna.
   (何か言いたいことはありますか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Hajur?
   (はい?)
KA  Kehi cha bannu man lageko?
   (何か言いたいことはありますか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Chaina? Bhayo?
   (何もありませんか。もう充分ですか?)
CL  Ho, ho, hoina.
   (はい、はい、いいえ)
KA  Hoina?
   (充分ではないのですか?)
KA  Kehi cha banna man lageko?
    (何か言いたいのですか?)
KA  Kehi cha manma kura?
    (何か言いたいことがあるのですか?)
CL  Bujina.
   (分かりません)
KA  Buji ... bujina?
   (分かりませんか?)
KA  Tapaiko gauma ko ko hunuhuncha sathi?
   (あなたの村では誰が友達ですか? 村です)
CL  Gaun ...
    (村)
KA  Hajur, gauma.
   (はい、村です)
CL  ha ... hajur ...
   (はい)
KA  Hajur, gauma ko ko hunuhuncha?
   (そうです。村には誰がいますか?)
KA  Tapai kati barsa hunubhore, pheri ek choti bhanidinusta?
   (あなたは何歳ですか、もう一度言ってもらえませんか?)※この質問にラタラジューは答えられない。七八年の人生のどの時点の年齢を尋ねられたのか不明だからである。「結婚したのは何歳ですか」のように尋ねるべきである。
CL  Ha ...
    (は)
KA  Kati barsa hunubho?
   (何歳ですか?)
CL  Ah ... Ana.
    (あー、あな)
KA  Tapaiko chora kati barsako bhayo? Chora ... chora ... chora kati barsako bhayo?
   (あなたの息子さんは何歳ですか? 息子さん、息子さん、息子さんは何歳ですか?)※この質問にラタラジューは答えられない。七八年の人生のどの時点の子どもたちの年齢を尋ねられたのか不明だからである。「あなたが五〇歳のとき息子は何歳でしたか」のように尋ねるべきである。以下のアディスの年齢の質問も同様である。
KA  Kancha, kanchi?
   (息子さん? 娘さん?)
CL  Kancha.
   (息子)
KA  Kancha?
   (息子?)
CL  Ah, Adis.
   (あー、アディスです)
KA  Kancha, Adis.
   (息子さんはアディス?)
CL  Hum ...
    (ふむ)
KA  Kati barsako bhayo Adis?
   (アディスは何歳ですか?)※この質問にラタラジューは答えることはできない。七八年の人生のどの時点でのアディスの年齢なのか不明だからである。
CL  Adis.
   (アディス)
KA  Adis kati barsako bhayo?
   (アディスは何歳ですか?)
CL  Moi(?) ho ... ho...
    (はい・・はい)
KA  Adis kati barsako bhayo?
   (アディスは何歳ですか?)
CL  Bujina.
   (分かりません)
KA  Bujnubhayena.
   (分かりませんか)
KA  Tapaiko gauma Magar kohi cha?
   (あなたの村にはマガール族の人はいますか?)
CL  Ah.
   (あー)
KA  Magar.Tapai pani tamang ho? Tamang ho tapai?
   (マガール族です。あなたはタマン族でしたよね? タマン族でしたよね、あなたは)
CL  Ha ...
    (は)
KA  Rataraju, Tamang ho tapai?
   (ラタラジューさん、あなたはタマン族でしたよね?)
CL  Hajur ah.
    (はい)
KA  Gauma Magar chainan?
   (村にはマガール族の人はいないのですか?)
CL  Hum.
   (ふむ)
KA  Magar.
   (マガール族の人です)※2010年現在、ナル村人口の97%がタマン族である。
CL  Ha ... bujina.
   (はー、分かりません)
KA  Rai kohi chan ki ta?
   (ライ族の人はいませんか?)
CL  Ah ...
    (あー)
KA  Kun kun jatko manche chan gauma?
   (村の人はどのカーストに属するのですか?)
CL  Ah ... bujina.
   (分かりません)
KA  Bujnubhyena.
   (分かりませんか) 
終わり
以上が、ネパール語応答型真性異言24分間の全逐語録です。
2009年5月9日のこの実験セッションにあたって、CL・里沙さんは、対話者であるKA・カルパナさんとは初対面でした。もちろん私も初対面で、そもそもこの実験 セッションにカルパナさんが参加することすら、事前に知らされていませんでした。
したがって、ラタラジューに対してどんな質問をするなどの事前打ち合わせは一切おこなっていません。
カルパナさんは朝日大学法学部博士課程に留学しているネパール人女性で、中部大学大門正幸教授の探し出したこの日の実験セッション協力者でした。
このセッション時点で、応答型真性異言現象が現れるという期待は、同席した末武信宏さかえクリニック院長、大門正幸中部大教授、岡本聡中部大准教授、対話者パウデル・カルパナさん、そして私のいずれも、期待薄の状態でした。
なにしろ、イアン・スティーヴンソンが20数年かかってやっと3例を発見しているに過ぎなかったからです。
したがって、被験者の里沙さんがネパール語で会話し始めたときに、同席者は舞い上がってしまった、というわけです。カルパナさんに要求するネパール語のラタラジューへの質問内容も、いきあたりばったりで紙に書いて、その都度カルパナさんに渡すというドタバタ状態でセッションは進行しました。
また、カルパナさんは、SAM前世療法については全く事前知識を持っていませんから、ラタラジューとの対話が、78年の生涯を生きた前世人格(死者)との対話をしている、という自覚が当然のことながら持てなかったと思われます。
セッション後の感想で、「ほんとうのネパール人のようだったから驚いた」と語っていますから、ラタラジューとの対話中では、通常の生きているネパール人相手に対話している意識であったようです。
対話者カルパナさんの感想にあるように、ラタラジューとの対話は流暢とは言えないまでも成立していたことに疑いの余地はないと思います。紹介した全逐語録を読んでなお、「空耳の羅列にすぎない」とか、「この程度のネパール語会話なら誰にでもできる」といった批評が的外れであることは明白です。
なお、カルパナさんは、死者との対話をしている自覚が明確でないため、顕現化したラタラタジューが答えられないような、時点不明な年齢についての質問等が繰り返されたと思われます。
死者であるラタラジューは、「今、何歳ですか?」と問われても、いったい自分が何歳であるときのことを尋ねられているのか戸惑い、「分かりません」と答えるしかないのは当然だと思われます。こうした、答えようのない、いつの時点か不明な質問が多くあり、したがって、「分かりません」としか言うほかない回答が多くなっているように思われます。
一方、私も、ネパール語には全く不案内ですから、Nallu Gaun(ナル村)という}発音を聞いてナルガーン村だと思ったくらいですし、Dharma(宗教)という発音を聞いて、ダルマさんだと思ったくらいお粗末な状態でした。Shah(シャハ)がシャハ王朝であることも理解できない、Rana(ラナ)に至っては全く謎のことばでした。
それにしても、ラタラジューが24分間の短い対話の中で、しかも初めてのネパール語対話で、これだけのネパール語を話したという事実は、驚異的なことだとあらためて感じます。しかも、地方色の濃い、古いネパール語の妻は理解できても、現代ネパール語の妻は理解できないこと、78の言い方を古いネパール語の数え方の「8と70」という言い方をしているなど、ラタラジューが、120年ほど昔に死亡している一昔前のネパール人である傍証を示しています。見方を換えれば、こうした古いネパール語を、里沙さんが学ぼうにもまず不可能ですから、彼女が密かにネパール語を学んでいたという疑惑は晴れたとも言えるのです。
ちなみに、ナル村が実在すること、ラナが独裁権力を握っていた宰相家であることが判明したのは、このセッションの後の検証作業をしてからのことでした。
したがって、逐語録にある※印のコメントは、セッション後の検証によって明らかになった事柄であるとご理解ください。
これまで紹介したネパール語全逐語録を、作成中のドキュメンタリー映画の字幕として用い、※印のコメントも適宜字幕にして挿入する作業を進めているところです。
映画題名は、『催眠・魂・生まれ変わりの真実』(仮題)になる予定です。

2012年11月22日木曜日

ラタラジューの応答型真性異言その3

その2からの続き
KA  Tapaiko buwale ke garnu hunchare?
   (あなたのお父さんは何をしていますか?)
CL  a ... mero buwa ...
   (あー、私の父は・・・)
KA  Hajur.
   (はい)
CL  ah ...
   (あー、あー)
KA  Ke garnuhuncha buwa?
   (お父さんは何をしていますか?)
CL  Mero buwa.
   (私の父)
KA  Hajur.
   (はい)
CL  ah ...
    (あー、あー)
KA  Buwa?
   (お父さんは?)
CL  Gorkha.
   (グルカ兵)※グルカはゴルカの英語読みで、傭兵で有名なグルカ兵を指す。
KA  Gorkha?
   (ゴルカ地方?)※カルパナさんは、ラタラジューの言うGorkha(グルカ兵)をゴルカ地方と取り違えている。ラタラジューの父タマリは、勇猛果敢で知られる傭兵のグルカ兵であった。
CL  Ah.
    (あー)
KA  Gorkhama busnu huncha?
   (ゴルカ地方に住んでいるんですか?)
CL  Mero buwa Go ... Gorkha ...mero buwa Tamang hunnuhuncha.
   (私の父、グ、グルカ兵。私の父はタマン族です)※ネパール語の「です」にあたる語は人称と相手を尊敬する場合によって複雑に変化する。一人称では hu、二人称と尊敬する対象に対してはhunnuhuncha、三人称では ho、と変化する。ラタラジューは、父という尊称に対して、正しく変化させ hunnuhuncha と発音している。
KA  Hajur.
   (そうですか)
KA  Tapaile Dahainma ke kani garnuhuncha? Dashainma?
   (ダシャインでは何を食べますか?)※ダシャインはネパール最大のお祭り。
CL  Ka ... kana.
   (食べ物)
KA  Hajur. Dashain ke.
   (はい。ダシャインでは何を?)
CL  Dal, dal, Kodo.
   (ダルとコドです)※ダルは豆のスープ。コドはキビなど雑穀。
KA  Kodo?
    (コドですか?)
CL  Kodo.
    (コドです)
KA  He?
    (何?)
CL  Dal
    (ダルです)
KA  Dal.
    (ダルですか)
KA  Ani Dashain, chadbadma chahi ke kanu huncha ta?
   (ダシャインの祭りでは何を食べますか?)
CL  Ah ... oh ... a ... Ho ...
    (あー、あー、おー、はい)
KA  Chadbadma ke kanuhuncha?
   (祭りでは何を食べますか?)
CL  Kana.
   (食べ物)
KA  Dashaima? Dashain manaunuhuncha?
   (ダシャインは祝いますか?)
CL  Ah ... kodo ... bhat ... dal. ani.
    (コドとご飯とダル。食べる)
KA  Tapaiko gauma kati jana hunuhuncha?
    (あなたの村には何人の人がいますか?)
CL  Ah ...
    (あー)
KA  Tapeiko gauma.
   (あなたの村には)
KA  Pachis.
   (二五人です)
KA  Pachis jana?
   (二五人ですか?)
KA  Hari lai chinuhuncha, Hari lai?
   (ハリを知っていますか?)※ハリはヒンズー教の神
CL  A, ah ... eh ...
    (あ、あー、えー)
KA  Hari lai chinuhuncha? Hari.
   (ハリを知っていますか? ハリです)
CL  Murari.
    (ムラリ)
KA  Murari?
   (ムラリですか?)※サンスクリット語詩の詩人?
CL  Kwa ... eh ... Mero ...
    (私の・・・)
KA  Tapaiko chimekiko nam ke ho? chimeki ko?
    (隣人の名前は何ですか?)
CL  Oh ...
    (おー、おー)
KA  Chimeki ma ko hunuhuncha?
    (近所には誰がいますか?)
CL  Oh ... ho ...
    (おー、おー、はい)
KA  Chimekima?
    (近所には?)
CL  Ei ... La ... Laji ho ... Mero sathi.
   (私の友人)
KA  Sathi? Sathi?
   (お友達、お友達?)
CL  Ho ...
   (はい)
KA  Sathi ko nam ke ho ta?
   (では、お友達の名前は何ですか?)
CL  ho, ho ... Sathi cha. Oh ... ho ...
   (はい、はい、友達がいます。おー、はい)
KA  ... nam ke ho? Sathi ko nam ke ho ta?
   (名前は、お友達の名前は何ですか?)
CL  Bujina.
   (分かりません)
KA  Sathiko nam. Tapaiko sathiko nam?
   (お友達の名前、あなたのお友達の名前です)
CL  Bu ... bu ...
     (ブ・・ブ・・)
KA  Bujnubhyena?
   (分かりませんか?)
KA  Tapai ke garnu hunccha re ahile? Khetbari cha?
   (あなたは何をして生活していますか? 畑を持っていますか?)※この質問にラタラジューは答えられない。七八年の人生のどの時点の年齢時に何をして生活をしていたのかを尋ねられたのか不明だからである。
CL  A ... ke ?
   (あ・・・何?)
KA  Khetbari.
   (畑です)
CL  Ah ... Bujina.
   (あー、分かりません)
KA  Kethbari chaina?
   (畑はありませんか?)
KL  Ah ...
     (あー)
KA  Ghar ke ko ghar ho?
   (家は何でできていますか?)※この質問にラタラジューは答えられない。七八年の人生のどの時点の年齢の時の家のことを尋ねられたのか不明だからである。
CL  Ah ...
   (あー)
KA  Bujnubhyena.
   (分かりませんか)
CL  Un.
    (はい)
KA  Tapailai kehi bhanna man la cha aru?
   (他に言いたいことはありますか?)
CL  Ah ...
    (あー)
KA  Aru Gorkhako barema kehi bhannusna.
   (ゴルカ地方について何か言ってくれませんか?)
CL  Bujina.
   (分かりません)
KA  Gorkha?
   (ゴルカ地方ですよ)※Gorkha には「ゴルカ地方」と「グルカ兵」の二つの意味がある。傭兵であるグルカ兵はゴルカ地方の山岳民族が多かった。グルカ兵は勇猛果敢であることで有名である。
CL  Gorkha?
   (グルカ兵?)
KA  Un.Gorkha. Gorkhako barama?
   (はい、ゴルカ地方、ゴルカ地方についてです)
CL  Bua.
   (お父さん)※ラタラジューはグルカ兵のことを尋ねられていると取り違えている。父はグルカ兵だったので、ゴルカ地方を尋ねられて「お父さん」と答えた。
KA  Bua?
   (お父さんですか?)※カルパナさんはゴルカ地方のことを尋ねたのに「お父さん」という答えが返ってきて戸惑っている。Gorkha の意味を、ラタラジューとカルパナさん双方が取り違えたままの会話で終わっている。
その4に続く

2012年11月21日水曜日

ラタラジューの応答型真性異言その2

その1からの続き
KA  Tapai tis barsa ko hunu bho ahile?
   (あなたは今、三○歳なんですよね)
CL  Tis ...
   (三○歳)
KA  Tis? Kati barsa hunu bho?
   (三○歳? 何歳ですか?)
CL  Eh ... rana ... eh ...
   (えー、ラナ家、えー)※三〇歳(1846年)のときにカトマンズに住んで、ラナ家が独裁権力を握るため有力貴族を殺害する権力闘争に傭兵として参加している。
KA  Rana? Ke Ranako gharma kam garnu hunthiyo?
   (ラナの家?で何の仕事をしているのですか?)
CL  um ... eh ... ho.
   (うむ、えー、はい)
KA  Rana?
   (ラナ家ですか?)
CL  Rana. ... Rana
   (ラナ家。ラナ家)
KA  Rana, kunchahi rana?
   (どのラナ家ですか?)
CL  Ho?
   (はい?)
KA  Rana pani ta dherai thiye ni ta.
   (たくさんのラナ家があるんですが)
CL  Bujina.
   (分かりません)
KA  Bujinubhaena.
   (分かりませんか)
KA  Tapaile ke garnuhuncha sadai? Ke kam garnuhuncha?
   (あなたは毎日どんな仕事をしているんですか? どんな仕事をしているんですか?) ※この質問にラタラジューは答えようがない。七八年の人生のどの時点の仕事か分からないからである。ナル村村長であったこと、三〇歳のときに傭兵であったことは分かっている。
CL  Ah ...
    (あー)
KA  Tapai ke kam garnuhuncha?
   (あなたはどんな仕事をしているのですか?)
CL  ah .. e ... ah ... ume ... eh ... umer pachis Nallu gaun.
   (あー、あー、二五歳、ナル村)※二五歳のときにナル村に居た、と解される。
KA  Tapai kaha basnu hunchare ahile? Tapai kaha basnu huncha, tapaiko gaun ka ho?
   (今、あなたはどこに住んでいるのですか? あなたはどこに住んでいるのですか、あなた の村はどこですか?)※この質問の「今」は、ラタラジューにとって答えようがない。七八年の人生のどの時点を尋ねられているのか分からないからである。
CL  Oh ... ho. oh ...
    (おー、はい。おー)
KA  nam ke ho gaunko?
   (どこですか、村の名前は何ですか?)
CL  Ah ... bujina.
   (あー、分かりません)
KA  Bujinubhaena.
   (分かりませんか)
KA  Lekna jannuhuncha tapaile?
   (字は書けますか?)
CL  Oh ... ho.
   (おー、はい)
KA  Audaina? Lekna padna?
   (書けませんか? 読み書きは?)
CL  Ah ... hoina.
   (あー、できません)
KA  audaina?
   (できませんか?)
KA  Tapaiko gaunma mukhiya ko cha ta?
   (あなたの村の長はだれですか?)
CL  Kira.
   (キラ)
KA  Gaunma ma?
   (村では?)
CL  Kira. Ah ... kira.
   (キラ。あー、キラ)
KA  Kira?
   (キラ?)
CL  Kira. ... e ...
   (キラ)
KA  Ke bhayo? Garo bhayo? Ke bhayo?
   (何が起こりましたか? 大丈夫ですか? 何が起こりましたか?)
CL  Bujina. Bujina.
   (分かりません。分かりません)
KA  Tapailai kehi bhanna man cha kita? Tapailai kehi bhanna man cha?
   (何か言いたいのですか? 何か言いたいのですか?)
CL  Ah ... ah ... mo ... ah ... mero ...
   (あー、あー、も、私の)
KA  Hadjur.
    (はい)
CL  Mero ... ha ... ha ... Mero pet.
   (私、はー、はー、私のお腹)
KA  Hajur.
    (はい)
CL  Ah ... oh ... dukahuncha.
   (あー、おー、痛い)
KA  Tapaiko pet dukyo?
   (お腹が痛いのですか?)
CL  Ah!
    (あー)
KA  Tapaiko mritu ke bhayera bhako?
   (あなたが死んだ原因は何ですか?)
CL  Oh ... oh ... Ma ... rog ...
   (おー、おー、私、病気)
KA  Tapaiko mritu ke bhayera bhako?
   (あなたが死んだ原因は何ですか?)
CL  Rog ... Rog.
   (病気、病気)
KA  Rog?
   (病気ですか?)
CL  Ah.
   (はい)
KA  Ke ko rog lagyo?
   (何の病気ですか?)
CL  Au ... ha .... pet.
   (あう、はー、お腹か)※後のフラッシュバックで、この腹痛が毒を盛られたためであると語っている。
KA  Pet ?
   (お腹?)
CL  Pet dukahuncha.
   (お腹が痛い)
KA  Pet dukera?
   (お腹が痛いのですか?)
CL  Ah ... ho ... ah... guhar ... ha ...
   (あー、はい、あー、助けて。はー、はー)
KA  Pet dukera?
   (お腹が痛いのですか?)
CL  Ahu ... ho ... ah ... guhar ruha ... ha ...
   (あふー、はい、助けて。はー、はー)
KA  Ke bhayo dukhyo?
   ( 痛いのですか?)
CL  guhar ... guhar.
   (助けて、助けて)
KA  Kati barsama bitnu bhako?
   (死んだ時は何歳でしたか?)
CL  Ah ... ah ...
    (あー、あー)
KA  Kati barsama ...
   (何歳でしたか?)
CL  Umer ... Mero ... umer ...
   (歳は、私の歳は)
KA  Hajur. Bite ko umer.
   (はい。死んだ歳は?)
CL  Ath satori ... ah ...
    (八と七○、あー)※八と七○とは七八歳のこと。古いネパール語の数え方。
KA  Hajur?
    (はい?)
CL  Ath satori.
    (八と七○)
KA  Sattari?
   (七○ですか?)※カルパナさんには、古語の「八と七○」が七八であることが理解できない。
CL  Ath satori.
    (八と七○)
KA  Tapaiko desko, Nepalko faja ko ahile?
   (あなたの国の、ネパールの王様は誰ですか?)
CL  Ah ... oh ...
    (あー、おー)
KA  Nepalko raja?
   (ネパールの王様?)
CL  Shah ...
    (シャハ)※1846年~1951年続いたネパールのシャハ王朝のこと。
KA  Shah?
   (シャハ王朝ですか?)
CL  Shah.
    (シャハ王朝)
KA  Shah, namchahi ke hola?
    (シャハ王朝、名前は何ですか?)
CL  Ah ...
    ( あー)
KA  Nam chahi ke hola?
    (名前は何ですか?)
CL  Ha, ho.
    (は、はい)
KA  Nam? Rajako nam?
   (名前、王様の名前は?)※この質問にラタラジューは答えられない。七八年の人生のどの時点の年齢の時の王の名前を尋ねられたのか不明だからである。そもそも寒村の村民であるラタラジューは王の名前など知らないと推測できる。
CL  Ho, ha ... bujina ... ha.
   (はい、はー、分かりません。はー)
KA  Tapaile agi rana sanga ladhai garya bhannu hunthiyoni ke bhannu bho? Gorkha?
   (あなたは前に、ラナ家の闘いといったようなことを言いましたよね。どういう意 味ですか?グルカ兵ですか?)
CL  ha ...
    (はー、はー)
その3に続く

ラタラジューの応答型真性異言その1

現在、可児市在住で、アマチュアでドキュメンタリー映画制作者、伊藤泰史氏とともに、催眠、魂、生まれ変わりの真実を描いた映画を制作しています。メインは、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」のセッション記録映像のノーカット公開になります。
アンビリで公開されたのは、セッション映像 のほんの一部分です。この映像をノーカットで公開しようというものです。前半2時間、後半2時間、全編4時間のドキュメンタリー大作(笑)になる予定で す。アンビリが怖じ気づいてカットした、守護霊の憑依場面映像なども初公開します。催眠によって魂状態の自覚まで誘導したところで、意図的に守護霊の憑依をさせることが可能なことが分かります。
前半の教育催眠と「タエの事例」をメインにした2時間分の監修が終わり、後半「ラタラジューの事例」のネパール語字幕の監修をしている最中です。
そこで、ラタラジューとカルパナさんとのネパール語対話の字幕を入れる作業をしてみて、2009年5月9日のセッション以後、今日までの3年半の間に、新たに分かってきたことがかなり出てきました。
そこで、応答型真性異言の全逐語録を4回に分けて公開し、新たに分かってきた点について日本語訳の後に※印で見解を述べてみます。
なお、次に紹介するセッション逐語録の 「KA」はカルパナさん、「CL」は里沙さんの意味です。また、会話はローマ表記とし、下の( )内はその日本語訳です。この会話部分の聴き取りとローマ字 表記については、真性異研究チームの中部大学大門正幸教授、話者カルパナさんと、同じくネパール語を母語とする中部大学客員研究員カナル・キソル・チャン ドラ博士の全面的お力添えをいただきまた。
KA Tapaiko nam ke ho?  Nam ke ho tapaiko.
   (あなたのお名前は何ですか? お名前は何ですか、あなたの)
CL  Mero nam. Rataraju.
   (私の名前はラタラジュー)※ラタラジューという名前を現代ネパール人は用いない。一昔前のネパール人の用いた名前である。
KA  Kati barsa hunu bho?  Kati barsa hunu bho?
   (お年はいくつですか? お年はいくつですか?)※この質問にラタラューは答えようがない。七八年の人生の何歳の時点であるのかが分からないからである。「死んだときは何歳ですか」というような限定がなければ、答えようがない。
CL  Ke.
   (何?)
KA  Umeru.
   (お年)
CL  Umeru. Ah, umeru. Rana ... ah ... u ... a ... tis ... mero umeru ... umeru tis .
    (年、私の年は、ラナ家、あー、三○)※ラナとはネパールの独裁権力を振るった宰相家のラナ家のこと。三〇歳のときにラナ家の権力闘争に傭兵として戦ったと言いたいのだろうと解される。
KA  Umer kati bhayo tapaiko? Tis barsa hunubho?
   (あなたのお年はいくつですか、あなたは三○ですか?)※この質問にラタラジューは答えようがない。七八年の人生を送っているので、何歳とでも答えることができる。「三〇歳のときにラナ家に何か関わっていましたか」というように尋ねるべきであろう。
CL  ah ...
   (あー)
KA  Tapaiko pariwarma ko ko hunuhuncha? Tapaiko pariwarma? Jahan cha ki chaina garma?
    (あなたの家族には誰がいますか? あなたの家族には。家に奥さんはいますか、 いませんか?)
CL  Ah. Ke
   (あー、何?)
KA  Gharma shrimati hunuhuncha ki hunuhunna.
   (家に奥さんはいますか、いませんか?)※この質問にラタラジューは答えようがない。七八年の人生の何歳の時点である のかが分からないからである。ナル村とカトマンズに住んでいたことは分かっている。ほかにも住んでいた場所があるかも知れない。また、結婚後、妻は常にラタラジューと起居をともにしているとは限らないからである。三〇歳時、傭兵として戦ったカトマンズに居たときには単身生活をしていたと思われる。
CL  ha ... ha ... Ma ... Bujina .
   (は、は、私、分かりません)
KA  Bujnubhaena?
   (分かりませんか?)
CK  Ah.
   (あー)
KA  Tapaiko chorako name ke re?
   (あなたの息子の名前は何ですか?)
CL  Adiu idya ... ah.
    (アディユ、イディア・・・あー)※アディスと言いたかった?
KA  Chorako nam.
    (息子の名前)
CL  Ah...ah...ke .
    (あーあー、何?)
KA  Chorako nam. Chora Chori Kati jana?
    (何人の息子と娘がいますか?)
CL  Ah .. ah.. Bujhina.
    (あー、あー、分かりません)
KA  Bujhinubhayena. Chora chori dui jana hoina?
    (分かりませんか。息子と娘二人ですか?)
CL  Ho ... he ... ke ...abou ... oh ...
    (はい。へ、何、アボウ、おー)※意味不明
KA  Tapaiko srimatiko nam ke re?
    (奥さんの名前は何ですか?)
CL  Oh jira li
    (おー、ジラリ)※意味不明
KA  Srimati, swasniko nam?
    (奥さん、奥さんの名前?)
CL  Ah ... ah ... mero swasni Ramel...Rameli.
   (あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)※ラタラジューは標準ネパール語の妻という単語 srimati が理解できない。古いあるいは地方色の濃いネパール語の妻swasni は理解できる。ラタラジューが一昔前のネパール人である傍証と言える。
KA  Choako nam chahi?
    (あなたの息子の名前は何ですか?)
CL  Ah ... ei ... el ... el ... nam ... el ... ei ... kujaus.
    (あー、え、名前、クジャウス)
KA  Kujaus? Chora? Chori?
   (クジャウス? 息子ですか、娘ですか?)
CL  Tiru.
    (チル)※Choraの異形か?
KA  Chora?
    (息子ですか?)
CL  Tiru.
    (チル)
KA  Chori chaki chaina?
   (娘はいますか、いませんか?)
CL  Adis.
   (アディス)
KA  Tapai kaha basnuhunchare ahile?
   (今、どこに住んでいますか?)※この質問にラタラジューは答えようがない。七八年の人生の何歳の時点であるのかが分からないからである。
CL  A .... ke?
   (あ、何?)
KA  Kaha basnuhuncha? Tapaiko ghar kaha ho?
   (どこに住んでいますか? あなたの家はどこですか?)※この質問にラタラジューは答えようがない。七八年の人生の何歳の時点であるのかが分からないからである。
CL  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)※ここから始まる会話は明らかに現在進行形の会話である。前世人格ラタラジューが、ただ今、ここに、顕現化して、カルパナさんに尋ねている。被験者里沙さんの記憶の想起という解釈はできない。
KA  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)
CL  O. ma Nepali.
   (おお、私もネパール人です)
KA  Tapai kaha basnuhuncha? Tapai kaha basnuhuncha? Tapai ghar kaha ho?
   (あなたはどこに住んでいますか? あなたはどこに住んでいますか? 家はどこにありますか?) ※この質問にラタラジューは答えようがない。七八年の人生の何歳の時点であるのかが分からないからである。ナル村とカトマンズに住んでいたことは分かっている。ほかにも住んでいた場所があるかも知れない。
CL  Ah. Bujina.
    (あー、分かりません)
KA  Bujnubhayena?
    (分かりませんか?)
KA  Tapai Gorkhama basnu huncha ki, tapai Kathmanduma basnu huncha ki, kaha basnuhuncha?
   (あなたはゴルカ地方に住んでいますか、それともカトマンズに住んでいますか、どこに住んでいますか?)※この質問にラタラジューは答えようがない。七八年の人生の何歳の時点であるのかが分からないからである。また、ナル村は、ゴルカ地方でなく、隣接するラリトプール地方にある。
CL  Ah ... ah.. ah... bujina.
    (あー、あー、あー、分かりません)
KA  Bujnubhayena?
    (分かりませんか?)
KA  Aru kehi cha tapailai bhannu parne kura?
    (何か他に言いたいことはありますか?)
CL  Kodo ... ah ... dado ... ah ... ah..
    (コド、あー、ダド、あー、あー、)
   ※コドとは雑穀の粉末を固め焼いたた煎餅状の食べ物。
KA  Tapai, bihana beluka ke khanu huncha tapaile gharma?
    (家では何を食べていますか?)
CL  Ah .. ah... Shiba ... e ... e ... dharma.
    (シバ神、宗教)※KA質問の「gharma(グァルマ)」を「dharma(ダルマ)」と聞き間違えていると解される。
KA  Dharma?
    (宗教?)
KA  Tapai mandir janu huncha?
    (寺院には行きますか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Mandir janu huncha?
    (寺院に行きますか?)
CL  Ho.
   (はい)
KA  Kun mandir janu hunccha ta?
   (どの寺院に行きますか?)※ナル村には寺院は一つしかない。「どの寺院」と尋ねられてラタラジューは戸惑ったと推測できる。
CL  H...... ho.
   (はい)
KA  Ho? Tapai mandir janu huncha ki hundaina?
   (寺院に行くのですか、行かないのですか?)※この質問にラタラジューは答えられないのは、ナル村にある寺院であるのか、傭兵時代のカトマンズにある寺院であるのか不明だからである。カトマンズ時代には、寺院に詣でることはなかったかも知れない。
CL  Aaaa. Bujina.
   (ああ、分かりません)
KA  Bujnubhayena.
   (分かりませんか)
KA  Tapaiko buwa ko nam ke re? Ba ko nam. Ba ko nam.
    (あなたのお父さんの名前は何というのですか)
CL  Ah ... ah ... Tama ... Tamali ... ah...
    (あー、あー、タマ、タマリ)
KA  Tamari? Tamari?
    (タマリ? タマリ?)
CL  Ah ....
(あー)
KA  Ama ko nam thaha cha? Ama?
    (お母さんの名前は分かりますか?)
CL  Ama?
    (お母さん?)
KA  Ama.
    (お母さん)
CL  Ah ... Bhayena. Ma Nallu gaun ek.
   (分かりません。私、ナル村のもの)
KA  Adjur? Hajur, feri ek choti bhandinusha? Feri ek choti.
    (もう一度言ってもらえますか? もう一度)
CL  Ah ... Ki ... ah ... muh ...
    (あー、き、あー、むー)
KA  Feri ek choti bandinuhuncha agiko?
    (もう一回言ってもらえますか)
CL  Ah ... e ... de ... Bujina.
    (あー、えー、で、分かりません)
KA  Bujnubhaena?
    (分かりませんか?)
CL  a ... a ...
    (あ、あ)
 
 その2につづく

2012年11月13日火曜日

ラタラジューの語りの謎に迫る

応答型真性異言(xenoglossyゼノグロッシー)で語った「ラタラジューの事例」(2010年アンビリ放映)のネパール人ラタラジューの語りの謎は大きく一つあります。
ラタラジューの語りの中で、ナル村での食べ物、ヒルの棲息、ナル村での火葬、傭兵としてラナ家のクーデターに参加したことなどは、検証によってすべて事実であることが明らかになっています。
しかし、ラタラジューの語りのこれらの諸情報は、超ESP仮説の適用によって、里沙さんの超能力発揮の結果として、すべての情報が入手可能だという説明が成り立つ余地があります。
語られた諸情報、しかも里沙さんが知っているはずのない情報が、事実と一致しただけでは、生まれ変わりの科学的証拠としては不十分なのです。
「ラタラジューの事例」が、決定的に重要であるのは、応答型真性異言という会話技能が成り立っていることなのです。
会話技能は、超ESP仮説が適用できないからです。
技能は練習が必須条件であり、いかに優れた超能力者といえども、練習が必要な技能を超能力で入手することは不可能だからです。
したがって、里沙さんがネパール語会話を取得していないことが立証され、にもかかわらず、前世人格であるラタラジューが、ネパール語会話をしたことが立証されれば、それだけで、生まれ変わりの科学的証拠として採用されるべきなのです。
そこで、「ラタラジューの事例」が、応答型真性異言であるとした場合に浮上してくる大きな謎が、ラタラジューが日本語を知らないはずであるにもかかわらず、私との日本語会話がなぜできるのか、という謎です。
そして、この謎は、他のSAM前世療法のセッションで顕現化する、日本語を知らない外国人前世人格が、セラピストの私との日本語会話がなぜできるのかという謎とも直結しています。
こうした謎は、「前世記憶の想起」を前提とするワイス式前世療法では回避できます。
現世のクライアントが、外国人であった前世の記憶を想起して語るわけですから、クライアントが母国語で語って当然だからです。問題意識の起こりようがありません。
さて、この謎について、唯一言及している科学者がイアン・スティーヴンソンです。
彼は、応答型真性異言現象を、さすがに「前世の記憶」として扱うことは不可能だと考えました。
退行催眠中に顕現化した「トランス人格(前世人格)」と呼び、次のような解釈を試みています。
ちなみに、退行催眠中に現象した応答型真性異言の公表は、「ラタラジューの事例」を除いて、これまで世界でわずか2例のみです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私が特に解明したいと考えている謎に、イェンセンやグレートヒェンが母語(スウェーデン語とドイツ語)でおこなわれた質問と同じく、英語でおこなわれた質問に対しても、それぞれの母語で答えることができるほど英語をなぜ理解できたのかという問題がある。
イェンセンとグレートヒェンが、かつてこの世に生を享けていたとして、母語以外の言葉を知っていたと推定することはできない。
二人は、したがって、自分たちが存在の基盤としている中心人物(英語を母語とする被験者のこと)から英語の理解力を引き出したに違いないのである(『前世の言葉を話す人々』P235)。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このことは、ラタラジューにも当てはまる謎です。
なぜ、ネパール人前世人格ラタラジューが、知っているはずのない日本語を理解し、私と対話できるのかという謎です。
これはラタラジューが顕現化した第一回セッションからこだわり続けていた謎でした。
だから、、応答型真性異言実験セッションの最初に、「ラタラジューはネパール人です。それなのに日本語が分かるということは、翻訳、仲立ちをしているのは魂の表層の『現世の者』と考えてよろしいですか? 」という質問を里沙さんの守護霊にしたのです(『生まれ変わりが科学的に証明された』P46)。
これに対して、里沙さんの守護霊とおぼしき存在も、そのとおりだと認めています。またこの存在は、「魂レベルでは言語の壁がなくなり自然に分かり合える」とも告げています。
つまり、SAM前世療法の「魂の表層構造仮説」のように、魂の実在を仮定すれば、スティーヴンソンの「特に解明したい謎」に解答が出せるかもしれないということです。
魂の表層に存在し、ラタラジューとつながっている「現世の者(現世の人格を主として担っている者)」が通訳をしているという説明ができることになるのです。
こうした海外で発見された応答型真性異言と考え合わせると、前世人格の存在する座を魂の表層である、とするSAM前世療法の作業仮説の検証は、ますます意味深い作業になると思っています。
なぜならば、スティーヴンソンは、呼び出された「トランス人格(前世人格)」が応答型真性異言を話すことまでは言及しても、その「トランス人格(前世人格)」の存在する座はいったいどこにあるのか、その仮説まで言及しようとしていません。
ただし、彼は、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフオア)』と呼ぶことにしたらどうか」(『前世を記憶する子どもたち』P359)とまでは提唱しています。
それは実証を重んじる科学者としてのスティーヴンソンの慎重な自制からでしょうが、SAM前世療法は、それ以上言及されなかった前世人格の存在する座までも検証することになるからです。
スティーヴンソンは、スウェーデン人の前世人格イェンセン、ドイツ人の前世人格グレートヒェンが、「自分たちが存在の基盤としている中心人物(英語を母語とする被験者のこと)から英語の理解力を引き出したに違いないのである」と確信的に述べています。
この文脈からすれば、スウェーデン人の前世人格であるイェンセン、ドイツ人の前世人格グレートヒェンは、彼らの生まれ変わりである現世の者の「脳内から英語の理解力を引き出した」ことになります。
では、前世人格イェンセン、前世人格グレートヒェンも、中心人物の脳内に存在しているのでしょうか?
死とともに消滅する脳内に、前世人格が存在することはありえません。
前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体である「心搬体(サイコフオア)」に、前世人格イェンセン、前世人格グレートヒェンは存在している、とスティーヴンソンは述べるべきであったと、私は思います。
そう考えることができなかったのは、スティーヴンソンがセラピストではなく生まれ変わり研究者であり、したがって、私のように前世療法を実践するための切実な作業仮説を必要としなかったからであろうと思います。
応答型真性異言という生まれ変わり現象は、魂の存在を前提としないことには説明不可能だと私は考えます。

2012年11月12日月曜日

一卵性双生児でも魂は別々だろうか

娘の息子である、外孫の一卵性双生児が1歳5ヶ月になろうとしています。
私は、この男子一卵性双生児の成長ぶりから、魂の存在を間接的に証明できると思われ、興味深く見守っています。
兄がヤマト、弟がヒロトです。
二人は、両親から同じ遺伝的資質を受け継ぎ、これまで別々に生活することなく育てられたので、この1年と5ヶ月間、まったく同じ生育環境で生活してきました。
したがって、まったく同じ遺伝的資質を持ち、全く同じ生育環境という同一条件のもとでは、現行の生物学的観点からすると、双子の性格は、ほぼ同様な性格や行動があらわれていいはずです。
ウィキペディアの記事によれば、一卵性双生児は次のような説明になっています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
性双生児は基本的に全く同じ遺伝情報(遺伝子型)を持っている。
そのため、性別や血液型等は基本的に(発生段階で変異がなければ)一致し、顔形もよく似ている。一般に一卵性双生児の身体能力や学力の類似性は高い。
さらに成長に従って遺伝的規定性の強い因子の発現量が増大するため、双生児間の類似度が上昇することもある。
しかし同一のDNAを持つ一卵性双生児であっても、DNA情報は個々人の獲得形質に直接的な影響を与えることはないため、身体能力なども(似ているが)個々人で異なり学校の得意科目やスポーツの得意・不得意が分かれることも多い。
胎児期から双子の各々は独自の成長をするため脳の発達過程も異なり、出生時には大脳皮質の形状も違うものとなっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ところが、行動特性も食べ物の好みも、明らかな違いが徐々に顕在化しています。
はじめて遭遇するものに対する反応に、特に顕著に相違が観察できます。
たとえば、初めて出会った人が手を差し伸べると、ヤマトは喜んで抱かれようとしますが、ヒロトはそっぽを向いて用心深く抱かれることを拒みます。
誰に対しても同様な反応を示します。
知らない場所に連れ出したときに、ヤマトは手をつなぐことを拒否して一人で探検しようとします。
ヒロトは用心深く抱いて連れていけとせがんで、けっして一人で歩こうとしません。どういう場所に連れていっても同様の反応を示します。
オモチャの取り合いになると、いつもヒロトが譲ります。
ヤマトは鯛焼きを与えても食べようとしませんが、ヒロトは喜んで1匹ぺろりとたいらげてしまいます。
ヤマトはたこ焼きが大好きで、ヒロトはそうではありません。
食べ物の好みもはっきりと違いがあらわれるようになってきました。
というわけで、性格や行動の相違が最近際立ってきました。

一卵性双生児であっても、魂はまったく別ものが宿っているという観点からすれば、二人の性格特性は相違があって当然ということですが、どうやらそのように考えることが妥当のように観察できます。
こうした観察からも、魂の存在が間接的に証明できると思われます。
ただし、双生児だけあって、身長・体重・体つきは同じですし、顔つきも初見の人には見分けがつきにくいでしょう。
一卵性双生児の研究において、魂という観点から研究がされたことを聞いたことがありません。
唯物論生物学や心理学の観点からのみの研究では、双生児の類似点ばかりが強調されているように思われます。
極端な例が行動主義心理学の考え方です。
人間の行動を刺激と反応の束だと考える観点からすれば、ヤマトもヒロトも同じ遺伝的資質と同じ生育環境という同一条件のもとでは、同じ諸刺激に対して、ほぼ同様の諸反応をするのが当然のはずです。
ヤマトとヒロトの場合、こうした行動主義心理学の主張は、妥当性が怪しくなってきます。
「魂」、しかも、異なる前世をもつ者たちが魂表層に存在し、それらの影響のもとに現世の者の性格や行動があらわれると考えれば、異なる魂をそれぞれもつヤマトとヒロトの性格・行動は違って当たり前ということです。
もし、二人の魂がそろって、初めての人生を送る無知・無垢な魂であるとすれば、おそらく、そろってほぼ同じ性格や行動特性を示すだろうと思われます。

SAM前世療法の実践から得た知見によれば、人格の理解には、前世の諸経験(前世人格たちの諸経験)という観点を加えないで、十全な理解はできないと主張したいと思います。

2012年11月9日金曜日

タエの語りの謎に迫る

私の生まれ変わりの実証的探究の身上は、「執拗な食い下がり」にあると思っています。
その執拗さをかき立てる原動力は、祖父の死によって12歳の秋に刻印された「すべて無に帰する死への恐怖」であることは、過去のブログに書いたとおりです。
私は、12歳のときより、深い意識の根底で、絶えず死への恐怖に苛まれ続けてきました。すべてが無に帰する死に対してきわめて臆病なのです。
そして、そうではなく、「死後存続-生まれ変わりはある」と教えてくれたのが「タエの事例」でした。
しかし、「タエの事例」の前には、超ESP仮説が立ちはだかっており、里沙さんに超ESPという能力がないことを証明しない限り、「タエの事例」は生まれ変わりの証拠としては不完全なのです。
そして、原理的に、里沙さんには超ESPという能力がないことを証明するのは不可能です。
しかし、そもそも、超ESPを発揮した人間が発見されているわけではなく、ESPの限界が不明なので、万能のESP(透視・テレパシーなど超感覚的知覚)を持つ人間がいる可能性があることを排除できないというほどの仮説にすぎません。
里沙さんおよび、周囲の証言によれば、彼女がESPを発揮したことはない、と断言していますから、常識的には、「タエの事例」において、里沙さんが、突然、無意識的に超ESPを用いて、タエに関する諸情報を収集し、タエという架空の少女のふりをして虚構を語ったと推測することには相当に無理があると考えています。
ポリグラフ検査の鑑定においても、「タエに関する諸情報を収集した記憶は全くない」という鑑定書が出ています。したがって、私は、「タエの事例」は、とりあえず超ESP仮説を考慮しなくてもよいと考えています。
であるなら、「タエの事例」は生まれ変わりの証拠だと断言できるかというと、いくつかの謎がありました。
「タエの事例」は、ワイス式と私が呼んでいる一般の前世退行催眠法を用いていますが、ワイス式の前提である「里沙さんの脳内の前世記憶の想起」であるのか、「タエという前世人格の顕現化」であるのか、という謎です。
もし、タエが、里沙さんの脳内の記憶であるとしたら、原理的にタエが実在した証拠であるはずがなくなります。脳の消滅とともに脳内の記憶も消滅するからで、タエであったときの記憶が存続して現世の里沙さんの記憶としてよみがえるはずがないからです。死後も、どういうわけか記憶だけは存続する、という科学的証明は一切ありません。
私は、タエは、ワイス式であるにもかかわtらず、魂状態に遡行し、魂の表層から顕現化した前世人格であるに違いないと考えていました。記憶想起ではなく、人格そのものの顕現化とみなすことが、セッションの事実として自然の解釈だと思ったのです。
その一つの手がかりが、以下の、里沙さんの「タエの事例」セッション後の感想に求められると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次は、そのときの状態を、記憶に残っているままに書き留めたものです。
扉を開けると、まぶしい光の世界が見え、そこにもう一人の私がおりました。前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光の塊ではありましたが、まちがいなく私でした。そして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました。
 私の前世は、タエという名前の女性で、天明三年に起きた火山の噴火を鎮めるために人柱となって、一六歳で溺死するというものでした。目の前に迫る茶色い水の色や、「ドーン」という音もはっきり分かりました。水を飲む感覚、息が詰まり呼吸できない苦しさ、そして死ぬことへの恐怖、それは言葉では言い表すことのできない凄まじいものでした。私は、タエそのものとして死の恐怖を体験しました。
『前世療法の探究』2006、P221
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「まぶしい光の中」に、「姿も形もなく」、「男か女かも分からない」ような「小さな光の塊」である「まちがいなく私」であるような存在とは、まさしく魂状態に遡行したことを示しているのではないでしょうか。
「一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んで」、「私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握」できたと分析しています。
そして、「私は、タエそのものとして死の恐怖を体験」することになったと語っています。
さらに、この後に続く感想で、「勝手に口が動いて」タエが話しているという感覚を自覚していたとも述べています。
一瞬にして、すべてのもの(タエという人格のすべて)が私の中に流れ込んで、私が自分が何者なのか(タエであること)を知った、という述懐こそ、魂の表層から前世人格タエが顕現化したことを裏づけていると思われたのです。
それは、このセッションの2年後に創始することになるSAM前世療法のセッション構造にぴったり一致する現象でした。
①こうして一つ目に湧いた謎は、ワイス式の「前世記憶の想起」という前提でセッションをしたにもかかわらず、タエという前世は里沙さんの記憶ではなく、「前世の人格であるタエの顕現化」ではないか、という謎です。この「タエの事例」のセッションは2005年6月4日に実施したものであり、この証拠映像の一部が2006年10月のアンビリバボーで紹介されています。このセッション当初から、私には前述の謎が持ち上がっていました。もし、脳内にある前世の記憶であるとしたら、タエの語りはすべてフィクションとみなす外ないからです。死後、脳内のタエであった記憶が来世に引き継がれるわけがないからです。この謎解きの手段は、タエを再度呼び出して、タエ自身に尋ねることしかありません。
②二つ目の謎は、守護霊の語りです。村を洪水から守るために馬も雷神の供え物にした、その馬を鎮めるためにタエの左腕を切り落として、渋川村上之郷馬頭観音下の地中に埋納したと語っています。しかし、タエ自身はそれを語っていません。(『前世療法の探究』P172) 
このような左腕切断の重大事をなぜタエが語っていないのかが、大きな謎でした。また、馬がお供えとして橋に繋がれていたことも、語っていません。これも謎です。
③三つ目の謎は、タエと守護霊が、育ての親名主キチエモンの姓をそれぞれ、クロダ・クロカワだと言っていますが、史実によれば実在した天明3年当時の渋川村の名主は4名おり、キチエモン名は堀口吉右衛門(『前世療法の探究』P195)だけでした。なぜ、キチエモンの姓が実在のキチエモンと食い違っているのか、その訳が大きな謎でした。
以上3点の謎が解明されないことには、超ESP仮説を考慮の外としても、タエ実在の証拠は十分とは言えません。
これが2005年6月4日のセッション以来、私がこだわり続けてきた謎でした。
そして、この②③の謎は、史実を渉猟したところで解明は不可能でした。残っていないからです。
残る手段は、タエ自身に尋ねてみる以外にないと思われました。
説得しても、里沙さんは再セッションに応じることは拒否し続けていました。
タエの溺死を再体験する恐怖を二度と味わいたくないと言うのです。
しかし、今年2012年5月29日、再セッションの機会がおとずれました。
生まれ変わりの真実を広めるための自主制作映画のための映像として、再セッションを撮影することの許可が下りたのです。
再セッションの目的の一つは、SAM前世療法を用いて前世人格タエの顕現化を図ることです。
SAM前世療法が科学であるための条件の一つが「再現性」です。同じ手続き・方法をとることによって、誰にでも同じ現象(結果)が再現可能であるという証明ができなければなりません。
前世人格タエにしてもラタラジューにしても、その顕現化が1回のみの偶発現象では科学現象として認められないわけです。
本当の目的である謎解きは一切伏せて実施しました。
里沙さんに謎の回答を事前に検討・用意させないためです。
こうして、2005年6月以来こだわってきた謎解きが、7年後の今年2012年5月に実現したというわけです。
前述①②③の謎について、顕現化したタエの回答を述べてみます。
①2005年に語ったタエは、里沙さんの記憶中のタエではない。魂状態に遡行し、魂の表層から顕現化した前世人格である。また、里沙さんの肉体を借りて話したことは、現世の里沙さんに憑依したということである。
つまり、はじめから自己内憑依現象としてタエは顕現化した存在である、と語った。当然、今回も自己内憑依して顕現化している。
このことは、前世記憶の想起という前提でおこなうワイス式前世療法でも、前世記憶の想起ではなく前世人格の顕現化が起きている可能性があることを示していると思われる。
②タエには左腕を切り落とされた記憶はない。しかし、人柱としてお供えになる前に、花嫁衣装を着てご馳走を食べ、お酒を飲まされた。お酒はキチエモンが勧めた。そして、深い酩酊状態に陥った。
また、酩酊状態のときに「左腕が熱い」という感覚があったことは覚えている、と語った。
おそらく、酩酊し朦朧となった状態で、鋭利な刀で左腕の切断がされたと推測できる。そうした状態で、鋭利な刀で一刀のもとに腕を切断された場合、痛い、というより、熱い、という感覚が出ることはありうるとの外科医のコメントをもらった。ただし、動脈切断の止血がどのようにされたかは謎である。
タエが左腕切断の痛みに苦しむことがないように、また、人柱という死の恐怖を逸らすために、酒を飲ませて酩酊状態にさせたということは十分ありうると思われる。
ちなみに、タエはお供え馬も橋に繋がれていたと語った。
③キチエモンは、吾妻川上流の村々から野菜や生糸を仕入れ、舟で渋川村まで運んでいた。その船着場を持っており、その周辺の川中の石が黒かったので「クロカワのキチエモン」と呼ばれていた。
また、所有の田畑の土が黒かったので、「クロダのキチエモン」とも呼ばれていた。
つまり、クロカワの、クロダの、というのは姓ではなく、村人たちの俗称としての呼び名であった。
タエは、「堀口」という姓については分からないと語った。
ちなみに、渋川村名主堀口吉右衛門は初代以後、代々の当主が堀口吉右衛門を名乗っており、それは江戸時代中継続していることが分かっている。こうした史実から、村人は先代キチエモンや先々代のキチエモンとの区別のために、普段は当代ホリグチキチエモンを俗称で呼んでいたことが、ありうると思われる。
また、タエの人柱は、タエの住む渋川村を救うためではなく、キチエモンの交易相手の上流の村々を救うためであったと推測できないわけではない。
タエは、「水が止まって危ないので・・・上の村が水にやられるので、わたしがお供えになります」と語っている。(『前世療法の探究』P159)
余談になるが、2006年アンビリバボー放映では、私に無断で「上の村が水にやられるので」の文言が消去処理されて、渋川村を救うための人柱という偽りの設定に変更してある。これは視聴者に、そうした設定にしたほうが分かりやすく、受ける、という判断をしたためだと思われる。放映前の視聴をさせてもらえなかったので、クレームをつけることができなかったのである。
以上が、2012年5月29日の再セッションにおけるタエの語りの概要です。
タエが実在し、そのタエの前世人格の顕現化が事実であるとみなせば、私の7年越しの謎は、私なりに氷解できたと思っています。
これも余談ですが、守護霊は、タエ実在の証拠として、タエの左腕が渋川村上郷馬頭観音堂の下に埋納されてるが、土石流の下に埋まってしまい掘り出すことは不可能だと語っています(『前世療法の探究』PP172-173)。
現地調査の結果、渋川市上郷の山手にある良珊寺に至る山道の脇にそれたところに、石灯籠状の馬頭観音堂が存在しました。渋川市教育委員会に確認したところ、上郷地内で馬頭観音が祀られているのはここだけであるということでした。
この確認時点で、この馬頭観音堂周辺で土石流被害の有無を確認しませんでした。現地の地形からは土石流の形跡をうかがうことができなかったので、守護霊はタエの左腕の発掘調査をはぐらかすために偽りを語ったのだろうと思っていました。
ところが、2012年になって、読者の方が、渋川市のハザードマップを検索し、この上郷馬頭観音付近が過去に土石流が起きている事実を突き止めてくださいました。
守護霊は、でたらめを語ったわけではなかったのです。
そして、天明三年当時の渋川村名主名は、渋川市史編纂委員の個人蔵書でしか確認できず、こうした依頼を渋川市教委を通じてお願いしたのは私以外になかったこと、『天明三年浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』は渋川市史第五巻の資料編に掲載されているマイナーな資料であることなどから、里沙さんが通常の方法で事前に調べることは、まずありえないと判断できます。
さらに、タエの語りの謎が、再セッションで、それなりに整合性のあるタエ自身の語りによって解明できたこと、とりわけクロダ・クロカワの姓の食い違いの理由が俗称であったことから、キチエモンが実在した堀口吉右衛門である可能性が濃厚であること、歴史資料『天明三年浅間焼泥押流失人馬家屋被害書上帳』によれば、渋川村の被害は、「人壱人流」と記載してあったことなど、状況証拠としてタエの実在はきわめて濃厚であると思われます。
とはいえ、捨て子タエの実在の直接的な証拠が出てくることは、将来もあるとは思われません。
やはり、タエの実在した証拠(生まれ変わりの決定的な証拠)は、画竜点睛を欠くと言わざるをえません。
タエの実在は、信じる人には十分な証拠、しかし、疑う人にはまだまだ疑う余地がある証拠であるようなレベルでしか開示されないような計らいがどこかでされているのかもしれません。

2012年11月7日水曜日

霊信と意識現象との不思議な符合

ここでいう「霊信」とは、高級霊とおぼしき存在からの通信のことを指しています。
具体的には、2007年1月~2月に届いた私あての霊信(本ブログに公開済み)と、定評のある海外の霊信を指しています。
私あての霊信を真とする判断は、偶然では説明できない複数の予言が当たっているからです。
予言の一つは、2007年1月時点で、3年後の2010年の拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』の出版を予言していることです。「あなたはいずれ前回とは異なる内容の本を出版することとなる。全貌が異なるのではなく、方向性が異なるのだ」という予言でした。
二つ目の予言は、「前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性をもつようになる。あなたの療法は、あなたにしかできないものになる」という形で、SAM前世療法創始の予言をしており、それがが1年後に当たっていることです。
三つ目の予言は、「あなたは今世で出会うべき女性がいる。その女性とは、あなたが過去世において死別した愛する者である」というものでした。この出会うべき女性は、この予言の1ヶ月後にセッションにやって来ました。また、このセッションから4年後の別のセッションで、私と前世をともにしたという男性クライアントの前世人格が、再会した女性クライアントの前世人格が語った内容と一致する内容を語っています。もちろん、二人のクライアントどうしの事前の接触は一切ありません。超ESP仮説を考慮しないとすれば、この二人のクライアントの語りの一致は偶然とは思われません。
というわけで、私は私あての霊信内容に信をおいてよいと思っています。
その私あて第9霊信が次のように述べています。
「守護するものの中には大きく分けると、生まれ変わりをしたことがある、かつては人として存在した者と、生まれ変わり変わりをしたことがない者とがある。・・・守護霊とは、生まれ変わりを経験したものであり、今後生まれ変わるものや、生まれ変わりを必要としないものを含めたものである。そして、ガイドとは生まれ変わりを必要としないものである」
この霊信が届いたときに、私には一つの疑問が生じました。霊信を文字通り解釈すれば、守護霊の中には、「今後生まれ変わるもの」が存在する、ということになるからです。
守護霊とは、生まれ変わりを重ね、霊的進化を遂げた存在であり、言わば生まれ変わりを卒業した存在であるにもかかわらず、守護霊の中には再度人間に生まれ変わるものがいる、ということが本当にあるのだろうか、という疑問です。
この疑問に対する回答が、セッションに現れる「意識現象の事実」が示しているようです。
つまり、霊信の述べたとおり、前世が守護霊だと答えたクライアントが現れているのです。
というのは、(守護霊であった前世というのは妙な言い方ですが)前世が守護霊である、と答えた事例が5例現れているからです。5例のうち、男性3名、女性2名です。主訴は、4名が生まれ変わりのあることを実感したい、1名が原因不明の深い人間不信の改善でした。
5例のうち、かろうじて口頭で対話できたのは3例、2例は指による回答の対話でした。 
5例に共通していることは、より高次の存在の強力な要請によって、霊的真理を地上に広めるために人間として生まれ変わった、という回答でした。と言っても、5名とも特別な地位にある人ではありません。
ただし、5名ともに、謙虚であたたかなものの言い方であり、非常に好感のもてる人柄でした。
一人の女性は、「苦しむ人たちを救いたい」と悲痛な訴えをし、もう一人の女性は「霊界に戻りたい」と泣きました。
一人の男性は「地上の人間があまりに荒んでいるので人間嫌いに陥った」と嘆きました。この男性が、人間不信の改善を主訴にもっているクライアントでした。興味深いことに、この男性は、幼少の頃より、高い位置から底なしの深い穴のようなところへ落下していく夢を繰り返し見てきた、と語っていることです。霊界から地上へと生まれ変わったことを象徴している夢ではなかろうかと思われます。
というわけで、セッションで現れれた「意識現象の事実」として、私あて霊信の述べているように、霊界の住人である守護霊から再度地上の人間に生まれ変わっているものが存在しているらしいというといことです。
もう一つの興味深い「意識現象の事実」は、現世が最初の人生である魂の持ち主だと答えた事例が12あるということです。
魂の自覚状態を確認後、「あなたは前世人格のどなかですか?」と尋ねても、返事がないので、仕方なく「あなたは魂表層の現世の者ですか?」と聞くと、「そうだ」と答えます。
「では、魂表層の前世の者と交代してください」とお願いしても、「いない」「分からない」という回答です。
「あなたは生まれ変わりを経験していないのですか?」と尋ねると、「そうだ」と答えたクライアントが12名いるということです。
12名に共通する性格特性が、①好奇心が極めて旺盛で、好奇心に駆られてすぐ行動する、②友だちから親切で人が良いという評価を受けている、というものでした。
海外の定評ある霊信、アラン・カルディックの『霊の書』の高級霊からの霊信によれば、「魂の最初の状態は無知・無垢である」と述べていますから、これに照合すれは、最初の人生を送る魂の持ち主が好奇心旺盛であること、親切で人が良いことは納得できるというわけです。
「前世が守護霊であった事例」、「初めて人生を送っている魂の事例」の両事例ともに、その真偽の科学的検証は到底不可能です。
こうした場合、信頼できそうな霊界の住人からとおぼしき霊信に照合するしか私には手がありません。
その結果、現れた「意識現象の事実」と、霊信の述べていることには、確かに不思議な符合があるようだと思われます。