2012年12月4日火曜日

「タエの事例」全セッション記録その5

その4からの続き
CO:さっき、あなたのおっしゃったことに勇気を得て、もう一つ聞きます。今、あなたが語ったことが、その時代に生きたおタエさんしか知り得ないことだという証拠を、私はつかみたいと思っています。その結果、前世というものが間接的にでも証明できたら、多くの人の人生観が変わって、特に死を間近にした人たちに勇気を与えることができると思っています。このセッションの場には、その研究をしていらっしゃる小野口さんという先生も来ています。そういう人のためにも、おタエさんしか知り得ないことで、でも、われわれが後で調べたら何とか分かるような、そういう証拠の話か物がないでしょうか? そんなことを聞くのは傲慢(ごうまん)でしょうか? もし、お許しがあれば、それを教えていただけないでしょうか。
CL:傲慢ではありません。タエは・・・左腕をなくしています。渋川村上郷、馬頭観音下に左腕が埋まっています。
※タエは、人柱になるに当たって、自分の左腕をなくしたことを一切語っていない。このような重大事をなぜ語らないのか謎であった。その謎は7年後(2012年5月)の再セッションで明らかとなった。このことは「その6」で記述する。
CO:それはおタエさんの左腕ですか?
CL:そうです。
CO:であれば、今は随分時代が下がってますから、骨になっていますね。
CL:そうです。
CO:その骨が、渋川村、上郷、馬頭観音の下ですか?
CL:そうです。
CO:下ということは、馬頭観音様は外に立っていらっしゃいますか? お堂の中ではない?
CL:お堂です。お堂の下を掘るとタエの左腕が出てきます。
CO:それが、タエが実際に存在した証拠になりますか?
CL:そうです。
CO:馬頭観音様が祀られているのはお寺でしょうか?
CL:馬頭観音は寺ではありません。小さなお御堂(みどう)です。
CO:それは現在でもありますか?
CL:あります。
※現渋川市上郷で小さなお御堂を供えている馬頭観音は一基ある。山手にある良珊寺参道脇の道を少し入った山林に囲まれた場所であることを現地で確認した。石の馬と並んで石灯籠状に祀られた馬頭観音であった。この石灯籠状のお御堂の銘文には「享保一五年(1730年)」と刻んである。天明三年は1783年なので50年余前に建立されている。これが偉大な存在者の告げた馬頭観音だと特定して間違いないであろう。
CO:おタエさんの左腕を探すためにはその床下を掘れということですか?
CL:土、下。
※石灯籠状の馬頭観音お御堂であるので、当然床はない。お御堂は直接土の上に建ててある。したがって、床下ではなく土下と告げている。「土、下」の意味が分かったのは、セッション後に現地の馬頭観音堂を確認してからのことである。
CO:どのくらい掘ったらいいのでしょうね?
CL:土石流で埋まっているので・・・。
※上郷馬頭観音お御堂付近の現地調査では、土石流の痕跡が確認できなかった。偉大な存在者は、私がタエの実在証拠を求めて掘り起こすことを予想して、土石流によって骨を見つけることができない、といった予防線を張ったのではないかと疑った。しかし、2012年になって、私の読者がネット検索によって渋川市のハザードマップを見つけ出した。ハザードマップによれば、上郷馬頭観音お御堂付近には、過去に土石流被害のあったことが確認できた。偉大な存在者の告げた「土石流に埋まっているので」という語りは本当であった。
CO:ちょっと掘れない。でも、埋まっているのは間違いない?
CL:はい。
CO:分かりました。それ以外に、もっと何とかなる方法で、おタエさんの存在を証明する何かがありませんか? たとえば、おタエさんを、村の人たちが供養のために何かしていませんでしょうか?
CL:何も残してはおりません。村は洪水で壊滅状態になりました。
※偉大な存在者の告げている「村」は、渋川村を指していない。「田畑少々水入る 人壱人流」が渋川村の被害報告である。壊滅状態にはほど遠い被害である。渋川村より上流の村々の洪水被害を指している。ちなみに、すぐ上流にある川島村(現渋川市川島地区)では「家百一三間(軒)、人七六人、馬三六疋」の被害報告があり、まさに壊滅状態であった。
CO:おタエさんのことは、郷土史か何かの記録には残っていませんか? 語り継ぐ人はいませんでしたか?
※「浅間焼泥押」被害に限らず、渋川市に伝わる人柱伝説の文書等の有無を渋川市史編集委員である郷土史家に調査していただいたが、人柱伝説の類は発見できなかったという回答を得ている。どうやら、タエの人柱については「何も残してはおりません」という偉大な存在者の語りはそのまま受け取るしかないようである。村人が何も残していない理由を、このあとで「女は道具です」という語り方で、偉大な存在者は冷徹に言い放っている。
CL:たくさんの人が浅間山の噴火を記録しました。
その6に続く

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