2012年12月6日木曜日

「タエの事例」全セッション記録その6

その5からの続き
O:それはC分かっています。でも、おタエさんを記録した人はいませんでしょうか?
CL:女は、道具です。
※この偉大な存在者(守護霊)の語りは、当時の男尊女卑への痛烈な批判を含んだ冷徹な語り口であった。とりわけ、人柱になったタエが捨て子であり、記録にさえ残されることのないことへの怒りがこもっているように感じられた。、
CO:道具でしたか。それでは、おタエさんを育ててくれた名主の・・・?
CL:クロカワキチエモン。
※渋川市教委を通じて、渋川市史編集委員の郷土史家の蔵書の検索によって、当時の渋川村の名主が4名であったことが判明。そのうち一人がホリグチキチエモンであった。クロカワチエモンではなかった。2012年5月29日の再セッション(映画で公開予定)によって、クロカワキチエモンは、「クロカワのキチエモン」と呼ばれていたことをタエが語った。名主キチエモンの設置した吾妻川の船着場の石が黒かったので村の衆がそう呼んだという。つまり、「クロカワのキチエモン」は俗称であり本名ではなかった。本名をタエは知らないと語っている。ホリグチ家は初代以後明治になるまで当主は代々ホリグチキチエモンを襲名していることが判明。村の衆は、当代ホリグチキチエモンを先代、先々代と区別するために「クロカワのキチエモン」と俗称で呼んだことは信憑性が高いと思われる。タエが語った「クロダのキチエモン」も同様の俗称であった。こうして、このセッション(2005年6月4日)以来の謎であった、タエがクロダキチエモン、偉大な存在者がクロカワキチエモンと別性をそれぞれ語った理由の解決が、7年後の2012年になって決着した。ただし、なぜ、全部お見通しであるはずの偉大な存在者(守護霊)が、俗称の「クロカワのキチエモン」を語り、本名のホリグチキエモンを語らなかったのかという謎が浮上する。偉大な存在者(守護霊)は、本名を知っていて敢えて語らなかったということだろうか。偉大な存在者(守護霊)が本名をズバリ語ったとすれば、通常では検索不可能に近い資料でしか検索できないだけに、偉大な存在者(守護霊)の実在の可能性の濃厚な証拠になる。それを韜晦するための計らいがあるのかも知れない。あるいは、別姓の語られた謎に、私がどこまで肉薄できるのかを試されたのかも知れない。
CO:そのクロカワキチエモンと連れ合いのハツは名主でしたから、その記録は残っているでしょうか?
CL:残っています。
CO:どこへ行けばわかりますか? 図書館へ行けば分かりますか? それとも?
CL:・・・資料はあります。
※この偉大な存在者(守護霊)の語りも謎である。資料のありかをズバリ語らず韜晦しているとしか思えない。クロカワキチエモンがホリグチキチエモンであることの特定ができる資料は郷土史家の個人蔵書で確認できた。後の調査で、ハツの実在を確認できる有力資料である寺の過去帳は、同和問題の関係から開示はされていない。当時の人別帳は焼失して現存していない。墓石からの発見も、200年前の古い墓碑銘が読み取れず空振りであった。
CO:そこにハツの記録も残っているでしょうか? 多くのみなし子を育てたことぐらいは残ってるでしょうか?
CL:たくさんの文書は洪水で流され、田畑(でんばた)の帳簿、村の様子など書き記(しる)したものは、ほとんどありません。
CO:分かりました。そうすると、おタエさんの存在そのものの裏付けを取ることは、現在のわれわれには無理ですね。
CL:はい。
CO:ただ、馬頭観音のお堂の下に、おタエさんの左腕が、土石流の下に埋まっているのは間違いないですね。
CL:はい。
CO:なぜ、片腕が馬頭観音様の下に埋められることになったのですか?
CL:雷神様を乗せる馬を守るために、タエの左腕が供えられたのです。
※2012年5月のタエの再セッションで、タエは馬も一緒に橋の柱に繋がれていたと語っている。
CO:それは切り落とされたわけですか? 刀によって?
CL:そうです。
※左腕を切り落とされた重大事をタエは語っていない。これも大きな謎として残った。このセッションから7年後、2012年5月29日の再セッション(映画で公開予定)で、タエにと尋ねたところ、人柱として送り出される酒宴で、ご馳走とともにキチエモンから酩酊するまで酒を飲まされたこと、左腕を切り落とされたことは分からないが、左腕の付け根が「熱い」と語った。酩酊状態で鋭利な脇差しなどで一気に切り落とされた場合、「痛い」ではなく、「熱い」という感覚が残ることはありうるとの外科医の見解を得ている。おそらく、人柱として死を前にしたタエの恐怖心を麻痺させ、左腕を切り落とす痛みをなくすために酩酊させたと推測できる。
CO:それにタエさんは耐えたわけですか。
CL:そうです。
CO:それはタエさんが望んで腕を差し出したわけですか?
CL:違います。馬が必死で暴れるので抑えるために、タエの腕を馬の口取りのために馬頭観音に捧げることになりました。
※ここで言う「口取り」の意味を里沙さんは知らない。ビールの口取りなら知っているという。ここで言う口取りとは、馬の轡に付けた手綱を持って引くことである。この意味の口取りは現代ではほぼ死語であり、競馬関係者くらいしか用いない。
CO:分かりました。もう一つ、あなたは偉大な存在者なので、私の探究が許されるなら、魂がおタエさんの後、里沙さんに生まれ変わるまでの間に、もし、生まれ変わりがあるとしたら、そこへ里沙さんをもう一度行かせることはいいでしょうか?
CL:はい。
CO:ありますか、やっぱり。
CL:はい。
CO:あなたならすべてお見通しなので聞きますが、里沙さんの魂は、今までどれくらい生まれ変わりを繰り返したのでしょうか? 回数、分かりますか?
CL:長く繰り返している。
CO:一番古くはどんな時代でしょう?
CL:天明、タエが初。
※引き続いてのセッションで分かるが、タエ→ラタラジュー→里沙と3回の生まれ変わりをしている。
CO:もう一つ聞きます。その魂はいったいどこから生じるのでしょう?
CL:中間の世界。
CO:そうすると、あらゆる魂はもともと一つのところから生まれてくるのですか?
CL:中間の粒子が魂に生まれ変わります。
CO:中間の世界で粒子が魂になる。
CL:そうです。
CO:魂は永久に生まれ変わりを続けるわけでしょうか?
CL:粒子の色が消えると、生まれ変わりはなくなります。
CO:その魂は、中間の世界に留まることができるのですか?
CL:わたしの一部になります。
※この「わたし」とは、偉大な存在者であり、守護的存在である。魂がそうした存在の一部になる、という謎の語りは、偉大な存在者であり、守護的存在であるものがスピリチュアリズムが説く「類魂(グループソウル)」でもあると考えられる。ただし、同レベルの霊的進化・成長を遂げた魂の共同体である「類魂(グループソウル)」が、守護的存在として一つの意志を持つ人格のような働きをするということを聞いたことがない。しかし、スピリチュアリズムでは、生まれ変わりの旅に出る魂は、類魂全体の成長進化をも担って、類魂から分かれ出ると言われている。とすれば、類魂全体が一つの意志的存在として働くのかも知れない。このことを2009年5月の「ラタラジューの事例」セッションで、里沙さんの守護霊を呼び出して尋ねたところ、守護霊は類魂としての守護霊であると回答している。さらに、ハイヤーセルフと呼んでもいいとも回答している。
CO:分かりました。ありがとうございました。わざわざお呼び立てして、申し訳ありませんでした。でも、随分いろんな勉強になりました。
※ここで「タエの事例」は終了です。ただし、引き続いてタエの次の生まれ変わりを探ったセッションを続けました。そこで、ラタラジューが1回目の顕現化をすることになります。次回に紹介します。
その7に続く

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