2012年2月25日土曜日

グレン・ウィリストンはなぜ?

このブログに興味のある方は、グレン・ウィリストン/飯田史彦編集『生きる意味の探究』徳間書店、1999を読んでおいでだろうと思います。
最近この『生きる意味の探究』を読み直し、ウィイリストンほどの前世療法家がなぜ?と思うことがしきりです。その「なぜ?」の部分を前掲書から4点取り出してみます。
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①ある人物が、催眠状態で、過去に生きていた人物になりきり、異なる抑揚や調子で話し始め・・・P23
②彼女は過去生へと戻っていたのだ。彼女の名前は、もはやジャネットではなくメアリーだった・・・私の耳に聞こえる声は、東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた・・・P26
③退行催眠中に、まったく別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら、その話の中に割り込むことができなかった。このような「意識の分割」は、過去生の退行中に必ずと言っていいほど見られる非常に面白い現象である。私はのちに、多くの人々からこの現象を何度も観察するようになった。・・・・P61
④過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる・・・P121
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上記抜き書きの①と②を読む限り、ウィリストンは、セッション中のクライアントの語りをあくまで「前世記憶の想起」であるととらえていると思われます。
それは「過去に生きていた人物になりきり」や、「過去生へと戻っていたのだ」というウィリストンの文言から明らかなように思われるからです。どこまでもクライアント自身の想起する前世記憶だととらえているのです。
しかし、③では、「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じながら、その話の中に割り込むことができなかった」というクライアントの「意識の分割」状態を述べています。
また、④ではウィリストンが「過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて、催眠中にけげんなそうな表情を浮かべる」という奇妙な現象を述べています。
私が? に思うのは、③④の意識現象をきちんととらえているにもかかわらず、なぜ相変わらず「前世記憶の想起」という解釈にこだわるのか? という点です。
③のように、「別の人格が自分の身体を通して語っているのを感じ」るのであれば、前世の人格が顕現化してクライアントの身体を通して自己表現しているのだ、とありのままに解釈するべきでしょう。
②「東部訛りの成人女性の声から、ソフトな響きの英国少女の声に変わっていた」というクライアントの声の変質状態を観察しながら、英国少女の前世人格が顕現化したと、なぜ考えないのか。
また、④のように、「過去生の人格が知る由もない文明の利器の名前を出すと、クライアントは驚いて・・・けげんそうな表情を浮かべる」ことを、ありのままに解釈すれば、「けげんそうな表情」を浮かべるのはクライアントではなく、顕現化している「過去生の人格」なのだと考えるべきでしょう。
これまで、「何千人もの人々と」前世療法をおこなってきた(P23)ウィルストン が、ついに,
「前世人格の顕現化現象」という仮説を持たなかったのか、私には不思議でなりません。
おそらく、「あなたは、トンネルを抜け、過去の場面に到達するでしょう」、「目の前に展開している過去の場面を見ていきます」(P316)などの誘導法に、最初から含意されている「前世の記憶場面を想起する」という常識的先入観、大前提から、ついに脱することができなかったからだ、と私には思われます。
そして、不可解なことは、「生まれ変わりの真実性は証明不要なほど確かな事実だ(P96)」と断言しているにもかかわらず、「前世の記憶」がどこに存在しているのかについて一切言及していないことです。
このことは、ブライアン・ワイスも同様です。
まさか脳内に存在していると思ってはいないでしょうに。
私の知る限り、前世療法中のクライアントの語りを、「クライアントとは別の前世人格が顕現化してクライアントの身体(脳)を通して自己表現しているのだ」という解釈をしているのは、応答型真性異言を発見したイアン・スティーヴンソンだけです。彼は、「トランス人格(催眠性トランス状態で現れる前世の人格)」が顕現化して、応答型真性現現象を起こしていると表現しています。
しかし、スティーヴンソンも、「トランス人格」の存在する場については言及していません。
そして私は、顕現化する前世人格の存在の場は、「魂の表層」であり、しかも、今も当時のままの感情をもって生きて存在している、という作業仮説を立てています。
したがって、セッション中に私が対話する相手は、クライアント自身ではなく、クライアントの魂の表層から顕現化した前世人格とであり、しかも現在進行形で対話していると考えています。
この仮説に自信を与えたのが「ラタラジューの事例」でした。
このような途方もない前提でおこなうSAM前世療法は、世界唯一のものだと自負しています。
特許庁は、SAM前世療法を独自の前世療法として第44類の商標登録を認めてくれたのです。

2012年2月19日日曜日

SAM前世療法における前世人格の顕現化という現象

SAM前世療法における前世人格の顕現化現象


SAM催眠学のもっとも大胆、奇怪な作業仮説は、「前世の記憶」にアクセスするのでなく、魂の表層に存在する「前世人格」にアクセスするという方法論をとっていることでしょう。

私の知る限り、「前世人格にアクセスする」という明確な作業仮説のもとにおこなっている前世療法士は海外を含めて皆無です。

それほど認めがたい作業仮説だろうと思われます。
また、私あて霊信が教示した魂の構造から生み出された作業仮説であり、人間が考えた仮説ではありません。

前世人格とは、つまりは死者であり、その死者である前世人格を顕現化させ対話することは、死者との対話をすることになるからです。

しかし、この作業仮説を裏づけ、顕現化した前世人格の実在が検証できた事例が確かに存在し、その映像と音声の証拠記録が残っています。

それが「ラタラジューの事例」と「タエの事例」にほかなりません。

前世人格ラタラジューは次のような、現在進行形でのきわめて象徴的な対話をしています。
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注:CLは被験者里沙さん、KAはネパール語対話者ネパール人カルパナさん

CL  Tapai Nepali huncha?         
   (あなたはネパール人ですか?)

KA  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)

CL  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)
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この短いやりとりの重要性は、ついうっかり見落とすところですが、現れた前世人格のありようについて、きわめて興味深く示唆に富むものだと言えます。

それは、前世人格の顕現化というSAM催眠学の作業仮説が成り立つことを裏づけるものだからです。

つまり、前世人格ラタラジューのありようは、ただ今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、ただ今、ここで、問いかけ、その回答を求めているわけで、「里沙さんの潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。

ラタラジューは、前世記憶の想起として里沙さんによって語られている人格ではないのです。
里沙さんとは別人格として現れている、としか考えられない存在です。

その「別人格である前世のラタラジューが、里沙さんの肉体(声帯と舌)を用いて自己表現している」と解釈することがもっとも自然な解釈ではないでしょうか。

前世を生きたラタラジュー人格は、肉体こそ持たないものの、ただ今、ここに、存在している人格(意識)として現れており、現在進行形で会話しているのです。

この現在進行形でおこなわれている会話の事実は、潜在意識の深淵には魂の自覚が潜んでおり、そこには前世のものたちが、今も、生きて、意識体として存在している、というSAM催眠学独自の作業仮説が正しい可能性を示している検証の証拠であると考えています。

ところで、生まれ変わり研究の先駆者、とりわけ生まれ変わりの最有力な証拠である応答型真性異言の研究者であるイアン・スティーヴンソンも、応答型真性異言の実験セッションにおいて次のように述べ、私と同様の見解を示しています。

ちなみにこの被験者女性は、アメリカ人女性で、退行催眠下で学んだことのないドイツ語で応答的会話した応答型真性異言「グレートヒェンの事例」の被験者です。
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私自身は、この被験者を対象にした実験セッションに4回参加しており、いずれのセッションでも、トランス人格たるグレートヒェンとドイツ語で意味のある会話をおこなっている。(『前世の言葉を話す人々』春秋社、P9)

ドイツ人格とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた。そして、それに成功し、この新しいトランス人格は、自分を「Ich bin Gretchen(私はグレートヒェンです)」と名乗ったのである。
(前掲書P11)
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スティーヴンソンも、この事例において、被験者が記憶を想起して会話しているのではなく、呼び出し顕現化した「トランス人格」自身が会話をした、という解釈をするしかなかったのです。

ただし、彼の用いた「トランス人格」という語は両義性を含んでおり微妙です。

なぜなら、トランス人格とは、退行催眠下のトランス状態で顕現化した人格一般を指すのであり、それが被験者の前世人格であるのか第三者の憑依人格(憑依霊)であるのかは不明であるからです。

慎重・厳密な科学者であるスティーヴンソンは、その判断を留保し、トランス人格という語を用いたと思われます。

穿った推測をすれば、グレートヒェン人格を前世人格だと判断した場合、その前世人格はどこに存在しているのかが問題となることを回避したかったのかもしれません。

いずれにせよ、応答型真性異言現象を目の当たりにした者は、その応答的会話をする主体を、被験者が記憶を想起して語っているのではなく、被験者とは別個に顕現化している人格自身であると認識せざるをえないということを私は主張したいのです。

SAM催眠学に基づくSAM前世療法では、魂の表層は生まれ変わりをした前世諸人格によって構成されており、その前世人格を呼び出し、対話するという作業仮説に基づいてセッションを展開します。

ラタラジューはそのようにして、魂表層から呼び出し、顕現化させた前世人格です。

SAM前世療法の他のセッションにおいても、同様にして呼び出した前世人格が、応答型真性異言現象を示さないにしても、その前世人格を、すべて被験者の願望や潜在記憶が投影された架空人格(偽造人格)だと切り捨てることはできない、と考えています。

2012年2月14日火曜日

「ラタラジューの事例」セッション中の意識状態

前ブログ記事で、SAM前世療法において顕現化した人格が、前世人格か憑依人格かの判断の指標として、、
①被験者に現れた人格の会話中の記憶の有無
②被験者に現れた人格と自分との同一性の自覚の有無
を区別するための仮説として設定しています。
筆者の判断の根拠になっている、被験者里沙さんのセッション中の内観記録を下記に掲載します。
この記録はセッション10日後に書いていただいたものです。
ラタラジュー霊の憑依を主張する人は、この内観記録が憑依されている最中の被験者の書いたものと考えられるでしょうか。
それとも憑依霊は、セッション中にだけ憑依して、終われば離れるということでしょうか。
ちなみに、応答型真性異言発話中の意識内容の記録は世界的にも一切なく、被験者里沙さんの手記はきわめて貴重なものです。
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セッション中とその後の私の心情を述べたいと思います。
こうした事例は誰にでも出現することではなく、非常に珍しいことだということでしたので、実体験した私が、現世と前世の意識の複雑な情報交換の様子を細かく書き残すのが、被験者としての義務だと考えるからです。
思い出すのも辛い前世のラタラジューの行為などがあり、そのフラッシュバックにも悩まされましたが、こうしたことが生まれ変わりを実証でき、少しでも人のお役に立てるなら、すべて隠すことなく、書くべきだとも考えています。
ラタラジューの前に、守護霊と稲垣先生との会話があったようですが、そのことは記憶にありません。
ラタラジューが出現するときは、いきなり気がついたらラタラジューになっていた感じで、現世の私の体をラタラジューに貸している感覚でした。
タエのときと同じように、瞬時にラタラジューの78年間の生涯を現世の私が知り、ネパール人ラタラジューの言葉を理解しました。
はじめに稲垣先生とラタラジューが日本語で会話しました。なぜネパール人が日本語で話が出来たかというと、現世の私の意識が通訳の役をしていたからではないかと思います。
でも、全く私の意志や気持ちは出て来ず、現世の私は通訳の機器のような存在でした。
悲しいことに、ラタラジューの人殺しに対しても、反論することもできず、考え方の違和感と憤りを現世の私が抱えたまま、ラタダジューの言葉を伝えていました。
カルパナさんがネパール語で話していることは、現世の私も理解していましたが、どんな内容の話か詳しくは分かりませんでした。
ただ、ラタラジューの心は伝わって来ました。
ネパール人と話ができてうれしいという感情や、おそらく質問内容の場面だと思える景色が浮かんできました。
現世の私の意識は、ラタラジューに対して私の体を使ってあなたの言いたいことを何でも伝えなさいと呼びかけていました。
そして、ネパール語でラタラジューが答えている感覚はありましたが、何を答えていたかははっきり覚えていません。ただこのときも、答えの場面、たとえば、ラタラジューの戦争で人を殺している感覚や痛みを感じていました。
セッション中、ラタラジューの五感を通して周りの景色を見、におい、痛さを感じました。
セッション中の前世の意識や経験が、あたかも現世の私が実体験しているかのように思わせるということを理解しておりますので、ラタラジューの五感を通してというのは私の誤解であることも分かっていますが、それほどまでにラタラジューと一体化、同一性のある感じがありました。
ただし、過去世と現世の私は、ものの考え方、生き方が全く別の時代、人生を歩んでいますので、人格が違っていることも自覚していました。 
ラタラジューが呼び出されたことにより、前世のラタラジューがネパール語を話し、その時代に生きたラタラジュー自身の体験を、体を貸している私が代理で伝えたというだけで、現世の私の感情は、はさむ余地もありませんでした。
こういう現世の私の意識がはっきりあり、片方でラタラジューの意識もはっきり分かるという二重の意識感覚は、タエのときにはあまりはっきりとは感じなかったものでした。
セッション後、覚醒した途端に、セッション中のことをどんどん忘れていき、家に帰るまで思い出すことはありませんでした。
家に帰っての夜、ひどい頭痛がして、頭の中でパシッ、パシッとフラッシュがたかれたかのように、ラタラジューの記憶が、再び私の中によみがえってきました。
セッション中に感じた、私がラタラジューと一体となって、一瞬にして彼の意識や経験を体感したという感覚です。
ただ全部というのではなく、部分部分に切り取られた記憶のようでした。カルパナさんの質問を理解し、答えた部分の意識と経験だと思います。
とりわけ、ラタラジューが、カルパナさんに「あなたはネパール人か?」と尋ねたらしく、それが確かめられると、彼の喜びと懐かしさがどっとあふれてきたときの感覚はストレートによみがえってきました。 
一つは、優しく美しい母に甘えている感覚、そのときにネパール語で「アマ」「ラムロ」の言葉を理解しました。母という意味と、ラタラジューの母の名でした。
二つ目は、戦いで人を殺している感覚です。ラタラジューは殺されるというすさまじい恐怖と、生き延びたいと願う気持ちで敵に斬りつけ殺しています。
肉を斬る感覚、血のにおいがするような感覚、そして目の前の敵が死ぬと、殺されることから解放された安堵で何とも言えない喜びを感じます。何人とまでは分かりませんが、敵を殺すたびに恐怖と喜びが繰り返されたように感じました。
現世の私は、それを受け入れることができず、しばらくの間は包丁を持てず、肉料理をすることが出来ないほどの衝撃を受けました。前世と現世は別のことと、セッション中にも充分過ぎるほどに分かっていても、切り離すのに辛く苦しい思いをしました。
三つ目は、ネパール語が、ある程度わかったような感覚です。時間が経つにつれて(正確には夜、しっかり思い出してから三日間ほどですが)忘れていってしまうので、覚えているうちにネパール語を書き留めてみました。アマ・ラムロもそうですが、他にコド・ラナー・ダルマ・タパイン・ネパリ・シャハ・ナル・ガウン・カトマンズ・ブジナ・メロ・ナムなどです。
 
四つ目は、カルパナさんにもう一度会いたいという気持ちが強く残り、一つ目のことと合わせてみると、カルパナさんの声はラタラジューの母親の声と似ていたのか、またはセッション中に額の汗をぬぐってくれた感覚が母親と重なったのか(現世の私の額をカルパナさんが触ったのに、ラタラジューが直接反応したのか、現世の私がラタラジューに伝えたのか分かりませんが、一体化とはこのことでしょうか?)母を慕う気持ちが、カルパナさんに会いたいという感情になって残ったのだろうと思います。
セッション一週間後に、カルパナさんに来てもらい、ネパール語が覚醒状態で理解できるかどうか実験してみましたが、もう全然覚えてはいませんでした。
また、カルパナさんに再会できたことで、それ以後会いたいという気持ちは落ち着きました。
以上が今回のセッションの感想です。
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以上の内観記録によれば(ゴチック部分は筆者によるもの)、
①顕現化した人格の真性異言発話中の記憶が明確にある。
②顕現化した人格と自分との同一性の自覚が明確にある。
ことを読み取ることが容易にできます。
里沙さんにとって異物である憑依霊に対して、ゴチック部分のような意識が生じるとは考えにくいと思います。
里沙さんの現世の意識と、生まれ変わりによってつながりを持つ前世人格の意識であるからこその自覚だと思われます。
したがって、この真性異言実験セッションで顕現化したラタラジューは、被験者里沙さんにとって異物である憑依人格ではなく、生まれ変わり関係でつながっている前世人格であると判断できると思います。

2012年2月13日月曜日

「ラタラジューの事例」は憑依現象ではないかという疑問に答える

これまでの前3つのブログで、ラタラジュー人格がネパール語で対話できていること、しかも、そのネパール語は古い時代のネパール語である痕跡があることを検証してきました。
こうして、確かにラタラジューという人格が顕現化し、ネパール語対話をしていることを認めた場合に、この人格が本当に里沙さんの前世人格であるのか、「里沙さんとは無関係の憑霊人格」ではないのか、という疑いが生じてきます。
前世人格か憑霊人格かをどう判断するか、というようなやっかいな難問を抱えざるをえないのは、SAM前世療法が、「前世記憶の想起」というワイス式の考え方に立たず、「前世人格を顕現化させる」という作業仮説に立っているからこそ生じる必然的な問題です。
しかし、この難問を回避することはできません。
SAM前世療法の存立にかかわる重大問題だからです。
放置すれば、SAM前世療法は憑霊療法になりかねないからです。
実際に、アンビリを視聴した霊能者を名乗る人物から、「ラタラジューの事例」は憑依現象だ、という根拠のない決めつけのブログ記事がネット上に公開されています。
こうした誤解を受けることは、SAM前世療法の創始者として耐え難いことです。
そして、被験者里沙さんに、申し訳ないという思いでいっぱいになります。
しかし、前世人格と憑霊人格の見分けに関わる先行研究はありません。
そもそも、前世療法において、「前世人格の顕現化」という作業仮説を立てて実践しているのは、唯一SAM前世療法しかありません。
前世記憶の想起を前提にしているワイス式では起こりようがない問題です。
したがって、先行研究があるはずがないのです。
そこで、里沙さんにおこなった守護霊の降霊実験の考察と、宗教学のシャーマニズム研究、筆者のおこなってきたSAM前世療法の考察などから、次のような見分けの指標の見解を持つことが妥当であろうと思っています。
前世人格か憑依人格かを見分ける最後のよりどころは、結局、自我を形成する魂は、おのれの前世人格であるか、他者である憑霊人格であるかを、魂自身が根源であるがゆえに、見誤ることはあり得ない、という一種の信念に立ち返ることにしかないように思われます。
筆者が里沙さんにセッションから間を置かないで、セッション中の意識状態を内観して記録するようにお願いしたのは、最後は里沙さん自身の「魂」を信頼するしか見分けの指標はないと思っていたからです。
そして、そこから次のようなことが言えると思います。
①SAM前世療法の作業仮説として、ラタラジューは「魂の表層」から呼び出している。
魂がおのれの一部である前世人格と、「異物」である憑霊人格と見誤ることはあり得ない。
ゆえに、里沙さんの「セッション中の意識状態」の内観記録を信頼することは道理に適っている。
②SAM前世療法の経験的事実として、ラタラジュー霊が最初から憑依しているとすれば、里沙さんが魂状態の自覚に至ることを妨害する。したがって、魂状態の自覚に至ることができない。しかし、事実はすんなり魂状態の自覚に至っている。つまり、憑依霊はいないということになり、ラタラジューという霊が最初から憑依していた可能性はまずあり得ない。
③魂の自覚状態では、霊的存在の憑依が起こりやすくなる。未浄化霊も高級霊も憑依することはセッションに現れる意識状態の事実である。したがって、魂状態に戻ったときをねらってラタラジュー霊が憑依した可能性を完全に排除できない。
しかし、四年前の最初のセッションで、タエの次の前世としてすでにラタラジュー人格は顕現化している。
今回も、ラタラジューという前世人格を魂の表層から「呼び出して」顕現化させた。
憑依が、呼び出しによって起こった可能性は考え難い。
もし、呼び出しによって憑依が起こるとすれば、SAM前世療法で現れた人格はすべて憑霊人格ということになりかねない。
④SAM前世療法の治療構造仮説は、呼び出した前世人格との対話によって、その前世人格が癒され、それをモニターしている現世の意識も連動して癒しを得る、ということである。
前世人格ではなく、異物である憑霊人格を癒して、これと関係の全くない現世の意識が連動して癒されるとは考えにくい。
⑤第一に現世意識が、憑霊人格を異物として感知しないとは考えにくい。
里沙さんは、明らかにラタラジュー人格とおのれとの同一性の自覚があると報告しており、ラタラジューを異物として感知していない。
第二に憑依が起きたとすれば、憑依霊によって人格を占有されるわけで、その間の記憶(モニター意識)は欠落する。
これは宗教学のシャーマニズム研究の報告とも一致する。
シャーマンは憑依状態の記憶が欠落することが多いとされている。
里沙さんは、ラタラジューが対話している間の記憶が明瞭にあると報告している。 
さらに、彼女の場合には、守護霊降霊中の記憶は完全に欠落することが、過去三回の守護霊の降霊実験から明らかになっている。
ラタラジューの会話中の記憶があるということは、ラタラジューが憑依霊ではない状況証拠である。
憑依現象ならば、その間の記憶は完全に欠落しているはずである。
しかも、ラタラジューには、真性異言対話実験後、魂の表層に戻るように指示し、戻ったことの確認後催眠から覚醒してもらった。
SAM前世療法の経験的事実として、ラタラジューが憑依霊であれば、筆者の指示に素直にしたがって憑依を解くとは考えられない。
もし、ラタラジューが憑依霊であれば、高級霊とは考えにくく、未浄化霊であろう。とすれば、憑依を解くための浄霊の作業なしに憑依が解消するとは考えられない。
⑥SAM前世療法の経験的事実として、魂状態に戻ったときに憑依した霊は、筆者の問いかけに対して、未浄化霊の場合は救いを求める憑依であることを告げる。
沈黙をしているときは、「悪いようにはしないから正体を現しなさい」と諭すと未浄化霊であることを認める。
手強い沈黙に対しては、脳天に手をかざして不動明王の真言を唱えると正体を現す。
このとき、クライアントは痙攣、咳き込み、のけぞりなどの身体反応を示す。
⑦里沙さんは、2005年の「タエの事例」以後、他者に憑いている霊や自分に憑こうとしている霊を感知し、それは悪寒という身体反応によって分かると報告している。
ある種の霊能らしきものが覚醒したと思われる。
このような里沙さんが、ラタラジュー霊の憑依を感知できないとは考えられない。
憑依であるなら、彼女が自ら感知し、何らかの違和感を訴えるはずである。  
こうした諸事実から、ラタラジューが里沙さんの前世人格ではなく、まったく別人格の憑霊現象だとするのでは、説明が収まりにくいと考えられます。
 
以上述べてきた考察から、筆者は、「顕現化した人格に対する同一性の自覚の有無」と「顕現化中の記憶の有無」が、前世人格と憑依人格を線引きできる一応の指標になると考えています。
「ラタラジューの事例」の場合、里沙さんには、ラタラジューに対して自分の前世の者であるという「同一性の自覚」が明確にあり、ラタラジューがネパール語らしき言語の発話中の記憶がある、と述べています。
したがって、ラタラジュー霊の「憑霊仮説」は、棄却してよいと判断できると思われます。
次のブログで、里沙さんのセッション中の意識状態の内観記録を紹介して、筆者の判断の妥当性を検証したいと思います。
コメン

2012年2月11日土曜日

「ラタラジューの事例」への反論と再反論その3

前世人格ラタラジューがネパール語で対話していること、しかも公式のネパール語ではなく、地方色の濃いネパール語単語を知っている痕跡について紹介しておきます。
もちろん、二人の反論者の言うような、空耳の羅列として聴き取れるものではありませんし、ネパール語を知らない話者が、話せるはずのない単語です。
拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』P55に、下記のような里沙さん(ラタラジュー)と対話者カルパナさんのネパール語対話逐語録があります。
KAはネパール語話者カルパナさん、CLは里沙さんです。
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KA  Tapaiko srimatiko nam ke re? 
   (奥さんの名前は何ですか?)
CL  Oh jirali
   (おー、ジラリ)※意味不明
KA  Srimati, swasniko nam?  
   (奥さん、奥さんの名前?)
CL  Ah ... ah ... mero swasni Ramel...Rameli.
   (あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)
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うっかり聴き逃す会話個所ですが、注目すべきは、カルパナさんが、で妻という単語を srimati と用いたときには、ラタラジューは意味不明な Oh jirali  と答えていることです。
そこで、カルパナさんは、で srimati とともに妻を意味するもう一つの swasni という別の単語を並べ加えて再度尋ねています。
すると、ラタラジューは、mero swasni Ramel...Rameli.(私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)と答えています。
つまり、①で用いられた妻を意味する srimati ではその意味が理解できないとも受け取れる反応を示したのに対し、②で用いられたもう一つの妻を意味する swasni にはきちんと意味を理解して反応し、mero swasni Ramel..のように答えています。
どうも、ラタラジューには妻を意味する単語 srimati の意味が理解できず、 同義語 swasni なら理解できると言えそうです。
このことは、なにを意味しているのでしょうか。
中部大学のネパール人客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士によれば、
srimati は公式の一般的ネパール語であり、swasni は非公式、地方色の濃い語であるということです。
そして、swasni なら理解できるが srimati が理解できないという事態は、昔のネパール人やネパール語を母語としないタマン族のようなネパール人ならありうる、ということだそうです。(大門正幸『スピリチュアリティの研究』P68)
以上のような解釈に立てば、前世人格ラタラジューは、タマン族が97%(2010年現在)を占めるナル村の住人であり、100年程度昔の人間であるからこそ、公式のネパール語で妻を意味する srimati が理解できず、非公式の用語 swasni しか理解できないことは当然だと言えそうです。
つまり、 srimati の意味が理解できず、 swasni なら理解できるということは、ラタラジューがかなり昔のタマン族のネパール人として実在していた有力な状況証拠だと判断できると思われます。
同時に、仮に里沙さんが密かにネパール語を学んでいたとしても、非公式で地方色の濃い swasni というネパール単語を学ぶ可能性は、ほとんどありえないでしょうから、里沙さんが密かに、どこかで、誰かにネパール語を学んでいるはずだ、という疑いも晴れるということになります。
ちなみに、日本法医学鑑定センター(元大阪府警科学研究所長)荒砂正名氏によるポリグラフ検査でも、里沙さんがネパール語を学んだ記憶の痕跡は全くない、という鑑定結果が出ています。
詳細に分析すれば、わずか24分間のネパール語会話のなかであっても、ラタラジューが自分の実在を示す状況証拠をいくつも残してくれたことに驚くばかりです。
また、こうした発見を一つずつしていくことによって、前世人格実在の証拠固めをしていくことは、生まれ変わり研究の醍醐味でもあります。
ラタラジューは、確かに里沙さんのネパール人前世として実在していたのです。
生まれ変わりは、確かにあるのです。
そして、この生まれ変わりの事実は、生前の個性と記憶を保持している脳以外の意識体、しかも死後も存続するような意識体(魂)が存在する、と考えないと説明がつきません。
生まれ変わりが事実であれば、魂と呼ばれる意識体の存在を想定することは論理的必然です。
生まれ変わり研究の先駆者イアン・スティーヴンソンは、こうした死後存続する意識体を「サイコフォー(心搬体)」と呼ぶことを提唱しています。つまり、「心を運搬する意識体」という意味です。
生まれ変わりは科学的に証明されたのです。
百歩ゆずって、ラタラジューが前世人格ではなく、憑依人格であるとしても、「霊」の実在が証明されたと言えるでしょう。
前世人格か憑霊人格かを見分ける指標については、次のブログで私のまとめた見解を披露します。

2012年2月10日金曜日

「ラタラジューの事例」への反論と再反論その2

前ブログに紹介した「ラタラジューの事例」へのお二人の反論は、端的に言えば、
①ラタラジューの発話は空耳の羅列であり、ネパール語の応答的対話とは認められない。
②ラタラジューの応答的対話程度なら、ネパール語を学習していなくても誰でも対話が可能である。
という反論です。
つまり、お二人の反論はともに、ラタラジュー(里沙さん)が、そもそもネパール語を習得していないという主張です。要するに、応答型真性異言とは認められないというわけです。
そこで、ラタラジューがネパール語を習得していること、しかも現代ネパール語ではなく、かなり古い時代のネパール語単語を用いていると推測できる事実を紹介します。
真性異言研究チームの中部大学大門正幸教授が、『スピリチュアリティの研究』を風媒社より出版されました。
この本の後半は、共同研究者として実験セッションに立ち会った大門教授の視点から、「ラタラジューの事例」のネパール語分析が述べられています。そして、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』ナチュラルスピリット社、で私がすでに触れている同じ会話部分(同書P107)の分析の補足として次のような記述があります。
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ラタラジュー人格が話すネパール語がタマン語話者の話すネパール語、それも大変古いネパール語であることを示唆する痕跡が見つかりました。それは数字の数え方です。
死亡した年齢を聞かれたとき、ラタラジュー人格は、aaTh sattariri(アト サトリ=8と70)のように答えています。現代のネパール語では1の位を先に述べるような数え方をしないので、カルパナ氏(ラタラジューと会話した話者)はとまどいながら「70ですか?」と答えています。
カルパナ氏の反応を裏付けるように、この部分を聞いたネパール人は、口をそろえて「ネパール語としては不自然だ」と判断しました。
しかし、現地でこの点について確認したところ、78歳のプリティヴイ・ガラン氏が「確かにナル村では、昔は『8と70』という数え方をしたが、教育が普及してからそのような言い方はしなくなり、今の人に聞いてもそのような数え方を知っている人はほとんどいない」と語ってくれました。
大門正幸『スピリチュアリティの研究』風媒社、P81
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ラタラジュー人格が、死亡年齢を「8と70」、つまり、78歳だと答えたことの重要性は、4年前の1回目のセッションで、日本語で「78歳で死んだ」と明確に答えており、4年後の時点でもネパール語で、「8と70」=78歳で死亡したと死亡年齢にぶれがなかったことにあるととらえたことでした。
つまり、4年前のセッションで顕現化したラタラジュー人格と4年後に顕現化したラタラジュー人格が、同一人格であることの証明として重要性を認めたということでした。
これは、ラタラジュー人格が里沙さんの恣意的に作り出した架空の人格ではない状況証拠だと思われたからです。
大門教授のおこなったナル村現地調査で、「8と70」という年齢表示法が、かなり古いネパール語の年齢表示法として実際に使われていたという確認は、「ラタラジュー」という昔に使われた名前であることに加えて、100年程度以上の昔にラタラジューが実在した状況証拠と言えそうです。
なぜなら、ラタラジューが実在したのは、彼の語りによれば、1784年~1933年のうちの78年間であろうと推測できるからです。
「8と70」という奇妙な年齢表示をラタラジューがしたのは、古い時代のネパール語話者としてはむしろ当然の表示法であり、ラタラジューが実在した状況証拠の一つであると認定できそうです。
また、「8と70」という、現代ネパール語では用いない年齢表示法は、仮に被験者里沙さんが密かにネパール語を学習していたにしても、まず学べるはずのない年齢表示法であり、里沙さんがネパール語を学んではいないという証拠(真性異言の証拠)でもあると言えそうです。
大門教授の現地調査とは別に、筆者がナル村の現地調査を依頼したネパール在住ネパール人文化人類学者ソバナ・バジュラチャリヤ博士の調査で、ラタラジューの実在は戸籍やその他文書、34名のナル村古老への記憶聴き取り調査でも確認はできませんでした。
しかし、「8と70」という年齢表示を用いていることをはじめ、今ではほとんど口にしないコドという雑穀の食物、多くのヒルの実在、山での火葬、フラッシュバックしたナル村風景などの語りの事実の諸検証結果は、ことごとく事実と一致し、このことは、ラタラジューの実在していたことを示す状況証拠だと判断できるものです。
被験者里沙さんが当てずっぽうで語った内容が、すべてまぐれ当たりしたとはとても考えられません。
ラタラジュー人格が、ナル村の自然・生活環境を語っているからこそ、検証事実と一致したとみるべきでしょう。
しかしながら、ラタラジューの語り内容がことごとく事実であることが検証できても、里沙さんが催眠中に超ESPを駆使して入手した情報を語ったのだという「超ESP仮説」が適用され、前世人格などを想定しなくとも、生きている人間(里沙さん)の心の力(超能力)によって説明されてしまいます。
超ESP仮説は、途方もないトンデモ仮説ですが、超能力の限界が分かっていない以上、理論的には万能の超能力が発揮される可能性を排除できません。
SPR(サイキカル・リサーチ=心霊現象研究)と超心理学の100年以上にわたる死後存続証明の前に、最後に立ちはだかってきたのが、このやっかいな超ESP仮説でした。
死後存続研究者たちは、超ESP仮説がなければ、とっくに死後存続は証明されていると考えています。
したがって、ラタラジューの語り内容が事実であることが検証できても、それだけではラタラジュー実在の完全な証明にはならず、状況証拠であるに過ぎないというわけです。
したがって、なによりも強力な証拠は、ラタラジューの会話が「応答型真性異言」であることです。しかも、現代ネパール語では用いない年齢表示をしているという事実です。
会話能力は情報ではなく技能ですから、練習なしには獲得できず、超ESPによっても技能は獲得できません。
応答型真性異言の証明によって、すでにそれを話した前世人格の存在も証明されたといっていいのでしょう。
応答型真性異言の証明に加えて、さらに語り内容の検証で事実と一致すれば、ラタラジューの直接の実在証明ができなくても、「生まれ変わり仮説」以外に説明のしようがない、というのが筆者の主張です。
こうしたことから、現時点の科学的諸検証結果を検討するかぎり、私は、里沙さんという被験者においては、「ラタラジューの生まれ変わりは事実である」と宣言できると思います。
そして、里沙さんにおいて、生まれ変わりを認めたことによって、魂(生前の個性や記憶を保持し、死後存続する意識体)が実在する、と宣言できると思います。
そして、一人の被験者に起きている生まれ変わりが、他の人々にも起きている蓋然性は高い、と推測することは自然のなりゆきだろうと思います。

2012年2月8日水曜日

「ラタラジューの事例」への反論に対する再反論

ネット検索をしていたところ、「ラタラジューの事例」について下記のような目に余る二つの反論記事がありました。
黙っていると黙認したと見なされますから、証拠をもとに再反論しておきます。
下記点線内は、二人の反論者の記事の核心部分をコピペしたものです。
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反論 その1
第二の事例とされるネパール語を話したとする事例も、残念ながら空耳を羅列しただけとしか思えないバイアスのかかったものであった。
反論 その2
被験者は、自分がネパール人男性で村長であることや被験者の前世の魂であることなど、複雑で奇妙な状況を、日本語でリアルタイムで質疑応答することが出来ますが、ネパール語は名詞らしき言葉中心に単発で時折出て来るだけであり、そもそも最初から習得してないことが明らかです。
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上記2つの批判は、筆者の記述した事実(証拠)をもとにした反論ではないので、とても検討に値するものとは判断できません。
筆者は、事実(証拠)をもとに反論することが礼儀にかなうものと思っていますので、セッションの録音を起こした下記逐語録(『生まれ変わりが科学的に証明された!』PP67-69)に基づいて再反論しておきます。
なお、ネパール語対話録音音声のローマ字表記は、ネパール語を母語とする対話者パウデル・カルパナ氏(朝日大学法学部博士課程)、中部大学客員研究員ネパール人カナル・キソル・チャンドラ博士、中部大学国国際関係学部大門正幸教授らによるものです。
また記号KAは対話者カルパナ氏、CLはクライアント里沙さんの略です。( )内は邦訳です。
KA  Ke ko rog lagyo?
   (何の病気ですか?)
CL  Au ... ha .... pet.
   (あう、は、お腹か)
KA  Pet
   (お腹?)
CL  Pet dukahuncha.
   (お腹が痛い)
KA  Pet dukera?
   (お腹が痛いのですか?)
CL  Ah ... ho ... ah... guhar ... ha ...
   (あー、はい、あー、助けて。はー、はー)
KA  Pet dukera?
   (お腹が痛いのですか?)
CL  Ahu ... ho ... ah ... guhar ruha ... ha ...
   (あふー、はい、助けて。はー、はー)
KA  Ke bhayo dukhyo?
   ( 痛いのですか?)
CL  guhar ... guhar.
   (助けて、助けて)
KA  Kati barsama bitnu bhako?
   (死んだ時は何歳でしたか?)
CL  Ah ... ah ...
(あー、あー)
KA  Kati barsama ...
   (何歳でしたか?)
CL  Umer ... Mero ... umer ...
   (歳は、私の歳は)
KA  Hajur. Bite ko umer.
   (はい。死んだ歳は?)
CL  Ath satori ... ah ...
   (8と70、あー)
KA  Hajur?
   (はい?)
CL  Ath satori.
   (8と70)注78歳のこと
KA  Sattari?
   (70ですか?)
CL  Ath satori.
   (8と70)
上記の対話記録を読めば、反論その1「残念ながら空耳を羅列しただけとしか思えないバイアスのかかったもの」という批判が的を射ているとは到底判断できません。
もし、この対話記録が、「空耳」=音がしないのにしたように感じる、聞き違い、の羅列としか思えないとしたら、「あなたは難聴ではありませんか」とお尋ねしたいと思います。
この反論者1が、拙著の逐語録を読んでいないとしても、アンビリの視聴からだけでも空耳の羅列には聴き取れないはずです。そもそもアンビリ制作ディレクターが「空耳」にしか聞こえないような、いい加減なセッションビデオを放映するはずがないではありませんか。
それとも、アンビリはエンターテイメント番組だから、内容がいかがわしく、信頼性に欠けるということでしょうか。
おそらく、応答型真性異言という唯物論に真っ向から対立する現象などハナからありえない、というバイアスのかかった思い込み、決めつけから生じている偏見・誤解のなせるわざだろうと思われます。
反論その2「ネパール語は名詞らしき言葉中心に単発で時折出て来るだけであり、そもそも最初から習得してないことが明らかです」についても、上記逐語録のどこをどう読むと、このような反論が出てくるのか、まったく理解不能です。この反論者は、拙著を読んだと書いています。
上記ラタラジューの応答のどこが「ネパール語の名詞らしき言葉が単発で時折でてくるだけ」になるのでしょうか。名詞が単発で時折出てくるだけの応答で対話が成り立つはずがありません。
それとも上記逐語録は、対話が成り立っていないと強弁するのでしょうか。
さらに聞き捨てならないのは、「そもそも最初から(ネパール語を)習得していないことが明らかです」というとんでもない主張です。
この主張の裏を返せば、ネパール語を習得していなくても、里沙さん程度の応答的ネパール語対話は誰でもできる、という強弁をしていることになります。
そうであるならば、ネパール語をまったく習得していない人をつかまえて、ネパール人と対話させ、30程度の単語を用いて意味の通じる対話を数分間できる、という証明をしてみせなさい、と反論したいと思います。
ちなみに、里沙さんは対話者カルパナさんの用いていないネパール語単語として、名前を除く29の単語を発話しています。
また、里沙さん(顕現化したラタラジュー人格)は、別の対話個所で
Mero buwa Grokha・・・mero buwa Tamang hunnuhuncha(わたしのお父さんはグルカ、私の父はタマン族です)
というように、ネパール語の「です」に当たる hunnuhuncha という単語を正しく用いています。
「です」に当たるネパール語は一人称ではhu、二人称と尊敬語では hunnuhunchaに変化します。三人称ではhoに変化します。
里沙さん(顕現化したラタラジュー人格)は、お父さんという尊称に対応したhunnuhuncha(です)に正しく変化させて用いています。
これらのことは、拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』PP96-98に記述してあります。
反論その2の反論者は、こうした拙著の記述を読んだうえで、ネパール語を習得していなくても、この程度のネパール語対話なら誰にでも可能である、と主張しています。こんな滅茶苦茶な強弁が通ると考える思考力を疑います。
この反論者も、唯物論以外を認めようとしない人に違いありません。
唯物論科学に真っ向から対立する生まれ変わりを科学的事実として受け入れることは、たしかにとんでもないことです。
唯物論的死生観・世界観の変更を迫られるにとどまらず、その影響力は心理学・医学・政治・社会へと途方もない広がりを持つことになるでしょう。
だからといって、生まれ変わりの最有力証拠を示す応答型真性異言「ラタラジューの事例」を、きちんとした反証を示さず、「そんな非科学的現象が起こるはずがない」と切って捨てることは科学的ではありません。
生まれ変わりの事実を絶対認めたくない人は、生まれ変わりを否定する証拠をもって反論する以外に方法はありません。
同様に、「ラタラジューの事例」を否定したければ、アンビリの映像や拙著の記述内容というきちんとした証拠に基づいて反論するのが科学的態度というものです。
そして、そうした反証を示すことができなければ、いかに唯物論に対立する生まれ変わりを示す現象であろうと、事実の前に唯物論者は謙虚であるべきだと思います。
「ラタラジューの事例」が唯物論科学で説明不可能であれば、現行の唯物論科学では説明できない別の説明体系が存在する可能性を認めるしかありません。
生まれ変わりを裏づける証拠のような重大な問題の場合、完璧なもの以外は証拠として認めないと言うのであれば、この問題が重要であるからこそ、不完全なものであろうと可能性を示す証拠については、科学として検討をするべきだと思います。
細部が不正確・不明であるという欠点よりは、重要な点について確実なことを示す事実にこそ意味があるのだと主張したいと思います。
「ラタラジューの事例」は、こうした重要な点について確実なことを示している、生まれ変わりを示す貴重な証拠であると思っています。

2012年2月6日月曜日

脳と前世記憶の関係

生まれ変わりを事実だと認める私の立場からすれば、記憶が脳だけにあるということはありえません。
脳は物質であり、死とともに無に帰するのですから、物質である脳に保存された記憶も無に帰し、その人生の記憶が死後存続する道理がありません。
SAMの作業仮説では、記憶をふくめて意識・潜在意識は霊体に宿っている(霊体仮説)と考えます。
しかし、脳の海馬と呼ばれる場所に記憶が存在するらしいことはほぼ明らかになってきたようです。
そうなると、意識(記憶を含む)は霊体に存在している、というSAMの霊体仮説は、「意識(記憶を含む)は、霊体に存在すると同時に、脳にも存在している」と考えることが妥当でしょう。
記憶(前世記憶を含む)が脳にも存在しているとみられる現象は
①年齢とともに脳の機能が劣化し、それに伴って記憶の忘却が起こる。加齢以外にもアルツハイマーや脳細胞の損傷、脳の強打、激しい精神的ショックでも記憶障害が起こる。
②記憶喪失の治療に催眠療法が用いられる。この催眠療法は魂遡行催眠のような深奥の催眠深度を必要としない。記憶催眠と呼ばれれる深度で治療が成功するとされている。
③イアン・スティーヴンソンの前世を語る子どもたちの研究によれば、子どもたちが前世記憶を語る場合、覚醒状態で語る。催眠状態は不要である。
という意識現象の事実によって認めることができそうです。
一方で、記憶が脳だけに存在するということにならないわけは、生まれ変わりという現象があるからです。
生前の記憶や人格を保持する前世人格の顕現化現象は、脳以外に存在し、死後存続する意識体(魂)を認めないことには説明が完結しません。
問題は、なぜ前世の記憶が霊体にも存在し、脳にも存在し、二重に存在の場を必要とするのか、ということです。
この解答の科学的実証は現時点では不可能です。
はぼ確かなことは、魂がその容器である肉体を持ったがゆえに、肉体を管理する脳にも記憶の座が必要であると考えられる、ということです。
したがって、霊体に存在している意識(前世記憶を含む)の一種のバックアップ機能として脳にも記憶の座が置かれていると考えられます。
このように考えると、ワイス式前世療法が扱う「前世記憶の想起」は、脳内の記憶として保存されている前世記憶の想起として正当性をもつことができると思われます。  
一方、SAM前世療法は、魂の表層に直接アプローチし、そこに存在している前世人格を呼び出すという方法論をとっています。
さて、私あて霊信では、意識と脳の関係について次のように告げています。
「顕在意識・潜在意識は脳がつくり出しているものではない。すべては魂の表層であるものたち(これまで転生してきたものたち)が作り出している。それらは情報である。それら情報をまとめる役目を司るのは脳である。脳によりデータは管理されている。・・・・あなたの進歩のために、これ以上の情報は与えないものとする」
「死後霊体は魂から離れる。だが、それらの意識は魂に取り込まれる。そして、魂のものとなるのだ。霊体は、ある意味においてはあなた方が、あなたという人間であるための意識を独立して持つための役割を担うものでもある。それなくしては、あなた方は個人的意識を持つことは出来ない。心が個人的意識をつくるのではない。霊体が持つのだ」
読者のみなさんは、前世記憶と脳の関係をどのように考えられるでしょうか?

2012年2月4日土曜日

霊界の計画とSAM前世療法

この奇妙なタイトルは、スピリチュアリズムで話題にのぼるテーマ、および信頼に足るスピリチュアリストの私へのコメント、この4年間にわたるセッション中に憑霊したとおぼしき高級霊からのメッセージなどを重ね合わせて、一つの仮説かもしれないと思っていることです。
2005年の「タエの事例」以後6年間の経緯が、霊界側の計画によって、ある流れが仕組まれているとしたら、どのように解釈ができるでしょうか。
①近代スピリチュアリズムのはじまりは、1848年にアメリカで起きたハイズビル事件だとされる。同年にマルクス・エンゲルスの『共産党宣言』が出され、近代世界はいよいよ唯物論の大きなうねりに染められていく。
こうした唯物論の思潮に対抗して、霊の実在、霊界との通信、生まれ変わりの実在、ひいては神の実在など霊的真理、霊の復権を地上に知らしめるための霊界側の計画のはじまりが、霊の実在、霊との交信を証明しようとさせたハイズビル事件だと言われている。
②ハイズビル事件をはじまりに、19世紀後半から20世紀初頭に全米で霊能者を囲んで死者の霊を呼び出す「交霊会」が大流行し、それはヨーロッパにも波及し、霊界や霊との交信が信憑性のある事実であることを多くの人が信じるようになる。
ノーベル賞級の科学者たちによる心霊現象の科学的研究組織SPR(サイキカル・リサーチ)が発足するのもこうした流れの一つである。
超心理学はSPRを母体として発展してきた。
一方交霊会の流行と同時に、すぐれた霊能力者たちが数多く出現し、エクトプラズム現象などの驚異的霊現象を起こしてしてみせた。
あるいは空中歩行、霊の憑依による外科手術など。
また、高級霊との交信記録であるモーゼスの『霊訓』、カルディックの『霊の書』、シルバーバーチの『霊言』も、霊界との交信を証明するための一環である。
これら霊との交信を事実として認める霊的真理の思想運動、高級霊の告げる内容を体系化した霊学がスピリチュアリズムである。
これらが霊界側の一次的計画とされる。
③20世紀半ばあたりから②のような、霊能者と呼ばれる特殊な能力をもつ人だけが可能であった霊界との交信や死後の消息の一端を知ることが、一般の人々にも体験できるようになる。
一つは臨死体験の多発とその研究である。少し遅れてもう一つが前世療法の発見・流行である。これは、霊的真理を多くの人々に知らしめるための一般化・広汎化の計画ととらえられる。これが霊界側の二次的計画とされる。
④信頼に足るスピリュアリストの私へのコメントによれば、私のSAM前世療法やヒーリング能力の覚醒は、③の霊界側の二次的計画の一端を担わされているという。
つまり、一般の多くの人々に霊的真理を広めるという霊界側の計画の流れに乗っているということらしい。
そのことは、http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/3-12.html をお読みくださるとご理解可能かもしれない。
⑤以上のスピリチュアリズムの説くことを前提にして、私に向けて霊界側が計画的に動いていると仮定した場合、私の体験してきた2005年から今日までの6年間の霊的事実の経緯は、以下のように解釈できるかもしれない。
ア 霊や生まれ変わりの懐疑論者であり、催眠を扱う私に、里沙さんという格好の被験者と出会わせ、「タエの事例」を2005年6月にまず贈る。
懐疑的な私が、執拗にタエの語る事実の真偽を検証することを見込んでの計画である。
私はそのように行動し、2006年5月に『前世療法の探究』を出版した。
この本の編集者春秋社の鷲尾氏は、一介の教員である私の出版のために編集者生命をかけて出版に尽力していただいた。
同時に、執筆に必要な生まれ変わり研究の諸文献を紹介し、この方面に無知であった私を導いていただいた。
こうして『前世療法の探究』は、新聞に取り上げられ、アンビリに取り上げられ、一定の注目を浴びた。
2006年に霊的真理(生まれ変わり)を広める役目の一つを果たした。
ただし、霊界側は、「タエの事例」の後半部分で里沙さんの次の生まれ変わりの「ラタラジュー」を登場させており、二言のネパール語らしき異言を発話させ、それにこだわり続ける私を見越して、やがて応答型真性異言実験セッションに取り組ませる伏線を用意した。
4年後の2009年にそれは現実化する。
イ 霊界側は、『前世療法の探究』の出版直後、私自身にヒーリング能力を贈った。
気功やレイキなど一切エネルギー療法の訓練を受けていない私に突如そうした超常現象を贈ることによって、私がその検証の結果、治療霊団の存在を認めざるをえないようにさせた。
そもそも私は、治療エネルギーが手の平から放射されるなどということはプラシーボ効果であって眉唾ものだと思っていた。
ウ 霊界側はヒーリング能力を贈った後、『前世療法の探究』の読者M子さんを経由して、2007年1月から1ヶ月にわたって22通の「霊信」を私に贈った。
その霊信の中で「魂の仕組み」について情報を贈った。懐疑的な私は、霊信の内容の真偽を検証することを当然始めた。
催眠を扱うことのできる私が、催眠を道具に潜在意識の深奥にある「魂状態の自覚」を探り当てることを見込んでの計画である。
エ こうして私あて霊信の告げた内容を作業仮説にして、SAM前世療法が生まれた。
催眠によって魂状態の自覚まで遡行させ、魂の表層に存在する「前世人格=死者」を呼び出し対話する、という唯物論と真っ向から対立するSAM前世療法の誕生である。
オ しかし、懐疑的な私は、顕現化した前世人格が、クライアントのフィクションのなせる業である可能性を疑わざるをえなかった。
その懐疑を私が棄却するためには、顕現化した前世人格が、疑いもなく前世を生きたという科学的証拠を提示しないことには収まることはなかった。
カ 霊界側は、2009年5月、またしても被験者里沙さんを通して、生まれ変わりの科学的証拠として最有力な応答型真性異言現象を贈った。
それがまず2010年3月に雑誌『ムー』に特集として掲載され、それが再びアンビリに取り上げられる契機となった。2010年8月にアンビリは「ラタラジューの事例」を60分余にわたって放映した。
次いで、アンビリのネタをリサーチする会社の方の紹介と後押しによって『生まれ変わりが科学的に証明された!』を2010年10月に出版できるように計らった。
以上が、2005年に「タエの事例」との遭遇から今日までの経緯を「霊界の計画があるのだとしたら・・・」という仮定のもとに解釈した結果です。
さらに付記するとすれば、私に
①ワイスによって広められた前世療法の暗黙の仮説である「前世の記憶を想起させる」という方法論ではなく、全く別のアプローチによる「魂表層に今も意識体として生き続けている前世人格を呼び出す」という方法論を明確に提示させたこと。
他の前世療法家がしようとしなかった前世存在の真偽の科学的検証に取り組ませたこと。
②スティーヴンソンの応答型真性異言研究でわずかに言及されている、「催眠中のトランス人格の顕現化」という解釈を一歩進めて、「魂の表層に意識体として生きている前世人格の顕現化」という考え方を明確に打ち出させたこと。
そのためにラタラジューの語りが、里沙さんの前世記憶などではなく、現在進行形の話者として、今、ここに、顕現化している明らかな証拠として、対話相手に「あなたはネパール人ですか?」「ああ、私もネパール人です」とラタラジューに言わせていること。
スティーヴンソンの紹介している「グレートヒェンの事例」では、「「おめかしですか?」「どこに行くんですか?」「私の友だちはどこですか?」「どうして質問を?」などをトランス人格グレートヒェンが対話相手に話しかけている(『前世の言葉を話す人々』春秋社、PP298-308)。
これだけの会話では現在進行形であるか否か微妙である。
③応答型真性異言の証拠として、スティーヴンソンも成し得なかった応答型真性異言現象の証拠映像撮影に成功させたこと。超常現象の決定的瞬間の証拠映像は、何らかの存在によると思われる妨害現象が生じ不成功に終わる、というのが超心理学上の「挫折の法則=ジェームズの法則」として知られている。
ところが、撮影に成功した「ラタラジューの事例」は、マスメディアによって日本のみならずハワイでも放映されている。
スティーヴンソンは『前世の言葉を話す人々』春秋社、の日本語序文で次のような示唆的なことを述べています。
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こうした事例(注 応答型真性異言)の研究を私が始めて20年以上が経過したわけですがーまた、新しい事例も何度も私のもとにもたらされたわけですがーこれまで発表した3例の他には、信頼に足る事例はこれまでのところ1例もなかったように思います。明らかに、信憑性のある応答型真性異言の事例はきわめて稀なのです。ですが、もしかすると、本書の日本語版の出版を通じて、新しい事例に関する情報がもたらされるかもしれません。
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スティーヴンソンは、日本でも応答型真性異言が発見されることを期待しています。
そして、期待どおりに、彼の他界(2007年)の直後に「ラタラジューの事例」が発見されました。
それも、「タエの事例」という生まれ変わりを濃厚に示す事例を起こした同じ被験者里沙さんによってでした。
最初にもどって、霊界側の計画によってそのような流れが仕組まれているとしたら、ワイスは前世療法の先駆者として、スティーヴンソンは応答型真性異言研究の先駆者として、彼らより一歩進めるために、私の前に彼らが現れるような流れが仕組まれていたのかもしれません。
以上は、スピリチュアリズムの視点に立つと、見えてこないでもない仮説です。
ただし、私はこのような霊界側の計画遂行の担い手になりたいと望んだことは一切ありません。
生家は、臨済宗の一般的な檀家の域を超えることのない程度の宗教的環境でしたから、特に仏教への信仰心が篤かったわけでもありません。
強いて言えば、無神論者ではなくsomething great の存在を漠然と認める程度の態度でした。

2012年2月2日木曜日

守護霊とおぼしき存在者との対話

守護霊とおぼしき存在者者との対話をどう解釈するか
「タエの事例」には、筆者独自の冒険的試みがされています。
それは、タエの死後、中間世と呼ばれる次元での記憶を探り、そこで顕現化した「守護霊とおぼしき存在者」との直接対話を試みたことです。
つまり、この「守護霊とおぼしき存在者」を里沙さんに「憑依」してもらい、筆者と直接対話するということを試みていることです。
このセッションでは、この中間世で顕現化した「守護霊とおぼしき存在者」を確認し、里沙さんに「憑依」してもらい、筆者とタエの状況や前世記憶の真偽の証拠をめぐって、20分間というかなり長時間の直接のやりとりをおこないました。
そして、興味深いことは、この「憑依」とおぼしき間のやりとりを、里沙さんはまったく記憶していないと報告していることです。
タエの前世を想起している時は、いくら前世人格のタエに同一化しているように見えても、彼女の意識は残っており、想起していた間の記憶も保たれていました。
したがって、「憑依」の間は、彼女の意識は、「守護霊とおぼしき存在者」によって占有されていたと考えることができるのではないでしょうか。
しかし、この憑依様の意識現象の解釈には大きく三つの仮説が考えられます。
一つは催眠学でいう「人格変換」とか「役割演技」で説明するものです。
つまり、里沙さんが筆者の期待に応えて、「守護霊」としての人格を想定し、守護霊になったつもりでその役割を演技したと考えることです。
しかし、この解釈では「守護霊とおぼしき存在者」が、里沙さんの知るはずのない詳細な情報を七点も語り、しかも五点が史実と一致し、残り二点は検証不可能だったという事実、つまり語りに誤りがなかった事実を説明することができません。
架空の人格が本人の知らない情報をどうして語れるのでしょうか。
もう一つの解釈は「守護的な存在者」とは、里沙さん自身の自我の非常に高度な領域(高位自我=ハイヤーセルフ)の現れであり、「魂状態」の里沙さんは、受動性や自覚能力が増大した特異的な自我状態に入っていたという解釈です。
中間世とは、深い催眠状態によって、自我が柔軟になり、高位自我が働きやすくなっている状態であり、そうした状態が神話的、象徴的に守護霊として表現されたものだと考えることです。
したがって、高位自我は強力な超常的能力を持っていて、前世という物語を作り上げて、それを守護霊として提示したのだということが言えるかもしれません。
ただし、なぜそのような迂遠(うえん)な手続きを取るのかが謎となり、このハイヤーセルフ仮説でもおさまり切れるものではありません。
これら一連の意識現象の心理学的解釈に対して、筆者は次第に次のような第三の仮説に立つことがありのままの自然な解釈ではないかと思うようなりました。
それは、前提として、「魂」や「霊」と呼ばれるものの存在を認める立場からの解釈です。
ありのままに現象を解釈するに当たって、「霊魂」と聞くだけで腰が引け、非科学的だと決めつけそれを回避するような解釈をひねり出すことは、「唯物論思考」に染まり過ぎた近代人的偏向ではないかと考えるようになったからです。 
この立場に立てば、「魂状態」だと自覚している「中間世」の里沙さんは、深い催眠状態の中で、当人の自覚どおり、肉体とは別個の存在である「魂」として顕現化した状態にある、と解釈することになります。
したがって、筆者は、まさしく彼女の「魂」と面接したということになります。
そして、彼女が中間世で出会った「人間的イメージを纏(まと)った神的な存在者」は、一部の宗教思想で提示されているような「指導霊」ないし「守護霊」と呼ばれる存在だと考えることができ、まさしく筆者はそのような「守護霊」と対話したのだということになります。
そして、この解釈が妥当であれば、前世療法における「中間世=魂状態」とは、クライアントが「霊界」とのつながりを得やすくなっている状況であり、そこでは「守護霊」との出会いと対話が可能な状況にあるということになります。そして、求めに応じて「守護霊」がクライアントに憑依しセラピストである筆者と会話するという現象は、「霊」が「霊媒」を通して会席者と会話をするという、いわゆる「交霊会」と同様の構造だと見なせる現象が起こったと解釈することができると思われます。
このことは、「霊的存在とのコンタクト」という、人類の歴史が始まって以来求め続けられ、霊媒ないしシャーマン、チャネラーと呼ばれる特殊能力の持ち主のみが独占してきた霊との交わりが、深い催眠状態を通じて、一般の人にも可能になるということを示しているのではないでしょうか。
少なくとも、深い催眠状態に入れば、自らの「守護霊」とのコンタクトが可能になるのだとすれば、前世療法は、催眠療法の一つとしてのこれまでの位置づけ以上に、かなり大きな霊的意義を含んでいると考えられます。
さらにこのこと、つまり一般の人にも催眠を通して霊的存在とコンタクトがとれるという、前世療法において発見された現象は、近年、「体外離脱」とか「臨死体験」と呼ばれ、「死後の世界」を垣間見たり「守護的存在」と出会ったとされる一般の人の数多くの体験とも軌を一にする現象だと考えることができるのではないでしょうか。
20世紀半ばから21世紀の現在にかけて、「体外離脱」「臨死体験」「前世療法」のそれぞれにおいて、一般の人々と霊界とのコンタクト現象が同時進行で始まっていると考えることができそうです。

2012年2月1日水曜日

スティーヴンソンの反論その2

(その1からのつづき)
応答型真性異言は超ESP仮説を打破する
 「真性異言」(xenoglossy ゼノグロッシー)とは、フランスの生理学者で心霊研究協会の会長も務めたシャルル・リシェの造語で、本人が習ったことのない外国語を話す現象のことを言います。
『新約聖書』などにも「異言」(glossolaria グロッソラリア)という現象が記述されていますが、「真性異言」は、その言語が特定の言語であり、学んでいないことが確認されたものです。
このうち、特定の文章や語句だけを繰り返すものを「朗唱型真性異言」、その言語の話者と意味のある会話ができるものを「応答型真性異言」と呼びます。
さて、真性異言のうち、「朗唱型真性異言」は、「情報」ですから超ESPによって取得が可能と言えます。
しかし、意味の通った会話ができる「応答性真性異言」は、そうではありません。
言語を自由に話せるというのは、「技能」であり、いくら単語や文型の情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、応答的会話は可能にはなりません。
自転車の乗り方をいくら本や映像で知っても、自転車に乗ることはできないように、言語も情報による伝達だけでは技能である「会話」まではできないのです。
つまり、「超ESP」によっても、「外国語の会話能力」は取得できないことが明白です。
こうして、ある人物が、前世の記憶を、その前世での外国語で語り、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わりを最も有力な説明仮説として採用せざるをえないということになります。
生まれ変わりの証拠である応答型真性異言は、スティーヴンソンが20年にわたって世界中から収集し精査した2000余りの生まれ変わり事例の中で、わずか三例にすぎません。
「イェンセンの事例」と、「グレートヒェンの事例」、および「シャラーダの事例」です。
イェンセンとグレートヒェンの事例は、催眠中に偶発的に前世人格が出現したもので、前者はスウェーデン語、後者はドイツ語で、短い会話によるやりとりが記録されています。
シャラーダの事例は、覚醒時に前世人格が出現し、きわめて長い会話で流暢に受け答えし、歌まで歌っています(『前世の言葉を話す人々』春秋社)。
スティーヴンソンの報告以外に信頼できる事例として、数名の科学者によって調査され、覚醒時にスペイン語で流暢な長い会話をした「ルシアの事例」の調査報告があります(心霊現象研究協会 (The Society for Psychical Research)。
つまり、世界中で信頼にあたいする検証を経た応答型真性異言の事例は四例発見されており、そのうち二例が催眠下で起こった事例ということになります。
さて、こうしたスティーヴンソンの応答型真性異言研究(生まれ変わりの実証研究)は、きわめて綿密な調査と、公正で慎重な検証によって、他の領域の一流科学者たちにも説得力をもって認められつつあるようです。
たとえば、有名な天文学者カール・セーガンは、「時として、小さな子どもたちは、調べてみると正確であることが判明し、生まれ変わり以外には知りえなかったはずの前世の詳細を物語る」という主張は、「真剣に検討する価値がある」(『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』302頁)と述べています。
また、行動療法の創始者ハンス・アイゼンクは、「スティーヴンソンの著作を何百ページも読み、スティーヴンソンとは別個に研究が始められているのをみると、真にきわめて重要なことがわれわれの前に明らかにされつつあるという見解からむりやり目を逸らせることは、誠実であろうとする限りできない」(Eysenck & Sargent, Explaining the Unexplained, Prion, 1993. いずれも、『生まれ変わりの刻印』笠原敏雄・訳者後記)と述べています。
そして、応答型真性異言こそが生まれ変わりの最有力な証拠だ、とするスティーヴンソンの研究を、科学的・実証的に反証し、論破した研究はいまだに提出されてはいないのです。
このこと、すなわち、応答型真性異言こそは、超ESP仮説を打破できたことが認められたということを意味します。ひいては、応答型真性異言こそ、生まれ変わりを証明する科学的証拠としてついに認められたことになります。