2012年5月30日水曜日

アンビリの「タエ・ラタラジューの事例」はヤラセか?

先日、インタネット上で検索していたところ、アンビリで放映された「タエの事例」および、「ラタラジューの事例」について、ヤラセである、という感想・主張が少なからずあることを知り、愕然としました。
こうした批判者は匿名性をいいことに、無責任で、放埒な、言いたい放題をやっている輩ですからまともに相手にするのも大人気ないと思うのですが、両事例を語った里沙さんの名誉のために反論をしておきます。

第1の反論は、両事例が、生まれ変わり仮説を支持する科学的諸検証の結果から導かれた結論である、と主張していること、つまり、反証可能性にひらかれた形で、セッション記録映像証拠の提示と、2冊の拙著『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』の文字記録によって提示しているので、それら筆者の提示した諸証拠によって他者に対して、「反証可能性」にひらかれているのです。
したがって、筆者の主張に対して、ヤラセであるという反論をするからには、私の提示した諸証拠をもとにヤラセであることを立証しなければ、正しく反論たりえないのです。正当な反論とは、そのような立証責任がともなうというのが反論のルールだということです。

反証可能性(はんしょうかのうせい、: Falsifiability)とは、
「科学哲学で使われる用語で、検証されようとしている仮説実験観察によって反証される可能性があることを意味する。ある仮説が反証可能性を持つとは、その仮説が何らかの実験観測によって反証される可能性があることを意味する。例えば、「明日、太陽から昇る」という仮説は、「明日、太陽が東から昇らない」という観測によって反証されるかもしれない。これに対して、いかなる実験や観測によっても反証されない構造を持つ仮説を反証不可能な仮説と呼ぶ
というわけですから、「タエ」「ラタラジュー」両事例にもとずく「生まれ変わり仮説」支持の主張は、生まれ変わりを示す具体的諸証拠の提示によって反証可能性にひらかれています。

にもかかわらず、立証抜きでヤラセを主張することは、単なる言いがかりに過ぎません。
おそらく、生まれ変わりの事実を認めることに、強い恐怖、あるいは不安に駆られているのか、
唯物論の土台にヒビや揺らぎが生じ、いわゆる、「認知的不協和」による強迫的観念に怯えるからだと思われます。

それとも、アンビリは娯楽番組であるから、おもしろおかしく演出しているに決まっている、ヤラセがあるに決まっている、という偏見による先入観からの短絡的感想・主張かも知れません。
しかし、ヤラセの主体が、フジTVのアンビリ制作スタッフであるとするなら、見当違いも甚だしいと言わねばなりません。

「タエの事例」が放映されたのは2006年10月ですが、研究のために、この実験セッションの映像が撮影されたのは2005年6月です。翌2006年5月に、「タエの事例」を収載した『前世療法の探究』が出版され、それを読んだアンビリ制作スタッフから、セッション映像提供の依頼が来たのが、2006年7月です。
つまり、「タエの事例」の映像撮影時点で、アンビリがヤラセなどに関与できるはずがなく、アンビリ制作スタッフによるヤラセの可能性は100%ありません。
ただし、私の提供したセッション映像記録の音声に1個所、筆者の了解なしに音声を消去した部分があります。
タエは人柱になった理由を、「水が止まってあぶないので、上の村が水にやられるので・・・私がお供えになります」と語っていますが、上の村が水にやられるので・・・の音声が消去されています。
おそらく、タエの人柱がタエの住む渋川村を洪水から守るためのものという筋書きのほうが視聴者が分かりやすいという判断があってのことでしょう。

「ラタラジューの事例」も同様の経緯があり、アンビリ制作スタッフによるセッション記録映像へのヤラセなど関与の余地は100%ありません。
なぜなら、「ラタラジューの事例」の実験セッションがおこなわれ、その撮影がされたのは2009年5月であり、これのアンビリ放映は翌2010年8月です。
この事例がアンビリ放映に至ったのは、真性異言研究チームの末武信宏医師が知り合いの学研編集者に「ラタラジューの事例」を紹介し、2010年3月、学研の雑誌『ムー』によって「ラタラジューの事例」が特集掲載され、それを読んだアンビリスタッフから映像提供の依頼が7月にあり、2010年8月に放映に至ったという経緯があるからです。
したがって、「ラタラジューの事例」の記録映像撮影時点で、アンビリ側が、ヤラセなどの関与ができる余地はまったくありえません。
ただし、「ラタラジューの事例」の映像編集されたナレーションの中に、アンビリスタッフが、フラッシュバックするナル村風景を里沙さんにスケッチしてもらった、というくだりがありますが、これは嘘です。
フラッシュバックするナル村風景のスケッチを里沙さんに依頼し、それ保管していたのは私です。
アンビリスタッフが、ナル村の現地取材に入るというので、それならこのスケッチ風景に該当するナル村風景の有無を検証してほしい、と私がスタッフに預けたというのが真相です。
というわけで、アンビリ側からヤラセをさせたことは事実関係から、一切ありえません。

とすれば、残るヤラセの可能性は、私と里沙さんが共謀して、タエの人柱物語を作話した、また、ラタラジューのネパール語会話の特訓をし、台本をもとにネパール語対話者カルパナさんとのヤラセ会話セッションを捏造したという疑いになります。

両事例の見学者である、酒向猛医学博士、小野口裕子可児市教育委員、大門正幸中部大教授、同大学岡本聡准教授、末武信宏医学博士など社会的地位のある複数の人たちが、なんの利得もないヤラセに加担する可能性は常識的にも考えにくいでしょう。

また、後々この貴重なセッション証拠映像にヤラセの疑惑をかけられないよう、一定の社会的地位のある立会人に同席をお願いしたという事情があるのです。

ここまで詳細な説明をしても、ヤラセの疑惑を払拭できない人には、いったいどのような説明であるなら納得できるのですか、とお尋ねしたいと思います。

2012年5月25日金曜日

SAM前世療法の「霊体仮説」と「憑依仮説」

SAM前世療法においては、唯物論と真っ向から対立する作業仮説に立ってセッションを展開します。
その最たる作業仮説が、「霊体仮説」と「憑依仮説」です。これら作業仮説の骨組みは、このブログに紹介してある筆者あて霊信が教えたことです。

先の記事に紹介したコノハナサクヤヒメの憑依や未浄化霊の憑依とおぼしき意識現象などは、この二つの作業仮説に照らせば、クライアントの「意識現象の事実」として、ありのままに認めていくことになります。少なくとも、クライアントの主観的真実として認める立場に立ちます。もっとも、憑依現象が客観的事実であるかどうかの科学的検証は現時点では不可能です。
 
「霊体仮説」とは、魂と肉体を防護するための、透明の霊体が存在し、その霊体に意識(潜在意識を含む)が宿っている、と考える作業仮説です。そして、見える人には霊体の色がオーラとして知覚されます。霊体は能力の無い人にはオーラとして見ることはできませんが、肉体と全く別物ではではなく、肉体的要素(物質的要素)を持っていると考えられます。
オーラの見える人によれば、肉体の不具合の個所のオーラは黒ずんで見えると報告するからです。たとえば、腰痛のある人の腰の部分のオーラが黒ずんで見えると言います。ということは、肉体(物質)と霊体の間には相互影響関係(相互浸透関係)があると考えられるわけです。
したがって、霊体に宿っている意識を、肉体の特定の部分に移し替え、担わせることが可能であるということになります。
こうした考えに立って、SAM前世療法では、霊体に宿っている潜在意識を、人差し指に移し替え、担わせるという技法を編み出しました。
つまり、人差し指に潜在意識を担わせ、指の動作によって回答させるというSAM前世療法の特殊技法を裏づける作業仮説です。

「憑依仮説」とは、霊の実在を認め、霊の憑依現象を認める、という作業仮説です。
SAM前世療法においては、「霊」が肉体に宿った状態にあるときには「魂」と呼び変えます。
したがって、霊も魂も、その本質はまったく同じであると考えます。
魂の実在を認めるSAM前世療法においては、霊の実在を認めることは当然ということです。
そして、憑依霊は霊体に憑依するという立場をとります。これは、セッション中に憑依した憑依霊とおぼしき諸存在への質問の累積結果によって結論づられたことです。
霊体仮説によれば、霊体には意識が宿っていますから、その霊体に入り込んだ(憑依した)憑依霊の意識は、霊体の持つ意識に混じり込むということになります。その結果、憑依霊の意識も、それを担う指によって回答可能であるという理屈になります。
実際に口頭で回答不能な憑依霊に対して、指を立てることによって回答することを指示すると、そのように指が運動します。そうした指の回答に対して、クライアントのモニター意識は勝手に指が動くという自覚を持ちます。もちろん、口頭で話す場合でも、勝手に口が動いて回答しているという自覚を持ちます。
これらモニター意識に自覚される一連の自動的現象を、「自動発話」・「自動動作」と名付け、憑依現象を判断する一つの指標としています。

さて、SAM前世療法で「魂の自覚状態」に至った少なくないクライアントに、なぜ憑依現象が起こるのか、という問いに対する回答は次のように答えることができます。
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魂状態とは、霊的諸存在たちと同じ存在レベルに並んだ(魂レベル=霊レベル)ことを意味する。したがって、通常の覚醒意識状態では起こらない霊的諸存在(未浄化霊から高級霊まで)の憑依が、より可能になりやすくなった状態といえる。とりわけ、霊感の高いクライアント、霊媒体質のクライアントには、偶発的に、意図的に、憑依現象が生ずる。また、守護的存在との意図的コンタクトがとりやすくなった状態でもある。
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以上のような見解に至った経緯は、宗教者や霊能者と呼ばれる人々の諸言説の受け売りではなく、SAM前世療法のセッションで現れるクライアントの意識諸現象や、浄霊儀式で観察できる身体諸反応の累積から否応なしに認めざるをえなくなった結果です。
そして、こうした憑依諸現象は、SAM前世療法でおこなう一定の手続きを踏めば、誰にでも起こしうる現象です。再現性も当然あります。この意味で科学的な事実だと言ってよいと思います。

いにしえより人間が求めてきた霊的存在とのコンタクト、しかも、シャーマンや霊能者、霊的修行者などごく一部の特殊能力を持つ者以外に不可能であった霊的コンタクトが、催眠を道具に用いることによって一般の人々にも可能になったことを示しているのでしょう。
筆者あてに霊信を届け、作業仮説を告げた霊的存在が、唯物論に対抗し、抹殺されそうな霊的存在の「復権」を企てているようにも思われます。





2012年5月10日木曜日

「ラタラジューの事例」の逐語録と検証の英・韓国語版

このブログで紹介している応答型真性異言「ラタラジューの事例」の逐語録および、検証の英語訳とスウェーデン語・韓国語訳が、以下のブログで少しずつ公開されています。


http://newxenoglossy.blogspot.com/ (英語)

http://newxenoglossy.blogg.se/ (スウェーデン語)

http://blog.naver.com/sofiabang (韓国語)


英語訳・スウェーデン語訳の訳者は、筆者主宰の催眠塾塾生のバン・裕美さんです。
韓国語訳は、裕美さんの韓国人の夫です。
彼女は、「ラタラジューの事例」のような貴重な生まれ変わり事例を、世界に発信するべきだという強い志をお持ちになり、筆者はその志に甘えて訳出をお願いすることにしました。

英語圏、韓国語圏にご友人をお持ちの読者のみなさんが、これら外国語訳を紹介してくださるとうれしく思います。

2012年5月9日水曜日

一卵性双生児のそれぞれの魂の相違と気質の相違

筆者には、娘の生んだ生後11ヶ月あまりの男の一卵性双生児の孫がいます。
この双子の兄弟を、筆者は興味津々で観察しながら成長を楽しみにしています。
それは、魂の実在を間接的に検証できる格好のモデルを身近に与えられたことになるからです。

ウィキペディアの記事によれば、一卵性双生児は次のような説明になっています。
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一卵性双生児は基本的に全く同じ遺伝情報(遺伝子型)を持っている。
そのため、性別や血液型等は基本的に(発生段階で変異がなければ)一致し、顔形もよく似ている。一般に一卵性双生児の身体能力や学力の類似性は高い。
さらに成長に従って遺伝的規定性の強い因子の発現量が増大するため、双生児間の類似度が上昇することもある。
しかし同一のDNAを持つ一卵性双生児であっても、DNA情報は個々人の獲得形質に直接的な影響を与えることはないため、身体能力なども(似ているが)個々人で異なり学校の得意科目やスポーツの得意・不得意が分かれることも多い。
胎児期から双子の各々は独自の成長をするため脳の発達過程も異なり、出生時には大脳皮質の形状も違うものとなっている。
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人格心理学の定説によれば、性格とは、遺伝によって生まれつき持っている気質と、その後の生活環境との相互関係によって出来上がるものとされています。

魂の実在を仮説として大前提にしているSAM前世療法の立場では、遺伝によって生まれつき持っている「気質」に、魂の表層に存在する前世の者たちの体験を加えなければ、気質の真の理解はできないと考えることになります。遺伝だけでは気質を説明できないということです。
つまり、「生まれつき」とは、両親からの「遺伝情報」と魂の持つ「前世体験」の総合されたもの、という理解が正当ではないかという主張です。

さて、人格心理学によれば、一卵性双生児は、基本的に全く同じ遺伝情報を持っているのですから、個々の生活環境に相違が生じるまでは(幼稚園などに上がり異なるクラスで異なる生活するまでは)、類似性の高い気質を双子それぞれが発現するということになります。つまり、3歳くらいまでの期間、同一家庭で、同一生活環境で、ほぼ同一の学習をする生活を送る期間中は、双子の気質が高い類似性を帯びるはずだということになります。

しかし、この気質に、魂の持つ前世体験を加えるとすれば、双子それぞれの魂は違うわけで、つまり、それぞれの魂の持つ前世体験は違うわけですから、双子はすでに生まれついての気質のレベルから異なっていることが当然ということになります。
筆者が双子兄弟の成長過程に強い関心を持つのは、以上のような理由からです。

双子は、車で15分のところに住んでいますから、誕生以来週2日は1回2時間程度の子守に出かけています。したがって、毎週4時間は、双子の行動をじっくり観察しています。
そして、明らかに分かってきたのは、まだ生後11ヶ月に満たないにも関わらず、気質の相違がはっきりと出ているという事実です。
ある同一刺激に対する反応の仕方が、かなり違うのです。

兄のほうは、神経質で慎重で、人見知りが激しく、母親の姿が見えないとすぐに泣き出します。初対面の人にだっこされることを嫌がり、抱かれると泣き出します。
弟のほうは好奇心が強く、初めて見る物に触れることを平気でします。初対面の人に抱かれることも嫌がることはありません。母親の姿が見えなくても泣くことはありません。

兄弟ともに筆者が訪問すると、ハイハイしながら寄ってきますし、両手を広げると喜んで抱かれようとします。さすがに一卵性だけあって、顔立ちと体つきはそっくりですから、ごく最近までなかなか見分けがつきませんでした。気質の違いが見えてきて、やっと見分けが間違いなくできるようになりました。

彼らの成長を見守りながら、魂実在仮説の検証をしていきたいと思っています。
 

2012年5月6日日曜日

「自己内憑依」現象の不思議な事例

不思議な事例の意味は
①クライアントの潜在意識を宿らせた人差し指によって回答していながら、回答内容についてまったく知らないことを指が勝手に回答した、というセッション後の断言があったこと。
②顕現化した(自己内憑依した)前世人格が、歴史上のかなり著名人であったこと。
の2点を指しています。
30代女性クライアントの示した事例です。
この女性の主訴は、幼少から十字架に強い執着を持ち続けている理由を探りたい、ということでした。
といって、クリスチャンではありません。
例によって魂遡行をおこなったところ、顕現化した前世人格は、口頭の回答はできず、指による回答を望みました。
以下にその指回答の概略を紹介します。
①自分は現世の者の、十字架に対する強い執着に関わっている前世の者である。
②日本人の女性である。
③信長・秀吉を知っている。その時代に生きた。
④キリスト教に帰依し、京の都で主として生活した。
⑤洗礼を与えた者は伴天連の宣教師ではない。
⑥秀吉のキリスト教迫害によって、隠れキリシタンとして生きた。
⑦密かに信仰をつらぬいて死んだ人生に悔いはない。
⑦30代後半で死んだ。
ここまでの指による回答を得たところで、「あなたは、細川ガラシャを知っていますか?」と尋ねたところ、指が肯定を示して激しく立つことを繰り返しました。
そこで、「ひょっとしたら、あなたは当の細川ガラシャですか?」と尋ねると、指はピンと立ち、そうだと肯定を示しました。
「隠れキリシタンとして生きたあなたは、魂の表層にあって、現世の者に自分の信仰に生きた人生を訴えていましたか? 現世の者が十字架に強い執着を持っているのは、あなたの影響ですか?」という質問に、指はイエスの回答を示してピンと立ちました。
「あなたは、細川ガラシャがこの者の前世に存在することを知らせるために、私(稲垣)のもとに行くように現世の者を導きましたか?」と尋ねると、指はピンと立ちイエスの回答を示しました。
この質問をしたのは、クライアントが、私のもとに来る道中、どういうわけか涙がにじんで困ったということをセッション前のカウンセリングで漏らしていたからです。
これまで、こうしたセッション前の現象を訴えるクライアントの場合、潜在意識をとおして前世人格が顕現化できることを喜んでいる現象だ、ということを確認できているからです。
細川ガラシャである、と指で回答したとき、クライアントの眼からは二筋、三筋涙が頬を伝いました。
というわけで、顕現化した前世人格は、明智光秀の娘であり、細川忠興の妻であった細川ガラシャだと名乗ったのです。
しかも、クライアントの女性は、歴史が苦手で細川ガラシャという人物については名前すら全く知らないというのです。
にもかかわらず、指が回答しているときに働いていたモニター意識は、自分の知らないことなのに指が勝手に回答をし、涙が勝手にわき出すという自動動作現象を自覚していたと報告しています。
このクライアント女性が、主訴である十字架に対する幼少からの強い執着の理由について、「ああ、そうだったのか!」と洞察に至ったことは言うまでもありません。
しかし、不思議なことに、覚醒後に最初に出た質問が、「細川ガラシャってどういう人ですか?」でした。
歴史上の著名人が顕現化したのは3例目ですが、クライアント自身が、その顕現化した前世人格の名前はもとより知識が一切ない、と断言した事例は初めてです。
ちなみに、史実によれば細川ガラシャは、石田光成の兵に攻められ、槍によって突き殺されています。享年38歳。また、ガラシャを洗礼し洗礼名を与えたのは、幽閉先で侍女として仕えた洗礼名清原マリアであり、伴天連の宣教師ではありません。
クライアント女性が、全くガラシャを知らないと断言しているにも関わらず、洗礼したのは伴天連宣教師ではないこと、死亡年齢は30代後半であることを、指は正しく回答しています。
この細川ガラシャを名乗る者が、口頭での対話可能であれば、さらに信憑性の高い具体的情報が得られたはずで残念ですが、顕現化した前世人格が口頭で語れる率は、約20%でしかありません。
口頭で話せない理由を、前世人格は指による回答で、「肉体を失ってから時が経っているので現世の者の肉体に憑依しても、その発声器官を操作することが難しい、指くらいであれば操作できる」と答えています。
一方、モニター意識は、声を出そうと自分ではない者があがくけれど、喉がすぼまるような感じで話せそうなのにどうしても声に出せないと感じていた、と報告しています。
クライアント自身が自分の前世の記憶(場面)を想起して語る、という前提でおこなうワイス式前世療法では起こらない現象のようです。
口頭で答えられない現象は、「自己内憑依」した前世人格自身に語らせる、という前提に立つSAM前世療法にともなう独特の現象です。
同時に、モニター意識が、勝手に口が動いて話していたという自覚を持つ「自動発話現象」、勝手に涙がわき出した、勝手に指が回答したと自覚する「自動動作現象」は、SAM前世療法における特徴的な現象のようです。

2012年5月1日火曜日

前世人格の顕現化現象と「自己内憑依」仮説

前世人格の顕現化とは、「自己内憑依」だという考え方は、今年に入ってからのSAM前世療法における新たな作業仮説の展開です。
この信じ難い考え方に至った経緯を述べてみます。
SAM前世療法は、霊的存在の実在と、それら霊的存在の憑依現象を認める立場に立っています。
筆者が霊魂と霊的存在の実在を認める立場をとる理由は、それがクライアントが示す意識現象を観察した直感に著しく反していないからであり、それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、その憑依的現象が唯物論的枠組みからは説明できないからです。
SAM前世療法の作業仮説は、筆者あて通信霊の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることもクライアントの示す意識現象の事実として明らかになっています。
ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営みだ、と筆者には思われるのです。
魂の自覚状態、前世人格の顕現化という意識現象に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てる立場で、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。
ちなみに、スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』11頁)と記述し、呼び出された前世人格を催眠トランス状態で現れた「トランス人格」(前掲書9頁)と呼んでいます。
つまり、催眠下で前世人格を呼び出し顕現化させる、というSAM前世療法における筆者と同様のとらえ方をしています。
おそらく、この被験者も里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。 
 
こうした海外で発見された催眠下の応答型真性異言事例と考え合わせると、「前世人格の存在する座は魂の表層である」、とするSAM前世療法の作業仮説の検証は、ますます意味深い作業になると思っています。
なぜならば、スティーヴンソンは、呼び出された「トランス人格(前世人格)」が真性異言を話すことまでは言及しても、その「トランス人格(前世人格)」の存在する座はいったいどこにあるのかまではっきり言及しようとしていません。
ただし、彼は、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフオア)』と呼ぶことにしたらどうか(『前世を記憶する子どもたち』359頁)」とまでは提唱しています。
筆者が「魂」と呼ぶものを「心搬体」と呼ぶのは、宗教色を排除しようとした科学者としてのスティーヴンソンの慎重な自制からでしょうが、SAM前世療法は、それ以上言及されなかった前世人格の存在する座までも検証することになるからです。
ちなみに筆者が、「霊魂」と生まれ変わりを認めるからと言って、特定の宗教に帰依する人間ではありません。
どこまでも、SAM前世療法に現れる意識現象の事実を認める立場から必然的に至った見解です。
さて、「前世人格の顕現化とは、『自己内憑依』だ」という考え方は、4月8日におこなったラタラジュー顕現化の再セッションにおいて、里沙さん守護霊の告げたことに触発された見解です。
「ラタラジューの現れる現象を憑依だととらえなさい。応答型真性異言のような現象は優れた霊媒体質を持つ者だけに現れる特異な現象です」と彼女の守護霊は告げたのです。
彼女の守護霊は、私に霊界や霊現象の消息を伝えることを使命としている、と以前から告げていますから、その言を真摯に受け入れることが筆者の立場です。
「憑依」とは、「霊などがのりうつること(『大辞林』)」とされています。
筆者が、「前世人格の顕現化」と呼んでいる意識現象は、その観察事実から、まさしく憑依現象そのものだと言ってよいものです。
前世人格が、現世の肉体に「のりうつり」、現世の肉体(発声器官・指など)を借りて自己表現をしていると観察できる現象です。
その消息は、次のようなクライアントのセッション後の感想からも、うかがい知ることができます。
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まず、男のような声で唸る自分に驚き、続いて鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていたことに本当に驚きました。彼は、ドイツの木こりでした。結局のところ彼はどうしてこの場に出てきたのかわからず、「なんでかな~」と唸りながら、首を傾げていました。そして、先生から「また今後ゆっくりお話を聞きましょう」といわれその後、私は現世に戻って来ました。
 今回の先生とのセッションは、私にとってとても印象深く、ちょっとした衝撃でした。今までワイス式では、どちらかと言うと「自分で作ってしまっているのではないか」という観がありました。しかし、SAMでは、誘導から一っ飛びに、その人物になってしまったり、明らかに男の声、しゃべり方になっていることを実感できたからです。
 となると、魂の側面のものたちが存在すると私は確信せざるをえません。
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このクライアントが報告しているような、「男のような声で唸る」、「鼻を鳴らしたり、また唸ったり、発する声が完全に男になっていた」、「その人物になってしまったり、明らかに男の声、しゃべり方になっている」 などの現象は、SAM前世療法では一般的に現れ、観察されます(mixi「前世療法の探究」トピック「セッション体験報告」参照)。
つまり、前世人格が、現世の肉体に「のりうつり」、現世の肉体(発声器官・指など)を借りて自己表現をしていると観察できる現象です。まさに、前世人格の現世の肉体への憑依現象と呼んで差し支えない現象です。
筆者は、したがって、「前世人格の顕現化現象」を、「自己内憑依」と呼ぶことにしました。
魂の表層に存在している前世人格が、現世の肉体(自己)に憑依する、という新しい概念です。
一般に憑依とは、自己にとっての異物である霊的存在が、自己にのりうつる現象を意味していますから、これを「自己内憑依=前世人格の顕現化」に対して、「自己外憑依」とでも呼ぶことにします。
前世人格とは、自己の魂の表層に存在しているのですが、いわゆる死者であり霊的存在でもあるわけですから、「憑依」の概念が適用されても誤りではないと思います。
ただ、これまで魂表層に存在する前世人格という、いわば自己の身内が、自己に憑依するという現象が発見されなかったので、「自己内憑依」が突飛で奇妙な言い方であるように印象されるだけです。SAM前世療法の発見したところの、いわば創造的定義が「自己内憑依」です。
そして、「自己内憑依」と「自己外憑依」の見分けの指標は、とりあえず次のように言えると思います。
自己内憑依の場合は、モニター意識が明瞭に働いて、「憑依人格=前世人格」との同一性の感覚が働きます。「憑依人格=前世人格」が「憑依中=顕現化中」の記憶が明瞭に残ります。
これに対して、「自己外憑依」の場合は、モニター意識が「憑依霊」に対して、同一性の感覚が持てないか、憑依されている自覚が持てないか、あるいは憑依中の記憶が残りません。
以上のような、「自己内」、「自己外」の「憑依現象」に対する疑問や批判的見解として、精神医学からは「憑依妄想」が疑われるでしょう。
催眠学の立場からは、「憑依人格になったつもりの役割演技」だとみなされるでしょう。
唯物論科学の立場からのこうした疑問・批判を完全に排除できませんが、しかし、応答型真性異言「ラタラジューの事例」が、「自己内憑依」仮説を強力に支持しています。
この事例の検証によって、「自己内憑依」したラタラジュー人格が、被験者里沙さんの「憑依妄想」や「役割演技」といった唯物論的説明では到底成り立たないことを明白に証明しているからです。
妄想や役割演技によって現れた架空人格のラタラジューが、応答的にネパール語で会話できるはずが絶対ないからです。
こうして、SAM前世療法とは、魂状態に遡行できれば、「自己内憑依」、「自己外憑依」の両憑依現象が喚起でき、霊的存在との対話を可能にする前世療法だということです。
そして、SAM前世療法において、クライアントは霊的存在を宿らせる「霊媒」の役割を果たし、セラピストは、霊的存在の憑依を、霊媒であるクライアントに喚起させる触媒的役割を担う、という関係になるでしょう。
さらに言えば、自己内憑依した前世人格と、その苦しみや悲しみを共感的に理解しながら対話するセラピスト、その対話を傍聴しているクライアントのモニター意識という三者的構図こそ、SAM前世療法の際立つセッション構造(治療構造)だと考えることができます。