2012年12月24日月曜日

「タエの事例」「ラタラジューの事例」の現時点での総括

前回まで、「ラタラジューの事例」、「タエの事例」の全セッション逐語記録と、拙著二冊の出版以後新たに解明できたことを逐語録にコメントして紹介してきました。
2005年の「タエの事例」から7年、2009年「ラタラジューの事例」から3年を経て、セッション当初は謎であったことを少しずつ解いてきました。
私は、この両事例の徹底的検証の結果をもって、少なくとも被験者里沙さんには生まれ変わりが実在している、と宣言してよいと思っています。生まれ変わりは、「信仰」などではなく「事実」なのです。
そして、一人に起きている生まれ変わりが、他の人たちにも起きている蓋然性は高いと判断しています。
なぜなら、他の人たちのSAM前世療法セッションにおいて、ラタラジューを呼び出したと同様の手続きによって、ラタラジューと同様の前世人格が顕現化するからです。
つまり、魂状態の自覚に至れば、魂の表層に存在する前世人格の顕現化が間違いなく起こるからからです。
しかし、検証可能な具体的内容を語る前世人格は、きわめて稀であることも事実です。
とりわけ、催眠中に起きた応答型真性異言は、イアン・スティーヴンソンの公表している二事例を加えても、世界で三事例しか在りません。
しかし、検証できないからといって、顕現化した前世人格がフィクションであるという断定は、「ラタラジューの事例」を前にしては、できるとは思われません。
こうして、幾多のセッションに現れた意識現象の累積から、私が、魂と生まれ変わりの実在を認める立場をとる理由は、
それが直感に著しく反していないからであり、
それを認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、
その霊的現象が唯物論的枠組みからは説明できないからです。
SAM前世療法の作業仮説は、霊の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。
この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。
ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、魂や生まれ変わりの実在を回避するために、深層心理学的概念を駆使してクライアントの霊的な意識現象に対して唯物論的解釈することは、現行科学の知の枠組みに固執した不自然な営みだ、と私には思われるのです。
魂の自覚状態、前世人格の顕現化という意識現象に対して、事実は事実としてありのままに認めるという現象学的態度をとってこそ、SAM前世療法を実りあるものにしていくと思っています。
そして、クライアントの示す意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。
魂や生まれ変わりの実在を認めることを回避する立場で、あるいはすべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって顕現化した前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得できる説明ができるのでしょうか。
ちなみに、スティーヴンソンも、「グレートヒェンの事例」において、真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』11頁)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書9頁)と呼んでいます。
つまり、催眠下で前世人格を呼び出し顕現化させる、というSAM前世療法における私と同様のとらえ方をしています。
おそらく、この被験者も里沙さんのような高い催眠感受性を持ち、タエやラタラジューの人格同様、催眠下で一気に魂状態になり、その表層に存在している前世人格グレートヒェンが顕現化したと推測してよいように思われます。
「タエの事例」と「ラタラジューの事例」は、私にとって、まさに掌中の珠であり、私の人生で遭遇した僥倖でした。イアン・スティーヴンソンが世界中を二十数年かけて探し求め、わずか二事例しか発見できなかった応答型真性異言を、私自身のセッションで直接自分の手で確認できるなどということは想像すらできなかったことでした。
しかも、「ラタラジューの事例」は、応答型真性異言発話中の世界初の映像証拠を残しています。
ただし、タエにしてもラタラジューにしても、その実在が文書等の記録では確認できまませんでした。
生まれ変わりを裏づけるような証拠のように重大な問題においては、完璧なもの以外は証拠として受け入れられないと批判されるのであれば、この問題が重要であるからこそ、不完全なものであろうが可能性を示す証拠については、科学として検討するべきだと考えます。細部が不明、不完全であるという欠陥があろうと、重要なことについて確実なことを示す事実にこそ意味があると考えます。
そして、不完全であっても、重要なことについて確実なことを示す生まれ変わりの証拠は、これまでの海外の事例の諸研究によって、その証拠を根拠に生まれ変わりを認めることが自然ではないかと考えられるだけのものが蓄積されています。
さて、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、それぞれ2006年、2010年にアンビリバボーに
取り上げられ証拠映像が部分的に放映されています。セッションの全容でなく部分的放映であったがゆえに誤解が生じ、様々な意見をいただきました。
そこで、この度、両事例の全セッション映像をドキュメンタリー映画として、ほぼ1年かけて自主制作してきた仕事が完成しました。
「タエの事例」を核として、児童生徒への教育催眠とSAM前世療法の二事例が前半2時間、「ラタラジューの事例」を核として、SAM前世療法による未浄化霊の意図的憑依実験、宇宙人の前世人格、守護霊としての前世人格という特異な事例を加えた後半2時間、合計4時間の映画です。
映像撮影・編集・監督を可児市在住の伊藤泰史氏、監修を私が受け持って作業にあたり、里沙さんの検閲でのOKが出ましたので、上映できる運びとなりました。
まずは、可児市とその周辺の公民館等小規模会場を巡回して上映会をすることになると思います。 
私は、自分では、けっして「生まれ変わり研究」オタクではないと自認しています。私をとりまく政治・経済の問題、原発問題、国家の安全保障問題等の諸問題について人並み以上の関心を寄せています。
そして、現状の日本と世界の先行きに不安と危機感を抱いています。
生まれ変わりが事実であること、霊的存在が実在することを証明し、発信することは、こうした現実の諸問題と無縁な、一見浮き世離れした仕事に思われるでしょうが、生まれ変わりを事実だと認めるならば、人間に対する見方、考え方は言うに及ばず、自然界のあらゆるものに対する見方、考え方も根本的な変更を迫られるはずだと思っています。
生まれ変わりを事実だと認める人々が、必ずや当事者性をもって、自分が生まれ変わるはずの地球、世界、日本の未来を真剣に考え、「生まれ変わる自分のために」、必要な政治的諸行動や経済的諸活動をおこなうだろうと期待をしています。
だからこそ、生まれ変わりという重要な問題を執拗に真剣に探究することが必要なのだと思っています。
生まれ変わりなど絶対に認めたくない人は、生まれ変わりを否定する証拠をもって反論する以外に方法はありません。
「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を、生まれ変わりの証拠として絶対に認めたくない人のために、反証可能性に開かれているという意味を含めて、セッション全容証拠映像の公開が必要であると思ってきたところです。その思いがやっと叶いました。
生まれ変わりについて考えている、できるだけ多くの人に見ていただきたいと思っています。

2012年12月20日木曜日

生まれ変わりの両事例を語った被験者里沙さんの感想

ここに紹介するのは、タエ・ラタラジューの両事例を語った里沙さんの感想です。彼女は、生まれ変わりと魂の実在を揺るぎない事実だと認めていますが、 そこから何を考え、自分の生き方にどう影響を及ぼすことになってきたかを知るために書いていただいたものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
図らずも、二つの前世を思い出し、現世の私は少々混乱しています。
 
 今も時々フラッシュバックしたかのように、どちらかの出来事や言葉をふと思い出し、タエのことだろうか、ラタラジューのことだろうか、現世の私の幼少のことだったのかと考え込んでしまうことがあります。
 
 前世療法により、学んでもいないネパール語を話したことで、私の中では人は生まれ変わりの事実が確認できましたし、その経験を語ることが、もしかしたら人を救う一助になるかも知れないという思いもありますが、前世を思い出すことは、必ずしもよいことばかりだとは言えないとも思っています。
 
 なぜなら、どちらの人生でも、生きるということは過酷なものだと思い知らされるものでしたし、とりわけ戦争とは言え傭兵ラタラジューの敵を切り殺すときの生々しい快感を受け入れるには大変苦しい思いをしたからです。
  
 勝手なもので、タエの前世が出てきたときは何となく誇らしいような気持ちでいたのに、ラタラジューの前世は出来れば隠したいと思ってしまうのです。このような形でみなさんに公開してしまって、何と言われるだろうかと怖い思いでいっぱいです。頭では前世と現世の自分は違うものだと理解していても、決して気持ちのよいものではありません。
 
 また、いくら生まれ変わることを知ったといっても、やはり現世での親しい人、身内との別れは身を切るように辛く悲しいことに変わりはありません。来世では、また全く違う人生が始まりますから、現世との別離の思いは簡単に断ち切れるものではないのです。だからこそ、死後があると分かったとしても、みんな死を怖れるのではないでしょうか。
  
 さて、私は前世で死を迎える間際、そして死後の世界を体験しましたので、これからそのことを通して感じたままに、気づいたこと、あるいは揺れ動く気持ちを述べてみたいと思います。
  
 前述しましたように、死を怖れるのは現世が終わってしまう恐怖と、もう一つ未知の死後の世界への恐怖とがあると思います.死にゆく人は、死にたくない、誰か助けてと藁をもつかむほどの恐怖を感じることは確かです。それは、泥流に呑まれて死んだタエの死の直前に私が味わった感覚です。村を救うために自分の命を捧げることが出来てうれしい、と言ったタエが泥流で息絶えるその瞬間に「助けて、死にたくない」と叫んだ死への恐怖を現世の私は忘れることができません。
  
 でも、タエやラタラジューの死後の魂が、魂のふるさとの世界に導かれて行くと、現世では気づかなかったことが分かりました。現世に残してきた子どもや肉親、友だちが、実は同じ魂の世界の子どもであり同じ兄弟だったと何となく分かります。もちろん、母性愛や父性愛、慈愛を現世で学んだのですから、その感情を残したまま、もう一つの同志よ、兄弟よ、現世で頑張れとエールを送る気持ちが芽生えてきます。そして、今までに感じたことのない大きな安堵感に包まれ癒されます。
  
 先ほどラタラジューが、人を殺すことの快感を現世の私に味わわせたと述べましたが、このおぞましい快感の感情を乗り越えるのに、魂の世界の安堵感は大きな力をくれました。私の記憶に残っている、魂の世界の心地よさ安堵感は、人殺しの快感などとは比べようもなく、遙かに高貴で慈愛にあふれたものでした。そして、思い出した瞬間に、ラタラジューからの呪縛から解き放たれることができたのでした。 
  
 このように前世の生き死にを体験しますと、死自体はそんなに怖れなくてもよいと思えるのです。タエの死の間際の恐怖心も薄らいでいくのです。とは言え、実際に死を迎えるときは、このような覚悟も思いも忘れ果て、死にたくないと切に願うかも知れません。そうであっても、死を目前にした方には、大丈夫、怖がることはないですよ、と慰めではなく心からの真実として、私は声を掛けることができると思っています。
  
 この二つの前世を思い出したことによって、考えさせられたことがあります。それは、人は何のために生まれ変わるのだろうかということでした。
 
 生まれ変わるということは、魂を高めるために、現世で学び切れなかったものを来世で学び直すために、自ら願って生まれて来るのだと聞いています。人のために犠牲になることを喜んだタエ、人を殺すことの快感を喜んだラタラジュー、そして現世の私は、脊柱側湾症が悪化して、今は体幹障害という身体障害者の身となりました。
  
 いったい私の魂は、三度の生まれ変わりで、何が学び足らず、気づくことが出来なかったというのでしょうか。どの人生も過酷だった、生きることは決して楽ではなかったことを体験しました。では、私は前世を含めてほんとうに不幸だったのかと言うと、辛くはあっても不幸ではなかったと、むしろそ辛い中で幸せを見つけながら生かされてきたと思えるのです。だとしたら、生きる幸せとは一体どういうことなのでしょうか。
 
 私は、「自分が生かされていること」への感謝の気持ちが持てることのように思うのです。それは、そのように計らってくださっているにちがいない偉大な存在と、現世を生きていけるように支えてくださっている周囲の人々への心からの感謝の気持ちを持てることだと思うようになりました。
 
 タエは捨て子だったけれども、一六歳まで周りのみんなの助けで生きて来られました。だからこそ、その助けてくれた人々への恩返しのために人柱になることを「うれしい」と思えたことは幸せな人生だったと思います。
 ラタラジューも、人の犠牲のうえに生き長らえ、家族を持ち、七八歳で、「生きて人と平和な村を守る喜び」を学んだと言って死にました。その後のフラッシュバックで、村民から毒殺されたと語っていますが。
  
 二人とも、与えられた運命を一生懸命生きた、生かされた、人生だったと思えます。現世の私も、家族に恵まれ、障害はあっても一生懸命生きています。そして生かされているのだと思います。
  
 憑依した私の守護霊は、私の魂が急速な進化・成長を願って、自分で過酷な人生を選んだと告げているそうです。その間の記憶のない私には実感が湧きませんが、前世と生まれ変わりを確認できた以上は、守護霊の告げたことも真実だろうと思えます。だからといって、人生の悟りなどに容易にはたどりつけるものではありません。 
 
 この先にも、背中の痛みに苦しみ、自分の人生を呪うことや、健康な人をうらやむことが必ずあるにちがいないのです。悟りなどとはとても言えそうにない、そういう振り子のように揺れ動く自分の心をありのままに認め 、与えられた人生をもがきながら、その中にあっても生かされていることの幸せを忘れないで、一生懸命生きていくことでしか、私の魂の成長はないのだろうと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
次回は、両事例に対する私の総括を述べる予定です。

2012年12月10日月曜日

「タエの事例」全セッション記録その8

その7からの続き
CL:沼地。・・・虫、虫!
CO:虫がいますか。刺しますか?
CL:(頷く)・・・ヒル。
※2009年5月の再セッション後、カトマンズ在住のソバナ文化人類学博士に9日間にわたってナル村現地調査を依頼した。その結果、ナル村には湿地が点在し、たしかに多くの蛭が棲息していることが確認できた。ソバナ博士に同行した夫君は油断しているうちに靴下の隙間から蛭が侵入して血を吸われてしまったという報告があった。ナル村もカトマンズもカトマンズ盆地内にあるが、カトマンズ盆地はもともと湖底であった所が隆起したもので湿地が多い地形となっている。
CO:でも、楽しいことがきっとある人生でしたよ。そこへ行きましょう。もう少し進めましょう。どんな楽しいことがありましたか?
CL:・・・。
CO:じゃ、指定しますよ。あなたは村長さんでしたからきっと楽しい食事ができたはずですよ。家族と一緒の夕食の場面へ行きましょう。三つで行きますよ。一・二・ 三。食卓を囲んでますか? ごちそうですか? 何を食べるんですか?
CL :トウモロコシ。
CO:そのまま食べるのですか?
CL:粉。蒸す。
※現在のナル村でもトウモロコシを使った料理が多い。
CO:パンみたいにして食べるのですか。ほかには何か食べるものありますか?
CL:イモ。
CO:ジャカイモ? サツマイモ? どんな芋でしょう。
CL:・・・イモ。
CO:何か牛乳みたいなものありますか? バターとか。
CL:ない。
※現地調査によれば、ナル村では牧畜をおこなっていない。したがって、乳製品は食べることはない。2009年5月の再セッションでも、ラタラジューは、コド(キビなどの雑穀)やダル(ダル豆のスープ)などを食べていると語っている。けっして豊かな食生活を送っていたとは言えないようである。
CO:それでは、あなたの人生を終える場面へ行ってみましょうね。その場面で、あなたがその人生で何を学んだのか一番よく分かりますよ。じゃあ、死の間際へ行きましょう。死はね、蝉が殻を脱いで飛び立つように、次の新しい人生へ飛び立つ入り口ですから、何も恐いことはありません。それでは三つ数えると、あなたの死の間際まで行きます。一・二・三。・・・今どこにいますか。
CL:家。寝てる。
CO:今、あなたはどうしてますか? 病気ですか、老衰ですか?
CL:老衰。
※2009年5月の再セッションでは、死の直前に腹痛を訴えている。そのセッション後にフラッシュバックしたラタラジューは、死因を村民から毒を盛られたためだと訴えている。
CO:年は何歳ですか。
CL:七八。
※4年後、2009年5月の再セッションでも、ラタラジューは死亡年齢をAth satori(8と70)、つまり78だと答えている。
CO:周りに誰かいてくれますか? 妻はいますか? 子どもは?
CL:妻はいる。子どもはそばにいない。
CO:その家族の誰かと、現世の里沙さんと深いつながりのある人はいませんか?
CL:いない。
CO:老衰で亡くなりますよ・・・。今、あなたは肉体を離れました・・・。あなたは、そのネパール人の人生で何を学びましたか? どんなことを学びましたか。
CL:生きて、人と、平和な、村を守る、喜びを、感じました。願わくは、字が読めるようになりたかった・・・。
※2009年再セッション後のフラッシュバックでは、ラタラジューは独裁権力を振るったため村民から恨みを買い、一家全員が抹殺されたと訴えたそうである。「平和な村を守る喜び」というここでの語りと、4年後のセッション後のフラッシュバックでの毒殺による一家抹殺の訴えとは大きな齟齬がある。その理由は不明である。
CO:ああ、あなたは、字が読めなかったのですか。
※ネパール人の識字率は2000年において、成人40%(女子20%)である。19世紀半ばに生きたラタラジューが、文字が読めないことは当然ありうると推測できる。なお、ネパール山村部の住民は、ほとんど年中畑にいて、他の地域に動くことはなく、国政や他の地域で起こっていることは、まず知らずに一生を終える生活だという。
CL:はい。勉強をしたかった・・・。
CO:あなたは今魂なんですが、次は里沙さんに生まれ変わるわけですか?
CL:はい。
CO:これまで、二つの人生を見てきました。これから、あなたは、現世の里沙さんの身体の中に戻りますよ。そのときには、この二つの人生で見た学びをしっかり生かして、これからの里沙さんの人生を、より充実して生きる力がきっと生まれていますよ。 いいですか。きっと素敵な人生を送れます。難病に耐えて、あなたは自分の使命を果 たす勇気と力を取り戻して、たくましく生きることがきっとできますよ。では、ゆっくり五つ数えます。目が覚めたときには、すっきりしてとても気持ちよく目が覚めます。そして、今の催眠中に起きたことは、すべてはっきり思い出すことができます。 いいですか、ではゆっくり戻りましょう。一・二・三。もう戻ってきますよ。四、もう身体に入りましたよ。五。さあ、これですっかり里沙さんの身体に入りました。ゆっくり、目を開いていいですよ。とっても疲れましたね。よくがんばりました。でも、がんばっただけのことはきっと起きますからね。きっとプラスになっていますからね。
※この2005年6月のセッション時点、4年後の2009年5月の再セッションの時点でも、ナル村の実在は確認できていなかった。2005年のこのセッション後、「ネパールナル村」で検索してもヒットしなかった。しかし、2009年のセッション後、再度「ネパールナル村」で検索したところヒットした。ヒットの理由は、海外青年協力隊の派遣先として政府関係の公報に掲載されたからである。ちなみに、ネパール地図を検索してもナル村は掲載されていない。カトマンズで手に入る地図には掲載されている。このようなナル村を、なぜ被験者里沙さんが知っていたのか、里沙さんが超ESP(万能の透視能力・テレバシーなど)でも発揮しないかぎり、通常の方法ではナル村を知ることは不可能だと思われる。そして、もっとも妥当な解釈は、前世人格ラタラジューがナル村に実在していたと考えることではないだろうか。
終わり

2012年12月8日土曜日

「タエの事例」全セッション記録その7

その6からの続き
これまで紹介してきた2005年6月4日の「タエの事例」に引き続いて、タエの次の生まれ変わりを探ったところ、ネパール人ラタラジューが顕現化しました。そして、4年後の2009年5月9日にラタラジューの応答型真性異言実験再セッションをすることに繋がっていきました。
CO:じゃあ、里沙さんの魂に戻ってください。あなたは、おタエさんが最初の人生で した。その後にも生まれ変わりを繰り返したといいます。里沙さんに生まれ変わる直 前の人生に戻ってください。その人生の一番楽しかった場面に戻りますよ。じゃ、三つ数えるとその場面をはっきり思い出すことができます。一・二・三。はっきり思い 出しましたか?
CL:・・・ラタ・ラジュー・・・ラタ・ラジュー。
CO:あなたは日本人ではないですか?
CL:ネパール。
CO:ネパール人?
CL:ゴルク。
CO:ゴルカ?
CL:ラー。ラタ・ラジュー。
CO:それは何語か分かりますか? 私の言ってること分かりますか? 今、お話ししたのは日本語ではないですね。何語でしょう?
CL:ネパール。
CO:ネパール語? で、なんてお話ししてくださったんですか? 翻訳してください。
※この時点で、ラタラジューを名乗ったネパール人村長が、ひょっとして日本語をネパール語に翻訳して会話するかもしれないと期待した。それが起これば、少なくとも朗唱型真性異言現象となり、日本初の真性異言現象の発見となるはずであった。被験者里沙さんがネパール語を知っている可能性はほぼゼロだと考えられたからである。
CL:・・・わたしは、ネパール、ナル村に住むラタ・ラジューという村長です。
CO:男性ですか。
CL:そうです。
CO:あなたの奥さんの名前は?
CL:・・・ラメリ。
※4年後の2009年5月の再セッションでもラタラジューを呼び出すと、妻はラメリだと答えている。
CO:子どももいますね。上の子の名前は?
CL:・・・アディス・クジャウス。
※この時点でアディス・クジャウスで一つの名前だと勘違いした。4年後の2009年5月の再セッションでラタラジューは、アディスが男の子、クジャウスが女の子だと答えている。
CO:そのネパール語で、あなたの一番楽しかった場面をゆっくりお話ししてください。
CL:・・・。
CO:お話しできませんか? その場面を是非ともお話ししてください。はっきり分かりますよ。それがあなたの前世を証明する証拠の一つになるかもしれません。ゆっくりと発音してくれませんか。
CL:・・・。
CO:じゃ、「わたしは、ネパールのナル村の村長です」ってネパール語で言ってくれませんか。
CL:アディドウーダ、イリ、ナル、アディス。
※この発音を二人のネパール人に聞いてもらったが、ネパール語であるかどうかは判断できないとの回答であった。その後、2009年3月に、Aru Vanda Eni Yada Aucha のように聞き取れるという別のネパール人からの鑑定があった。ただし、私の要求した意味ではなく、「他の人と比べると彼女を思い出させる」という意味だとのことであった。これだけ意味のズレがあっては、異言とは言えても、真性異言とは言えない。
CO:「わたしには子どもが何人いて、長男の名前はだれだれです」と言ってもらえませんか。
CL:・・・。
CO:はっきり思い出すことができますよ。あなたが生きた人生ですからね。ネパール 人として、村長として。「わたしには何人の子どもがいて、上の子の名前はこれこれです、下の子はこれこれです、妻はこれこれです」と言ってください。
CL:・・・んん。
CO:出てきませんか? それじゃ、これからゆっくり五つ数えるとはっきりと頭の中にすーっと浮かんできますよ。一・二。だんだん鮮明になってきました。三、ずーっとはっきりしてきた。四、もう当時の言葉がすらすら話せる状態ですよ。五。もう話せますよ。さあ、お話ししてください。
CL:・・・んん。
CO:じゃ、簡単にしましょう。「わたしの妻の名前はこれこれです」でいいですよ。 それなら言えるでしょ?
CL:アードウー、カドウール、ナトリ、メモリス。               
※前述「アディドウーダ、イリ、ナル、アディス」の発音の鑑定者はMa Aja kathmandu magai Mugulinと聞き取ったという。意味は「今日、私はカトマンズからムグリンへ行って」になるという。こうして2009年3月になってから、ラタラジューの発音した二つのネパール語らしきものは、私の要求した意味に翻訳されてはいなかったが、ネパール語であるという鑑定結果が出たのである。この結果を受けて、2005年5月9日にラタラジューの真性異言実験再セッションをすることとなった。
CO:じゃ、少し頭を冷やしましょう。これからちょっとの間休みましょう。また声を かけるまでゆっくり頭を冷やしてください。(5分ほど休憩)
では続けましょう。あなたが村長さんとして生きているネパールの国王の名前は分かりますか?                               
CL:グルカ。グルカ・コスターレス。
※検証の結果、この名前の国王は実在しないという結果であった。
CO:あなたが村長さんでいらっしゃる生きているのは何年ですか? 西暦で答えられますか? 西暦分かりませんか?
CL:西暦?
※ネパールでは西暦カレンダーを用いない。ネパール公式の暦はヴィクラム暦という太陰太陽暦で、1年の始めはグレゴリオ暦の四月中旬に固定されている。2012年はヴィクラム暦2069年に当たる。しかし、他民族から構成されているので、暦も数種類用いられている。ちなみに、現在でも村長クラスの家でさえネパール暦のカレンダーはないことが多い。2009年5月9日の再セッションでも、ラタラジューはカレンダーそのものが分からないと答えている。
CO:西暦が分かりませんか。何年のお話でしょう。
CL:五九歳。
※私の質問から推測すると、ラタラジューは五九歳時点で村長であったということか?
CO:あなたの年齢ですね、それは。
CO:何年のことか分かりませんか? 私が何を聞いてるか理解できませんか?
CL:分からない。
※後に分かるが、ラタラジューは78歳で死んでいる。「何年のことか分かりませんか?」という私の質問には答えようがないのである。カレンダーを知らないラタラジューに対して、この質問は愚問であった。
CO:そうですか。それじゃだめですね。国王の名前は分かるのですね。
CL:グルカ。
CO:そのときにカレンダーはないんでしょうか? あなたの生きている五十九歳のときの。
CL:カレンダー?
CO:ネパールにはカレンダーがない?(CL頷く)今、あなたはどこにいるのですか?
CL:畑。
CO:周りを見てください。何が見えますか?
その8に続く

2012年12月6日木曜日

「タエの事例」全セッション記録その6

その5からの続き
O:それはC分かっています。でも、おタエさんを記録した人はいませんでしょうか?
CL:女は、道具です。
※この偉大な存在者(守護霊)の語りは、当時の男尊女卑への痛烈な批判を含んだ冷徹な語り口であった。とりわけ、人柱になったタエが捨て子であり、記録にさえ残されることのないことへの怒りがこもっているように感じられた。、
CO:道具でしたか。それでは、おタエさんを育ててくれた名主の・・・?
CL:クロカワキチエモン。
※渋川市教委を通じて、渋川市史編集委員の郷土史家の蔵書の検索によって、当時の渋川村の名主が4名であったことが判明。そのうち一人がホリグチキチエモンであった。クロカワチエモンではなかった。2012年5月29日の再セッション(映画で公開予定)によって、クロカワキチエモンは、「クロカワのキチエモン」と呼ばれていたことをタエが語った。名主キチエモンの設置した吾妻川の船着場の石が黒かったので村の衆がそう呼んだという。つまり、「クロカワのキチエモン」は俗称であり本名ではなかった。本名をタエは知らないと語っている。ホリグチ家は初代以後明治になるまで当主は代々ホリグチキチエモンを襲名していることが判明。村の衆は、当代ホリグチキチエモンを先代、先々代と区別するために「クロカワのキチエモン」と俗称で呼んだことは信憑性が高いと思われる。タエが語った「クロダのキチエモン」も同様の俗称であった。こうして、このセッション(2005年6月4日)以来の謎であった、タエがクロダキチエモン、偉大な存在者がクロカワキチエモンと別性をそれぞれ語った理由の解決が、7年後の2012年になって決着した。ただし、なぜ、全部お見通しであるはずの偉大な存在者(守護霊)が、俗称の「クロカワのキチエモン」を語り、本名のホリグチキエモンを語らなかったのかという謎が浮上する。偉大な存在者(守護霊)は、本名を知っていて敢えて語らなかったということだろうか。偉大な存在者(守護霊)が本名をズバリ語ったとすれば、通常では検索不可能に近い資料でしか検索できないだけに、偉大な存在者(守護霊)の実在の可能性の濃厚な証拠になる。それを韜晦するための計らいがあるのかも知れない。あるいは、別姓の語られた謎に、私がどこまで肉薄できるのかを試されたのかも知れない。
CO:そのクロカワキチエモンと連れ合いのハツは名主でしたから、その記録は残っているでしょうか?
CL:残っています。
CO:どこへ行けばわかりますか? 図書館へ行けば分かりますか? それとも?
CL:・・・資料はあります。
※この偉大な存在者(守護霊)の語りも謎である。資料のありかをズバリ語らず韜晦しているとしか思えない。クロカワキチエモンがホリグチキチエモンであることの特定ができる資料は郷土史家の個人蔵書で確認できた。後の調査で、ハツの実在を確認できる有力資料である寺の過去帳は、同和問題の関係から開示はされていない。当時の人別帳は焼失して現存していない。墓石からの発見も、200年前の古い墓碑銘が読み取れず空振りであった。
CO:そこにハツの記録も残っているでしょうか? 多くのみなし子を育てたことぐらいは残ってるでしょうか?
CL:たくさんの文書は洪水で流され、田畑(でんばた)の帳簿、村の様子など書き記(しる)したものは、ほとんどありません。
CO:分かりました。そうすると、おタエさんの存在そのものの裏付けを取ることは、現在のわれわれには無理ですね。
CL:はい。
CO:ただ、馬頭観音のお堂の下に、おタエさんの左腕が、土石流の下に埋まっているのは間違いないですね。
CL:はい。
CO:なぜ、片腕が馬頭観音様の下に埋められることになったのですか?
CL:雷神様を乗せる馬を守るために、タエの左腕が供えられたのです。
※2012年5月のタエの再セッションで、タエは馬も一緒に橋の柱に繋がれていたと語っている。
CO:それは切り落とされたわけですか? 刀によって?
CL:そうです。
※左腕を切り落とされた重大事をタエは語っていない。これも大きな謎として残った。このセッションから7年後、2012年5月29日の再セッション(映画で公開予定)で、タエにと尋ねたところ、人柱として送り出される酒宴で、ご馳走とともにキチエモンから酩酊するまで酒を飲まされたこと、左腕を切り落とされたことは分からないが、左腕の付け根が「熱い」と語った。酩酊状態で鋭利な脇差しなどで一気に切り落とされた場合、「痛い」ではなく、「熱い」という感覚が残ることはありうるとの外科医の見解を得ている。おそらく、人柱として死を前にしたタエの恐怖心を麻痺させ、左腕を切り落とす痛みをなくすために酩酊させたと推測できる。
CO:それにタエさんは耐えたわけですか。
CL:そうです。
CO:それはタエさんが望んで腕を差し出したわけですか?
CL:違います。馬が必死で暴れるので抑えるために、タエの腕を馬の口取りのために馬頭観音に捧げることになりました。
※ここで言う「口取り」の意味を里沙さんは知らない。ビールの口取りなら知っているという。ここで言う口取りとは、馬の轡に付けた手綱を持って引くことである。この意味の口取りは現代ではほぼ死語であり、競馬関係者くらいしか用いない。
CO:分かりました。もう一つ、あなたは偉大な存在者なので、私の探究が許されるなら、魂がおタエさんの後、里沙さんに生まれ変わるまでの間に、もし、生まれ変わりがあるとしたら、そこへ里沙さんをもう一度行かせることはいいでしょうか?
CL:はい。
CO:ありますか、やっぱり。
CL:はい。
CO:あなたならすべてお見通しなので聞きますが、里沙さんの魂は、今までどれくらい生まれ変わりを繰り返したのでしょうか? 回数、分かりますか?
CL:長く繰り返している。
CO:一番古くはどんな時代でしょう?
CL:天明、タエが初。
※引き続いてのセッションで分かるが、タエ→ラタラジュー→里沙と3回の生まれ変わりをしている。
CO:もう一つ聞きます。その魂はいったいどこから生じるのでしょう?
CL:中間の世界。
CO:そうすると、あらゆる魂はもともと一つのところから生まれてくるのですか?
CL:中間の粒子が魂に生まれ変わります。
CO:中間の世界で粒子が魂になる。
CL:そうです。
CO:魂は永久に生まれ変わりを続けるわけでしょうか?
CL:粒子の色が消えると、生まれ変わりはなくなります。
CO:その魂は、中間の世界に留まることができるのですか?
CL:わたしの一部になります。
※この「わたし」とは、偉大な存在者であり、守護的存在である。魂がそうした存在の一部になる、という謎の語りは、偉大な存在者であり、守護的存在であるものがスピリチュアリズムが説く「類魂(グループソウル)」でもあると考えられる。ただし、同レベルの霊的進化・成長を遂げた魂の共同体である「類魂(グループソウル)」が、守護的存在として一つの意志を持つ人格のような働きをするということを聞いたことがない。しかし、スピリチュアリズムでは、生まれ変わりの旅に出る魂は、類魂全体の成長進化をも担って、類魂から分かれ出ると言われている。とすれば、類魂全体が一つの意志的存在として働くのかも知れない。このことを2009年5月の「ラタラジューの事例」セッションで、里沙さんの守護霊を呼び出して尋ねたところ、守護霊は類魂としての守護霊であると回答している。さらに、ハイヤーセルフと呼んでもいいとも回答している。
CO:分かりました。ありがとうございました。わざわざお呼び立てして、申し訳ありませんでした。でも、随分いろんな勉強になりました。
※ここで「タエの事例」は終了です。ただし、引き続いてタエの次の生まれ変わりを探ったセッションを続けました。そこで、ラタラジューが1回目の顕現化をすることになります。次回に紹介します。
その7に続く

2012年12月4日火曜日

「タエの事例」全セッション記録その5

その4からの続き
CO:さっき、あなたのおっしゃったことに勇気を得て、もう一つ聞きます。今、あなたが語ったことが、その時代に生きたおタエさんしか知り得ないことだという証拠を、私はつかみたいと思っています。その結果、前世というものが間接的にでも証明できたら、多くの人の人生観が変わって、特に死を間近にした人たちに勇気を与えることができると思っています。このセッションの場には、その研究をしていらっしゃる小野口さんという先生も来ています。そういう人のためにも、おタエさんしか知り得ないことで、でも、われわれが後で調べたら何とか分かるような、そういう証拠の話か物がないでしょうか? そんなことを聞くのは傲慢(ごうまん)でしょうか? もし、お許しがあれば、それを教えていただけないでしょうか。
CL:傲慢ではありません。タエは・・・左腕をなくしています。渋川村上郷、馬頭観音下に左腕が埋まっています。
※タエは、人柱になるに当たって、自分の左腕をなくしたことを一切語っていない。このような重大事をなぜ語らないのか謎であった。その謎は7年後(2012年5月)の再セッションで明らかとなった。このことは「その6」で記述する。
CO:それはおタエさんの左腕ですか?
CL:そうです。
CO:であれば、今は随分時代が下がってますから、骨になっていますね。
CL:そうです。
CO:その骨が、渋川村、上郷、馬頭観音の下ですか?
CL:そうです。
CO:下ということは、馬頭観音様は外に立っていらっしゃいますか? お堂の中ではない?
CL:お堂です。お堂の下を掘るとタエの左腕が出てきます。
CO:それが、タエが実際に存在した証拠になりますか?
CL:そうです。
CO:馬頭観音様が祀られているのはお寺でしょうか?
CL:馬頭観音は寺ではありません。小さなお御堂(みどう)です。
CO:それは現在でもありますか?
CL:あります。
※現渋川市上郷で小さなお御堂を供えている馬頭観音は一基ある。山手にある良珊寺参道脇の道を少し入った山林に囲まれた場所であることを現地で確認した。石の馬と並んで石灯籠状に祀られた馬頭観音であった。この石灯籠状のお御堂の銘文には「享保一五年(1730年)」と刻んである。天明三年は1783年なので50年余前に建立されている。これが偉大な存在者の告げた馬頭観音だと特定して間違いないであろう。
CO:おタエさんの左腕を探すためにはその床下を掘れということですか?
CL:土、下。
※石灯籠状の馬頭観音お御堂であるので、当然床はない。お御堂は直接土の上に建ててある。したがって、床下ではなく土下と告げている。「土、下」の意味が分かったのは、セッション後に現地の馬頭観音堂を確認してからのことである。
CO:どのくらい掘ったらいいのでしょうね?
CL:土石流で埋まっているので・・・。
※上郷馬頭観音お御堂付近の現地調査では、土石流の痕跡が確認できなかった。偉大な存在者は、私がタエの実在証拠を求めて掘り起こすことを予想して、土石流によって骨を見つけることができない、といった予防線を張ったのではないかと疑った。しかし、2012年になって、私の読者がネット検索によって渋川市のハザードマップを見つけ出した。ハザードマップによれば、上郷馬頭観音お御堂付近には、過去に土石流被害のあったことが確認できた。偉大な存在者の告げた「土石流に埋まっているので」という語りは本当であった。
CO:ちょっと掘れない。でも、埋まっているのは間違いない?
CL:はい。
CO:分かりました。それ以外に、もっと何とかなる方法で、おタエさんの存在を証明する何かがありませんか? たとえば、おタエさんを、村の人たちが供養のために何かしていませんでしょうか?
CL:何も残してはおりません。村は洪水で壊滅状態になりました。
※偉大な存在者の告げている「村」は、渋川村を指していない。「田畑少々水入る 人壱人流」が渋川村の被害報告である。壊滅状態にはほど遠い被害である。渋川村より上流の村々の洪水被害を指している。ちなみに、すぐ上流にある川島村(現渋川市川島地区)では「家百一三間(軒)、人七六人、馬三六疋」の被害報告があり、まさに壊滅状態であった。
CO:おタエさんのことは、郷土史か何かの記録には残っていませんか? 語り継ぐ人はいませんでしたか?
※「浅間焼泥押」被害に限らず、渋川市に伝わる人柱伝説の文書等の有無を渋川市史編集委員である郷土史家に調査していただいたが、人柱伝説の類は発見できなかったという回答を得ている。どうやら、タエの人柱については「何も残してはおりません」という偉大な存在者の語りはそのまま受け取るしかないようである。村人が何も残していない理由を、このあとで「女は道具です」という語り方で、偉大な存在者は冷徹に言い放っている。
CL:たくさんの人が浅間山の噴火を記録しました。
その6に続く

2012年12月2日日曜日

「タエの事例」全セッション記録その4

その3からの続き
ここからは、里沙さんに憑依してもらった「偉大な存在者」、いわゆる彼女の守護霊との対話である。この守護霊との対話は25分間続いた。これは、催眠を用いて、意図的に憑依させた霊との対話実験というほうが適切である。この守護霊との対話実験は、この場で思いついたインスピレーションである。タエの魂が「偉大な存在者」と出会い、対話できたことを報告したので、それならばその存在と私が直接対話することが可能であるかどうか、試みることを思いついたわけである。この守護霊との対話は25分間続いた。前世療法中に、こうした霊的存在との対話実験がおこなわれたという話を、私は寡聞して知らない。私にとって、初めての冒険的試みであった。
CO:じゃ、一つ聞きますよ。そのあなたのいる魂の世界に、たとえば、私の愛する人が待っていて、生まれ変わりがまだなら、私もそこへ行けば会えますか?
※この質問は、セッション見学者小野口裕子氏(現可児市教育委員)から依頼されていた。機会があれば是非探ってほしいと依頼されていたので、質問してみたということである。
CL:はい。会えます。
CO:もう、生まれ変わりをしていたらどうなりますか?
CL:必ず出会います。
CO:生まれ変わりをしていても出会えますか、魂どうしは?
CL:はい。
※先に他界し、生まれ変わりをすでにしている魂に、後で他界した魂が、霊界でにおいてなぜ「必ず出会える」のか? 里沙さんの守護霊との対話実験再セッションでその謎を告げられている。霊界において魂は、「類魂(グループ・ソウル)」という、魂どうしがひとまとまりの集団を形成しているという。生まれ変わりは、この類魂から一個の魂が分離され生まれ変わりの旅に出る。ただし、分離するとはいえ、類魂に分身を残している。したがって、霊界には分身としての魂が常在しているということになる。だから、後で霊界に来た魂は、先に霊界に来ている「魂の分身」と「必ず出会える」ということらしい。彼女の守護霊は、自分は霊界では異例の存在だと言う。その訳は、自分は稲垣に霊界の消息を教えることが使命になっているからだということであった。こうした経緯があるので、私は里沙さんの守護霊を信頼し、憑依してもらっては霊界の情報を入手している。霊的現象や霊界のことは信頼できる霊界の住人に聞け、というのが私の探究方法である。
CO:もう一つ聞きますよ。今、あなたは偉大な存在者そのものになっていますね。じ ゃあその方は、時間も空間も超越していますから、今、私が、こうやって前世療法のセッションをしていることも、きっとお見通しのはずですね?
CL:はい。
CO:じゃ、聞きます。多くの人が、前世のことは現世に生まれ変わると、忘れて出てきません。でも今、里沙さんは深い催眠状態で前世のことを語ってくれましたが、もともと人間は、前世のことを忘れて生きるようにできていますか?
CL:はい。
CO:それを、無理矢理こうやって、催眠によってほじくり出すことは罪なことでしょうか? どうでしょう。
※この問いは、前世療法に携わるようになってから、私が抱き続けてきた畏れである。
CL:そうではありません。人を救う手段であります。人を救う手段であれば、罪なことではありません。あなたは、それができる人なので、たくさんの人を苦しみから救うことが使命であると。
※この守護霊の回答は、裏を返せば、人を救う以外の目的に用いてはならないということである。
CO:私の使命ですか。
CL:そうです。
CO:であれば、私がこうやって前世療法をやった後は、二人の人からとっても憔悴(しょうすい) しているように見えるそうです。命を縮めているんじゃないかって言われています。そういうことになっていますか? どうでしょう。命を縮めることですか。
※実際、この「タエの事例」のセッション直後には疲労困憊し、膝ががくがくになって歩行がままならない状態に陥った。前世療法は、セラピストの命を縮める所業ではないかと真剣に心配していたのである。
CL:違います。できる限りたくさんの人を救います。
CO:分かりました。じゃあ私は、それを自信を持ってやっていいのですか?
CL:はい。
CO:他に、私に伝えておかなければならないことがあれば、どうぞおっしゃってくだ さい。
CL:世界にたくさんの悩める人がいます。必ず出会います。力を尽くすよう。力を尽くしてお救いください。
CO:はい。私はそういう道を進むのが使命ですか?
CL:そうです。
CO:もう一つ聞きます。大きな謎ですよ。おタエさんは、人柱となって一六歳で短い 一生を終えました。そのおタエさんの魂が、今、平成の現世では里沙さんとして生まれ変わっています。その里沙さんは、側湾症という治る見込みのない苦しい病に罹(かか)っています。なぜ、苦しみを二度も味あわねばならんのですか? いかにも不公平な人生ではありませんか。そのわけは何でしょう?
CL:魂を高め、人を救う道に位置付きし人です。
CO:里沙さんがそういう人ですか。
CL:そうです。
CO:じゃあ、側湾症になるということも、里沙さん自身が、あなたのいらっしゃる中間世で決められたことなんですか?
※「中間世」と「霊界」とは同義として用いる。中間世は前世療法でもっぱら使用される。霊界という用語は宗教色が濃厚であるので敬遠されていると言えよう。
CL:そうです。
CO:それは、里沙さん自身が魂として選んだ道なんですか?
CL:「わたし」が選びました。
CO:「わたし」とは、魂の「わたし」なのか、それとも偉大な存在である「わたし」 のことですか? どちらですか?
※この質問のニュアンスは微妙である。後に分かってくることであるが、「偉大な存在者である私」は類魂そのものである、と「偉大な存在者」が答えている。したがって、「魂のわたし」は、類魂を構成している存在であり、類魂である「偉大な存在者」の構成員でもあることになる。推測するに、類魂の一員としての里沙さんの魂が、類魂全体の意志を担って魂を高めるための生まれ変わり(脊柱側湾症の苦難の道)を選んだということであろう。つまり、類魂とそこに所属する里沙さんの魂とは一体であり、不可分の存在だと思われる。そして、類魂においては、そこに所属する個々の魂どうしが、それぞれの生まれ変わりにおいて獲得してきた智慧を分かち合い、類魂全体の霊的成長・進化を図るようになっていると言う。ただし、このセッション時点で、私には上記のような霊学的知識の素養はまったくなかった。
CL:魂の「わたし」が選びました。
※「魂のわたし」とは、「類魂全体としてのわたし(偉大な存在者)」でもある、と解釈してよいと思われる。
CO:もし、そのことを現世の里沙さんがはっきり自覚できたら、彼女は救われるでしょうか?
CL:救われます。
CO:その苦しみを乗り越えるだけの力を得ることができますか?
CL:できます。
CO:また、聞きますよ。お答え願えますか? 浅間山の噴火のときに雷が起きましたか?
※噴火による火山灰の摩擦によって火山雷と呼ぶ雷が生じる。天明三年浅間山大噴火の火山雷のすさまじさは、当時の絵図に描かれている。
CL:はい。
CO:そのことを、雷神様と人々は言うのでしょうか? 雷のことを。
CL:そうです。まだ、噴火、自然現象は分からない人たちですから、魔物のせいだと思ったのです。
CO:龍神様はなんのことでしょう?
CL:浅間山は信仰の山です。龍神が祀られています。
※浅間山に龍神信仰があったことは、浅間山麓嬬恋村の住人によって確認した。「偉大な存在者」はいい加減なことを告げているわけではない。
CO:その龍神が、お山が火を噴いたために住めなくなって、川を下るというように人々は思ったわけですね。
CL:そうです。
CO:それから、そのときの噴火によって空が真っ暗になって、日が射さなくなって、 火山灰が降り注いで、農作物は不作になりますよね。その結果、下界ではどんなこと が起きたのでしょう?あなたはご存じのはずですが、教えてもらえますか?
CL:噴火による土石流で川が堰(せ)き止められ、そのため洪水が起き、たくさんの人が亡くなりました。
※この事実が「浅間焼泥押(あさまやけどろおし)」と呼ばれる大泥流洪水の被害である。吾妻川、利根川流域で流死者1500人あまりが出た。この時点で、私はこうした史実をまったく知らなかった。もちろん里沙さんも知らない。それは2009年のポリグラフ検査で確認できた。
CO:その川の名前が吾妻川でしょうか?
CL:そうです。利根川の上流になります。
※私は吾妻川の実在はもちろん、それが利根川の上流で合流していることもまったく知らなかった。もちろん、里沙さんも知らない。里沙さんの知らない「浅間焼泥押」の被害や吾妻川が利根川の上流になっていることを「偉大な存在者」が語っている。里沙さんが、超ESP(万能の透視能力やテレパシー)を用いて、「浅間焼泥押」被害や吾妻川の情報を入手して、「偉大な存在者」として役割演技をして語っているという、超ESP仮説および、催眠学による説明、つまり、里沙さんの心の力ですべて説明するには無理があると私は思う。ちなみに、私は、このセッションで、宗教色を薄めるために「偉大な存在者」と表現しているが、守護霊と呼ばれている存在と同義である。
その5へ続く

2012年12月1日土曜日

「タエの事例」全セッション記録その3

その2からの続き
ここから先は2006・10月のアンビリでは一切放映されていません。
私に言わせれば、生まれ変わりの真実を探究するとすれば、この先こそ重要なのです。
ここからはタエが魂として肉体を離脱したあとの、霊界に在ったときの記憶を探るという形をとっています。
CO:身体から抜けましたか? 抜けましたか? あなたはどこにいますか?
CL:・・・暗い。
※この「暗い」所とは、臨死体験者が、死後魂として霊界に向かう過程で共通して報告する「トンネル体験」だと思われる。里沙さんは、臨死体験関係の著作を読んだことはない。
CO:じゃあ、その先へ行きましょう。・・・穏やかな気持ちで、今いますか?
CL:はい。
CO:もう暗くはありませんか?
CL:はい。
CO:どんなふうですか? 言葉にしにくいかもしれませんが、できるだけたとえてみたら、どんなふうですか?
CL:・・・うーん、明るい・・・光の、世界。
※いわゆる「トンネル体験」を経て霊界に至った記憶だと思われる。
CO:あなたには肉体はあるのですか?
CL:ありません。
CO:意識だけがあるのですか? 意識って分かりますか? 心。
CL:「わたし」です。
CO:「わたし」がいるだけ? 身体はないのですか? じゃ、あなたが男か女か分かりますか?
CL:分かりません
CO:ほかにも、あなたのように「わたし」だけという存在を感じますか?
CL:はい。
CO:その世界で何をしているのですか?
CL:・・・浮かんでいます。
CO:ずーっと永遠に浮かんでいるのですか?
CL:上へ上へと、行く。どんどん、光の中を。
CO:で、「わたし」という存在のことを、魂と呼んでいいのですか?
CL:はい。
CO:魂のあなたは、そこにずーっと居続けるわけですか?
CL:・・・入れ替わります。
CO:「わたし」が入れ替わるとは、また誰かに生まれ変わるということですか?
CL:はい。
※この返答は後になると「分かりません」になっている。生まれ変わることについて、魂のタエは知っているのか、知らないのか判然としない。
CO:それまでその世界にいるわけですか。で、その世界の居心地はどうですか?
CL:気持ちいいー。
CO:また生まれ変わりたいと思わないくらい気持ちがいいのですか?
CL:・・・分かりません。・・・生まれ変わる?
※あとで守護霊が語ったところによれば、里沙さんの魂は、タエが最初の人生である。したがって、タエ以外の前世はないことになる。ということで、生まれ変わりの意味が分からないと答えていると解釈できる。
CO:次に生まれ変わるのが、もう嫌というぐらい居心地がいいのですか?
CL:・・・分かりません。
CO:実は、その時間も空間も超越した世界のことを中間世って呼びます。そこには、 あなたの次の人生を、どう生きたらいいのかを導いてくれる、偉大な存在者がいると 言われています。でも、その存在者がどんなふうかは私には分かりません。あなたには分かるはずです。その存在者とコンタクトはできますか?
CL:はい。
CO:その姿が見えますか?見えたらどんなふうか、お話してください。
CL:大きい人。髪と髭が白くて巻き毛で長い。眉も長い。鼻は大きい。目も大きい。 唇は厚い。
CO:異国の人ですか? そうではない?
CL:そうです。
CO:肌の色は?
CL:赤黒い。
※セッション後の里沙さんの記憶では、この「偉大な存在者」が赤黒い肌に見えたのは、後光が差しており、逆光の中で顔の色が赤黒く見えたということであった。したがって、異国の人のような感じがしたということであった。
CO:どんな衣装を着けてみえますか?
CL:白い・・・マント? ・・・。
CO:ローブみたいなものですか?
CL:(頷く)
CO:その方はあなたのそばにみえますか? じゃ、コンタクトはとれますか?
CL:はい。
CO:じゃあ、私がいくつか尋ねるので、あなたからその方に尋ねて、答えをもらってください。そこでは言葉がいりますか?
CL:いりません。
CO:心で思ったことが、ストレートに相手に伝わるわけですか。(CL頷く)じゃ、 尋ねます。あなたがわずか一六歳で、みなし子として貧しい生活の中で生きてきて、 そして、みんなのための犠牲になって死ぬわけだけど、その短い人生で、あなたが学ばなければならなかったことは何でしょう? 私から見ると、ただ悲しいだけの人生 に思えるんだけど。その方に聞いてみてください。なぜ、あなたはそんな人生を歩まなければならないのでしょう? 答えが返ってきたら教えてください。
※ここからは、魂となっているタエの霊界の「記憶」の想起ではない。「偉大な存在者」とタエの魂との現在進行形の対話に移行している。セラピーをおこなっている私は、「里沙さんがタエであったときの前世の記憶」とし扱っていたはずなのに、知らぬ間に、「タエが魂状態に在る現在」として扱っているという時制の混乱を起こしている。この奇妙な時制の混乱は、里沙さんが前世の記憶に在るタエを語っているのではなく、タエという存在は、里沙さんとは別に、今、ここに、顕現化している前世人格だという扱いを、無意識的に私がしていることから生じている。こうした分析がきっかけとなって、「前世の記憶」として扱うことから、「前世人格の顕現化」として扱うことへと考え方を大きく転回するSAM前世療法の理論的基盤が生まれることとなった。そして、このセッションから1年半後、私あて霊信(2007,1,11~2,14)の告げた魂の二層構造によって、SAM前世療法の明確な作業仮説の骨格が与えられることになる。
CL:・・・みなのために、村を救う、みなを、幸せにするために、生きる人生だった。
CO:あなたは、今、満足していますか? 自分のタエという人生を振り返って。
CL:はい。
CO:もう一つ聞いてもいいですか。今度は、できればあなたの口を借りて、その偉大な存在者とお話することはできないでしょうか? 要するに、あなたに乗り移るということですよ。直接にその方の言葉で、伝えてもらえないでしょうか? できなければ無理は言いません。できたら、それをやってみたい。できますか?
※この試みは、守護的存在との現在進行形の対話を企てたということになる。この試みを提案した私は、明らかな自覚として、今、ここに、里沙さんに乗り移った(憑依した)守護的存在と、対面することを望んだのである。もはや、里沙さんの前世記憶という扱いを放棄している。そして、里沙さんに霊媒としての役割を担ってもらい、守護的存在と交霊しようと試みたということになる。
CL:・・・はい。
その4に続く