2013年4月9日火曜日

死後存続(生まれ変わり)仮説を広める戦略

前ブログのソウルメイトさんのコメント
「ラタラジューの事例の英訳を作成なさるということですが、さまざまな発表の舞台のひとつに、トランス・パーソナル心理学会や超心理学会などのアカデミズムを標榜する舞台での発表をご検討されてはいかがなものかと思量いたします。
バラエティー番組などでセンセーションを巻き起こすことが、おそらく先生の本意とされるところではないのではないかと推察いたします。もちろん、広く生まれ変わりや死後生存の事実を大衆にしらしめるという点では、それもあながち排除すべきものとは思いませんが、単なるセンセーショナリズムに消費されてしまうことを恐れます」
についての回答として、私の現在の立場についてまとめてみました。
SAM前世療法が前提としている「前世」、つまり「死後存続仮説」は、今の科学(医学や臨床心理学や人文科学を含む)が基盤としている「唯物論」とは真っ向から対立します。これに対して、前世を認める立場、死後存続仮説を広める側としては、どのように対応すべきなのでしょうか。
① 実証事例を集め積み上げる
これまで120年に及ぶサイキカル・リサーチ(心霊研究)及び超心理学はこの闘争でしたが、これは実に困難な闘いでした。唯物論側は様々な誹謗や奇説(超ESP仮説)を繰り出して、それらの信憑性を否定してきました。また反唯物論的現象の希少性や「とらえにくさ問題」もあって、戦果ははかばかしくありません。
(こうした歴史については、笠原敏雄編著『サイの戦場』や同氏のホームページ「心の研究室」、明治大学教授石川幹人氏のサイト「メタ超心理学研究室」http://www.kisc.meiji.ac.jp/~metapsi/などを参照してください。)
この道で偉大な業績を上げたのは、イアン・スティーヴンソンの研究です。彼は気の遠くなる時間と手間をかけて、2000例を越す生まれ変わり事例を収集・検証したうえに、否定論者の最後の砦、「超ESP仮説」を棄却しうる「応答型真性異言」や、「前世記憶と一致する先天性刻印(birthmarks)」の事例をもつきとめ、生まれ変わり仮説の実証に大きく貢献しました。このことの説明は、東京スピリチュアリズム・ラボラトリーのホームページ、http://www.k5.dion.ne.jp/~spiritlb/3-3.html を是非参照してください。
ところが、こうした実証に対して、唯物論側は、「無視」という態度で終始しています。スティーヴンソンは、4巻にわたる綿密な研究書『再生と生物学』が、広く注目を集めなかったことに失望していたと言います。
生まれ変わり否定論者が、彼の研究をきちんと読んだ後に批判をしているという例は、皆無だと思います。
なお、この立場の研究者は、だいたい生まれ変わり仮説を「受け入れている」とは明確に表明しません。
そう表明するだけで、研究の信憑性が疑われてしまうのです(実はこれは奇妙な話で、例えば最近の新聞で話題になっている宇宙の「暗黒物質」に関する研究では、当人がそれを信じているかどうかは問題にされません。反唯物論現象のみこう した偏見があるのです)。
② 唯物論の論拠が絶対ではないことを論証する
実は、唯物論自体、絶対完璧の基盤を持っているわけではありません。唯物論自体は憶説(信仰)に過ぎませんし、実証主義、数理論理主義、基礎物理学なども、つきつめていくと、様々な論証不能性の壁にぶつかります。
また、科学や医学などを作り上げている知識のある部分は、「欺瞞」や「思い込み」や「政治性」などに汚染されています。一般の人はもちろん、正当科学に従事する人の多くも、こうした議論を知りませんが、現代哲学や物理学の最先端では、「実証」という概念も成立しなくなってきつつあるのです。
こういった議論は、しばしば難解ですが、興味深いものです。『七つの科学事件ファイル』『背信の科学者たち』といった暴露ものなど、考えさせられる著作もかなりあるのです。
ソウルメイトさんの紹介している、牧野尚彦著「ダーウィンよ、さようなら」、マイケル・J・ベーエ著「ダーウィンのブラック・ボックス」、マイケル・デントン著「反進化論」のように、唯物論の代表であるダーウィニズムも、その信憑性は揺らいでいるのです。
③ アカデミズムからの白眼視などどこ吹く風で信じることをやる
へたをすると、狂信家、凝り固まったオカルティストと変わらなくなってしまう危険性があります。
当人の知性、人格などが、きびしく問われ、正常な知性を疑われることになるでしょう。
少なくとも、私の学会発表体験では、アカデミックな催眠関連学会で、前世療法を正当な催眠療法として認知する、あるいはきちんと研究する動きはないと思うしかありません。白眼視されているのです。
また、生命情報科学会、日本サイ科学会など超常現象をまじめに探究する学会においても、生まれ変わりの科学的研究者は見あたらないようです。
したがって、そのような日本において、学会発表してみたところで、まともな議論ができるとは思われません。
私は、大学の研究者ではありませんから、学閥や学統のしばりを受けることなく、実践者としての自己責任で、「アカデミズムの白眼視など、どこ吹く風」とうそぶいて、我が道を行くことができる立場です。
④ 広く一般の人々の支持に訴える
唯物論信仰に深く汚染されていない、多くの人々は、反唯物論的現象への拒否反応も少ないようです。
むしろ、「チャネリング」、「ヒーリング」、「マヤ暦」などの流行に見られるように、唯物論にとらわれない柔軟な立場の動きは、ますます大きくなっているようにも思われます。
アカデミズムの威光からの離反も、かなり顕著になってきているような気配もあります。
ニューエイジャーの人々の言うように、人類は意識革命をしつつあるのかもしれません。
そうした動きと連動する道を探るという戦略です。
ただし、と同じく、へたをすると「怪しい霊能者」と変わらなくなるでしょう。そこに一線を引くのは、誰もが納得できる「事実」に立脚した議論を第一義とすることです。
そして、生まれ変わりに関する、実証なき千万の教説より、たった一つの実証の事実に依って立つ立場を信条にしています。
前世療法を擁護したい人、特に実践者はの立場を堅持してもらいたいと願うのですが、現実にはめったに実証性のあるデータは出てこないかもしれません。しかし、のデータが完全でなくとも、ある程度の納得のできる実証が確認できれば、それを根拠に、の戦略も、また有効性を持つはずだと思います。
特に言いたいことは、の道において、私が明確に表明しているように、「死後存続仮説(生まれ変わり仮説)」」を受け入れる」という立場は、サイキカル・リサーチや超心理学、特にスティーヴンソンの研究が蓄積されている現在、まったく「理性を疑われる」ようなものではなくなっているのではないかということです。
つまり、ちゃんと先行研究を勉強すれば、論拠は十分にあるよ、と言えるようになるはずだと思います。
逆に、態度を留保し、明確な立場表明の回避を重ねている(あるいは人生論ないし思想という安全地帯に逃げている)一部の「前世物書き」、しかも実証の努力もしていない人々は、不徹底なのではないかと思います。(それぞれ立場や事情もあり一概に非難できないでしょうが)。
また、の道を探れば、あまり細かいことを言わずに、「何でもあり」でやってみる、前世体験をしてみたい人にどんどんやってあげて、納得する人が少しでも増えればOKというのもありかな、と思っている次第です。
私が、『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』の2冊を出版し、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の二つをアンビリバボーで放映することを決意し、今また自主制作映画『催眠・魂・生まれ変わりの真実』の上映会を各地で催してもらっているのは、③④の戦略を念頭においているものです。
このブログを立ち上げたのも同様の動機からです。うれしいことに、平均毎日500アクセス前後の人々がおいでくださいます。
そして、今後、「ラタラジューの事例」証拠映像の英訳版を、動画で海外に発信していく予定です。
そして、英訳にすでにとりかかってくださっている協力者がおいでになります。
そもそも、SAM前世療法の作業仮説そのものが、霊的存在を名乗るものが教えたことですし、彼らが繰り返し告げていることは、「生まれ変わりの事実(霊的存在の実在を含めた霊的真理)」を広めよ、ということなのです。
※注 この記事は、かつて高森光季氏が提案されたものに手を加えたものです。

2013年4月1日月曜日

生き霊?との対話

この奇妙なテーマは、実際のセッションのできごとです。
まずは、「生き霊」という概念についてウィキペディアの記事を引用してみます。

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人間の霊(魂)は自由に体から抜け出すという事象は古来より人々の間で信じられており、多くの生霊の話が文学作品や伝承資料に残されている]広辞苑によれば、生霊は生きている人の怨霊祟りをするものとされているが 、実際には怨み以外の理由で他者に憑く話もあり(後述)、死の間際の人間の霊が生霊となって動き回ったり、親しい者に逢いに行ったりするといった事例も見られる 

古典文学では、『源氏物語』(平安時代中期成立)において、源氏の愛人である六条御息所が生霊となって源氏の子を身籠った葵の上を呪い殺す話がよく知られている。また、『今昔物語集』(平安末期成立)27巻20話に、辻で立っていた女が実は夫に離婚された近江国女房の生霊だったというものがある。

憎らしい相手や殺したい相手に生霊が憑く話と比べると数が少ないが、相手に恋焦がれるあまり、その想いの強さが生霊となって恋する相手に憑く話もある。江戸中期の随筆集『翁草』56巻「松任屋幽霊 」では、享保時代に京都のある男性に近所の女性が恋をして、あまりに強い想いが生霊となって彼に取り憑き、想いを囁いたり男の体を激しく動かしたりし、男が散々悩まされた挙句に病の床に臥せってしまったという話がある 

『曾呂利物語』より「女の妄念迷ひ歩く事」 
また、寛文時代の怪談集『曾呂利物語』では、ある女性が眠っている間に、その生霊が抜け首となってさまよい歩き、道端で男に追いかけられ、眠りから目覚めた後に「外で男に追いかけられる夢を見た」と語っており、かつてとは生霊が遊び歩いている間に見ている光景と解釈されていたことが窺える
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さて、ここで紹介する奇妙なセッションに登場する人物は次の3名です。
①会社員で20代半ばのクライアントA子さん。
②職場同僚でA子さんの恋人B男君。
③職場同僚で生き霊を飛ばしていると思われるC子さん。
クライアントA子さんの主訴は、恋人B男君と一緒にいるときに、突然、別人格のように変身して(憑依様の状態)、B男君を非難することの改善でした。セッションには、同行したB男君が同席しました。
突然、別人格のように変身して憑依様の状態が、かなり頻繁に起こる、という心理現象にはいくつかの可能性が考えられます。
①統合失調症(精神分裂病)の症状である妄想
②解離性同一性障害(多重人格)の副人格の顕現化
③未浄化霊の憑依
④前世人格の顕現化
⑤生き霊の憑依
⑥無意識的理由によって別人格に変身する役割演技
事前のカウンセリングによって、①②など精神疾患の所見のないことは確認できました。ただし、精神疾患が隠れている可能性を疑って、催眠誘導には細心の注意を怠らないように慎重を期しておこないました。
催眠によって、潜在意識下に抑圧していたマイナス感情が噴出して(蓋開け効果)、コントロール不能になる畏れがあるからです。
A子さんの催眠感受性は良好で、異常の兆候はなく、魂の自覚状態まで順調に誘導できました。
しかし、魂状態の自覚に至って、顕現化した存在は、なんと、A子さんの職場の同僚で先輩C子さんの生き霊であると名乗ったのです。A子さんとC子さんは、同僚以上の親しい人間関係はないということです。
憑依している生き霊は、同席しているB男君を名指しで次のように罵り始めました。このとき、閉眼し催眠中であったA子さんは、薄目を開けてB男君を指さし、不気味とも思える表情をしていました。
「おまえ(B男)は、ほんとうはこいつ(A子)より、わたし(C子)のほうが綺麗だと思っているんだろう。な、なっ、ほんとうことを言えよ。私(C子)が綺麗だって言えよ」
「おまえ(B男)は、私(C子)を抱きたいと思っていたんだろう。ほんとうのことを言えよ」
「嘘つけ!ほんとうのことを言えよ。ほんとうは私(C子)を抱きたいと思ってたんだって言えよ!」
「私(C子)は、絶対、こいつ(A子)を許さないからな。おまえらの仲を必ず裂いてやるからな」
「私(C子)は、こいつ(A子)を、絶対自殺に追い込んでやるからな。殺すからな。絶対許さないからな」
生き霊を名乗る存在が顕現化したのも初めてのことですが、そうした存在が口頭で話すという現象も初めてのことで、私は驚くと同時に、どのようにしてこのセッションを終結したらよいのか混乱してしまいました。
解離性同一性障害のセッションと、インナーチャイルドのセッションから、「意識・想念」が、一個の人格としてふるまうような存在を作り出すらしいことは承知していましたから、このC子さんの生き霊に対しても、一個の人格として対話するしかないと腹を決めて、その後のセッションを展開しました。
まず、この生き霊が、なぜこのようなすさまじい憎悪と怨念をA子さんにぶつけてくるのか、その理由を問い質してみました。
生き霊が語る理由は、次のような事情でした。
前世で、A子さんは花魁であった。そしてその花魁に入れあげて妻子ある男が家庭を放棄した。その男の妻こそ現世のC子さんであった。
捨てられた妻(C子の前世)は、夫を迷わせ奪った花魁(A子の前世)を憎み、刺し殺して恨みを晴らした。
こうした前世の経緯をもつA子さんとC子さんが、ふたたび現世で再会し、しかも同じ職場の同僚として出会った。しかも、同僚のB男君は、最初C子さんに好意を示して接近しておきながら、後から就職してきたA子さんに乗り換えて、恋愛関係を結んでいる。C子さんにしてみれば、前世で夫を奪われ、今度は現世でもC男君を奪われ、恨み骨髄に徹しているということらしい。
こうして、C子さんの生き霊が、A子さんに憑依して、恨みを晴らそうということらしい。
ここまで分かったところで、私の思いは、この生き霊を説得して、おだやかにC子さんの元へ帰ってもらうことでした。生き霊というからには、浄霊して光の世界(霊界)へ送り出すことはできないでしょうし、生き霊を飛ばしているC子さんの元へ帰ってもらうしかないだろうと思われたからです。
生き霊祓いという強制措置は、最後の手段であって、祓ったからといって事が収まるとは思えなかったからです。C子さんが生きているかぎり、また生き霊の憑依現象が再発することが当然起こりうると考えられるからです。
また、私は、こうした生き霊の語りを聞くうちに、怨念へのおぞましさより、生き霊の心情に共感し、あわれに思う気持ちが湧いてきたからです。好いた男に対する深情け、その裏返しとしての奪った女への憎悪という女心をいとおしく思いました。
「あなたのC子を恨む気持ちはよく理解できた。しかし、あなたは前世で、夫を奪った花魁である前世のA子を殺して恨みを晴らし、帳消しにしたはずではなかったか。それを現世でふたたび、A子を殺すという同じことを繰り返すとしたら、C子の魂が成長するために生まれ変わった甲斐がないではないか。このような理不尽なことを、神が許されるとは思われない。あなたが、生き霊として、これ以上A子に害を為すというなら、あなたに生き霊祓いをすることになる。そのようなことをすると,C子は衰弱すると聞いている。そのようなことはどうしても避けたい。今後A子は、C子に悪意の感情を向けないという約束で、どうか憑依を解いてC子の元へおだやかに帰ってもらえないだろうか。約束が守られないときには、またあなたが憑依することはやむをえないと思っている」
ざっと以上のような説得を繰り返したところ、生き霊はやっと帰ることを約束してくれました。
その後、人格交替のような憑依様現象は収まったという報告を受けています。
また、C子さんには衰弱の気配はなく、逆にA子さんがエネルギーの減退を感じているということでした。
A子さんによれば、彼女はエンパスと呼ばれる他者の自分に向けられる想念を敏感に感知してしまう体質らしく、それまでC子さんが自分に向けている理由不明の悪感情を感じ続けていたということでした。
ちなみに、A子さんは美形というにふさわしいクライアントでしたが、C子さんもA子さんに劣らぬ美形だということでした。
この奇怪なセッションをどう解釈するかはなかなか難解な問題です。
意識現象としての生き霊の顕現化は事実ですが、果たして生き霊の憑依か否かの真偽を客観的に検証することは不可能です。
私は最初、A子さんは、恋人B男君がC子さんに想いを寄せていたことを知っているので、無意識的に生き霊の役割を演じて、B男君のC子さんへの未練の有無を試していることを疑いました。
深層心理学的解釈をするのであれば、そのようなことになるでしょう。
しかし、生き霊のすさまじい憎悪と怨念を、B男君の前で吐露すれば、B男君のA子さんへの恋愛感情が萎えてしまうのではないかと思われます。そのような憑依体質の恋人をもつことをためらうような気がします。
また、役割演技をしていることを疑われるとしたら、そこまでして疑り深いA子さんに興ざめするかもしれません。
そのようなマイナス面を覚悟してまで、役割演技をする利得があるとは考えにくいのです。
こうした生き霊現象を、精神科医であれば、統合失調症、あるいは解離性同一性障害を疑うことはほぼ間違いないと思われます。
憑依様現象を何度も体験しているセッション当事者の私は、唯物論的解釈を停止して、ありのままの意識現象の事実として、生き霊の顕現化現象として、とりあえずは認めておくしかないだろうと思っています。