2013年11月25日月曜日

SAM前世療法の成立 その37

「知覚催眠」段階の解釈(心・脳分離仮説に基づく解釈)
SAMの仮説においては、運動催眠レベルがさらに深まった知覚催眠のレベルとは、潜在意識が言語暗示を受け取り、脳に暗示どおりの諸知覚を感受、あるいは消失するように働きかけ(発信し)、受信機である脳は、潜在意識の命じるように(発信するように)知覚を認識するようになる状態だと解釈します。
つまり、脳の管理下を離れた、心に管理されている潜在意識によって、脳の知覚レベルへの支配が可能になった状態であると解釈します。
このレベルの催眠深度に至ると、心の管理下にあって優勢化している潜在意識が、脳に対して様々な知覚を認識させる、あるいは消失させるように命じ、それを受信した脳はそのように知覚を認識することが可能になり、つまりは、潜在意識に働きかける言語暗示どおりの諸知覚が認識されるというわけです。
そのもっとも典型的な例は、言語暗示によって痛覚が麻痺する(失われる)という信じがたい現象です。
催眠による痛覚麻痺、つまり催眠による麻酔によって開腹手術や無痛分娩が可能になることは、古くから知られていました。
現在のような麻酔薬がなかった時代には、催眠麻酔が活用されていたという歴史的事実があります。
この催眠による無痛現象の説明は、単に痛覚が鈍くなるに過ぎないという説、脳幹にある網様体の神経経路が遮断されるという説、脳内麻薬が分泌されるという説など諸説がありますが、どれも科学的確証がなく、言わば現在も謎の催眠現象だと言って差し支えないでしょう。
この謎の催眠現象に対して、SAMの「心・脳二元論」仮説、「魂の二層構造」仮説を適用すると、痛覚が消失する現象は、潜在意識が言語暗示の示すとおり脳に命じ(発信し)、受信機である脳がそれに従うことによって起こるのだと解釈できるというわけです。
こうした、言語暗示によって知覚の歪曲される催眠現象を、催眠学では一般に、「言語暗示による変性意識状態」だと定義しています。
しかし、なぜそのような変性意識状態が起こるのか、そのメカニズムについては分かっていないのです。
SAM前世療法の誘導プロセスでは、必ず、「知覚催眠」レベルに至っていることの確認作業をします。
その理由は、知覚催眠の催眠深度を通過しない場合には、「魂状態の自覚」に至ることができないことが経験上明らかになっているからからです。
林茂男『催眠入門』誠信書房、1964,によれば、知覚催眠レベル(中程度の催眠深度)に至る者の比率は約36%(19世紀~20世紀の14研究のまとめ)とされています。
SAM前世療法では、知覚催眠の確認を、手のひらの体温の3つの知覚を作り出せるかどうかで確認します。
すなわち、①温感をつくりだせる、②冷感をつくりだせる、③手のひらの知覚を消失させる(無痛状態になる)の3つの知覚が暗示によってつくりだせることをもって、知覚催眠に至ったことを確認します。
「つくりだせる」と表現したのは、まさに、潜在意識が脳に命じて、そのような知覚をつくりだしたと解釈するからです。
つまり、心が脳の管理下を完全に離れ、心(潜在意識)が脳に自在に命じることが可能になった状態になっている、と考えられるのです。
これまでのクライアント直近100事例の知覚催眠到達度は、91%というところです。
催眠学上の研究では知覚催眠到達度は約36%であり、SAM前世療法における91%の到達度はその3倍弱の成功率になります。
こうしたSAMの成功率の高さは、被験者(クライアント)の催眠状態に入ることへの動機の高さと、催眠誘導技術の高さに高い相関関係があると考えています。
催眠状態とは、一口に言えば、潜在意識が顕在意識より優勢になり、脳が潜在識の命じることに従う状態だと考えることができますが、私の根本的な問いは、そもそも意識というものに、顕在意識と潜在意識の二つの意識がなぜ必要なのかという疑問です。
催眠学も医学も、この根本的問いに答えることはできないでいるのです。
SAM前世療法の立場から言えそうなことは、魂が肉体という器を持ったがために、肉体を維持・管理するために顕在意識が必要になったのでないかということです。
つまり、顕在意識は、肉体を維持・管理するために、主として、外界の諸刺激を正しく認識することによってつくりだされた意識であろうと思われます。
このことは、五感という外界からの脳への刺激を遮断したアイソリューションタンクという感覚遮断装置に入ってしばらくすると、肉体の感覚が消失し、潜在意識が優勢化し、体外離脱現象が起こるらしいという報告からも推測できるのではないかと考えています。
(その38につづく)

2013年11月15日金曜日

SAM前世療法の成立 その36

SAM前世療法の作業仮説による「植物状態人間」の解釈
現在の正統医学では、意識のないように見える植物状態の解釈を次のようにしています。
「脳が意識を作り出している。つまり、意識は脳の付随現象である。植物状態は、脳が損傷しているために、意識を作り出すことができない状態である。つまり、意識がないので、脳が肉体を管理できない状態である」
これに対して私の立場による解釈は次のようになります。
「脳は意識を作り出さない。つまり、意識と脳は別である。意識は脳以外の魂の表層、および霊体にある。健在である意識が発信しても、受信機である脳が損傷しているので受信不能となっており、肉体を管理できなくなっている状態である」
このように植物状態を例にとり、その解釈を比べてみると、両者の立場の相違が明確になります。
なお、脳が肉体を管理していると認める点では両者とも同じです。
こうして、私の立場に立つと、植物状態の人間にも意識は存在していることになります。
現に私は、植物状態の人に話しかけて、対話(テレパシーで返答をするらしい)ができたという霊的感受性の高い人を何人か知っています。
もちろん、このことを科学的な検証にかけることは不可能ですが、私の立場に立てば当然ありうることになります。
また、霊信の告げている「霊体に個人的意識が存在している」という前提に立てば、心臓移植した場合に、移植先の患者にドナーの意識が現れるという現象も説明可能かもしれません。
移植される心臓を取り巻く霊体にドナーの意識が存在し、ドナーの心臓とともにその霊体も移植され、その結果、ドナーの意識が移植先の患者の意識に現れるというわけです。
SAM前世療法における催眠状態の説明仮説
催眠状態は、一般的に運動・知覚・思考などの異常性が引き起こされる「変性意識状態」だとされています。
ただし、なぜそのような変性意識状態が引き起こされるかの説明には諸説があり、また催眠諸現象すべてを完全に説明できる包括的理論はありません。
私は、これまでの臨床経験と霊信の告げた内容から、各催眠深度の催眠状態の解釈に独自の作業仮説を立て、SAM前世療法に取り組んでいます。
次に述べていく「運動催眠」→「知覚催眠」→「魂遡行催眠」の各催眠レベルは、催眠深度の深まり順を意味しています。
なお、顕在意識と潜在意識の働き具合の関係は、次のようなシーソーの高さの位置関係を比喩として考えるとよいと思います。
ふだんの意識状態は、顕在意識が優勢ですからそのシーソーの位置は高くなっています。
その位置が、反対側の潜在意識が優勢になるにつれてどんどん低く下がりはじめ、逆に潜在意識の位置はどんどん上がりはじめ、ついに高さの位置関係がふだんとは逆転し、潜在意識の位置のほうが高くなったとき(優勢になったとき)を境に、催眠状態が始まると考えてよいでしょう。
「運動催眠」段階(潜在意識優勢仮説に基づく解釈)
催眠に入ったばかりの浅いレベルの催眠状態です。「運動催眠」というわけですから、運動レベルでの催眠諸現象が起こります。
たとえば、「両手のひらを合掌の形から離すことができない」という暗示に反応して、顕在意識が離そうと努力しても、ピッタリくっついたまま離せないという運動の禁止が起こります。
これは、顕在意識より優勢になっている潜在意識が暗示に反応して、くっつけた状態を離そうとしないように働いているのだ、と解釈します。
そこで、顕在意識(催眠状態をモニターしている意識)からすれば、なぜ離そうと努力しても離れないのだろう、と不思議がるということになります。
ただし、顕在意識がこうした事態を拒否し、敢えて離そうとすれば離すことができます。
潜在意識は、それほど強力なものではないのです。
潜在意識というくらいですから、顕在意識にはその存在が働いていることをどうしても認識できないのです。
したがって、催眠状態に入るということは、顕在意識よりも潜在意識のほうが優勢になっている状態に移行することだと言ってもよいと思います。
この状態は、ふだんは脳に管理されている心、その心に管理されている顕在意識・潜在意識が、脳の管理下を離れはじめた状態だと解釈することができます。
ふだんは脳の管理下にある心に管理され、優勢を保っている顕在意識が、心が脳の管理下を離れることによって、潜在意識のほうに優勢の座を明け渡すという逆転が起こると考えるわけです。
そして、顕在意識よりも優勢化した潜在意識による、脳の運動レベルへの支配が可能になった状態であると解釈します。
ふだん脳が肉体をきちんと維持・管理するためには、脳が感覚器官を通して受け取る外界の諸刺激を識別する心の働きに対して、識別された刺激をそのまま(正しく)受け取る顕在意識を、潜在意識より優勢にしておく必要があります。
そして、顕在意識・潜在意識を管理する心を、脳の管理下に置いておく必要があると考えられます。
もし、心が脳の管理下になく、心の管理する潜在意識が、脳が識別した外界からの諸情報に関わらず、勝手に振る舞うとしたら、脳の司る肉体の維持・管理機能に支障が生じるに違いないからです。
たとえば、外界が零下であるような場合に、心(潜在意識)が、脳に外界は暑いと指示し、脳がそのように認識して寒いにもかかわらず衣服を脱ぐとすれば凍死するかもしれません。
その逆も起こるわけですから、外界が暑いにもかかわらず、心が脳に寒いと指示すれば、衣服をさらに着込んで、熱中症になりかねません。
こうした事情から、ふだんは脳が心を管理し、心が脳に勝手に振る舞うことを禁じていると考えられます。
SAM前世療法では、霊信が、「脳が心を管理している」と告げていることをこのように解釈します。
(その37へ続く)

2013年11月11日月曜日

SAM前世療法の成立 その35

SAM前世療法の謎
SAM前世療法には、一般のワイス式前世療法と比較して、いくつかの解明できていない謎があります。
ワイス式前世療法でうまくいかなかったクライアントで、SAM前世療法でも成功しなかった事例は今のところありません。
両方の前世療法を経験したクライアントは30名を超えています。
この両方を経験したクライアントに報告される大きな共通項は2つあります。
①催眠中の意識状態が明らかに違う。SAMの場合、ワイス式と比べてうんと深い意識状態に入ったという自覚がある。
②ワイス式ではセラピストの質問に対して口頭で答えられるのに、SAMの場合には魂状態に至ると口頭で答えることができなくなる。
①について、ワイス式では、催眠学に則った心理学系催眠法の「催眠深度」を尺度によって確認することなく誘導が進められるので、どの程度の催眠深度に至ってセッションがおこなわれているかが不明です。
かつて、私がワイス式でおこなっていた前世療法では、「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」の順に、催眠深度を成瀬悟策の「標準催眠尺度」を用いて確認し、「記憶催眠」レベルの深度到達後、年齢退行によって子宮内まで退行し、その先の「子宮に宿る前の記憶(前世記憶)」に戻ります、という暗示をしていました。
しかし、私の知る限り、ワイス式体験者は、「記憶催眠」より浅い催眠深度である印象を受けます。
催眠学の明らかにしているところでは、「知覚催眠」レベルでは、五感が暗示通り知覚されます。
したがって、さまざまな幻覚を暗示によってつくり出すことが可能です。
また、創造活動が活性化され、自発的にイメージが次々に現れるようになります。
それで、被験者は、そうした自発的に出てくるイメージに対して、自分が意図的にイメージをつくり出しているという自覚をもつことはありません。
つまり自発的イメージが架空のものとは感じられず、自分の中に潜んでいた真実の前世記憶がイメージ化して現れてきたという錯覚をもつ可能性があるということです。
こうした催眠中のイメージ体験の性格を根拠にして、大学のアカデミックな催眠研究者は、前世療法における前世の記憶はセラピストの暗示によって引き起こされた「フィクション」であると口をそろえて主張します。私の敬愛してやまない成瀬悟策先生もこうした立場をとっておられます。
したがって、アカデミックな催眠研究者は、前世療法を正当な催眠療法として認めようとはしません。
こうした事情から、前世療法に関する学術論文は皆無といえる状況です。
管見するかぎり、論文は、相模女子大石川勇一氏の『「前世療法」の臨床心理学的検証』1本だけのようです。
SAM前世療法では、必ず「知覚催眠」レベルの深度に至っていることを標準催眠尺度を用いて確認します。知覚催眠レベルに至ることがない深度では、魂状態の自覚まで遡行できないことが明らかになっているからです。
そして、知覚催眠に至れば、ほぼ誰でも記憶催眠に至ることも明らかです。
  
したがって、SAMでは記憶催眠レベルの確認はおこないません。
記憶催眠を突き抜けて、さらに深度を深めていきます。
標準催眠尺度では測れない「魂遡行催眠」と私が名付けているレベルにまで深めます。身体の自発的運動は停止し、筋肉・関節の完全な弛緩状態にもっていきます。
SAM前世療法では、こうした意識状態にまで誘導するので、ワイス式より深い意識状態に至ったという報告が共通してされるのではないかと推測しています。
②については、その解明は容易ではありません。
 
SAM前世療法における魂遡行状態では、顕現化した前世人格が口頭で答えられる割合は5人に1人、約20%しか口頭で話せません。
5人のうち4人までが、どうしても口頭で答えることができないと答えます。
ワイス式ではこうした音声化できないことは起こりません。
ワイス式体験者は、誰でも前世記憶のビジョンを口頭で報告することが可能です。
この口頭で話せないという現象は、SAMの催眠深度がワイス式よりも深く、筋肉の弛緩状態がきわめて深く、声帯も弛緩し切っているので発声できないのではないか、という推測は的外れのようです。
どうも、SAM前世療法の作業仮説に理由を求めることができるのではないかと考えています。
ワイス式では、「前世の記憶として現れるビジョンをクライアントが報告する」という前提になっています。
あくまでクライアント自身が「前世記憶を想起し報告するのです。
SAMでは、「顕現化した前世人格が、クライアントの身体を借りて(自己内憑依して)対話する」という作業仮説でおこないます。
前世人格は、当時のままの個性と感情を持ち続けて、意識体として魂の表層に生きている存在なのです。
こうして、クライアントは、まず顕現化した前世人格の喜怒哀楽の感情を共体験します。
感情のみの共体験で終わる場合もあります。
療法としての治癒効果は、ビジョンより感情のほうが有益ですから、それでいいと思っています。
私の対話相手はクライアントではなく、身体をもたない前世人格という死者なのです。
死者である前世人格は、身体を失ってすでに長い時間を経ている存在です。
そこで、何人かの前世人格に、なぜ話すことができないのかその理由を指で回答してもらうことを試みたところ、「発声器官の使い方を忘れているからどうしても声に出すことができない」という回答でした。
指やうなづくという単純な動作なら、現世の身体を借りてその動作で回答することが可能であるということでした。
一理あるとは思いますが、さらに探究する必要があると思っています。
ここで注目すべきは、SAM前世療法においては、クライアントは前世人格の霊媒的な役割を担うということです。
私は、クライアントの意識の中に憑依として顕現化した死者である前世人格と、声帯にしろ指にしろクライアントの身体を借用して自己表現をする前世人格と対話するという形をとっているのです。
つまり、クライアントは、自分の身体を自分の魂の表層に存在する前世人格に貸している霊媒的役割を担うことになっているということです。
前世人格は、自分の生まれ変わりである現世の身体を媒介にして、現在進行形で私と対話をしている、これがSAM前世療法のセッション構図になっているということです。
そして、このような信じがたい構図は、「ラタラジューの事例」によって証明されたと思っています。
そしてまた、霊信からの情報の恩恵による、SAMのような前世療法は、私以外に誰も発想できない療法でしょう。
正しくは、私独自の発想によるものではなく、霊信からの教示によるものです。
里沙さんの前世人格ラタラジューは、セッション中にネパール語対話者カルパナさん(朝日大学法学部博士課程ネパール人留学生)と次のような現在進行形でのやりとりをしています。
里沙  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)
カルパナ  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)
里沙  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)
つまり、前世人格ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
ラタラジュー は、現世の里沙さんの身体発声器官)を借りて、自己表現している存在です。
里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。
前世人格は、クライアントの魂表層に生きているが肉体を失っている意識体です。
肉体のない霊的存在(死者)です。
私は、クライアントを霊媒として用い、死者との対話をしている、というSAM前世療法のセッション構図からすると、これは19世紀半ばから20世紀はじめにかけて欧米で大流行した「交霊会」と同様の構図とも言えるでしょう。
こうした観点から、SAM前世療法を貶すとすれば、「オカルト療法」だという非難の声が聞こえてきそうです。
しかし、SAM前世療法は、科学的検証に耐えた応答型真性異言「ラタラジューの事例」を持っています。
応答型真性異言はオカルトではありません。
これまで世界で5例しか発見されていませんが、科学的な事実です。
(その36に続く)

2013年11月5日火曜日

SAM前世療法の成立 その34

SAM前世療法の憑依仮説再論
過去の記事「その28」で、SAM前世療法の作業仮説の一つに「憑依仮説」を下記のように掲げておきました。

【その28再掲はじめ】
SAM前世療法の作業仮説 その4 憑依仮説
SAM前世療法では憑依現象を認めています。
そして、憑依は霊体に起こると考えています。
このことは、憑依したとおぼしき未浄化霊に尋ねると、霊体に憑依していると答えるのでそのように考えています。
SAM前世療法セッションでは、こうした憑依している未浄化霊の顕現化現象や守護霊などの高級霊の顕現化現象がそれほど稀ではなく起こります。
【再掲終わり】
上記の高級霊の憑依について、クライアントに憑依した私(稲垣)の守護霊から、きわめて具体的なメッセージが告げられるというきわめて特異な憑依現象がありました。
このクライアントは、私の主宰する催眠塾の今年度6月修了生である30代後半の女性で、SAM前世療法の試行を数事例実施したところで沸き上がってきた疑問を相談するため、そして、学んだSAM前世療法の復習のため、当研究室に来訪しました。
この女性クライアントを「魂状態」の自覚に導いたところ、私(稲垣)の守護霊が憑依しました。
魂状態とは肉体の感覚が喪失し、「私という意識」のみが自覚される状態です。
したがって、魂状態の自覚に至れば、肉体を持たない霊的存在と同次元に並んだことになります。
そうであるからこそ、霊的存在の憑依が起こりやすくなると考えられます。
ただし、魂状態に至ったときに憑依する霊的存在は、高級霊に限られます。まれに神を名乗る存在が降臨します。
未浄化霊がすでに憑依しているときには魂状態に至ることを妨げますから、それを確認し、浄霊作業をおこなって未浄化霊の憑依を解かないと、魂状態に至ることができないことが明らかになっています。
こうして、魂状態に至ったときには、未浄化霊の憑依が起こることはありません。
私の守護霊は、憑依と同時に、苦悶の呻き声を発しながら、次のように告げました。
「喫煙をやめなさい。それがつらいことは分かっている。しかし、守護霊である私と直接つながるためには、喫煙の習慣を改める必要がある」
この守護霊の告げたことは、2007・2・5着信の下記第21霊信に符合していることは明らかです。
【参考第21霊信抜粋】
そして、喫煙をやめるべきか伝えよう。
それは、あなたが向き合うべきものからいつまでも目を背ける思考を生み出す行為である。
タバコの成分だけではない。
あなたの心の渇望と強く結びつくため、それらは容易にやめることができないように思えるのだ。
なぜ、喫煙をやめるべきだと告げるのかを理解しなさい。
あなたが現段階で理解している以上のものは、その先でなければ理解することができないからだ。
私たち(注:守護霊団)は何度でも告げよう。
あなたが自らの成長、そして多くの者の救いや癒しを求めるための最善であり最短の道は、まず喫煙を理解し、その習慣を捨て去ることである。
その一歩は、あなたにとって大きな学び、気づきをもたらす。
まず、喫煙と向き合いなさい。
私たちは都合のいいものは与えない。
あなたにとって、成長・向上となるものを与える。
この霊信がその存在によるものか、そんなことを考えるのはやめなさい。
これは霊団すべてのものから送信されるものであると理解しなさい。
私たちが話を進めるのはそれからだ。
まず、あなた自身を変化させる必要がある。
あなたが手放すことを恐れる不要なもの、それを手放すための信仰を築きなさい。
【抜粋終わり】
2007・2・5に上記霊信を受け取って後、今日まで6年余の間、霊信によるSAM前世療法の開発という恩恵に報いるために、禁煙をしようと思いながらずるずると喫煙を続けてきたことに対して、ついに守護霊が口頭で禁煙を勧めにやってきたのでした。
私は、「禁煙は苦しくてどうしてもできずにきました。それは、飲酒も賭け事も一切しない私にとって、喫煙は人生の大きな楽しみであったからです。それでも喫煙をやめろとおっしゃるのですか」と反問しました。
守護霊は、「禁煙の苦しいことは分かっています。しかし、あなたの喫煙によって被っている肉体の傷みを、あなたに代わって守護霊である私が引き受けてあなたを守っているからこそ、あなたは健康を保って生きているのです」と言いながら、激しく咳込み、そして一筋の涙を流しています。
私はたまらず、「私の身代わりになったあなたを苦しめていたことに深く感謝とお詫びをいたします。今度こそ、禁煙できるように努力します」と答えていました。
さらに、「禁煙しないと、私は罰せられるのですか」と尋ねました。
守護霊は、「喫煙を続けても、あなたが罰せられることはありません。私も、あなたとともに禁煙の苦しみに付き合います。禁煙が成功したあとには喫煙の楽しみ以上の楽しいことが待っています。私はつねにあなたの中におります。それを忘れないでください。苦しいときには、いつでも私に呼びかけてください。私はあなたを守るために、いつでもあなたにつがります」と告げました。
こうした憑依現象による守護霊との対話の真偽は検証不可能です。
しかし、私には、憑依中にクライアントの流し続けた涙は、私の守護霊が私のために流した涙として素直に受け取ることができましたし、私を守り続けている高貴な存在を実感しました。
なぜなら、言葉では表現できないあたたかな被護感に包まれている感覚、守護霊の慈愛によって私が生かされているという確かな感覚を実感していたからです。
私は思わず涙ぐんでいました。
この確かな感覚は、「愛」と呼ぶべきでしょうし、そうした私の守護霊の愛を素直に信じるしかないと思っています。
ただし、このような高級霊の偶発的な憑依現象は、すぐれた霊媒体質のクライアントに限られるようです。
SAM前世療法では、こうした憑依現象を事実として受け入れています。
これが「憑依仮説」です。
そしてまた、このような高級霊の憑依現象によって、私の味わったような深い癒し体験が起こることが、SAM前世療法の醍醐味の一つだと思います。
(その35へ続く)