2014年1月29日水曜日

SAM前世療法の成立 その47

総括その8 タエは里沙さんの前世の記憶か 
前の記事で、ワイスの事例を取り上げて私の疑問、すなわちセッション中のクライアントの語りは、前世の記憶であるのか、前世人格の顕現化であるのか、という疑問を提起しました。
そして、2005年6月に出会った「タエの事例」で、この疑問はますますふくれあがったと述べました。
ちなみに、2005年の時点ではSAM前世療法は開発されていません。
したがって、このときの「タエの事例」は、私がワイス式と呼んでいるワイスの前世療法の方法を用いています。
その考察のために、「タエの事例」の逐語録の抜粋(『前世療法の探究』春秋社、2005、PP165-168)を以下に示します。
記号THはセラピストの私、CLはクライアントの里沙さんです。
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TH その方はあなたのそばにみえますか? じゃ、コンタクトはとれますか?
CL はい。
TH じゃあ、私がいくつか尋ねるので、あなたからその方に尋ねて、答えをもらってください。そこでは言葉がいりますか?
CL いりません。
TH 心で思ったことが、ストレートに相手に伝わるわけですか。(CL頷く)じゃ、尋ねます。あなたがわずか16歳で、みなし子として貧しい生活の中で生きてきて、そして、みんなのための犠牲になって死ぬわけだけど、その短い人生で、あなたが学ばなければならなかったことは何でしょう? 私から見ると、ただ悲しいだけの人生に思えるんだけど。その方に聞いてみてください。なぜ、あなたはそんな人生を歩まなければならないのでしょう? 答えが返ってきたら教えてください。
CL ・・・みなのために、村を救う、みなを、幸せにするために、生きる人生だった。
TH あなたは、今、満足していますか? 自分のタエという人生を振り返って。
CL はい。
TH もう一つ聞いてもいいですか。今度は、できればあなたの口を借りて、その偉大な存在者と、お話することはできないでしょうか? 要するに、あなたに乗り移るということですよ。直接にその方の言葉で、伝えてもらえないでしょうか? できなければ無理は言いません。できたら、それをやってみたい。できますか?
CL ・・・はい。
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この後、タエの守護霊とおぼしき存在の憑依実験をすることになります。
私は、前世療法の核心に迫るために、中間世(霊界)の守護霊とおぼしき存在と直接対話することができないものか、その存在に対して、前世記憶の真偽を解き明かす質問ができないものか、という願いをかねてから抱いていました。
ワイスの「キャサリンの事例」では、催眠中のキャサリンに、マスターと呼ばれる霊的存在が、偶発的に憑依し、霊的情報を告げたことが述べてあります。
そうした霊的存在が偶発的に憑依を起こすとすれば、意図的に憑依を起こすことも可能ではないか、と考えたのです。
そこで、タエの守護霊とおぼしき存在の憑依現象が、催眠中に意図的に起こせるかどうか、起こせるとしたら、その存在が語る内容が、事実であるかどうかを検討可能であるような形に残す試みを、この絶好の機会を逃さないで実験してみようと決断しました。
里沙さんの表情と声の調子は、この守護霊とおぼしき存在者の憑依の後、また別人格のように一変します。
身体の動きがまったく止まり、表情は、ある威厳を感じさせるような、しかし能面のような顔に変化しました。声も、落ち着いてはいるが抑揚のほとんない、厳(おごそ)かで、くぐもった調子に変化しました。
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TH じゃ、一つ聞きますよ。そのあなたのいる魂の世界に、たとえば、私の愛する人が待っていて、生まれ変わりがまだなら、私もそこへ行けば会えますか?
CL はい。会えます。
TH もう、生まれ変わりをしていたらどうなりますか?
CL 必ず出会います。
TH 生まれ変わりをしていても出会えますか、魂どうしは?
CL はい。
TH もう一つ聞きますよ。今、あなたは偉大な存在者そのものになっていますね。じゃあその方は、時間も空間も超越していますから、今、私が、こうやって前世療法のセッションをしていることも、きっとお見通しのはずですね?
CL はい。
TH じゃ、聞きます。多くの人が、前世のことは現世に生まれ変わると、忘れて出てきません。でも今、里沙さんは深い催眠状態で前世のことを語ってくれましたが、もともと人間は、前世のことを忘れて生きるようにできていますか?
CL はい。
TH それを、無理矢理こうやって、催眠によってほじくり出すことは罪なことでしょうか? どうでしょう。
CL そうではありません。人を救う手段であります。人を救う手段であれば、罪なことではありません。あなたは、それができる人なので、たくさんの人を苦しみから救うことが使命であると。
TH 私の使命ですか。
CL そうです。
TH であれば、私がこうやって前世療法をやった後は、二人の人からとっても憔悴(しょうすい)しているように見えるそうです。命を縮めているんじゃないかって言われています。そういうことになっていますか? どうでしょう。命を縮めることですか。
CL 違います。できる限りたくさんの人を救います。
TH 分かりました。じゃあ私は、それを自信を持ってやっていいのですか?
CL はい。
TH 他に、私に伝えておかなければならないことがあれば、どうぞおっしゃってください。
CL 世界にたくさんの悩める人がいます。必ず出会います。力を尽くすよう。力を尽くしてお救いください。
TH はい。私はそういう道を進むのが使命ですか?
CL そうです。
TH もう一つ聞きます。大きな謎ですよ。おタエさんは、人柱となって16歳で短い一生を終えました。そのおタエさんの魂が、今、平成の現世では里沙さんとして生まれ変わっています。その里沙さんは、側湾症という治る見込みのない苦しい病に罹(かか)っています。なぜ、苦しみを二度も味わわねばならんのですか? いかにも不公平な人生ではありませんか。そのわけは何でしょう?
CL 魂を高め、人を救う道に位置付きし人です。
TH 里沙さんがそういう人ですか。
CL そうです。
TH じゃあ、側湾症になるということも、里沙さん自身が、あなたのいらっしゃる中間世で決められたことなんですか?
CL そうです。
TH それは、里沙さん自身が魂として選んだ道なんですか?
CL 「わたし」が選びました。
TH 「わたし」とは、魂の「わたし」なのか、それとも偉大な存在である「わたし」のことですか? どちらですか?
CL 魂の「わたし」が選びました。
TH もし、そのことを現世の里沙さんがはっきり自覚できたら、彼女は救われるでしょうか?
CL 救われます。
TH その苦しみを乗り越えるだけの力を得ることができますか?
CL できます。
TH また、聞きますよ。お答え願えますか? 浅間山の噴火のときに雷が起きましたか?
CL はい。
TH そのことを、雷神様と人々は言うのでしょうか? 雷のことを。
CL そうです。まだ、噴火、自然現象は分からない人たちですから、魔物のせいだと思ったのです。
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以上の逐語録の前半は、前提として、里沙さんの想起している前世のタエという16歳の少女の「記憶」として私は扱っているつもりでいました。
しかし、いつのまにか、私の意識は、ただいま、ここに、存在している、少女タエに向かって、現在進行形で対話しているのです。
そして、タエの守護霊とおぼしき存在が憑依したあとの私の意識は、そのような霊的存在と、明らかに現在進行形の対話をしていました。
こうして、タエを「前世の記憶の想起」として扱うことは、セッション中にあらわれた里沙さんの意識現象の事実からも、直感としても、受け入れることに無理があると思えたのです。
タエという前世人格そのものが顕現化し、里沙さんの発声器官を用いて、里沙さんとは別の人格として自己表現をしていると考えるべきではなかろうかということです。
同様に、守護霊とおぼしき存在との対話は、里沙さんの前世の記憶ではありえず、そのような霊的存在に憑依をしてもらったわけですから、里沙さんの前世の記憶として説明することはできるはずがありません。
一つの解釈としては、里沙さんが無意識のうちに守護霊の役割演技をして(守護霊のふりをして)対話したのだという説明が成り立つでしょう。
もし、私の直感が正しく、タエの人格そのものが顕現化したのだとすれば、そのような前世の人格は、いったいどこに存在していたのでしょうか。
これが、その後私を悩ませることになった大きな謎でした。
(その48につづく)

2014年1月27日月曜日

SAM前世療法の成立 その46

総括その7 前世人物の記憶としての「私」か、前世人格の「私」か
以下の二つの前世療法セッションの逐語録は、「ブライアン・ワイス」対「27歳女性クライアント」の対話の抜粋です。
問いかけているワイスをW、答えている女性クライアントをCと表記しておきます。
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事例その1 
(ブライアン・ワイス、山川紘矢・亜希子訳『前世療法』PHP、1991、PP207-208)
W:まわりを見回してください。多分、あなたは軍人の一人でしょう。あなたは彼らをどこから見ているのでしょう。
C:私は軍人ではありません。私は何かを運んできたのです。ここは村です。どこかの村です。
W:今は何がみえますか。
C:旗です。旗が見えます。赤と白・・・赤地に白い十字架です。
W:その旗はあなた達のものですか?
C:王様の兵隊の旗です。
W:あなた達の王様ってことですか?
C:そうです。
W:王様の名前を知っていますか?
C:わかりません。王様はここにはいません。
W:自分がどんなものを着ているか見えますか? 自分を見て、何を着ているか言ってください。
C:皮の服を着ています。皮の短い上着を・・・とてもきめの粗いシャツの上に着ています。皮の短い服です。動物の皮でできた靴・・・靴というよりブーツです。インディアンのはいているような。誰も私に話しかけません。
W:わかった。あなたの髪の色は?
C:明るい色です。でも私は年をとっており、白髪が混じっています。
W:この戦争のこと、どう思いますか?
C:戦争が生活そのものになってしまっています。前の戦いで子どもをなくしたし。
W:息子さんのことですか?
C:そうです。
W:残ったのは誰と誰ですか? 家族で誰が生き残っていますか? 
C:妻・・・それに娘です。
事例その2 (前掲書PP217-218)
W:疲れましたか?
C:馬の手綱が見えます。壁に馬具がかけてあります。手綱が・・・馬の囲いの外には毛布が敷いてあります。
W:それは納屋の中ですか?
C:お馬がいる。お馬が何匹もいる。
W:そのほかに何か見えますか?
C:水がいっぱいあって。黄色いお花が咲いている。パパがいるわ。パパは馬の世話をしているのよね。
W:お父さんはどんなふうなの?
C:とても背が高いの。灰色の髪の毛をしていて。
W:君はどんなふう?
C:私は子ども・・・女の子よ
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さて、事例1の「私は軍人ではありません」と答えている「私」は年をとっている男性です。
事例2の「私は子ども・・・女の子よ」と答えている「私」は少女です。
ワイスは、この対話を27歳女性クライアントの「前世の記憶」として扱っています。
たしかに、この男性と少女の二人の、「私」として発語しているのは27歳の女性クライアントに違いありません。
しかし、ワイスは、事例2の少女との対話で、「私は自分が幼い子に話しかけているのだと気がついた」(前掲書P217)とコメントしています。
つまり、ワイスの対話中の意識は、前世の記憶を話している27歳女性クライアントに話しかけているのではなく、前世の少女の人格に話しかけているのだ、というわけです。
とするなら、事例1の想起された前世記憶の男性に対しても、同様の意識で話しかけていると考えてもいいように思われます。
この二つの事例を、クライアントの前世記憶の想起として解釈するなら、どういうわけかクライアントは前世の記憶として想起した人物そのものになったつもりで、つまり前世人物の役割演技をして、ワイスと対話したということになるでしょう。
前世の記憶を語るのに、クライアントはなぜそのような役割演技をしなければならないのでしょうか。
そうではなく、二つの事例の「私」は、クライアントの前世記憶ではなく、前世人格そのものが顕現化し対話をしていると解釈するほうが私には自然に思われました。
私がワイスの著作を読んで、私の感じた最初の疑問が上記のことでした。
そして、「タエの事例」があらわれて、この疑問はさらにふくれあがったのでした。
私の前世療法セッションで対話したタエは、里沙さんの前世の記憶としての人物なのか、タエという前世の人格そのものの顕現化なのか、ということです。
(その47につづく)

2014年1月19日日曜日

SAM前世療法の成立 その45

総括その6 生まれ変わりの実証研究と私の問題意識 
スティーヴンソンの応答型真性異言研究(生まれ変わりの実証研究)は、きわめて綿密な調査と、公正で慎重な検証によって、他の領域の一流科学者たちにも説得力をもって認められつつあるようです。
たとえば、有名な天文学者カール・セーガンは、「時として、小さな子どもたちは、調べてみると正確であることが判明し、生まれ変わり以外には知りえなかったはずの前世の詳細を物語る」という主張は、「真剣に検討する価値がある」(『カール・セーガン 科学と悪霊を語る』P302)と述べています。
また、行動療法の創始者ハンス・アイゼンクは、「スティーヴンソンの著作を何百ページも読み、スティーヴンソンとは別個に研究が始められているのをみると、真にきわめて重要なことがわれわれの前に明らかにされつつあるという見解からむりやり目を逸らせることは、誠実であろうとする限りできない」(Eysenck & Sargent, Explaining the Unexplained, Prion, 1993. いずれも、『生まれ変わりの刻印』笠原敏雄・訳者後記)と述べています。
そして、応答型真性異言こそが生まれ変わりの最有力な証拠だ、とするスティーヴンソンの研究を、科学的・実証的に反証し、論破した研究はいまだに提出されてはいないのです。
このこと、すなわち、応答型真性異言こそは、超ESP仮説を打破できたことが認められたということを意味します。
ひいては、応答型真性異言こそ、生まれ変わりを証明する科学的証拠としてついに認められたことになります。
さて、2005年にあらわれた「タエの事例」は、それに出会った当座は、生まれ変わりの事実を強力に示すものに思われました。
しかし、スティーヴンソンの著作の訳者であり、超心理学者の笠原敏雄氏の指摘から、超ESP仮説が適用できる限り、いかに史実との照合が高い一致率を示しても、里沙さんが催眠中に超ESPを発揮しなかったという完全な証拠が提出できない状況では、生まれ変わりの科学的証明としては不十分だという思いが徐々に強くなっていきました。
こうした私の断ちがたく強いこだわりが、今度こそ生まれ変わりの事実を証明できる「応答型真性異言」の発見へ真剣に向かわせることになっていきました。
生まれ変わりが人間に普遍的な事実であるならば、海外で発見されている応答型真性異言が、それがきわめて稀であろうとも、日本でも発見されないはずがないと考えたからです。
前世療法に携わる実践者として、みずからの手による前世療法で応答型真性異言を探究し、生まれ変わりの事実を確認した後、安んじて死に臨みたい、という押さえがたい衝動が突き上げていたからです。
こうした執拗な探究心の根底にあるのは、私自身の少年時代に刷り込まれた「死後無になることへの恐怖」にほかなりません。
このことについては、以前にも書き込んだ記事ですが再掲してみます。
【再掲はじめ】
私の実存的原体験は、小学校6年生に遡ります。
母方の祖父が、火葬場の焼却釜の中で、吹き出す重油の火炎に包まれて燃えていくありさまを、釜の覗き穴から見てしまったという体験です。
当時の火葬場は管理が杜撰で、係員が席を外した機会に、従弟と好奇心で遺体の焼け具合を見るための釜の覗き穴から見てしまったのです。
肉が焼け、頭蓋骨や肋骨があらわになっていく最中でした。
この原風景は、現在も生々しく脳裏に焼き付いたまま、忘れることはできません。
そして、死ねば自分もこうなるのだ、という当たり前のことを、目前で見せつけられて、自分はいずれ燃えてなくなり、すべて無に帰するのだという死の恐怖が、少年の私に圧倒的事実として否応なしに深く刻印されたというわけです。
最後は死んで灰と骨になる人生に、生まれてきた意味はあるのか。
この根源的問いは、この原体験以後、途切れることなく、繰り返し、繰り返し、私に迫ることをやめませんでした。
どのような本も、どのような教師も、「人は何のために生まれてくるのか」について、納得のいく解答を与えてくれませんでした。
宗教に救いを求めることは、観念より事実、理屈より実証への傾斜が強すぎる生来の気質によってできませんでした。
この問いに対する多くの解答は、「何のために生まれてきたかを問うより、いかに生きるかを問え」ということに集約され、真剣に生まれてくる意味を問う私をはぐらかすとしか思えない、その意味で陳腐な解答だとしか思えませんでした。
問われて答えた人たちの真相は、問われても、答えることができなかったのでしょう。
そうであるなら、誠実に「分からない」と答えてほしかった。
これほどの人物でも分からないのか、と救われたように思うのです。
結局、人生の折り返し点の40歳すぎてから、とりあえず私の自得した解答は、「生まれてくる意味など本来何もないのだ。生まれついでに生きているにすぎないのだ。本来無意味に生まれてきた自分が、意味を作り出していく過程が人生なのだ」ということでした。
死までの時間がそれまで生きた時間より確実に短くなったことを実感するようになったころに、やっとたどり着けたと思った真理でした。
そのままで行けば、それなりに覚悟して、すべてを無にする死を受け入れていくことになったはずでした。
ゆるやかに迎える死の間際には、おそらく意識朦朧となって、自分の死すら分からないままに死んでいくから、死の恐怖などに怯えることはないだろう、と思っていました。
それでも、やっぱり、すべてを無にする死はおそろしい。
暴力などで死を間近に突きつけられたときには、きっと恐怖のきわみに小便を漏らすに違いないのです。
それほど、私は死に対して臆病な人間でした。

【再掲おわり】
このように私の、いわば強迫的な生まれ変わりの実証探究の原動力は、「すべて無に帰する死への恐怖」であり、それは「死後はあるのか、ないのか」のいずれかに、たしかな事実に基づく解答をもとめることにつながっていました。
私は、自分が救われたいから、自分のために、生まれ変わりの実証探究に執念を燃やすことができたのです。
(その46につづく)


2014年1月16日木曜日

SAM前世療法の成立 その44

総括その5 「超ESP仮説」を打破する「応答型真性異言」
難題である超ESP仮説の打破に挑んだのが、ヴァージニア大学精神科教授で、現代における超心理学の泰斗、そして「生まれ変わりの科学的研究」の先駆者として知られる故イアン・スティーヴンソンです。
スティーヴンソンが着目したのは、もし、ESPによって取得不可能なものであれば、それは超ESPであろうとも取得が不可能である、という事実でした。
少し長くなりますが、彼の着目点を下記に引用してみます。
「デュカス(注:カート・ジョン・デュカス、哲学者)は、本来、霊媒は他人の持つあらゆる認知的情報をESPを介して入手する力を持っているかもしれないことを原則として認めているが、その情報を本来の所有者と同じように使うことはできないと考える。
デュカスによれば、霊媒は、テレパシーを用いてラテン語学者からラテン語の知識をすべて引き出すこともあるかもしれないが、その知識をその学者の好みとか癖に合わせて使うことはできないのではないかという。
以上のことからデュカスは次のように考える。
もし霊媒が、本来持っているとされる以外の変わった技能を示したとすれば、それは何者かが死後生存を続けている証拠になるであろう。
もしその技能が、ある特定の人物以外持つ者がない特殊なものであれば、その人物が死後も生存を続けている証拠となろう。
技能は訓練を通じて初めて身につくものである。
たとえばダンスの踊り方とか外国語の話し方とか自転車の乗り方とかについて教えられても、そういう技能を素早く身につける役には立つかもしれないが、技能を身につけるうえで不可欠な練習は、依然として必要不可欠である。
ポランニー(注:マイケル・ポランニー、科学哲学者)によれば、技能は本来、言葉によっては伝えられないものであり、そのため知ってはいるが言語化できない、言わば暗黙知の範疇(はんちゆう)に入るという。
もし技能が、普通には言葉で伝えられないものであるとすれば、なおさらと言えないまでも、すくなくとも同程度には、ESPによっても伝えられないことになる」
(スティーヴンソン「人間の死後生存の証拠に関する研究ー最近の研究を踏まえた歴史的展望」笠原敏雄編『死後生存の科学』PP41-43)
ESPである透視・テレパシーなどによって、取得可能なのは、あくまで「情報」です。
そしていくら情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、「技能」の取得はできません。
自転車の乗り方をいくら本や映像で知っても、自転車に乗ることはできないように、たとえば言語も情報による伝達だけでは「会話」まではできないはずです。
つまり、「超ESP」によっても、「外国語の会話能力」までは獲得することができないわけです。
したがって、ある人物が、前世の記憶を、その前世での言語で語り、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わりが最も有力な説明仮説となる、とスティーヴンソンは考えたのです。
そして、前世記憶を語る中には、ESPによる「情報取得」では説明できない、学んだはずのない外国語での会話を実際に示す事例が、きわめて稀ですがいくつか報告されています。
これを「真性異言」と呼びます。
「真性異言」(xenoglossy ゼノグロッシー)とは、フランスの生理学者で心霊研究協会の会長も務めたシャルル・リシェの造語で、本人が習ったことのない外国語を話す現象のことを言います。
『新約聖書』などにも「異言」(glossolaria グロッソラリア)という現象が記述されていますが、「真性異言」は、その言語が特定の言語であることが確認されたものです。
このうち、特定の文章や語句だけを繰り返すものを「朗唱型真性異言」、その言語の話者と意味のある会話ができるものを「応答型真性異言」と呼びます。
さて、真性異言のうち、「朗唱型真性異言」は、「情報」ですから超ESPによって取得が可能と言えます。
しかし、意味の通った応答的会話ができる「応答型真性異言」は、そうではありません。
言語を自由に話せるというのは、「技能」であり、いくら単語や文型の情報を集めても、実際にかなりの訓練をしない限り、応答的会話は可能にはなりません。
自転車の乗り方をいくら本や映像で知っても、自転車に乗ることはできないように、言語も情報による伝達だけでは技能である「会話」まではできないのです。
つまり、「超ESP」によっても、「外国語の会話能力」は取得できないことは明白です。
こうして、ある人物が、前世の記憶を、その前世の外国語で語り、かつ現世の当人がその言語を学んだことがないと証明された場合には、超ESP仮説は適用できず、生まれ変わりの最も有力な説明仮説として採用せざるをえないということになります。
生まれ変わりの証拠である応答型真性異言は、スティーヴンソンが20年以上にわたって世界中から収集し精査した2000余の生まれ変わり事例の中で、わずか3例にすぎません。
「イェンセンの事例」と、「グレートヒェンの事例」、および「シャラーダの事例」です。
イェンセンとグレートヒェンの事例は、催眠中に偶発的に前世人格が出現したもので、前者はスウェーデン語、後者はドイツ語で、短い応答的会話によるやりとりが記録されています。
両者とも、アメリカ人女性が被験者です。
シャラーダの事例は、マラティー語しかしゃべれないインド人女性が、覚醒時に、きわめて長いベンガル語の会話で流暢に受け答えし、歌まで歌っています(『前世の言葉を話す人々』春秋社)。
スティーヴンソンの報告以外に信頼できる事例として、数名の科学者によって調査され、覚醒時にスペイン語で流暢な長い会話をした「ルシアの事例」の調査報告があります(心霊現象研究協会 (The Society for Psychical Research)。
つまり、世界中で信頼にあたいする応答型真性異言の事例は4例発見されており、そのうち2例が催眠下で起こった事例ということになります。
スティーヴンソンが、著書『前世を記憶する子どもたち2』P106で、「私は、自らの手で調べた応答型真性異言の2例が催眠中に起こったという事実忘れることができない。このことから私は、催眠を使った研究をけっして非難することができなくなった」と述べているのは、「イェンセンの事例」と「グレートヒェンの事例」を指しています。
私の出会った「ラタラジューの事例」は、世界で5例目の応答型真性異言であり、催眠中に起きた事例として世界で3例目の応答型真性異言に加えられてよいと自負しています。
そしてSAM前世療法の成立を支えているのは、SAM前世療法によってあらわれた応答型真性異言「ラタラジューの事例」が、超ESP仮説の適用を拒絶できるからにほかなりません。
(その45へつづく)

2014年1月10日金曜日

SAM前世療法の成立 その43

総括その4 前世療法への批判
前世療法に関する批判は多く出されています。
もちろん、死後存続や生まれ変わりなどを頭から否定する唯物論者が、前世療法を批判するのは当然のことです。
ところが、生まれ変わり研究の第一人者イアン・スティーヴンソンも、前世療法や催眠による前世想起に対して、厳しい批判をしています。
それは、彼が、前世の記憶をある程度持っていると思われる者を催眠に入れ、前世想起の実験を13例実施し、地名・人名を探り出し特定しようとした試みがすべて失敗した(『前世を記憶する子どもたち』P80)ということにあるようです。
スティーヴンソンは、催眠中に前世の記憶らしきものが語られたにしても、催眠によって誘発された催眠者に対する従順な状態の中では、何らかの前世の記憶らしきものを語らずにいられない衝動に駆られ、通常の方法で入手した様々な情報をつなぎ合わせて架空の人格を作り上げてしまう可能性が高いと主張します。
そして、催眠中に語られたリアルな前世の記憶が、実は架空の作話であったと検証された実例を数例あげて、催眠が過去の記憶を甦らせる有効な手段だと考えるのは誤った思いこみであって、実際には事実からほど遠いことを証明しようとしています。
こうしてスティーヴンソンは、次のように痛烈な前世療法批判を展開しています。
遺憾ながら催眠の専門家の中には、催眠を使えば誰でも前世の記憶を甦らせることができるし、それによる大きな治療効果が挙がるはずだと主張するか、そう受け取れる発言をしている者もある。
私としては、心得違いの催眠ブームを、あるいは、それに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者があるという現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている現状を、何とか終息させたいと考えている。(『前世を記憶する子どもたち』P7)
こうしたスティーヴンソンの批判の矛先が、ワイスやホイットンの前世療法の著作に向けられているとは必ずしも言えないでしょうが、この批判がなされる同時期に、相次いで彼らの著作が公刊されていることも事実です。
前世記憶の真偽を研究するために、膨大な労力と綿密な検証作業を長年積み上げてきたスティーヴンソンにとって、催眠中に語られた前世の記憶を確かな科学的検証にかけないまま、症状改善を理由に、前世の存在を安易に認めてしまう前世療法家が、苦々しく思えることは当然でしょう。
ただし、彼は、催眠中に語られる前世の記憶をすべて無意味だとしているわけではありません。
事例の中には、彼自身の検証の結果、通常の方法では入手できない情報が少数ながら存在することも認めています。
スティーヴンソンは、その後の著書『前世を記憶する子どもたち2』P106で、「私は、自らの手で調べた応答型真性異言の二例が催眠中に起こったという事実忘れることができない。このことから私は、催眠を使った研究をけっして非難することができなくなった」といくぶん持論を修正しています。
ところで、スティーヴンソン以外にも、催眠中に語られる前世の記憶は、脳の作り出したフィクションに過ぎない、とする唯物論的否定論者は少なくありません。
例えば、超常現象の否定論者として知られるロバート・A・ベイカーは、1982年のアメリカ臨床催眠学会機関誌に、自らおこなった前世療法実験の結果を発表しています。
それによれば、前世療法を褒め称(たた)えたうえで実施した被験者は、高い割合で前世記憶の想起をしたのに対し、逆に前世療法を否定し貶(けな)したうえで実施した被験者が、前世記憶を想起した割合は、非常に低かったと報告しています。
この検証結果から、ベイカーは前世療法による前世の記憶は事実などではなく、催眠者の誘導暗示によって作り出されたフィクションである可能性が高いと結論づけています。
日本のアカデミックな催眠研究者にとっても、前世療法は目障りな存在のようです。
そもそも催眠というものは、世間では根強い偏見と誤解を持たれ続けてきたものです。
現在の科学体系に加わろうと、科学としての催眠を必死に目指してきた催眠研究者にとって、前世療法は世間の偏見・誤解をいっそう助長する、けしからぬ存在と映るのも当然です。
そして、私も、科学としての催眠を標榜し、ライフワークとして児童・生徒へ教育相談活動の一環として催眠面接法を研究していた教師の立場にあったときには、「前世療法」については否定的であり、むしろ嫌悪感すら感じていました。
催眠とマインドコントロールを誤解・混同している新興宗教がらみの一部の親から、強硬な抗議と即時禁止の訴えを受けたことがあったからです。
もちろん、こうした親の子どもに催眠を適用したことはありませんし、子どもから車酔いやあがり症の改善に催眠適用の申し出があった場合には、親への確認をとって後実施してきたにもかかわらずです。
このトラブルは、やがて教育委員会の知るところとなり、その後私は「ゆるやかな迫害」を教育委員会から受けることになりました。
いかに教育効果があろうとも、トラブルの芽を吹くような教育催眠研究はやってほしくない、という保守的な教育委員会の本音が透けて見える態度でした。
このトラブルで示された催眠に対する根強い誤解・偏見は、現在でもあいかわらず続いていると思っています。
ましてや、こうした偏見の持ち主にとっては、前世療法などもってのほかにちがいありません。
(その44へつづく)

2014年1月2日木曜日

SAM前世療法の成立 その42

総括その3  霊信の恩恵によるSAM前世療法
総括その2の末尾で次のような二つの難問を提示しました。
「①タエの語りは、被験者里沙さんの前世の記憶の語りであるのか、それともタエという前世の人格の顕現化であるのか。
②もし、前世人格の顕現化であるとすれば、そのような前世人格の所在が脳内であるはずがない、いったいどこにタエという前世人格は所在しているのか」
この二つの難問を解決することは、人智を超えるものと言っていいでしょう。
そして、果たして人智を超える存在とおぼしきものから、この難問の回答が贈られることになりました。
「タエの事例」を、春秋社から『前世療法の探究』として出版したのは2006年5月でした。
この本の読者であるM子さん(当時26歳)を私の守護霊団からの霊信受信者として、パソコンによる自動書記が2007年1月11日~2月14日まで毎夜送られてくるという超常現象が現れたのです。
この霊信には、のちに開発することになるSAM前世療法の予言が、いくつか次のように述べられています。
その抜粋を以下に示してみます。なお、全霊信はこのブログの最初のほうに掲載してあります。
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第3霊信 2007.1.14
あなたに対して、忠告しておかなければならない事がある。
あなたは突如として霊性の進化を迎え、そしてその分野に対しての学びを得るための努力を積んだ。
だが、あなたが得たものの中にはねじ曲げられ、伝えられたものがある。
あなたは、それらを捨てさるべき情報と吸収するべき情報として判断を下さなければならない。
それは、あなたが今後あなた自身を通し分かるものである。
あなたが得たもののすべてが絶対的であり、不滅である真理を与える要素ではないのだと理解しなさい。
あなたはこれから自らの体験をもとに叡智を創造していく。
あなたが信頼する者からの知識でさえも、ときには足かせとなるだろう。
第8霊信 2007.1.20
あなたがこれまで今世を通し、より強い興味や探究心をひきつけられるものを、あなたはそこで理解していた。
あなたはそれを科学的な見解から理解していた。
すべては「意識」であると理解していた。
ことばとしての「意識」をあなたは理解している。
だが、それの本質はまだ理解に及んでいない。
あなたがより覚醒するにしたがって、それは思い出されるものとなる。
そして、あなたは意図的に「体外離脱」状態をつくりだすことができた。
それは、あなた自身に対しても可能であり、他者に対しても同様であった。
その状態を通し、あなたはあらゆる存在と接触を持つことが可能であった。
あなたが「何故か」と考えること、疑うことは、あなた自身が生じさせる思考であると同時に、私たちが投げかけている課題なのだと理解しなさい。
あなたが催眠を深く探究したのと同じように、これからあなたは多くのものについて知ることとなる。
第11霊信 2007.1.23
あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からでは成長は望めない。
なぜなら、もうすでにその観点での最終地まで達しているものが存在するからである。
あなたが探究するべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみにあらず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは命あるものすべてに繋がり、私たちへも強い繋がりを持つ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中で、あなたが処理できないでいるもの、そして理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。
M子を通し、あなたは私たちにそれを尋ねなさい。

探究の一歩として、あなたは自身の霊性と知性によりあなたの功績を築くのだ。
あなたは今後、進むにしたがって多くの恩恵を受け取るようになる。
多くの者に求められるようになる。
あなたは、探究心を重要とする。
あなたがまだ理解していないものについて、誰も理解を完全に得ていないものについて、強く引き寄せられる。
あなたは、今後それについて探究しはじめるのだ。
そして、前世療法についてだが、あなたは自らの霊性により独自性を持つようになる。
あなたの療法は、あなたにしかできないものになる。
あなたは、今度その療法に関わるが、それだけに限定するのではなく、別のものも同時進行するのだと理解しなさい。
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「あなたがこれまで探究してきた道の中で、あなたが処理できないでいるもの、そして理解を超えるものについて、私たちでなければ答えられないものについて、まとめなさい。
M子を通し、あなたは私たちにそれを尋ねなさい」
という第11霊信にしたがって、早速私は16の質問にまとめて、M子さんにメールしました。
その回答が90分後に、A4用紙9枚にわたって返ってきました。
A4用紙9枚分を90分で作文すること、しかも難解な質問に考えながら回答を作文することは不可能です。
それまで自動書記による霊信現象に半信半疑であった私は、霊信現象を認めざるをえない、という結論に至りました。
もし、霊信の告げる内容が検証の結果真実であれば、通信してきた守護霊団の実在を間接的に証明できることになります。
こうして、霊信の告げた「脳」、「心」、「魂」、{意識・潜在意識」の関係を四つの作業仮説にまとめ、仮説検証の催眠実験に取り組むことにしました。
霊信によって得られた四つの作業仮説とは
1 心・脳の二元論仮説(脳は心をつくりだしていない)
2 魂の表層構造仮説(魂表層は前世のものたちから構成されている)
3 霊体仮説(肉体を包み込む霊体に意識・潜在意識が宿っている)
4 憑依仮説(霊的存在の自己外憑依、魂表層の前世人格の自己内憑依)
です。
こうして、実験を重ねた結果、作業仮説を覆すような意識現象の事実は認められないという結論に達し、魂表層から前世人格を呼び出し、対話することに成功しました。
前世人格が、魂表層から顕現化し、対話が可能であることが証明できたのです。
前世の記憶ではなく、前世人格が語ること、前世の人格の所在は、脳内ではなく魂表層であることが、意識現象の事実として証明できたということです。
こうして、2008年の夏、この前世療法を「SAM前世療法」と命名し、世に問うことにしました。
霊信の恩恵によって作業仮説がもたらされたという世界に例のない成立基盤を持つ前世療法の誕生です。
また、前世の記憶にアクセスせず、魂状態にアクセスし前世人格と対話するという、前提も催眠技法もこれまでとは全く異なる前世療法の誕生です。
2009年3月、大学の英語学研究者ら三名と真性異言研究チームを発足した私は、2005年の「タエの事例」以来、ひっかかり続けていたネパール語らしき二言の異言の再検証をしてみました。
その結果なんと間違いなくネパール語であるという鑑定結果がでたのです。
実は、すでに4年前(2005年)の「タエの事例」の続きのセッションで、タエの次の生まれ変わりとして、ネパール人ラタラジューを名乗るナル村村長が現れ、ネパール語らしきこの二言の異言が話されていました。
こうして、里沙さんを説得して、実際に前世のラタラジューとネパール人女性との応答的会話が成立するかどうかを検証する実験セッションを、SAM前世療法によって試みることになったのです。
その結果は、現れた前世人格ラタラジューによって、24分間に渡るネパール語会話がされるという驚くべき現象が起こりました。
この2009年6月の実験セッションの全貌は二台のビデオカメラに記録されました。
音声記録されたネパール語会話の分析と、里沙さんがネパール語を学んでいない形跡を検証するためにポリグラフ検査をはじめ聞き取り調査に1年間を費やした結果、この「ラタラジューの事例」は間違いなく「応答型真性異言」であると判断できる諸証拠が固まりました。
ついに、私は前世の存在と、生まれ変わりの科学的証拠とされる「応答型真性異言」に出会うことができたのです。
このネパール語による応答型真性異言会話の記録映像と、テレビ局によるナル村での検証取材映像が、2010年8月、「奇跡体験アンビリバボー」で60分間放映されたものです。
視聴率が13%近くあった反響はきわめて大きく、私のもとには放映後半直後から三日間に渡って視聴者からの電話がひっきりなしにかかってきました。
100通を越えるPCメールも届きましたが、ヤラセやトリック等の疑いをにおわす内容は皆無でした。
「前世存在と生まれ変わりを信じざるをえない」、「驚きで鳥肌が立った」という感想が数多く寄せられました。
また、一般視聴者から以外にも、真性異言研究チームの一員である末武信宏医師のもとに、著名な大学医学部教授から、生まれ変わりの科学的研究史上のすばらしい成果である、という賞賛の感想が届いたという報告がありました。
(その43につづく)