2014年2月26日水曜日

SAM前世療法の成立 その51

総括その12 モーゼスの『霊訓』からの学び
2005年の「タエの事例」以後、私の脳裏に何度も思い起こされるのはモーゼスの『霊訓』にある次の一節でした。


霊界より指導に当たる大軍の中にはありとあらゆる必要性に応じた霊が用意されている。(中略)

筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者には、霊媒を通じて働きかける声の主の客観的実在を立証し、秩序と連続性の要素をもつ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく。

さらに、そうした霊的真理の初歩段階を卒業し、物的感覚を超越せる、より深き神秘への突入を欲する者には、神の深き真理に通暁せる高級霊を派遣し、神性の秘奥と人間の宿命について啓示を垂れさせる。

かくのごとく人間にはその程度に応じた霊と相応しき情報とが提供される。これまでも神はその目的に応じて手段を用意されてきたのである。

今一度繰り返しておく。スピリチュアリズムは曾ての福音の如き見せかけのみの啓示とは異なる。
地上人類へ向けての高級界からの本格的な働きかけであり、啓示であると同時に宗教でもあり、救済でもある。
それを総合するものがスピリチュアリズムにほかならぬ。(中略)

常に分別を働かせねばならぬ。
その渦中に置かれた者にとっては冷静なる分別を働かせることは容易ではあるまい。
が、その後において、今汝を取り囲む厳しき事情を振り返った時には容易に得心がいくことであろう。
(近藤千雄訳『霊訓』「世界心霊宝典」第一巻、国書刊行会)


インペレーターと名乗る高級霊からのこのスティトン・モーゼスに届いたとされる霊信の、この引用部分は、私に向かって発信された啓示であるかのような錯覚すら覚えます。

インペレーター霊が説いているように、前世療法にとりかかる前の私は、「筋の通れる論証の過程を経なければ得心のできぬ者」のレベルにありました。
だから、「秩序と連続性の要素を持つ証明を提供し、動かぬ証拠の上に不動の確信を徐々に確立していく」ために、「動かぬ証拠」として「タエの事例」をはじめとして、ヒーリング能力の出現、「ラタラジューの事例」などの超常的現象が、霊界から私に次々に提供されているような気がしていました。

そうした直感の真偽を確かめるために、それら超常現象の検討・考察は、これまで述べたとおりです。
この検討・考察は「常に分別を働かせねばならぬ」と言うインペレーターの忠告に従っていることにもなるのでしょう。
そして、分別を働かせた結果の帰着点は、霊と霊界の存在を排除しては説明できないのではないかということでした。

かつての私の立場ば、例えばヒーラーと称する人々のヒーリング効果の解釈として、プラシーボ効果であるとか、暗示効果であるとか、信念の心身相関による効果であるとかの知的・科学的説明に躍起となって、それを公正な態度だと信じて疑わなかったと言えます。

しかし今、自分自身に突如ヒーリング能力があらわれ、その説明は霊界と霊の存在抜きには(霊的真理抜きには)考えられない事態になってきたように思われます。

そして、「動かぬ証拠」を次々に提供され、ようやく「霊的真理の初歩段階」を卒業しかけているいるのではないかと感じています。
やはり人間は、最後は自分自身の直接体験こそ、科学的解釈がどうであろうとそれにとらわれず確信させる、自明の真実性を持つと言わざるをえません。


(その52へ続く)

2014年2月15日土曜日

SAM前世療法の成立 その50

総括その11 前世のない魂の持ち主が存在するらしい
SAM前世療法によって明らかになった「意識現象の事実」の一つに、前世を持たない魂、つまり、生まれ変わりをまだ体験していない魂の持ち主が存在することの発見があります。
これまでのセッションの累積から、男女合わせて13名のクライアントが生まれ変わりをしていないと回答しています。
魂が、どこで、どのようにして生まれ出るかは不明ですが、生まれ変わりを繰り返すとして、最初の人生が必ずあるはずですから、論理的にはこの現世が最初の人生である魂の持ち主がいたとしても不思議ではありません。
現在、地球人口は72億人を超えており、少なくとも72億の人口分に見合う数の魂が存在しているはずですし、死亡人口より誕生人口の増加にともなって、前世を終えて生まれ変わりを繰り返す魂が、霊界と呼ばれる次元で待機しているとしても、新たな魂が誕生していると考えることは妥当のように思えます。
SAM前世療法によって、前世を持たない魂がどのようにして発見されるかというと、魂の自覚状態に至っても、魂の表層から前世の人格が顕現化しないという現象が起こるからです。
顕現化するのは魂表層の「現世の人格」だけであり、その現世の人格に、前世の人格と交替を命じても、「いない」と答えます。
では、あなたは魂として初めての人生を送っているのか、生まれ変わりをしていないのか、と尋ねますと「そうだ」と答える。
こうした意識現象から、この魂は生まれ変わりを持たない(魂表層に前世人格が存在しない)魂であると判断するしかありません。
そして、直近のセッションで、14人目の初めての人生を送っている魂の持ち主があらわれました。
このクライアントは、山陽地方の都市に在住の63歳の男性でした。
合気道の師範をしておいでになり、裁判所書記官を退職された経歴の持ち主です。
私は、SAM前世療法を伝達するための催眠塾を主宰していますが、入塾のためにSAM前世療法を体験することを必須条件にしてあります。
入塾希望者の、SAM前世療法を学ぶ志の高さと、人物評価を判断するために、こうした条件を設けてあります。
また、実際にSAM前世療法における意識状態の体験なしには、クライアントに起きている催眠中の意識状態を推測しながら、適切なセッション展開をすることがかないませんから、セラピスト自身にどうしても魂状態の体験が必要だと考えています。
したがって、この武道家である63歳男性クライアントは、主訴がとくにあるわけではなく、入塾のためにSAAM前世療法を体験するのが目的でした。
催眠覚醒後、前世を持たないとするこのクライアントの性格特性について聞き取り調査をしました。
その結果、
①未知のものへ好奇心がきわめて旺盛で、好奇心に駆られて行動することが多くあった。
63歳にしてSAM前世療法を学ぶために片道3時間かけて行動できるのはその証左である。
②周囲の人たちから、いわゆる「悪気のない素直ないい人」だと評価を受けている。
本人も、人を陥れたり騙したりすることはできない性格だと思っている。
また、事を学ぶにあたって、きわめて素直で努力も人一倍できる。
ということが浮き彫りになってきました。
実は、この①②の性格特性は、過去13人の前世を持たない魂の持ち主に共通する性格特性であることが明らかになっています。
 
フランス人アラン・カルディックの高級霊との霊信記録『霊の書』によると、「魂の生まれたての状態はどのような状態ですか?」という質問に対して、通信してきた高級霊は、「無知、無垢です」とだけ告げています。
はじめて人生を体験する魂は、「無知」であるから、未知なものに対してきわめて好奇心が旺盛であるのは当然でしょう。
また、「無垢」であるので、純真で悪気のない素直な人柄であることも頷けるところです。
はたして、その魂の持ち主が生まれ変わりを体験していないかどうかを、科学的検証にかけることは到底できることではありません。
現在できることは、人間知性を超えた高級霊からの通信だと多くの人が認める霊信から、その根拠を探るしか手段がないと思います。
そして、「魂の生まれたての状態は無知・無垢です」という高級霊の言と照合して、生まれ変わりがないとするクライアントの性格特性の報告を、さもありなん、と納得しています。
生まれ変わりをしていないとするこのクライアントが、前世の記憶を想起させるワイス式前世療法ではどのようなセッションの展開になるのか興味津々です。
(その51につづく)

2014年2月8日土曜日

SAM前世療法の成立 その49

総括その10 タエの語りは里沙さんの前世の記憶の想起だろうか
2005年3月・6月に、里沙さんを被験者にワイス式でおこなった2回の前世療法で、私は「タエの事例」に出会いました。
そして、タエの語りは、里沙さんの前世記憶の想起として語られたというより、タエという前世人格が顕現化し、里沙さんとは別人格のタエ自身が語っていると解釈することが妥当ではないか、という強い印象を受けました。
この印象の妥当性を検討するきわめて貴重な資料が、セッション後に里沙さんが記してくれたセッション中の意識状態を内観(内省)した体験記録です。
この体験記録をお願いするにあたって、私は、催眠中に起こった意識内容を出来る限り詳しく思い出して書くように注文を出しました。
初めて出会ったきわめてまれな事例であったので、後の事例研究のために是非とも残しておきたかったからです。
下記に転載したのは体験紀録の抜粋です。(『前世療法の探究』春秋社、2006、PP221-222)
なお、1回目のセッションは2005年3月におこない、2回目のセッションは2005年6月におこなっています。
このうち、2回目セッションの録画が2006年10月のフジTV「奇跡体験アンビリバボー」に25分間取り上げられて紹介されています
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【転載はじめ】
1回目のセッションでは、稲垣先生の誘導により、暗闇のトンネルを進み、前世の世界の扉を開けることから始まりました。
次は、そのときの状態を、記憶に残っているままに書き留めたものです。
扉を開けると、まばゆい光の世界が見え、そこにもう一人の私がおりました。
前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光の塊ではありましたが、まちがいなく私でした。
そして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。
私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました。

私の前世は、タエという名前の女性で、天明三年に起きた火山の噴火を鎮めるために人柱となって、16歳で溺死するというものでした。
目の前に迫る茶色い水の色や、「ドーン」という音もはっきり分かりました。
水を飲む感覚、息が詰まり呼吸できない苦しさ、そして死ぬことへの恐怖、それは言葉では言い表すことのできない凄まじいものでした。
私は、タエそのものとして死の恐怖を体験しました。
(中略)
二回目のセッションでの私の望みは、できることなら痛みに耐えて、生きてゆく意味を、自分なりに見つけたいということでした。
このセッションは、70分という時間がかかったことを後で聞かされましたが、私には、せいぜい30分程度の感覚でした。
後でビデオを見せてもらいましたが、偉大な存在者の記憶は全くなく、そのあたりで時間のズレができたのではないかと思います。
ただし、タエと、ネパール人と、中間世の魂となっている部分の記憶は、催眠から覚醒しても、ハッキリ覚えていました。
次は、二回目のセッションの記憶を書き留めたものです。
前回と同じように、扉を開けると、あっと言う間に、私は13歳のタエで、桑畑で桑の実を摘んで食べていました。
私がそのタエを見ているのではなく、私自身の中にタエが入り込んでくるという感覚でした。

稲垣先生から、いろいろ質問がされましたが、現世を生きている私が知るはずもない遠い昔の出来事を、勝手に口が動いて、話が出てしまうという状態でした。
それは本当に不思議なことでした。

【転載おわり】
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さて、検討したい個所は次の記述です。
扉を開けると、まばゆい光の世界が見え、そこにもう一人の私がおりました。
前世の私と思われるそれは、姿も形もなく、無論男か女かも分からない、音も声もない、小さな光の塊ではありましたが、まちがいなく私でした。
そして、一瞬にして、すべてのものが、私の中に流れ込んできました。
私は、自分が何者なのかを知り、状況も把握できました。
「まばゆい光世界」にあって「姿も形もなく」、男女の性別もわからない、小さな光の塊であるような自分である自覚が認められ、一瞬にしてすべてのものが、私の中に流れ込んできた、そして自分がタエという名の16歳の少女であり、そのときの状況も把握できた、と里沙さんは言います。
さらに、タエそのものとして、泥流によって溺死した体験をした、と記述しています。
2回目のセッションでは、あっという間にタエになっており、それは「自分のなかにタエが入り込んでくるという感覚」であったと記述しています。
また、そのようなタエが話すときは、「勝手に口が動いて話が出てしまう状態」だったと言います。
このような意識状態になったという記述をありのままに受け入れるとしたら、どのように説明がつくのでしょうか。
里沙さんが、このセッションで「記憶催眠」レベルの催眠深度に達していたことは、標準催眠尺度によって確認しています。
そのような深い催眠状態に至って、里沙さんは自動的に「魂状態」になり、その「魂状態」になったそのときに、タエという前世の別人格が一瞬にしてあらわれた、と考えることができるのではないでしょうか。
里沙さんとタエとは別人格であるので、タエの人格が話すときには、里沙さんの発声器官を借りて、タエ自身が話すことになる、したがって里沙さんの意志ではないのに「勝手に口が動いて話が出てしまう」という自覚を持たざるをえなくなってしまうのでしょう。
ただし、催眠学的解釈をすれば、こうしたタエという人格があらわれたようにみえる現象は、里沙さんの無意識的に起こした「役割演技」だとみなすことが可能です。
実際に「記憶催眠」レベルは、「人格催眠」レベルとも名付けられており、このレベルの催眠深度に至れば、人格変換、つまり、役割演技を引き起こせることが分かっているのです。
しかし、役割演技としてあらわれたタエという架空の人格が、里沙さん自身の入手していない正確な情報を話せるはずがありません。
タエの語りの内容の史実との一致率は80%を上回っています。
残り20%弱の語りは、検証不可能であり、結局、タエの語りについての明確な誤りはなかったのです。
そして、2009年に実施したポリグラフ検査によって、タエの語り内容の情報を、里沙さんが事前に入手していていた可能性は否定できるという鑑定結果が出ています。
つまり、タエは、里沙さん自身の知らない天明3年浅間山大噴火にまつわる諸情報を語ったということです。
(その50につづく)

2014年2月5日水曜日

SAM前世療法の成立 その48

総括その9 前世の人格の所在はどこなのか
2005年の「タエの事例」において、被験者里沙さんの前世記憶の想起ではなく、タエの人格そのものが顕現化したのだとすれば、そのような前世の人格は、いったいどこに存在しているのでしょうか。
これが「タエの事例」以後、1年以上にわたって私を悩ませることになった大きな謎でした。
この謎について言及した先行研究は、イアン・スティーヴンソンに求めるほかないと思いました。
以下は、イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、1989からの抜粋です。
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生まれ変わったと推定される者では、先述のイメージ記憶、行動的記憶、身体的痕跡という三通りの要素が不思議にも結びついており、前世と現世の間でもそれが一体になっていなかったとは、私には想像すらできない。
このことからすると、この要素(ないしその表象)は、ある中間的媒体に従属しているらしいことがわかる。この中間的媒体が持っている他の要素については、おそらくまだ何もわかっていない。

前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)
私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているのに対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる。したがって、私たちの個性には、人格としては決して表出することのないものや、異常な状況以外では人間の意識に昇らないものが数多く含まれているのである。
前掲書PP.359-360
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スティーヴンソンの言う「中間的媒体」、および「心搬体(サイコフォア)」は、古来呼ばれている「魂」と同義です。
厳密な科学者スティーヴンソンは、「soul(魂)」という語にまとわりつく宗教臭を嫌ったのだと思われます。
ただし、私は、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を、そのまま従来の「魂」の概念でも不都合はないと思いますし、新しい概念でもないのに「心搬体」などの造語を用いることは不要だと思っています。
また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、後にSAM前世療法の作業仮説を設けるときの大きな参考となっています。
つまり、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化(変化)する仕組みになっている」という仮説を支持する考え方だと言えそうです。
ただし、スティーヴンソンは、「心搬体」=「魂」を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない、と述べています。
「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格たちは互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化する仕組みになっている」というのが、現時点の私の見解です。
つまり、「心搬体」=「魂」の表層全体は、変化していくものだということを、その後の、SAM前世療法のセッションで顕現化した前世人格の語りから確かめています。
さらに、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない、というスティーヴンソンの見解は、そっくり現在の私の見解と同様です。
「現世の私」という一つの人格が、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層の一つとして生き続けるのであって、生まれ変わるのは「表層を含めた一つの魂全体」だというのが、SAM前世療法の示す生まれ変わりの実相だと言えます。

また、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの考え方も、私の見解にほぼ一致します。
現世の個性は、魂表層の前世人格たちから人生の知恵を分かち与えられており、このようにして繰り返された前世の人格に由来する「個性」と、現世での諸経験とによって、形成されているに違いないのです。
さて、私が、スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「記憶」の所在についての考究でした。
彼が、「前世の記憶」が脳にだけあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」を想定していたことに照らせば、間違いありません。
私の期待したのは、その心搬体と脳との関係についてのスティーヴンソンの考究です。
前世の記憶を語る子どもたちは、その前世記憶の情報を、心搬体から得て話したのか、脳から得て話したのか、それとも記憶ではなく前世の人格の顕現化であるのか、いずれなのでしょうか。
しかし、スティヴンソンはこの問いについてはなにも解答を与えてくれませんでした。
私が求めた解答を与えてくれたのは、人間ではなく、私の守護霊団を名乗る霊的存在でした。
(その49につづく)