2014年4月22日火曜日

SAM催眠学の構築にあたって

   SAM催眠学序説 その1


前世療法は、前世といういまだ実証されていないものを前提としているように見えるため、アカデミズムからは異端視され、様々な批判や問題点が指摘されています。

私の催眠技法のベースは心理学系のアカデミックな技法ですが、それらの批判や問題点を踏まえたうえで、前世療法を探究してきました。

その探究の過程で、拙著『前世療法の探究』春秋社、2006を上梓しました。

その後の過程で、前世療法に関わる様々な霊的存在を名乗るものからのメッセージに遭遇し、それら霊が告げた内容を検証するうちに、「SAM前世療法」と名付けた私独自の作業仮説による「魂遡行催眠」という技法が開発されることになっていきました。

私自身はこうした霊的存在からのメッセージを鵜呑みにすることはありませんが、非科学的妄想であると一蹴する態度もまた偏向・偏狭であると思っています。

メッセージの内容で検証可能なことは努めて検証にかけ、その結果明らかになった事実については、いかに非科学的と言われようとも尊重していくことこそ公正な科学的態度であると考えます。

したがって、SAM前世療法は、唯物論科学の観点からすれば、いまだ実証されていない魂への遡行を試みるきわめて霊的な療法であり、現行の唯物論とは真っ向から対立する療法です。

魂と呼ばれる意識体は死後存続し、繰り返し新しい肉体を持ち続ける(生まれ変わる)という前提に立っています。

さらに、魂と呼ばれる意識体は、ちょうどミラーボールのごとく、中心となる意識体とその表層を構成する前世のものたちの二層構造を持っているという仮説に基づいています。

ここでいう霊的(スピリチュアル)の意味は、次のようなWHOの概念に則っています。

WHOは、

「霊的とは,人間として生きることに関連した経験的一側面であり,身体的な現象を超越して得た体験を表す言葉である。

多くの人々に霊的な因子は,身体的,心理的,社会的因子を包含した人間の『生』の全体像を構成する一因として見ることができ,生きている意味や目的についての関心や懸念とかかわっていることが多い。

特に人生の終末に近づいた人にとっては,自らを許すこと,他の人々との和解,価値の確認などと関連していることが多い」

と定義づけています。

つまり、霊からの通信という「身体的な現象を超越して得た体験」に基づく作業仮説とその実践が、SAM前世療法の本質であり、際立った特異性だと言ってよいと思います。

こうして、SAM前世療法を、独自の作業仮説に基づいて、6年間の一定数のセッションをおこなった結果、成果の検証が累積してきましたので、ここに中間地点のまとめとして、「SAM催眠学序説」としてまとめてみたいと思います。

これまでに述べてきた「SAM前世療法の成立」および、「私あて霊信」などの記事を整理し、一定の秩序のもとに体系化しようという試みです。

それは、「作業仮説 」ー「仮説検証のための実践」ー「検証結果による作業仮説の検討」の累積から明らかかにされてきた「意識現象の諸事実」を全体性・普遍性・究極性に照らして、「SAM前世療法を哲学する」試みでもあります。

そして、「SAM催眠学」が取り上げる「意識現象の諸対象」は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、探究途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものー「SAM前世療法」という特殊・固有の観点から構成されてきたものであり、当然のことながらそうした前提と限界があることをお断りしておきます。
したがって、これから述べていくことが揺るぎない絶対の真理であるということではありません。


SAM前世療法の実践に導いた、霊信に基づく「作業仮説」は、現行の唯物論科学の立場からすれば妄想と見えるかもしれません。

しかし、私は、「説明の成功」をもって真理とみなすプラグマティズムの真理観に立っています。

そして、拙著『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』の執筆をはじめとするこうした仕事は、魂と生まれ変わりの真偽に関与しようとしないアカデミズムにも与せず、「前世の真偽は棚上げ、治ればOK」と割り切る精神世界系の民間前世療法士の立場にも立ちがたい私に課せられた使命かもしれないと思っています。

しかし、私は、いわゆる霊能者ではなく、霊を見たり、その声を聞いたり、霊からの通信を受信する能力を持っているわけではありません。

また、いかなる宗教団体にも所属しているわけではありませし、特定の教義や信仰を信奉しているわけでもありません。

 

SAM前世療法の概念

SAMの意味
 
SAM前世療法は「サム前世療法」と呼びます。
「SAM」のはソウル(soul)のS、はアプローチ(approach)のA、はメソッド(method)のMを、それぞれ意味しています。

つまり、「魂状態に接近していく技法による前世療法」という意味で用いています。

さらに言えば、「魂状態の自覚」に至るまで催眠を深化させ、そこに顕現化する魂表層の前世の人格と対話し、前世人格との対話を通して、現世の不都合な心理的症状の改善と、現世を生きる意味の自覚へと導く前世療法が「SAM前世療法」です。

ちなみに、「SAM前世療法」は登録商標として認可されています。
私の許可なく、この商標を用いて前世療法をおこなうことは商標権の侵害となります。

なお、「前世」と「過去世」は厳密には異なる概念ですが、「前世療法」という用語が広く流通している事情を鑑み、この論文では以後「前世」に統一して用います。

また、「魂」という用語は、「生前の記憶・個性など人格の心的要素を来世へ運搬する死後存続する意識体(媒体)」という意味で用います。

さらに、この論文では、「霊」とは肉体を持たない意識体、「魂」とは霊が肉体という器を得てその中に存在している意識体、という意味で使い分けします。

したがって、霊と魂は、肉体という器を持つか持たないかの呼称の違いだけであり、その本質は同じです。
肉体を失った死者の魂を、霊と呼ぼうというわけです。


(その2へつづく)

2014年4月10日木曜日

SAM前世療法の成立 その57

総括その18 SAM前世療法の理論化について
これまでの記事において、SAM前世療法の様々な「意識現象の事実」と私あて霊信の検証について紹介してきました。
次からは、この6年間で実践してきたSAM前世療法であらわれた意識諸現象の理論化を試みることにします。
まず、「理論化」とは何かについて、私が上越教育大学大学院で師事した敬愛する杵淵俊夫教授(教育学博士)の教育哲学講義ノートを読み返し、以下にまとめてみます。
「理論」とは、事態をある観点から見て述べたことばであり、事態そのものではありません。
したがって、観点が異なるにつれて、さまざまな論じ方が成り立ちます。
そして、それぞれの論じ方はいずれも、そのカテゴリー(範囲)においては正しいと言えます。
こうして、理論とは事態をことばで整理し、仮の秩序にあてはめたフィクションと言えます。
理論化の試みとは、そのカテゴリーにおいて、その事態の論じ方によって、単純・明快に説明が成功すれば、とりあえずその理論を真理とみなそうとする立場に立とうということです。
さて、諸科学の特殊専門的探究の過程ないし途上において構成される諸対象は、大別すると「事実」と「観念」とに分けられます。
それら諸対象は、そのままそれ自体として実在するもの、あるいは実在するものの全体としてあるがままの把握とその表現ではなく、探究途上の特殊・固有の観点に基づいて構成されたものです。
理論化するという作業は、一定・特殊な固有の観点・立場に立って、それと関係のある一定の事象の、さらにまた一定・特殊な側面(性質・機能・要素など)のみを、選択的に注目し、抽象・加工・精錬して、所定の定義された用語でもって記述・表現するということです。
理論化作業は、他方において、諸々の「事実」ないし「データ」を可能な限り合理的なしかたで関係づけ、説明し、解釈するような問題的状況の構図を想像上、構成してみることによって果たされていきます。
その結果として、当然のことながら諸科学の「対象」は「操作的」性格を帯びることになります。
諸科学の「対象」(事実・データ・観念・仮説)は、一定・特殊な探究の意図・目的を追求し、実現する、その作業・操作の過程の文脈の中で初めて、一定の明確かつ厳密に規定された位置を獲得し、一定・特殊な、一面的、部分的な役割をになうものであり、諸「対象」のになう意味は、全く、探究の操作の文脈に依存しているということです。
私は、これまでの前世療法への疑問を抱いていたところへ、私あて霊信現象が起こり、それが告げた内容の真偽を検証する作業を進め、その過程で新たな催眠技法や方法を工夫・考案してきました。
そうした作業の中で、その作業の客観的裏づけとして応答型真性異言「ラタラジューの事例」を得ることができました。
SAM前世療法と名付けた新しい前世療法の一般的応用への保証を求めて、現時点でのSAM前世療法であらわれる「意識現象の事実」を対象に、理論化の作業を進めたいと思います。
この理論化作業は、SAM前世療法創始者として、この療法をもっとも知悉している私に、この療法と、それが示す霊的事実を、後世に残すために課せられた使命だと思っています。
また、おそらくこの作業を、霊信を告げた存在は支持し、喜んでくれるだろうと思います。
追伸 
まもなく「ラタラジューの事例」英語版動画をyou-tubeにアップする予定です。
また、「タエ・ラタラジューの事例」の日本語版動画も、次いでアップします。
アップ完了時点で、お知らせします。
どうぞごらんください。
(その58へつづく)

2014年4月6日日曜日

SAM前世療法の成立 その56

総括その17 SAM前世療法の仮説と第12霊信の信憑性
第11霊信は次のように告げてきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
あなたが長年探究してきたものは、これまでの視点からは成長は望めない。
なぜなら、もうすでにその観点での最終地まで達しているものが存在するからである。
あなたが探究するべきものは、これまでよりもさらに深奥にあるものである。
魂の療法のみならず、あらゆる霊的存在に対する奉仕となるものである。
それは、命あるものすべてに繋がり、私達へも強い繋がりを持つ。
そのために、あなたは自らの内にある疑問をまとめておく必要がある。
あなたがこれまで探究してきた道の中であなたが処理できないもの、そして人の理解を超えるものについて、私達でなければ答えられないものについて、まとめなさい。
M子を通し、あなたは私達にそれを尋ねなさい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  
私は、この霊信に従って、2007年1月23日21時半頃に、16項目の霊への質問をM子さんに送信しました。
彼女には回答できないであろう前世療法についての専門的内容がいくつも含まれていました。
彼女は私の送付したファイルを貼り付け、霊信を待ったそうです。
その質問に対する霊からの返信の転送が、同日22時58分に届くということが起こりました。
この第12霊信の回答はA4用紙9枚分に及んでいます。
驚くべきことに、90分足らずの時間で回答が届き、しかもその内容がA4用紙9枚に及んだということです。
おまけに、霊信の末尾で送信霊は、
「彼女という人間が答えられる問題はここでは存在しない。これは私からの霊信であり、M子の言葉ではない。M子の妄想ではない。妄想では答えられないものである」
と第12霊信が彼女の創作、あるいは妄想ではないことを念押ししています。
そして、
「私はあなたの祖父の守護霊とつながりを持つものであり、あなた方の世界で表現すると、遠い昔転生を終えたものである」
と送信霊は自分の素性を明かしています。
それまで、M子さんの創作の可能性を疑っていた私も、これまで述べてきたいくつかの符合が示されるに及んで、彼女が創作している可能性よりは霊信現象が事実である信憑性が高いと判断していいのではないかと思うようになりました。
なお、この第12霊信で通信霊は、
「我が霊団は11の霊的存在から成り立つ。だが神はその上におられる。神の計画が、あなた方が進むための原動力を与えていると理解しなさい。ただ、信じることが前進するものだと理解しなさい」
と守護霊団の存在と霊団が11の霊から構成されていることを告げています。
この第12霊信が私の質問の回答として告げた、心・脳の二元論、脳・心・魂・意識・潜在意識の関係、および魂の二層構造、魂表層に存在する前世の人格たちとそれらの相互関係、霊体の存在とその役割、魂の生まれ変わりの仕組みなどの諸説明こそ、のちにSAM前世療法の骨格を成す作業仮説となったものです。
「SAM前世療法の成立」と題してこれまでに述べてきた、霊信の三つの予言の的中、この目で確認した霊信の自動書記現象などとともに、この第12霊信の告げた内容の信憑性を私が受け入れた背景には次の2点があります。
一つは、畏敬する催眠学者成瀬悟策(九大名誉教授・医学博士)氏が、2004年の教育催眠学会講演の中で述べられた次のような見解があります。
「脳は心の家来です。脳の病変によって動かないとされている脳性麻痺の動作訓練を催眠暗示でやったところ、動かないとされていた腕が動くようになりました。しかし、脳の病変はそのままです。こうしたことから、身体を動かすのは脳ではなく、オレであることにやっと気づきました。私のこの考え方を正統医学は賛成しないでしょうが、21世紀の終わりには私の言っていることが明らかになるでしょう」
私の理解が誤っていないなら、成瀬先生の上記の見解は、催眠実験の結果から至った「心・脳の二元論」の言明であることになります。
海外の科学者においても、W ・ペンフィールド、J・エックルズ、R・スペリーなどノーベル賞受賞者である大脳生理学者が、成瀬先生と同様、脳の実験研究の結果、「心・脳の二元論」に至っているのです。
つまり、ごく少数派ではあるのですが、第一級の科学者が「心・脳の二元論」を唱えているのです。
ちなみに、心は脳の活動の付随現象であるとする「脳・心の一元論」は、科学的検証によって証明された言説ではなく、唯物論科学の立場からその立場上構成されている信念や主張をそのまま表現したものにすぎないのです。
そして、第12霊信は、脳と魂は別物であること、脳が意識・潜在意識を生み出してはいないことを明確に告げています。
もう一つは、生まれ変わりの先行研究者イアン・スティーヴンソン教授の次のような見解です。
スティーヴンソンは、「グレートヒェンの事例」において、応答型真性異言で会話したグレートヒェンを名乗るドイツ人少女を「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出そうと試みた」(『前世の言葉を話す人々』春秋社P11)と記述し、呼び出された前世人格を「トランス人格」(前掲書P9)と呼んでいます。
つまり、催眠下で前世人格が顕現化した、というとらえ方をしています。 
しかし、スティーヴンソンは、応答型真性異言を話す主体は、被験者の「前世の記憶」ではなく、「トランス人格(前世人格)」が顕現化して真性異言を話した、とまでは言及しても、その「トランス人格(前世人格)」の存在する座がいったいどこにあるのかは言及していません。
おそらく、スティーヴンソンには、トランス人格(前世人格)の存在の座を推測することがまったく出来なかったと思われます。
ただし、彼は、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を『心搬体(サイコフオア)』と呼ぶことにしたらどうか」(『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、P359)と提唱し、「心搬体」、つまり現世と来世にまたがって死後存続する「魂」の実在を認めようとしています。
そして、第12霊信は、生まれ変わりをしている諸前世の人格が魂の表層に今も生きて存在し、それらのものたちが意識・潜在意識を生み出している、と明確に告げています。
それまでの「前世の記憶」を想起させるという前提での前世療法(ワイス式)において、あらわれる意識のありようを「前世の記憶」として扱うことに違和感と疑問を抱きはじめていた私に、第12霊信の告げた内容は、これまで聞いたこともない奇怪な内容であると同時に、違和感を解消するに足る新鮮な内容でした。
たとえば、前記事「その54」の三つの予言の「その3」で紹介した女性クライアントの最初の発話である
「先生お懐かしゅうございます。会いとうございました」
という意味は、クライアントのどこかに存在する前世の少女が、現世の私に対して、いま、ここに、顕現化し、現世での私との再会を喜んでいる言葉として受け取ることが自然であり妥当でしょう。
これをクライアントの「前世の記憶の想起」として扱うことは出来ないと思うのです。
こうして私は、第12霊信で告げられた諸内容をそのまま作業仮説として採用し、その検証を累積し、前世人格の顕現化を可能にする新たな前世療法を探究することを志すことになりました。
これが、のちにSAM前世療法として結実していったのです。
(その57へつづく)

2014年4月1日火曜日

SAM前世療法の成立 その55

総括その16 パソコンによる自動書記の真偽について
私あての霊信という現象の真偽について、その判断のひとつの目安に、複数の「予言の的中」の有無を前記事で挙げておきました。
しかしながら、霊信現象の真偽でもっとも重要なことは、受信者M子さんが本当に自動書記によって受信しているかどうかの検証です。
いかに霊信の予言が的中したとしても、霊信と称して、M子さんが作文しているのではないかという疑いは、私のなかで皆無にはなりませんでした。
もともと唯物論側に属し、そのように教育を受けてきた私には、霊と地上の人間との文字による交信が可能であることを素直に受け入れることができませんでした。
この執拗な疑念を晴らすためには、この目で霊信の受信現場を確認するしかありません。
M子さんによれば、霊信が来る前兆として後頭部に鈍痛の感覚が出るといいます。
その前兆を感知してパソコンの前に座ると、やや朦朧となっている意識の中で指が自動的にキイを打つという現象が始まるということでした。
キイを打っている最中は、どんな内容を打っているのか分からず、打ち終わって読んで初めて内容を知ることができると報告しています。 
誤字・脱字などがあれば、送信霊の「違う、違う」と言う声がし、指が勝手に動いて打ち直しをさせられるとも言いました。
こうして打ち終わった内容は校正をしないでそのまま直ちに私に転送しているとのことでした。 
2007年1月27日(第15霊信がこの日の夜中1:20に着信)の午後、私はM子さんに研究室に来訪してもらい、自動書記現象の実験を試みる機会に恵まれました。
深い催眠状態の中で、私の守護霊を名乗る存在とM子さんの守護霊を名乗る存在が、私の求めとは関係なしに入れ替わり憑依し、語り始めるという現象が起こったのです。
そこで、このセッションの終末で私は、憑依している私の守護霊を名乗る存在に、次のように自動書記の実験を頼んでみました。
そのやりとりを紹介します。
私: ただし、霊信については、これからパソコンで自動書記がおこなわれることを確認したいと思います。それは許されるでしょうか? 控えたほうがよろしいか?
霊:それはあなたが望む方に進めばよい。
私:分かりました。それでは私の中に、少し疑念として残っている自動書記を見たいと思います。今の意識のままで受信できますか? 霊団のどなたが送信してくださいますか?
霊:できる。送信はエドガー・ケイシーが適任である。
私:それでは、今日のセッションの意味と、これからの我々の心得るべきことについて、 なにとぞケイシー霊に送信していただけるようにお願いいたします。
こうしてM子さんは、催眠中の虚ろな目をしたまま、用意したノートパソコンで9分間の自動書記を始めました。
その全文を原文のまま紹介します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これよりあなた方に伝えるべきことは今回のセッションについてでなく、あなたがこれより先に進むたびに行うであろう霊信の口頭による伝達に対してのものである。
今回M子の意識が深層へと進む妨げととなる原因となっていたものは、環境による影響である。
それらは、M子の集中力ではなく、感受性への影響を大きくもつものである。
なぜなら、M子の体感覚は振動による影響を大きく受けやすい。
彼女は聴覚としての感覚を鋭く持つが、体感覚としての感覚も鋭く持つ。
それは彼女の霊性にも深き繋がりを持つものである。
彼女が霊性を発揮するための必要環境条件として、音による影響を考慮する必要がある。
感受性の幅を広げるための環境を十分整える必要がある。
彼女は習慣として音楽を材料として用いる。
そのことを考慮に入れながら環境を考案しなさい。
あなたは今日十分な材料を得られないまま終了したと感じている。
だが、あなたの変化は生じている。
表面上に現れてこそいないものだが、あなたの感覚は今後大きく変化を生じさせるだろう。
あなたは今日セッションで交わした会話を文章に起こし見直す必要がある。
その発言が誰によるものなのかあなたには分からない点があるだろう。
だが、それを突き詰めるのではなく、その内容をあなたが理解に達するように読み直し浸透させる必要があるのだ。
あなたは完全な理解にまで及ぶことはない、だがそれらはあなたがこれから先に進むための材料となるものである。
そして、あなたは今回のセッションをある人物には語ることを許される。
その人物とは、あなたが以前霊信を送った者である。
その者に、あなたの思う手段で今回のセッションについて語りなさい。
音声としての記録を聞かせることも、その者に対しては許されるものである。
あなたは、今後夢見をおこなう前に祈りを捧げる必要があると先ほど述べた。
それを習慣的な行動とするのではなく「儀式」として受け取りなさい。
あなたはこれまであなた自身の魂に対して祈りを捧げることは、あまりなかった。
それこそが、あなたの魂が先へと導くきっかけを作るものである。
あなた自身の内側へと目を向け始めなさい。
M子には、しばらくの間癒しのために何かをおこなう必要はない。
それは、衝撃となりかねないものである。
よって、しばらくの間はあなたのヒーリング能力に対しての探究、そして今回の検証をおこないなさい。
私たちは必要に応じてあなた方に語りかけるであろう。
そして、あなたが求める時も必要に応じて与えるであろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この自動書記実験で、私は、少なくともこの霊信については、間違いなく自動書記現象が起きたことを目の前で確認することができました。
このことから推測して、この日までに着信している15通にわたる霊信は自動書記現象として受信されたと判断してよいと思われました。
付言すると、ケイシー霊とされる霊が冒頭で告げている、「これよりあなた方に伝えるべきことは今回のセッションについてでなく、あなたがこれより先に進むたびに行うであろう霊信の口頭による伝達に対してのものである」という文言、それに呼応して文末で告げている「私たちは必要に応じてあなた方に語りかけるであろう。そして、あなたが求める時も必要に応じて与えるであろう」という予言は、その後今日に至るまで実行されています。
すなわち、自動書記の文書による霊信は2007年2月14日で途絶えましたが、その後2~3ヶ月ごとに、セッション中のクライアントに憑依しては「口頭による伝達(霊信)」が継続しています。
直近の霊信現象は、2014年3月30日のセッションで起きています。
(その56につづく)