2015年11月20日金曜日

ネパール語を学んでいないことの検証

   SAM催眠学序説 その77

里沙さんが、仮に現代ネパール語を何らかの手段で学んでいたとしても、「ath satori(8と70)」という一昔前の年齢表示のしかたを知ること、および一昔前のネパール語の妻「swasni」を知ることが、まずありえないことは前記事「その76」で述べたとおりです。


それでは、ほかのネパール語会話についてはどうでしょうか。

 

通常の方法で学んでいないことの検証と考察 


ラタラジューのネパール語会話が「応答型異言」であることはすでに前記事「その76」で検証してきました。

問題は「真性」異言であるかどうかです。
つまり、里沙さんが通常の方法でネパール語を学んだ可能性の有無についての検証を徹底的にすることです。

この検証は同時に、「意図的作話仮説」「潜在記憶仮説」の検証も意味します。
つまり、里沙さんが意図的にせよ無意識的にせよネパール語を学んでおり、それを何故か隠してあるいは、潜在記憶として話した、という仮説が成り立つかどうかの検証でもあるわけです。

(1)里沙さん証言の裏付け調査


まず最初に疑われるのは、里沙さんが生育歴のどこかでネパール人と接触し、そこでネパール語を無意識的、あるいは意図的に学んでいたのではないかということです。
そこで、まず里沙さんに、生育歴についての綿密な聴き取り調査をし、その裏付け調査を彼女の友人・家族等に可能な限りおこないました。
その結果は次のようでした。

 

① 結婚するまでの生育歴調査


昭和33年、A市近郊田園の広がるB町の自営業両親の二人姉弟の長女として生まれました。
幼稚園・小中学校ともに1学年2クラスの地元のB町小規模学校へ通学しています。高校も地元の公立高校、大学はA市の4年制私立大学家政学部へ入学し、実家から通学、栄養士の資格を取得。

大学卒業後、初めて実家を離れ、公立僻地(へきち)中学校の学校給食栄養士として就職、勤務先教員住宅で自炊生活を経験します。
就職2年後、24歳で結婚のため退職。
A市駅前の食品小売り業の長男の家に嫁ぎ、舅・姑と同居生活を送りました。

B町の小中学校はそれぞれ1校しかなく、1学年2クラスの級友は9年間固定したまま義務教育を終えています。
この小中学校までの生育歴で、里沙さんは、ネパール人を含めて外国人との接触の記憶は一切ないと証言していますし、友人への聴き取り調査でもその裏付けはとれています。
ネパール語を学ぶ機会のありそうな高校・大学時代でも、学校事務局へ確認したところネパール国籍の学生の在籍した事実はなく、本人もネパール人との交遊関係は一切ないと証言しています。

また、昭和40年から50年代当時の在日ネパール人状況からしても、ネパール人が、大都市以外の地方都市近郊のB町に在住することはまず考えられない状況で、仮に里沙さんの幼・小・中・高時代にネパール人の知人・友人があり、しかも、ネパール語会話が身に付く程に親しく交際していれば、その事実を友人・家族等に隠し通すことはまず不可能だと思われます。

② 結婚後の生活歴調査


婚家は、A市の商店街にある非常に多忙な食品小売り業であり、その切り盛りをしながら、早朝から夜遅くまで家業と家事と二人の息子を育てるという、個人的時間のほとんどない生活をしたということです。

二人の息子が成人した頃には姑が体調不良となり、その介抱と、自身の脊柱側湾症の悪化による痛みとその治療に苦しむ生活で、やはり時間的ゆとりは持てない生活が続きました。
2時間以上の外出は姑の手前遠慮し、それ以下の時間で友人との語らいや買い物でも、必ず行き先を告げるのが結婚以来の決まりだったそうです。

やがて、家業を続けることが困難になり店を閉めた後、10年前に私立大学関係事務の午後3時間のパートタイムの職を得、現在に至っているとのことでした。

この生活歴の中で、私立大学関係の3時間の仕事中に、ネパール人との接触の可能性があると見て、この大学事務局に問い合わせましたが、開学以来ネパール国籍の学生の在籍はないとの回答でした。

なお、里沙さんの在住している駅前商店街周辺にはアパートはなく、それ以外にも近辺に在住するネパール人がいないことを確認しました。
里沙さんには、夫が外国人嫌いという事情もあり、新婚旅行でパリに出掛けたこと以外、渡航歴は一切ありませんでした。
また、ネパール語を話せる知人・友人・親戚も皆無でした。

ちなみに、里沙さんの住むA市は、人口42万人の地方都市です。
市役所に出向き、ラタラジュー人格の顕現化した初回セッションの2005年から、ラタラジューのネパール語応答型異言が確認できた第二回セッションの2009年までの5年間に、在住していた毎年のネパール人人口を調査しました。

その結果、最多の年で33人、最少の年は25人であり、A市総人口に占める平均割合は0.007%でした。
この期間中に里沙さんがA市内でネパール人と出会い、ラタラジュー程度のネパール語会話技能を習得する機会はまずありえないと推測できます。

③ ネパール人らしき者と接触した唯一の記憶


里沙さんの証言によれば、市内のインドカレー料理店に息子と三度食事に行った折りに、その店のコックとウェイターが外国語で会話しており、その人たちがインド人かネパール人かも知れない、というのが、唯一ネパール人らしき人と接触した記憶でした。

私はその料理店の住所を教えてもらい、平日の店の空いている時刻をねらって裏付け調査に出向きました。
店には二人のネパール人ウェイターと一人のインド人コックが働いていました。
ウェイターの一人であるライ・ルドラさんに調査の事情を説明し、協力をお願いしました。

ライさんは37歳、カトマンズ東方の東ダランの出身で、ネパールに妻子を残して出稼ぎに来ていると話してくれました。 

ライさんの証言によれば、客を前にしてウェイターどうしがネパール語で会話することは控えており、カウンター越しに厨房(ちゆうぼう)に向けてヒンズー語でインド人コックと話すことはあるということでした。
また、日本人にネパール語を教えたことはないとのことでした。
もちろん、里沙さんが客として来た記憶はまったくありませんでした。

ライさんとの話の中で思わぬ収穫がありました。
彼はカトマンズ周辺の地理に詳しいというので、ナル村を知っているかと尋ねたところ、知らないと答えました。
そこで、カトマンズ周辺の村ではヒルが生息しているかを尋ねると、カトマンズ盆地は、もともと湖底であったことから沼地が多く、ヒルがたくさんいる、と教えてくれました。
この証言は、初回セッションで、ラタラジューが語った「沼地・・・虫、虫・・・ヒル」という言葉に符合すると思われました。

(2) 里沙さん夫妻の証言書


里沙さんへの聞き取り調査をし、証言内容の裏付け調査をおこなった結果、彼女が意図的にせよ無意識的にせよ、ネパール語を学んだことを疑わせる形跡は、何一つ浮上しませんでした。

ラタラジュー程度のネパール語会話能力を身に付けるためには、ラタラジューの会話を分析した中部大学研究員のカナル・キソル・チャンドラ博士の言うように、相当の学習時間を要することは明らかで、彼女の生育歴にも結婚生活の中にも、そのような学習時間が費やされた形跡はまったくありませんでした。
そもそも、ネパールにく興味がないと断言する里沙さんには、ネパール語を学ぶ動機もなく、車または公共交通機関を用いて往復2時間圏内には、ネパール語の学習施設もありません。

そうした検証結果が出たところで、「ラタラジューの事例」を研究チームとして学会発表、出版することに承諾をいただき、そのための証拠資料として学会等の研究発表の際に公開することを了解のうえ、次のような証言書にご夫婦で署名・押印してもらいました。

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ネパール人ラタラジュー人格が初めて出現した2005年6月の前世療法セッションのおこなわれた以前にも以後にも、私はネパール語を意識の上では全く知りませんでした。

また、ネパール語の勉強をしたこともありませんし、理解したり会話したりすることも全くできなかったことをここに証言します。

2005年6月の初回セッションから、2009年5月の真性異言実験セッションの間に、学校であれそれ以外のどこであれ、ネパール語を勉強したり、誰かにネパール語で話しかけられたりすることも、目の前でネパール語で会話されているのを見たり聞いたりしたことも全くありません。

私はインターネットが使えませんし、誰かに頼んでインターネットでネパールについて情報を調べたこともありません。
また、ネパールへ旅行したこともありません。
それは、ラタラジュー人格が初めて出現した初回セッション以前も以後も同様です。

現在も結婚前も、私の住んでいる地区・職場・親戚、学校時代の友人、現在の友人など、私の生活してきた環境にネパールの人は一人もおりません。

私が唯一ネパール語かも知れない言葉を耳にしたのは、息子たちと食事に行ったインドカレー料理店で、店員の異国の方が何か一言二言厨房に向かって短く異国語で話しているのを一度聞いたことがあることだけです。
ただし、この方がどこの国の人で、言葉が何語であるかは全く分かりませんでした。

以上の内容に間違いがないことをここに証言します。
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こうして、私のできる範囲で考えられる限りの検証はすべて終了しました。

(3) ポリグラフ検査の実施と結果についての鑑定

 

① ポリグラフ検査実施までの経緯


ポリグラフ検査は、一般に「嘘発見機」と呼ばれているものです。

人は記憶にあることを聞かれたとき、無意識に身体が反応してしまう、その微少な生理反応の変化を身体各部にセットした精密な測定機器によって記録し、その記録を分析・解読することによって、嘘を見抜くという原理です。
具体的には、検査者の質問に回答するときの呼吸・脈拍・血圧・発汗などの微少な変化を調べることになります。
ポリグラフ検査による鑑定で、里沙さんがネパール語を学んでいた記憶はない、という結果が出れば、科学機器を用いた有力な検証結果として説得力を持つだろうと考えたのです。 

しかし、里沙さんとご主人への説得は難航しました。
証言書まで書かせておきながら、その上にポリグラフ検査とはいかにも疑り深過ぎると思われるのは至極当然の心情です。
結局、生まれ変わりの科学的研究への貢献のためにという粘り強い説得によって了解を取り付けることができました。

ポリグラフ検査で決定的に重要なことは、測定記録データを精査・解読でき、正確な鑑定眼を持つ検査者に依頼することです。
そうした権威ある検査者が、事情を知ったうえで快く引き受けていただけるかが気がかりでした。

引き受けていただけたのは、日本法医学鑑定センターの荒砂正名氏です。
荒砂氏は、和歌山毒物カレー事件の容疑者のポリグラフ鑑定をおこなった前大阪府警科学捜査研究所長で、36年間に8000人を超える鑑定経験を持つポリグラフ検査の専門家です。 
そして、「ラタラジューの事例」のセッションから二か月後、2009年8月6日に里沙さんの自宅において、2時間40分にわたるポリグラフ検査が実施されました。

② ポリグラフ検査の内容


ポリグラフ検査の対象は5件の事項でした。そのうち2件は「タエの事例」についての情報入手経緯・時期の記憶に関すること、2件はネパール語の知識に関するもの、残り1件はネパールの通貨単位ルピーに関するものです。 
その検査内容の概要を手元にある荒砂鑑定書から拾い出して紹介します。 

鑑定事項1 「タエの事例」に関する情報入手経緯は下のどれか?
 ラジオ・テレビ等の番組を通じて。インターネットなどで。新聞記事・パン フレット類で。本・雑誌類で。人から聞いたり教わることで。

鑑定事項2 「タエの事例」に関する情報入手時期は下のいずれか?
保育園・小学校の頃。中学生の頃。高校生の頃。女子大生のころ。独身で働いていた頃。結婚して以降。

鑑定事項3 「隣人」を意味するネパール語は下の何れか?(該当はchimeki)
tetangga(テタンガ) chimeki(チメキ) vecino(ヴェシーノ) jirani(ジラニ)  najbaro(ナイバロ)

鑑定事項4  息子を意味するネパール語は下の何れか?(該当はchora)
chora(チョラ)  filo(フィロー)    hijo(イーホ)   nmana(ムワナ) anak lelaki(アナク レラキ)

鑑定事項5  ネパールの通貨単位は下の何れか?(該当はルピー)
レク ルピー   クワンザ   ダラシ    プント

上記の1から5の鑑定事項の質問に対して示された一つ一つの回答について、被験者は該当する記憶があっても、「いいえ」「分かりません」とすべてについて否定して答えることがルールです。

このルールに従って一つの回答につき十数秒間隔で質問し、このときの生理的諸反応を記録します。
一系列の質問が終わると2分休憩し、その間に内観報告(内省報告)をします。
同様の質問をランダムに3回程度繰り返します。

被鑑定者は、肯定に該当する回答に対して毎回否定しなければならず、つまり、毎回嘘をつくわけで、そのときの特異な生理的諸反応が精密に記録されるという仕組みになっています。 

ネパール語の鑑定事項3・4に関しては、次のような慎重な配慮のもとに単語が選ばれています。

本検査前に、セッション中に使用されたネパール語12単語を抽出し、その記憶の有無を事前検査して、覚えていた単語は本検査の回答からはずすという慎重な手続きをとってあります。

里沙さんが、セッション中に使用されていたネパール単語で本検査前にも記憶していた単語は、九つありました。
これらの単語を除き、セッション中に使用されたにもかかわらず、彼女が覚えていないと答えているネパール単語3語のうち2語、chimekiとchoraが鑑定用単語に選ばれています。
なお、鑑定事項5「ルピー」という単語は、セッション中には使われていない単語です。

③ ポリグラフ検査の鑑定結果と考察


次は鑑定結果の原文です。

 鑑定事項1「たえの事例」に関する情報入手経緯については「本・雑誌類で」で明確な特異反応(顕著な皮膚電気反応)を認めたが、内観には考慮すべき妥当性があり、前世療法を受ける以前の認識(記憶)に基づくものか否かの判断はできない。

考慮すべき妥当性ある内観とは「先生(稲垣)からこんな本読んだことはないかと尋ねられる度に本屋に走り本を読んだりした。

こうした経緯があり、前世療法を受けて以後のことながら、一回目の質問時から引っかかりを感じた」という内観報告である。

したがって、特異反応はこうした内観に矛盾しないものである。

鑑定事項2「タエの事例」に関する情報入手時期については何れにも特異反応を認めず。
特記すべき内観なし。
これらに対する認識(記憶)は全くないものと考えられる。

鑑定事項3「隣人」を意味するネパール語について、chimeki(チメキ)には特異反応を認めず。特記すべき内観なし。
これが該当事実であるとの認識(記憶)は全くないものと考えられる。

鑑定事項4「息子」を意味するネパール語について、 chora(チョラ)には特異反応を認めず。特記すべき内観なし。
これが該当事実であるとの認識(記憶)は全くないものと考えられる。

鑑定事項5 「ルピー」には注目すべき特異反応を認めず。
これが該当事実であるとの認識(記憶)は全くないものと考えられる。

さて、上記の鑑定内容にさらに説明を加えると、次のようなことになります。

 「タエの事例」に関する情報については、その情報を入手した時期の記憶はない。
つまり、情報を事前に調べた記憶はいない。
しかし、本・雑誌から入手した記憶はあるという一見矛盾した鑑定結果が出たということです。
ただし、この情報源である本・雑誌を読んだのは、「タエの事例」以後の記憶であることの妥当性を持つ根拠があるので、セッション以前に本・雑誌から情報を入手していたと判断はできないということです。
もし、鑑定事項2の回答の中に「セッション以降」という回答が設定してあれば、おそらく里沙さんはこれに特異反応を示したはずで、そうなれば、セッション以前にタエに関する情報を入手した記憶はない、との鑑定結果が出るに違いないと思われます。 

 3語のネパール語に関する認識(記憶)は全くないものと考えられる、という鑑定結果から、少なくとも里沙さんが、意図的にネパール語を学んでいた可能性はないと判断できます。
特に、ネパール語を学んでいて通貨単位のルピーを知らないはずはないでしょう。

したがって、意図的作話仮説は既に説得力を失いました。

しかしながら、検査に使われた単語のchora(チョラ・息子)も chimeki(チメキ・隣人)も、セッション中にカルパナさんが用いた単語で、記憶していた九つの単語同様、里沙さんがこれら2語も記憶していてもいいはずの単語です。
にもかかわらず、里沙さんは全く特異反応を示さなかった、つまり、知っているという反応が全く出なかったという結果は何を意味しているのでしょうか。 

考えられる可能性は三つあります。
一つ目は、chora もchimekも、顕在意識・潜在意識の両方ともに、初めから完全に記憶に留めていないと解釈することです。

二つ目は、催眠中の潜在意識下で里沙さんが知った単語なので12のうち二つの単語は潜在記憶となって抑制されており、顕在意識としては知らないものとして処理され反応しなかった、と解釈することです。

もう一つの解釈は、ラタラジューは里沙さん自身ではない前世の別人格であるので、カルパナさんの用いた単語の記憶すべてがそのまま里沙さんの記憶とはならず、里沙さんは知っているという反応を示すことがなかった、と考えることです。 

いずれにせよ以上のポリグラフ検査鑑定結果によって明らかになったことは、ポリグラフ検査で判断できるのは、あくまで顕在意識としての記憶の有無であり、潜在記憶の有無は判断できないという事実です。
このことは、意図的作話仮説の検証にポリグラフ検査の有効性を認めることはできても、潜在記憶仮説の検証には有効性がないだろうということです。  

しかしながら、里沙さんがネパール語を人生のどこかで無意識的に学んでいるにもかかわらず、その記憶を忘却しているだけだ、とする潜在記憶仮説で説明することにきわめて無理があることは、これまでの検証結果から明白です。
潜在記憶の元となるネパール語の情報に一切接触がないことが検証されたからです。
したがって、潜在記憶仮説も棄却できると判断しました。

いや、それでもどこかでネパール語を学んでいるはずだ、調査に見落としがあるはずだ、という主張をなさるのであれば、里沙さんに生育歴の再調査の許可を取り付けますから、ご自分で得心のできるまで再調査を実施することができます。
「ラタラジューの事例」は、反証可能性に開かれています。

生まれ変わりなどあってたまるか、どこで学んだかの特定はできないがきっと学んでいるに違いないという主張であれば、非科学的な言いがかり以外の何ものでもなく、そういう人は「縁無き衆生」であって私はお相手することができません。

こうして、私は、「ラタラジューの事例」を応答型真性異言として認めるることが出来ると結論するに至りました。

したがって、里沙さんは生まれ変わりを確かにしている、と断定してよいと判断しています。



里沙さんが、ネパール語にまったく無縁であることの執拗な検証に、惜しみない協力をしていただいたご本人はじめご家族には、こころよりあつくお礼申しあげます。

いかに貴重なセッション証拠映像が撮れたとしても、ただそれだけでは生まれ変わりの実証にはなりえません。
証拠映像で語られた内容の事実が、科学的な検証に耐えてこそ、生まれ変わりの科学的証拠として多くの人に納得と共感を呼び起こす力を持ちうるからです。

そして、正確な科学的検証には、里沙さんの生育歴など個人情報の開示が不可欠です。
生まれ変わりの科学的研究のために、それを承知したところで当事者里沙さんには何の利得もありません。
生まれ変わりの生き証人として奇異の目で見られることはまだしも、仕組まれたヤラセの疑いや、心ない中傷を被ることが実際起きています。

たとえば、「よくも上手に演技ができたもんやねえ」、「ヤラセに協力してまで有名になりたいのか」などの中傷は、「ラタラジューの事例」のアンビリ放映後、実際にあったことです。
あるいは、怪しげな霊能者から、ブログ上で根も葉もないおどろおどろしい憑依現象だと決めつける記事を書かれるなどがありました。

こうした不愉快な思いをするであろうことは事前に想定されたにもかかわらず、「ラタラジューの事例」のテレビ放映、生命情報科学会での事例研究発表、書籍としての出版、you-tubeでの映像公開などに許可をいただけたのは、ひとえに里沙さんの使命感に支えられてのことです。

死を間近に控えた人に、「死は無に帰るのではなく死後があること」、「生まれ変わりがあること」を、信仰ではなく、検証された科学的事実として伝え、安んじて死に臨んでほしい、そうした人のお役に少しでも立ちたい、という一貫した揺るぎない使命感があったからです。

このブログを読むであろう里沙さんの使命感と勇気に、重ねてあつくお礼を申しあげます。

生まれ変わりの事実を自覚し、人間は物質的存在のみにあらず、魂の成長進化を図るために生まれてきた霊的存在でもあること、それを助ける大いなる諸存在に見守られているという被護感に包まれて、迷い苦しみを魂の成長のための負荷として受け入れ、憂き世をしたたかに生き抜きたいものです。

生まれ変わりを確かに自覚できた里沙さんにおいては、そうした生き方が体現されていると思われます。


2015年11月14日土曜日

前世人格ラタラジューのネパール語の考察

   SAM催眠学序説 その76

SAM催眠学における作業仮説によって、里沙さんの魂表層から顕現化したラタラジュー人格が、応答型真性異言であるところのネパール語会話をおこなった、前世の本物のネパール人である検証を、7つの観点から考察してみました。

(1)ネパール語での会話の成立度



会話の成立度の分析に当たって、一まとまりの対話ごとに78の部分に分けてみました。
そして、それぞれの対話部分について、ラタラジューの受け答えの整合性の有無を検討し、判断した結果は次のようなものになりました。

ア 応答に整合性があり成立している・・・29部分(37%)
イ  応答に整合性がなく成立していない・・25部分(32%)
ウ 応答がちぐはぐである・・・・・・・・・・・・・6部分  (8%)
エ 応答が曖昧で判断が難しい・・・・・・・・18部分(23%)

「対話が成立していない部分」とは、年齢を尋ねられて、何ですか、と聞き返したり、家に妻がいますかと尋ねられて、分かりません、などと応答した場合です。
これも、ネパール語に対して、ネパール語で応答した対話と見なせば、「対話が成立した部分」は54部分、69%になり、会話全体の約七割の高率で対話が成立したと判断できます。 

「ちぐはぐな応答」とは、何を食べていますかと尋ねられて、あーシバ神、のように質問の意味を理解しないで的外れな応答をしていると思われる場合を指します。

「判断が難しい」とは、あー、と いうような応答をし、肯定したのか質問の意味が理解できていないのか判然としない場合を指します

以上の分析・検討から、ネパール語での応答的会話は、完全とは言えないものの、ほぼ成立していると判断してよいと思われます。

ただし、応答的会話といっても、ラタラジューの応答は、「はい」とか「わかりません」など短い単語の単純なものが多いではないかという問題が指摘できるでしょう。
また、会話したと言っても、たどたどしいものでネパール語の会話とはとても認められないではないかという批判も出るでしょう。 

しかし、この点については、スティーヴンソンの『前世の言葉を話す人々』の「グレートヒェンの事例」のドイツ後会話の記録(同書PP.226-310)と比較しても、けっして見劣りするものではありません。
前世人格グレートヒェンの応答も「いいえ」「知りません」「町です」など短い応答がほとんどです。
なお、このグレートヒェンのセッションは19回に及んだそうですが、録音記録を見ると後のセッションになっても、短い応答しかしていないという傾向はほとんど変わっていないようです。

また、彼女は、「応答することができたが、たどたどしいものであったし、文法も語彙も不完全であった」(前掲書P4)とスティーヴンソンは述べています。
ラタラジューの会話もこれに似ており、だからこそ、応答型真性異言としての信憑性は高いと判断できると思われます。
こうしたことを考えれば、ラタラジューが、初回実験セッション24分間でこれだけのネパール語会話をおこなったことはむしろ評価されるべきだと思います。

 

(2)母語対話者の発話していないネパール語


ラタラジュールの発話において重要なことは、ラタラジューが対話相手カルパナさんの発語の中で用いられていないネパール語を用いているかどうかの点です。
カルパナさんが質問で用いた単語をその回答にオウム返しで繰り返しているだけならば、質問内容が理解出来ていなくても対話が成立しているように錯誤されてしまうからです。
ラタラジューが本当にネパール人の前世人格なら、カルパナさんが用いていない単語で、ラタラジューが自ら発語しているものがなければ、彼がネパール人であった信憑性は低いものとなるでしょう。
正しい意味で、会話技能を用いている応答型異言とは言えないということになります。
そこで、固有名詞を除き、ラタラジューが初めて発語している単語を拾ってみると次の22単語があることが分かりました。

mero(わたしの)・ ke(何)・tis(30)・bujina(分かりません)・ ho(はい)・ma(私)・dhama(宗教)・pachis(25)・hoina(いいえ)・pet(お腹)・dukahuncha(痛い)・rog (病気)・guhar(助けて)・ath(8)・satori(70)・kana(食べ物)・dal (ダル豆のカレー)・kodo(キビ・アワ)・sathi(友)・cha (ある、いる)・gaun(村)・kancha(息子)

この事実は、ラタラジューが、ネパール語を知っており、その会話技能を身につけている可能性を裏付けていると思われます。
また、彼の父がタマン族らしいことを考えると、彼の母語はタマン語であり、ネパール語ではない可能性もあり、そうしたことを重ねて考えますと、ますますネパール語の22の単語を発語できた意味は 大きいものと思われます。
ちなみに、ラタラジューの発音は、日本語を母語とする里沙さんの舌の用い方ではないように聴き取れます。

 

(3)ネパール語と日本語の言語学的距離


日本語とネパール語の間には言語的系統性が見られず、言語学的に大変距離の遠いものと言えます。
例えば、スティーヴンソンの発表している催眠中の応答型真性異言事例は、英語を母語とする被験者がスェーデン語で会話した「イェンセンの事例」、同じく英語を母語とする被験者がドイツ語で会話した「グレートヒェンの事例」という二つですが、これら言語は先祖を同じくするゲルマン語派です。
言語学的に近いわけで語彙も文法も似通った体系であると言えます。

また、マラーティー語を母語とする女性が、催眠を用いないでベンガル語で会話した「シャラーダの事例」は、同じインド語派に属する言語です。
したがって、スティーヴンソンの発表しているこれら三例の事例は、比較的近縁関係のある言語間において起こった真性異言事例だと言えます。

ネパール語は、日本人にとって非常に馴染みの薄いマイナーな外国語です。
日本人でネパール語単語を知る人も極めて少ないでしょうし、会話能力ともなると外交官・商社マン・ネパール旅行会社関係者など限られた人間以外は学ぶことのない言語です。


こうしたことを考え合わせると、スティーヴンソンの発表している事例の被験者と比較して「ラタラジューの事例」は、言語学的距離の離れた、つまり、日本人の里沙さんが学習するのに言語学的に相当に困難な言語で会話したという点で、他の応答型真性異言事例に比較してその重みが大きいと言えるのではないでしょうか。

 

(4)ネパール語の助動詞変化の正しい使用


ネパール語の文法で助動詞は、主語の人称と尊敬する人物に対応して複雑に変化するという特徴があります。
たとえば、日本語の「です」に当たる助動詞は、一人称の場合は「hu」、二人称と尊敬する人物の場合は「hunuhuncha」、三人称の場合は「ho」のように変化します。

ラタラジューは、「私の父はタマン族です」 と話していますが、尊敬する父に対してhunuhunchaを
正しく用いて「mero buwa Tamang hunuhuncha」と発話しています。

このことは、ラタラジューがある程度ネパール語の文法を知っていた証拠として採用出来ると思います。
ラタラジューが村長をしていたナル村について1991年の調査によれば、320世帯1849名、その使用言語の97%はタマン語であることが分かりました。
ラタラジューの父はタマン族であること、ナル村はタマン族の村であることから、ラタラジューの母語はネパール語ではなくタマン語であったと推測できます。

ラタラジューの会話分析に当たった中部大学ネパール人客員研究員カナル・キソル・チャンドラ博士によれば、数詞の発音などにタマン語なまりが混入しているネイティブなネパール語であるという鑑定をしています。

ちなみに博士によれば、ラタラジュー程度にネパール語会話ができるためにはネパールに3~4年程度の滞在が必要であろうとの判断をしています。

 

(5)ネパール語の規則性のない複雑な数詞の使用


ネパール語の数詞の数え方は規則性がないので、記憶するには数詞一つ一つを覚えなければなりません。
日本語の場合であれば、一の位の「いち・に・さん・・・きゅう・じゅう」が十の位になれば、「じゅういち・じゅうに・じゅうさん・・・」のように連結して用いるので覚えやすいわけです。

ところがネパール語の1・2・3はek・dui・tinですが、11・12・ 13になるとegara・bara・teraとなりまったく規則性がありません。

ラタラジューは、このネパール語の数詞を、tis(30)、patis(25)、ath satori(8と70)のように4つ発語しています。

 

(6)日本にいては学べない二つのネパール語(古語)の使用


ラタラジューは、死亡年齢を尋ねられて「ath satori(8と70)」と答えています。
これは、「87(才)」 のことを意味しているのですが、現代のネパールでは「8と70」という年齢表示はしません。

対話者のカルパナさんは現代ネパール人ですから「8と70」が「78(才」を意味していることが理解できず、再度「70(才ですか?)」 と尋ねています。

ところが、現地調査の結果、一昔前にはこうした年齢表示を確かにしていたことが明らかになっています。

また、妻の名前を尋ねられて現代ネパール語の妻「srimati」が理解できませんでした。

そこで、対話者カルパナさんが古いネパール語の妻「swasni」で再び尋ねると、これを理解し「私の妻の名前はラメリです」と答えることができました。

カルパナ:Tapaiko srimatiko nam ke re?
      (奥さんの名前は何ですか?)

ラタラジュー:Oh jira li
          (おー、ジラ、リ)※意味不明

カルパナ:Srimati, swasniko nam?
      (奥さん、奥さんの名前?)

ラタラジュー:Ah ... ah ... mero swasni Ramel...Rameli.
        (あー、あー、私の妻、名前、ラメリ、ラメリ)

ラタラジューが、古いネパール語による年齢表示をしたこと、古いネパール語の妻しか理解できないというの二つの事実を示したことはきわめて重要な意味を持つといえます。

一つは、ラタラジューが一昔前(120年前に死亡と推定できる) のネパール人であることの証明をしていることです。

もう一つは、これら古いネパール語は、仮に被験者里沙さんがひそかにネパール語を学んでいた、あるいはひそかにネパール人と交際したとしても到底学ぶことができないであろうという事実を証明していることです。

 

(7)ラタラジューの語った内容についての検証と考察


① ナル村の実在について 


ラタラジュー人格が最初に顕現化した2005年6月当時のグーグル検索では「ナル村」はヒットしませんでした。
このことは、拙著を読んだ大門教授も、同様に検索しておりヒットしなかったことを確認しています。したがって、初回セッション時に里沙さんがネット検索によって「ナル村」を知っていた可能性は排除できます。

ところが、二回目異言実験セッション直後の2009年5月21日に、念のためグーグルで再度検索したところヒットしたのです。
それは青年海外協力隊の派遣先として」ナル村」が掲載されていたからでした。

その記事によれば、カトマンズから南へ直線で25Km、車で未舗装の悪路を2~3時間の所にある小さな村でした。
そのローマ字表記のNalluでウィキペディアの検索すると、ナル村は、ゴルカ地方に隣接するラリトプール地方のカトマンズ盆地内にあり、1991年の調査によれば、320世帯1849名、その使用言語の97%はタマン語であることが分かりました。
タラジューが日本語で語った「カトマンズに近い」、ネパール語で語った「父はタマン族」にも符合し、ナル村はこの記事の村だとほぼ特定できると思われます。
ちなみに、日本人旅行客がナル村に立ち寄ることはまずありえないということでした。

 

② 食物「ダル(豆)」と「コド(雑穀)」、「タマン族」について


「ダル」は、グーグル検索で「ダルチキンカレー」でヒットしました。「コド」はグーグルでもウィキペディアの検索でもヒットしませんでした。
また、「タマン族」はウィキペディアの検索でヒットしました。
ラタラジューの語りの内容が、事実と一致していることが確認できたということです。
このうち「コド」については、里沙さんが通常の方法で知った可能性は極めて低いと思われますが、超心理学上の議論では、単語の情報である以上、超ESP仮説が適用されれば、透視やテレパシーで入手できたことになる、という議論が成り立ちます。

 

③ 死亡年齢を Ath satori(8と70)と二回繰り返したことについて


4年前の初回セッションで、ラタラジューは死亡年齢を78歳だと日本語で言っています。
今回の Ath satori(8と70)は、それを正しくネパール語で繰り返しています。
カルパナさんは初回セッションを知らないので、「8と70」の意味が分からず、二回目にも Sattari?(70ですか?)と尋ねたと思われます。

このことは、つい見逃してしまうことですが、初回に顕現化し日本語で話したラタラジュールと、今回顕現化しネパール語で会話したラタラジューが、同一人格である証拠として重要だと思われます。

 

④ Gorkha(ゴルカ地方)について尋ねられ Bua(お父さん)と応答したことについて


この対話部分は、文脈からして一見ちぐはぐに見えますが、ラタラジューがゴルカをグルカ兵のことだと取り違いしていると思われ、グルカ兵であった父のことを持ち出したと解釈できます。
そう考えれば、応答としては成り立っていると判断できます。
このような判断に経てば、ラタラジュー人格が、ネパール人である傍証の一つとして採用できると思われます。
ネパール人にとっては、Gorkhaは地方名とグルカ兵の両方を指す単語であるからです。
そして、120年前の人口25人程度の寒村に生き、文盲でもあり、村を出ることも稀だったと思われるラタラジューには、Gorkhaがゴルカ地方を指すという知識も、知る必要もなかったと推測できるからです。


以上7つの観点から考察してきました。
驚くべきことに、こうした分析を記述した拙著『生まれ変わりが科学的に証明された!』 を読み、アンビリ放映を視聴した人の中に、「あの程度のネパール語会話なら誰でもできる」、「あのネパール語会話は空耳の羅列に過ぎない」といった無根拠かつ非論理的な批判をぬけぬけとする人がいるということです。

生まれ変わりを絶対認めたくない人の無茶苦茶な言いがかりと言うほかありませんが、それくらい生まれ変わりを認めることに心理的抵抗を覚えるヒステリックな人たちがいることは知っておくべきことだろうと思います。

私の提示した生まれ変わりの証拠を否定したければ、生まれ変わりがありえないことの立証責任をもって否定することが科学的態度ではないでしょうか。

次回は、被験者里沙さんが、実験セッション時点でネパール語についてまったく無知であったことの考察をする予定です。

2015年11月8日日曜日

SAM催眠学による「ラタラジューの事例」の考察

   SAM催眠学序説 その75

応答型真性異言「ラタラジューの事例」を、SAM催眠学の提唱している諸作業仮説に基づいて考察してみます。

まず第一に挙げられるのは、ラタラジュー人格は、SAM前世療法の定式にしたがって、被験者里沙さんを「魂状態の自覚」まで誘導し、魂状態の自覚を確認後、魂表層に存在しているラタラジュー人格の呼び出しに成功していることです。

SAM催眠学では、前世人格が魂の表層に存在していることを作業仮説にしていますから、この作業仮説が立証できたことを意味します。

また、SAM催眠学では、魂表層に存在している前世の諸人格は、孤立しているわけではなく、互いに友愛を結び互いの人生の智恵を分かち合っているという作業仮説を持っています。
したがって、前世人格は魂表層にあって、現在も意識体として生きてコミュニケーション活動をしていると考えています。

次の対話は、ラタラジュー人格とネパール語を母語とする女性パウデル・カルパナさんとの実験セッション中に現在進行形でおこなわれたネパール語対話の一節です。


里沙 ・・・・・・・ Tapai Nepali huncha?
(ラタラジュー)  (あなたはネパール人ですか?)

カルパナ・・・・・ ho, ma Nepali.
          (はい、私はネパール人です)

里沙 ・・・・・・・  O. ma Nepali.
(ラタラジュー)   (おお、私もネパール人ですよ)


上記の催眠下の里沙 さんにはラタラジュー人格が顕現化し、カルパナさんと話しています。

この対話は現在進行形でおこなわれていると解釈する以外にありません。

被験者里沙さんの「前世の記憶」ではなく、前世人格ラタラジュー自身そのものとの対話です。

つまり、ラタラジューは、魂表層で現在も意識体として生きているからこそ、今、ここに、現れ、現在進行形での対話が可能になっているということです。

こうして、ラタラジューと名乗る前世人格は、魂表層にあって、現在も意識体として生きてコミュニケーション活動している、というSAM催眠学の作業仮説がラタラジューの現在進行形の対話によって検証できたわけです。

応答型真性異言「グレートヒェンの事例」を発表しているイアン・スティーヴンソンは、その著『前世の言葉を話す人々』1995、春秋社、の記述の中で、「被験者やトランス人格に口頭で質問することは一度たりともできなかった」前掲書P9)、「ドイツ人とおぼしき人格をもう一度呼び出さそうと試みた」(前掲書P11)のように、応答型真性異言を話す主体は、被験者が前世の記憶として話しているのではなく、明確に「トランス人格」・「人格」があらわれて対話しているととらえています。
「トランス人格」とは、催眠中のトランス状態であらわれた人格という意味で、私の言う「前世人格」と
まったく同じ意味です。

 問題は、この「トランス人格」の所在について、スティーヴンソンはその考察を一切していないことです。

もし、スティーヴンソンが、」「グレートヒェンの事例」を生まれ変わりの証拠とするならば、「トランス人格(前世人格)」が、被験者のいったいどこからあらわれたのか一言考察があってしかるべきだと思います。

それができなかったのは、おそらく前世人格の所在について分からなかったからに違いありません。

こうした点で、SAM前世療法によって、前世人格ラタラジューの所在を「魂表層」であることを立証したことは一歩前進したと評価してよいのではないかと思っています。

また、トランス人格(前世人格)の顕現化による応答型心性異言の対話というとらえ方をすれば、トランス人格と対話相手とは、当然のことながら現在進行形の対話をおこなったことになりますが、「グレートヒェンの事例」の逐語録(前掲書PP.266-311)を検討しても、ラタラジューの対話でおこなわれたTapai Nepali huncha?(あなたはネパール人ですか?)のような、疑いの余地無く現在進行形だと断定できる対話個所は見当たりません。

こうした点でも、「ラタラジューの事例」は「グレートヒェンの事例」を凌いでいる、と評価してよいのではないかと思います。