2015年12月29日火曜日

SAM催眠学序説 その80

「生まれ変わり」否定の諸言説のまとめ

「SAM催眠学序説」も、2015年末をもって、今回の「その80」まで公開することができました。

ネット上に表明される文章は、ツイッターやフェイスブック、2チャンネルを見ても分かるとおり、「軽薄短小」が圧倒的な流れです。

本ブログのテーマ「生まれ変わりの実証的探究」は、実証性を重んじる、真面目な内容の性格上、おのずと「重厚長大」になりがちです。
また、そうでないと「実証的探究」の実証の中身が十分伝わらず、充実しません。

いずれにせよ、本ブログは反時代的な代物であることは管理人として重々承知しているところです。

そもそも、政治も企業社会も、「いまだけ、かねだけ、じぶんだけ」の風潮が主流の現代日本で、まだまだ自分の人生の先が長いと思っている人は、今、いかに必要なお金を稼ぐかが一番の関心事であるのは当然ですし、まずは明日を生きることに必死で、この先の日本や世界の行方、ましてや死後の行方などに真面目に目を向けるゆとりなどとんでもない、と思われるのが大方の実情だろうと思います。

だから、「生まれ変わりや死後の有無」を真面目に科学的に考えるなどは 、酔狂なヒマ人が勝手にやっとればよい、ということになるのはもっともなことだと思っています。
そして、原則的に私は、酒も賭け事もやらず「簡素で、自給的で、喜びを軸とする生活」を理想としているヒマ人であります。

したがって、本ブログ内容の需要はけっして高くはないということは開始当初から承知しています。
それでも、ブログ更新時には1日200近いアクセスがあり、そうでないときでも毎日100前後のアクセスがありますから、真面目な継続的読者のおいでになることは、ほんとうにうれしく思います。
この2015年1年間のご愛読にこころより深謝いたします。
ちなみに海外からのアクセスも1日30前後あり、2014年8月からの総アクセス数は5万を超えました。

人はいつか必ず死を迎える、この厳然たる事実を直視して、死への不安を抱いて今を生きることは重苦しいでしょうから、多くの人々は死の不安から目を背け、スポーツに熱狂したり、芸能界のスキャンダルやらを面白がったりしながら気晴らしに興じ、自分の死について正対し、真面目に考える重苦しさを先延ばしにして、あいまいにすることで、この生きにくい時代をやりくりしながら、なんとか日々を送っているのではなかろうか、というのが年末にも関わらずシコシコ書く時間のあるヒマ人、私の感想です。

しかし、死に直面化せざるを得ないときが、遅かれ早かれ人生のどこかで必ずやってきます。

死は無に帰ることなのか、自己は死ともに完全に消滅するのか、それとも死後はあるのか・・・。
これは、すでに生きる時間の折り返し点を間違いなく通過している私自身のきわめて切実な問いであります。


本ブログは、この重大かつ根本的な問いに、科学的な実証をもって答えの一端を見出そうとしている試みです。


そして、実証のともなわない、観念的な、宗教的言説、霊能者的言説とは一線を画し、「観念より事実、理屈より実証」の旗印のもとに、私みずから手がけた生まれ変わり示す具体的事例の科学的検証という私の身の丈に見合った守備範囲を限定して述べてきました。

その生まれ変わりを示す「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を掲げて、生まれ変わりの実在可能性を主張してきましたが、当然それへの反論をいくつかコメントしていただきました。

今回は2016年を迎えるに当たって、そうした諸反論の経過を振り返ってみたいと思います。


Ⅰ 史実を踏まえた学問的反論

まず、特筆すべきは、2015年1月1日付「SAM催眠学序説その34」から開始され、3月22日の「その42」まで3ヶ月近く続いた、「タエの事例」について読者VITAさんから提示された下記2つの疑義に関しての論争です。

疑義 その1

 タエは泥流の水によって溺死をしているように見受け られましたが、その様子はこの分野における学問の知見と一致しないとする専門家の意見を以前拝見したことがあります。この方の見解は、泥流は大量の岩石を 含んだものであったので、これに巻き込まれた人が溺死をするようには思えない、とのようなものであったように記憶しております。私は以上のようなことから、タエの事例に限定して言えば、歴史的事実と比較した上でのさらなる検証の余地が残っているのではないかという感想をこの度持ちました。

 疑義 その2

浅間焼泥押に関する最新の研究の知見では、渋川には突如泥流が押し寄せたためにタエを人柱にする余裕はとてもなかった、とのようにも伺っておりますもち ろんセッションにおいてタエの人格も「急ぐの、急ぐ、時間がない」とのように語ってはおりますが)。もし研究の知見とタエの語った内容に差異がある場合、 タエの人柱が歴史的事実であるということを証明するには、研究の知見のどこかに逆に誤りがあるということを検証によって明らかにすることが必要となるようにも感じられました。

浅間焼泥押についての最新の研究の知見を述べ、拙著の批判をしているのは地質学者の群馬大教授早川由紀夫氏のブログhttp://togetter.com/li/608596 です。

早川教授のブログで示された二つの疑義についてきちんと解明したいということでした。
私としては、専門家である大学教授の権威ある批判(学問的見解)に対して、真っ向勝負することであり、タエの語りで不明であったことの解明につながる緊張感に満ちた仕事でした。

この議論の経過と決着は、「SAM催眠学序説その34」~「その42」のブログ記事およびコメント記事をお読みください。
記事内容の質、量ともに専門学会でおこなわれる討論をしのぐハイレベルの内容であったと自負しています。
この討論の仕掛け人であるVITAさんにはあらためてお礼申し上げます。
また、泥流の流れ方についての専門的知見を展開し、討論に参加してくださったUROノートさんにもあつくお礼申し上げます。


Ⅱ 自称霊能者からの無根拠な妄想による言いがかり反論

さて、「ラタラジューの事例」 については、霊能者を自称している人物のブログで、ラタラジューは未浄化霊の憑依であり、里沙さんはその憑依霊の霊障によって転写された腰痛などに襲われるであろう、という根も葉もない霊視結果が、2010年の「ラタラジューの事例」のアンビリ放映後に次のように述べられていました。
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 私の感応によりますと、数十年前に亡くなったネパール人男性が、日本へ行く旅行者に憑依して、日本霊域に来ています。

昭和までの幽界が強い時代は、日本の結界が強力に存在していて、外国人のさ迷う霊が日本に入ることは非常に難しかったのです。しかし近年は、この結界が崩壊している様です。私は番組を見て、この事を再認識させられました。

日本霊域でさ迷っていたネパール人男性は、ある時、退行催眠で無防備に成っていた女性の所へと引き寄せられたと言います。そして簡単に入り込む事(憑依)が出来たので、自分の言いたい事を話したのです。

女性(注:被験者里沙さん)は、長年の腰痛治療の緩和に成れば良いと思い、安易に退行催眠による腰痛治療を始めました。
ところが術者先生(注:稲垣)による「問い掛け」とは、物を言いたい霊に対して、場所を提供することに成るのです。この結果、彼女は異国の男性の憑依を受けたのです。
問題は、そのネパール人の霊は、この女性に執着していました。

今後、彼女には腰痛に加えて、憑依する霊がいまだに持つ腹痛も、現実的な病気として彼女に転写するでしょう。それ以外にも、彼女の人生に影響を与えて変えてしまいます。
現に番組では、ネパール人男性が戦争に行き、人間を刃物で刺した記憶が、彼女が料理で肉を切る時にフラッシュバックして苦しいと、彼女は話していました。
人の意識に干渉する治療は、予想外の二次被害を生み出しますの注意してください。お金を払ってまでして、違う危険性を新たにはらみます。
これもやはり、先生も相談者も「無知ゆえの事」です。

彼女は過去生において、東北の弁財天信仰をする滝のそばで、口寄せ(くちよせ:霊を憑依させてお告げをすること)をさせる行者の元にいました。
そこで、寄り代(よりしろ)に彼女自身がされていたのです。その時の因縁の白蛇が、彼女の腰のチャクラに巣食っています。これは腰痛として現れています。
このような過去生の行為が、再度また男性の元に引かれて、口寄せをする行為につながっています。 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・引用終わり

すでに5年以上前の記事ですが、この霊能者のもっともらしい上記予言は完全に的外れでした。
セッション後の里沙さんに霊障(ラタラジューの腹痛の転写)らしき身体の痛み現象などが、これまでにまったく起こっていないことが実証されているからです。
この自称霊能者は、感応できたと称する意識現象が客観的事実であるのか、主観的な妄想であるのかを自己点検する謙虚さを欠いたまま、臆面もなく断定できる厚顔無恥そのものの人物のようです。


Ⅲ 唯物論者からの応答型真性異言事例そのものが錯誤であるという反論

 的外れな反論としては他にも、それぞれ別人からの2つの反論がネット上に掲載されていました。

①ラタラジュー程度のネパール語会話であれば、ネパール語を知らない誰でも会話できる。
②ラタラジューのネパール語会話は、それらしく聞こえる空耳の羅列にすぎない。

上記①②の反論は、言いがかり以上のものではなく、検証実験すればその主張が成り立たないことが歴然としています。
臆面もなく、よくもこのようなめちゃくちゃの反論ができるものだと呆れるばかりでした。
両反論者ともに、生まれ変わりなどあってたまるか、という完全な唯物論者です。
「応答型真性異言」という、唯物論者にとってきわめて目障りな超常現象そのものをなかったことにしようとする目論見です。
「生まれ変わり」、「霊魂」という単語に過剰な拒絶反応を示し、非科学的迷信、社会の害悪だと決めつけ、きちんとした検証抜きで、問答無用のありえない戯言だと切って捨てる傲慢な態度です。
そのため、顕著な認知の歪みに陥るのではないかと思われます。
そうした認知の歪みに陥らないためには、本ブログ「投稿の留意点」に掲げてある「いかなる意識現象も先験的に否定せず、いかなる意識現象も検証なくして容認せず」という思考態度を持ち続ける必要があるのです。


Ⅳ 潜在記憶仮説で説明可能であるという反論 

無意識のうちに入手している「潜在記憶」で生まれ変わりとおぼしき記憶は説明可能である、という反論はもっとも妥当性がある反論です。
この反論には、たとえば次に紹介するような実証的根拠がありますから説得力があります。

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「催眠によって誘発される特殊な服従状態の中で被術者は、何らかの、過去にあった出来事らしきものを物語らずにはいられない衝動に駆られるため、現世の生活の中からそれらしきものが捜し出せない場合には、前世らしき時代の記憶がそれまで全くなかった場合でも、それらしき話を作り上げるかもしれないのである。(中略)

記憶の中に潜んでいるいろいろな情報をつなぎ合わせ、それをもとに前世の人格を作り上げてしまうのである。このようにして作られた前世の人格は、長年月にわたって繰り返し呼び出されても、それなりの感情や一貫した性格を示して見せることであろう。(中略)

前世の記憶らしきものをはじめからある程度もっている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも想い出すのではないか、とお考えになる方がおられるかもしれない。私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ数名の者に催眠をかけたことがある。
この人たちの持つ記憶らしきものは前世に由来しているのかもしれないが、特に地名と人名については、事実かどうか確認できるほど明確な形では語っていなかった。催眠状態なら、人物や場所の名前を一部にせよ正しく想い起こしてくれるかもしれないし、そうすれば、この人々の記憶に残っているという前世の人格の存在が確認できるのではないかと考えたのである。
私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したりしている。一部では私自身が施術をおこなったが、それ以外の実験では他の施術者に実験を依頼した。その結果ただの1件も成功しなかった」
        イアン・スティーヴンソン『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP79-80
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「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、潜在記憶仮説で説明できるのではないか、という点については、当然のことながら私も疑いをもちましたから、潜在記憶の入手可能性を徹底的に調査しました。
調査結果では、潜在記憶となる情報を入手できそうな入手先の痕跡は一切発見できませんでした。
最終的にポリグラフ検査をおこないましたが、検査結果の鑑定は「意図的に情報を入手した記憶は一切認められない」ということでした。
反論者の常套句は、「どこかで」無意識的に情報を入手したに違いない、という論理で主張してくるのですが、肝心の「どこか」については具体的に触れようとしません。
その「どこか」をさんざん調査しても発見できなかったのですから、無理難題、ないものねだりと言うほかありません。
タエにしてもラタラジューの語った情報にしても、通常の手段による意図的情報収集でも、あれだけの内容は入手できるとは考えられません。
まして、偶然の経緯で、しかもインターネット(注:里沙さんはネット検索の技能を持っていません)などの手段を使わず、あれだけの情報を入手することはあり得ないでしょう。
両事例を潜在記憶仮説によって説明することは、記憶の入手先がない以上、成り立ちようがありません。

ただし、「タエの事例」については、被験者里沙さんの心の力、つまり彼女は催眠中に万能の透視・テレパシーの能力を発揮してあらゆる情報を入手できたはずだ、とする「超ESP仮説」が適用できないわけではありません。
応答型真性異言である「ラタラジューの事例」については、応答的会話技能はESPでも取得できないとされていますから、超ESP仮説によっても説明できません。


Ⅴ ポリグラフ検査の被験者に不正(催眠による細工)があったのではないかという反論

ところが、私が催眠を用いて里沙さんの受けたポリグラフ検査をスルーさせたのではないか、という疑いを持つ人がついに出てきました。
つまり、被験者里沙さんは意図的に情報入手しているが、その事実がポリグラフ検査にひっかからないように、つまり嘘をついても心理的動揺が生じないように、催眠が用いられていたのではないか、という疑いです。
徹底した懐疑主義に立てばこうした疑いも出るでしょうが、これは私と里沙さんの人間性を否定されかねない疑いです。
したがって、次のような反論をしてあります。

「催眠暗示により、嘘を嘘として認知しないようにポリグラフ検査前に細工するということは、嘘をつくことが道徳に反する、という価値観の持ち主には原則的に不可能です。
私の数度の催眠実験でも、嘘をつくことを強要する催眠暗示した場合、被験者は拒否するか覚醒してしまいました。
したがって、里沙さんに虚言癖のような傾向が無い限り、嘘をついても心理的動揺を起こさず平然としていられるような催眠暗示が有効であるとは思われません。
催眠は、良心に反することを強要できるほど強力ではない、というのが催眠学上の定説です。
また、ここで紹介したポリグラフ検査は被験者里沙さんが嘘をついても平然としているかどうか、つまり動揺せず、したがって生理的諸反応が起きないかどうかを確認する本検査前の予備検査がされています。
内容は、彼女の年齢を問う予備検査です。
30代か、40代か、50代か、60代かそれぞれにすべてに『いいえ』と答えさせるものでした。
その結果、50代で明白な特異反応が認められました。
彼女は、検査当時51歳でしたから、50代か? で『いいえ』と嘘をつき、それが特異反応として検知されたというわけです。
この事前検査結果からも、彼女が嘘をついても心理的動揺を起こさず平然としている、などの催眠暗示がおこなわれていないことは、すでに明らかです。
仮に、そうした事前暗示がなされていても無効であったことが証明されています。
また、つづく本検査結果においても、以下の鑑定が出ています。
『鑑定事項1『タエの事例』に関する情報入手経緯については『本・雑誌類で』で明確な特異反応(顕著な皮膚電気反応)を認めたが、内観には考慮すべき妥当性があり、前世療法を受ける以前の認識(記憶)に基づくものか否かの判断はできない。
考慮すべき妥当性ある内観とは『先生(稲垣)からこんな本読んだことはないかと尋ねられる度に本屋に走り本を読んだりした。こうした経緯があり、前世療法を受けて以後のことながら、一回目の質問時から引っかかりを感じた』という内観報告である。したがって、特異反応はこうした内観に矛盾しないものである』
この鑑定は、つまり里沙さんは、完全な嘘をついていなくても、少しでも心理的なひっかかりがあれば動揺が生じること、正直で素直な性格であることを示しています。
こうした諸事実によって、少なくとも、ここで実施されたポリグラフ検査を、催眠により問題なく通過させたなどの不正が起こり得たはずがありません」

上記私の反論について、疑義を提出した人からの再反論はありません。


Ⅵ 量子脳理論を説明仮説へと援用し拡大解釈した反論

この反論を持ち出した人は、Wikipediaに掲載されている量子脳理論についての次の引用記事をヒントにしていると思われます。
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ペンローズ・ハメロフ アプローチ

理論物理学者のロジャー・ペンローズと麻酔科医のスチュワート・ハメロフに よって提唱されているアプローチ。二人によって提唱されている意識に関する理論は Orchestrated Objective Reduction Theory(統合された客観収縮理論)、または略して Orch-OR Theory(オーチ・オア・セオリー)と呼ばれる。
意識は何らかの量子過程から生じてくると推測している。ペンローズらの「Orch OR 理論」によれば、意識はニューロンを単位として生じてくるのではなく、微小管と 呼ばれる量子過程が起こりやすい構造から生じる。この理論に対しては、現在では懐疑的に考えられているが生物学上の様々な現象が量子論を応用することで説 明可能な点から少しずつ立証されていて20年前から唱えられてきたこの説を根本的に否定できた人はいないとハメロフは主張している。[1]
臨死体験の関連性について以下のように推測している。「脳で生まれる意識は宇宙世界で生まれる素粒子より小さい物質であり、重力・空間・時間にとらわれない性質を持つため、通常は脳に納まっている」が「体験者の心臓が止まると、意識は脳から出て拡散する。そこで体験者が蘇生した場合は意識は脳に戻り、 体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」と述べている。

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上記ゴチック部分のハメロフの主張の問題点を挙げると

①「脳で生まれる意識は・・・」と、脳が意識を生み出すことが確定されているかのような前提を述べていますが、脳が意識を生み出しているという科学的立証はいまだにありません。

②量子脳理論提唱者のハメロフの主張は、「臨死体験」の説明仮説としては論理が通っているでしょうが、「心臓が止まると意識は脳から出て拡散する。体験者が蘇生した場合は意識が脳に戻る」などの主張の科学的立証は一切ありません。
立証しようにも検証方法がないのです。
そして、臨死体験が「脳内現象」であるのか、「体外離脱現象」であるのかの決着さえも、いまだについていません。
したがって、ハメロフの主張は、臨死体験論争に、目新しい量子脳理論を持ち出して説明しようとする「私論」、ないし「試論」でしかないと言えるでしょう。

③ハメロフの言う「体験者が蘇生しなければ意識情報は宇宙に在り続ける」、あるいは「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」という主張に、「ラタラジューの事例」の反論者は、待ってましたとばかり飛びついて、「量子脳理論で生まれ変わりは説明できる」と断定しているのですが、ハメロフは、宇宙にあり続ける死者の意識情報は「別の生命体と結び付いて生まれ変わるのかもしれない」ときわめてあいまいな表現しかしていません。
理論とは言えないレベルの、科学的実証の見込みのない恣意的推論に過ぎないからでしょう。
 
④私は、ハメロフの量子脳理論による「生まれ変わり」の説明については、次のような決定的な欠陥のあることを反論しています。

「かつて、ラタラジューが生きており、死後ラタラジューの意識(人格)が量子として宇宙に偏在したとします。
そのラタラジューの意識(人格)がなぜわざわざ日本人の里沙さんの意識を選んで宿るのか、その理由がまったく説明ができないではありませんか?
宇宙に偏在していたラタラジューの意識(人格)が、たまたま気まぐれで偶然に里沙さんの意識に宿ったわけですか?
また、そのような偶然が普遍的に起こるとしたら、応答型真性異言現象がもっと多くの人々の間に起きてもいいのではありませんか? 
つまり、学んではいない異国語で応答的会話のできる人々が、これまで世界に5例にとどまらず、もっと相当数現れてもいいはずです。
この点についての整合性のある合理的説明ができない限り、量子脳仮説で生まれ変わりを説明できるとは到底考えることはできません」

上記の私の反論についての再反論はありません。

量子として宇宙にあり続ける膨大な死者たちのうちの誰かの意識情報が、偶然に現世の誰かの生命体と結び付いて生まれ変わる、とすればこうした現象は、すでに「生まれ変わり」という辞書的定義を逸脱しています。
生まれ変わることに目的性は一切なく、宇宙に量子として偏在している膨大な死者たちの意識のうちのどれかが、無目的かつ偶然に、生まれてきた誰でもよい誰かの肉体に宿る、こうしたまったく無縁である死者の意識が、生を受けたまったく無縁の現世の者の意識に偶然に宿ること、これを「生まれ変わり」と呼べるのでしょうか。


おそらく、量子脳理論について生かじりの知識しかなく、量子論という最新科学を背景にした目新しい主張に、軽率に飛びついてみただけだからでしょう。


Ⅶ 形態形成場仮説を借用し飛躍した推論による反論

形態形成場仮説は、Wikipediaの説明記事の引用によれば、次のようになっています。
この仮説は、生物学者シェルドレイクの提案だとされています。
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この仮説は以下のような内容からなる。
  1. あらゆるシステム形態は、過去に存在した同じような形態の影響を受けて、過去と同じような形態を継承する(時間的相関関係)。
  2. 離れた場所に起こった一方の出来事が、他方の出来事に影響する(空間的相関関係)。
  3. 形態のみならず、行動パターンも共鳴する。
  4. これらは「形の場」による「形の共鳴」と呼ばれるプロセスによって起こる。
簡単に言えば、「直接的な接触が無くても、ある人や物に起きたことが他の人や物に伝播する」とする仮説である。
この仮説を肯定する人々もいる。だが、「事実上、超常現象超能力に科学的と見える説明を与えるようなもので、疑似科学の1つ」と否定的な見解を示す人もいる[2]
また、シェルドレイクは記憶経験は、ではなく、ごとサーバーのような場所に保存されており(記憶の外部保存仮説)、脳は単なる受信機に過ぎず、記憶喪失の回復が起こるのもこれで説明が付く、という仮説も提唱している。
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反論者は、上記の、生物学者シェルドレイクの提案している形態形成場仮説の説明のうち、「記憶の外部保存仮説」を借用し、拡大解釈をして、生まれ変わりについて次のように反論しています。

「わたしは否定派ですが、理由は『死後の世界』を想定しなくても『この世』だけてすべて説明可能だからです。(中略)
わたしにはむしろシェルドレイクなどが主張する『形態形成場仮説』のほうが説得力を感じます。
つまり、そもそも『記憶』というものは『脳内』存在せず、重力場や電磁場と同じように種ごとに世代を越えて(つまり故人も含めて)共通の『場』に蓄積さ れていくものだ、ということです。従って、『脳』」は中継器のようなものであり、生物は『脳』」を通じて遺伝子というキーを使って自分の『記憶』にアクセスし ていると見るのです。
実際、脳科学が進歩した現在においてさえ、『記憶』が『脳内』に存在している、という確証はないのです。
ここで、ある条件下において他者の『記憶』にアクセスできるとすれば鳥類の『渡り』や魚類の『回遊』など世代を越えた情報交換が必要な現象や『本能』の謎も説明できることになります。
そして、この仮説により前世記憶や臨死体験などは勿論のこと、テレパシーなどの『記憶』に関わる超常現象をすべて説明出来ることになります

私は、反論者の上記のゴチック部分について次のような再反論をしました。


「形態形成場仮説(記憶の外部保存仮説)によって、ある条件下において、他者(死者)の「記憶」にアクセスできる、という主張は、「ある条件下」の具体内容が示されないかぎり、検証実験はできません。
そ の検証実験によって、他者(死者)の記憶にアクセスが成功したという検証がいくらかでもできて初めて、『「形態形成場仮説によって前世記憶や臨死体験などをは勿論 のこと、テレパシーなどの記憶に関わる超常現象をすべて説明出来ることになります』という科学としての言説が成り立つのではありませんか?
こうした、検証のされていないところで、『前世記憶や臨死体験などをは勿論のこと、テレパシーなどの記憶に関わる超常現象をすべて説明出来ることになります』という主張は、形態形成場仮説の極端な一般化という認知の誤りに陥った短絡的な恣意的推論と言うべきでしょう。

そ もそも、形態形成場仮説によって他者(死者)の記憶にアクセスできる、などの、あたかも最新量子物理学の成果を装った主張は、形態形成場仮説を『ラタラ ジューの事例』に都合よく援用した安易な拡大解釈、ないし実証のない恣意的推論だと受け取るしかないではありませんか。
だからこそ、『ある条件下において』などという、安直で曖昧模糊とした、反証可能性に閉じた言い回しをして、逃げを打っているのではありませんか?

『ある条件下』の内容が不明では、その条件を満たすにはどうすればよいのか、その検証が不可能ですから、科学的仮説の体裁になっているとは言えません。
仮説の検証方法が示され、仮説の再現方法が保障されていてこそ、仮説→検証→検証結果の分析と考察→仮説の実証、という科学的方法の適用が可能です。
したがって、反証可能性に閉じられており、検証のできない仮説は、科学的な仮説ではなく、恣意的推論の表明に過ぎないという誹りを免れません。

検証のできない、反証可能性に閉じられた仮説を持ち出すのは、前世などあるはずがない、という決めつけの前提から、『死後の世界を想定しなくてもこの世だけてすべて説明可能だ』という唯物論絶対の砦に立て籠もって、自分の世界観の安定を図ろうとする硬直した態度のように私には思えます」


上記の私の再反論についての反論はありません。

さらに加えて言えば、「ある条件下において」の文言を、「超ESPなどの能力が発揮できる条件下において」と置き換えれば、「超ESP仮説」と同様のことを述べていることになりませんか?
「超ESPという能力を発揮できる条件においては、死後存続のあらゆる証拠は、生者による超能力で完全に説明できる」と考える理論が、「超ESP仮説」と呼ばれているものです。
つまり、「死後の世界を想定しなくても、この世だけですべて説明可能だ」とする理論です。
こう考えれば、「形態形成場仮説」のうち「記憶の外部保存仮説」は、「超ESP仮説」のような仮説に「事実上、超常現象超能力に科学的と見える説明を与えるようなもので、疑似科学の1つ」という否定的見解を示す人が出るのは当然でしょう。
そして、「超ESP」という万能の超能力者が、発見されているわけではありません。
また、超ESPを用いて、情報である記憶は入手できても、情報に還元できない「暗黙知」である技能は取得できず、会話技能を示す応答型真性異言「ラタラジューの事例」を、「記憶の外部保存仮説」で説明することには無理があると言うべきです。



「タエの事例」、「ラタラジューの事例」を生まれ変わりの証拠とする私の主張への反論を、7点にわたって網羅しました。
このうち、両事例について、具体的反証を挙げて反論しているのは、Ⅰぐらいでしょうか。
「実証的探究」を掲げている本ブログ管理人としては、Ⅰ以外は、実証性に乏しく少々物足りない観念的反論だと評価するしかありません。
「理屈より実証、観念より事実」の旗印からすれば、実証なき理屈、事実なき観念による反論では十分な説得力を認めることはできません。

現時点において、これら諸反論では、両事例が示す生まれ変わりの実証性を揺らがせることがいささかもできなかった、と評価するしかなかったからです。
とりわけ、最新の量子論を背景にした量子脳理論、形態形成場仮説(記憶の外部保存仮説)でタエ・ラタラジューの両事例を説明できると主張されていますが、その主張の杜撰さから、どうやら生まれ変わりの科学的研究(SPRおよび超心理学)における先行研究の造詣があるとは思われませんでした。
生まれ変わり仮説の「否定が先にありき」であり、したがって、私の主張根拠である両事例の反証可能な点についての具体的な検討をすることなく投稿されているように思われます。


このことは、「前世を語る子どもたち」の膨大な実証的研究、3つの「応答型真性異言」の実証的研究を残した、生まれ変わりの科学的探究の先駆者バージニア大学の故イアン・スティーヴンソン博士の業績と、それを模範とする私のささやかな探究が、少なくとも現時点では、否定することはできない、という評価に値すると自負してよいと思われます。

しかしながら、私の主張している「生まれ変わり仮説」は、生まれ変わりの濃厚な事実を示す状況証拠に基づいていますが、完璧な証拠だと断定できるまでに至っているものではありません。
だから、常に批判(反論)にさらされているあり方、常に反証可能性に開かれているあり方こそが、真理を求めるための、公正で科学的な探究態度だと思っています。
こうした公正で慎重な探究態度を逸脱しないために、私自身も、生まれ変わりがあってほしいという願望による、事実認識の歪みの有無についての自己点検を、常に怠ってはならぬと自戒しています。

諸反論の幾つもの波を被り、揉まれ、洗われ、再反論を慎重に検討し、粘り強く思考していくプロセスの繰り返しがあってこそ、生まれ変わり仮説はより強靱なものに仕上げられていくに違いないからです。
そして、反論は、反証可能性に開かれた形で証拠として提示された具体的諸事実に基づいて実証的になされるべきでしょう。
法廷のルールに則れば、私が具体的諸証拠を提示して生まれ変わりがある、と主張しているのですから、生まれ変わりなど絶対にない、と主張する人は、私の掲げている諸証拠に対して具体的反証を挙げて生まれ変わりがないがないことを実証する「立証責任」があるということです。 

こうして生まれ変わりを否定する諸仮説をすべて公正に検討し、最後に残ったもっとも妥当性の高い仮説が「生まれ仮説」でなければ、宗教的信仰ではなく、科学的な事実としての生まれ変わりを、多く人々が納得することはできないでしょう。


生まれ変わりのように、きわめて重大で、広範囲に深甚な社会的影響力をおよぼすことを、科学的事実だと主張することであればなおさらです。
なお私は、もし生まれ変わりのないことが、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の具体的反証をあげて「科学的に実証」されるなら、怪しげな宗教的言説、怪しげな自称霊能者のお告げ、胡散臭い霊感商法などが、きれいさっぱり完全に一掃できる画期的なことだと評価しますし、私の主張は、潔く誤りを認めて撤回します。
このことは、ひいてはスティーヴンソンの生まれ変わり研究の業績も否定することになるでしょう。

最後に、you-tubeに公開している「ラタラジューの事例の英語版」に寄せられた海外からの2つの好意的評価コメントを紹介して締めくくりとします。
文面から、それぞれ生まれ変わりの科学的研究への造詣があると思われるお二人です。
また、コメント文面から「ラタラジューの事例」の公開動画にある説明コメントを丁寧に読んだうえでのコメントであると推測できます。

ちなみに、量子脳理論、および形態形成場仮説を持ち出して否定論を述べているお二人は、おそらく「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の動画にある説明コメントをきちんと読んでおいでになるとは思われません。

さて、お一人からはCongrats. Well done! 、 もうお一人からは Great job!という「!」付きの身に余るうれしい評価でした。
日本の濃尾平野の片隅の田舎町から、机に座ったままで世界に向けて発信出来る幸運な現世に生まれ合わせた喜びを噛みしめています。

Quite incredible! A very well planned session. It's amazing that she, as Rataraju, understands Nepali and gives many replies in Nepali (although many times she says "I don't know').. Congrats. Well done! To me, xenoglossy is evidenced here through the route of a spirit.


Hi. I think at some point when Ratarajou mentioned about his stomach pain, he died at that point and when people cross over its hard to communicate with them because like Dr.Brian Weiss said they are in state of resting or sleeping. If you noticed it was harder to talk to him after that point. Questions that he were answering in the earlier parts of the video, he answered "I dont know" or not understand at the point after he died(of stomach pain) because Rataraju was already resting and its hard to talk to them when its like that. If you are familiar with Dr. Michael Newton works the regression approach to be able to talk to people who are already in the spirit home or people who already cross over is by LBL type regression. But Kudos to this video, this is a great material supporting the reality of past lives and reincarnation. Great job!


最後まで辛抱強くお読みくださった読者の方には、あつくお礼申し上げます。

2016年が、あなたにとって、意義深く稔り多い成長進化の年になりますように、お祈りいたします。

そして、世界中のすべての人々にとってもそうであるように。

どうぞ、よき新年をお迎えください。
2016年も、どうぞよろしく。

2015年12月9日水曜日

SAM催眠学序説 その79

守護霊と呼ばれる存在についての考察

SAM前世療法において、魂状態の自覚に至ると、頻繁とは言えないまでも、偶発的に霊的存在とおぼしき者の憑依現象があらわれることがあります。

したがって、セラピストとして目前のクライアントに起きている霊的存在の憑依現象に対して、あいまいな態度は許されず、明確な立場をとって対処することが求められます。

SAM催眠学では次の立場を明確にとっています。

憑依現象に関わる「意識現象の諸事実」をSAM催眠学では、霊的存在が実在し、その憑依現象を認める立場に立っています。
これを、SAM催眠学における「憑依仮説」と呼んでいます。

当然のことながら憑依する主体である守護霊と呼ばれる高級霊、未浄化霊と呼ばれる迷える低級霊などの霊的存在を認めているということです。

さらに言えば、SAM前世療法によって、魂の自覚状態まで遡行させ、「前世人格」を顕現化させるという方法論そのものが、魂表層を構成している諸前世人格という霊的意識体を、意図的に憑依させることを企て、顕現化させる営みということになります。

こうして顕現化した前世人格は、自分の生まれ変わりであるクライアント自身に憑依し、クライアントの肉体を借りて自己表現(発声し対話する、指を立てて答えるなど)をすることになります。

これは、まさに憑依現象ですが、「自分の魂表層の前世人格が自分に憑依する」などという奇怪な憑依現象はこれまで知られてきませんでした。
したがって、このような憑依現象に対する概念がありません。

そこで、SAM催眠学では、前世人格がその生まれ変わりである自分に憑依し顕現化する現象を「自己内憑依」と呼ぶことにしました。
自己の内部に入っている魂、その表層に存在している前世人格が自分に憑依する、という意味です。

実際にSAM前世療法で魂の自覚状態まで遡行すると、自己内憑依以外にも、偶発的に第三者の霊の憑依現象が観察されます。
また、里沙さんのような霊媒資質のあるクライアントであれば、意図的に守護霊を憑依させることも可能です。

したがって、第三者の霊である憑依現象、および憑依した主体である第三者の憑依霊は、「実体のない観念」ではなく、観察できる「意識現象の事実」です。

憑依および憑依霊について考察するために、事実に基づかない観念論では決着がつくとは思われないので、憑依現象の具体的事実を提示し、それについて具体的に考察してみましょう。

守護霊とおぼしき存在が憑依中のセッション証拠映像はyou-tubeの「タエの事例」に公開してありますから、そのセッション中に、里沙さんの守護霊が憑依している25分間分の逐語録を提示します。
ちなみに、前世療法セッション中に、偶発的ではなく、意図的に守護霊に憑依してもらい、セラピストが直接対話するというセッション証拠映像は、おそらく公開されたことがないと思います。


さて、下の逐語録の記号のTHはセラピスト稲垣、CLはクライアント里沙さんの略です。
ただし、CL里沙さんには彼女の守護霊が憑依して語っていますから、守護霊そのものの語りだと理解してください。
ちなみに、この対話は里沙さんの前世の記憶ではなく、憑依した守護霊と私とのまさに現在進行形の対話です。
なお、その後の守護霊呼び出しの再セッションで語られたこと、検証の結果明らかになったことを「注」としてコメントしてあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

TH じゃ、一つ聞きますよ。そのあなたのいる魂の世界に、たとえば、私の愛する人が待っていて、生まれ変わりがまだなら、私もそこへ行けば会えますか?

CL はい。会えます。

TH もう、生まれ変わりをしていたらどうなりますか?

CL 必ず出会います。
注:死後霊界に行った魂は「類魂」と呼ばれる魂のグループの一員となるらしい。次の生まれ変わりに旅立つときには、霊界の類魂内に自分の分身を残すという。したがって、先に死んだ者の魂がすでに生まれ変わりをしていても、後に死んだ者の魂は、先に死んだ者の魂の分身に必ず出会うということらしい。

TH 生まれ変わりをしていても出会えますか、魂どうしは?

CL はい。

TH もう一つ聞きますよ。今、あなたは偉大な存在者そのものになっていますね。じゃあその方は、時間も空間も超越していますから、今、私が、こうやって前世療法のセッションをしていることも、きっとお見通しのはずですね?

CL はい。

TH じゃ、聞きます。多くの人が、前世のことは現世に生まれ変わると、忘れて出てきません。でも今、里沙さんは深い催眠状態で前世のことを語ってくれましたが、もともと人間は、前世のことを忘れて生きるようにできていますか?

CL はい。

TH それを、無理矢理こうやって、催眠によってほじくり出すことは罪なことでしょうか? どうでしょう。
注:本来思い出すことのない前世を催眠という道具を使って探るという企てに対して、それは罪なことではないのか? という問いは、2001年にやむをえず最後の療法として初めて前世療法を試みた当初から、私の中に在り続けた疑問であった。守護霊は、人を救う手段であれば許される、と答えている。裏を返せば、人を救うためでなく前世を探ることは罪なことである、ということになる。したがって、とりわけSAM前世療法のように霊的療法をおこなうにあたっては、霊的存在に対して敬虔な態度を忘れることがあってはならないと思う。


CL そうではありません。人を救う手段であります。人を救う手段であれば、罪なことではありません。あなたは、それができる人なので、たくさんの人を苦しみから救うことが使命であると。

TH 私の使命ですか。

CL そうです。

TH であれば、私がこうやって前世療法をやった後は、二人の人からとっても憔悴(しょうすい)  しているように見えるそうです。命を縮めているんじゃないかって言われています。そういうことになっていますか? どうでしょう。命を縮めることですか。
注:この問いも、私にとっては真剣な切実な心配であった。ちなみに、この「タエの事例」のセッション直後には、椅子から立とうして膝が笑って立てないほどの疲労が生じていた。

CL 違います。できる限りたくさんの人を救います。

TH 分かりました。じゃあ私は、それを自信を持ってやっていいのですか?

CL はい。

TH 他に、私に伝えておかなければならないことがあれば、どうぞおっしゃってくだ さい。

CL 世界にたくさんの悩める人がいます。必ず出会います。力を尽くすよう。力を尽くしてお救いください。

TH はい。私はそういう道を進むのが使命ですか?

CL そうです。
注:里沙さんの守護霊によれば、私が霊界に存在していたとき、神との約束として、次の生まれ変わりである現世の一定の準備期間によって一定の霊的成長に至ったと認められたとき、新しい前世療法を開発すること、スピリットヒーリング能力が発揮できること、が決められていた、と語っている。これを認めるとすれば、2008年、私が59歳になった時点を指している。この歳にSAM前世療法の作業仮説を教える霊信を受け取り、同時にスピリットヒーリングとおぼしき能力が現れたからである。

TH もう一つ聞きます。大きな謎ですよ。おタエさんは、人柱となって16歳で短い一生を終えました。そのおタエさんの魂が、今、平成の現世では里沙さんとして生まれ変わっています。その里沙さんは、側湾症という治る見込みのない苦しい病にかかっています。なぜ、苦しみを二度も味わわねばならんのですか? いかにも不公平な人生ではありませんか。そのわけは何でしょう?

CL 魂を高め、人を救う道に位置付きし人です。

TH 里沙さんがそういう人ですか。

CL そうです。

TH じゃあ、側湾症になるということも、里沙さん自身が、あなたのいらっしゃる中間世で決められたことなんですか?

CL そうです。

TH それは、里沙さん自身が魂として選んだ道なんですか?どうやら

CL 「わたし」が選びました。
注:のちの再セッションで、里沙さんの魂は急速な成長・進化を望み、他人の痛みを自分の痛みとして共感できるように、脊柱側湾症という不治の病を自らの意志で選び、3回目の生まれ変わりである現世に生まれてきた、と守護霊は告げている。魂の成長・進化のためには、人生において負荷がどうしても必要であるということである。負荷は「人生の課題」と言い換えることができる。生まれ変わりは惰性でおこなわれるのではなく、魂の成長・進化のために現世の課題(負荷)を決めて生まれてくるということらしい。ただし、その課題は魂が肉体に宿ると同時に忘却されてしまう。したがって、現世を怠惰に生きることも、課題を探りながら真摯に生きることも、魂の主体性に任されているらしい。

TH 「わたし」とは、魂の「わたし」なのか、それとも偉大な存在である「わたし」のことですか? どちらですか?

CL 魂の「わたし」が選びました。
注:「魂のわたし」とは里沙さんの魂のこと、「偉大な存在であるわたし」とは守護霊ことである。あとの語りで明らかになるが、生まれ変わりを卒業すると、その魂は「偉大な存在であるわたしの一部になる」らしい。この語りを認めると、守護霊である「偉大な存在であるわたし」は「類魂」と呼ぶこともできる。

TH もし、そのことを現世の里沙さんがはっきり自覚できたら、彼女は救われるでしょうか?

CL 救われます。

TH その苦しみを乗り越えるだけの力を得ることができますか?

CL できます。

TH また、聞きますよ。お答え願えますか? 浅間山の噴火のときに雷が起きましたか?
注:噴火による火山灰の摩擦により静電気が発生する。この現象を「火山雷」という。実際に天明3年当時の浅間山大噴火の絵図には黒煙の中に稲光が描かれている。

CL はい。

TH そのことを、雷神様と人々は言うのでしょうか? 雷のことを。


CL そうです。まだ、噴火、自然現象は分からない人たちですから、魔物のせいだと思ったのです。

TH 龍神様はなんのことでしょう?

CL 浅間山は信仰の山です。龍神が祀られています。
注:浅間山に龍神信仰があることは、浅間山麓嬬恋村の住人から確認できた。アンビリバボーの中で渋川市教委の小林氏は、吾妻川を龍神に見立てたのだろう、と推測されているが、守護霊やタエが語っているとおりに「浅間山に住む龍神様」と解することが妥当であろう。
なお、浅間山の龍神信仰についてはネット検索はできない。

TH その龍神が、お山が火を噴いたために住めなくなって、川を下るというように人々は思ったわけですね。

CL そうです。

TH それから、そのときの噴火によって空が真っ暗になって、日が射さなくなって、火山灰が降り注いで、農作物は不作になりますよね。その結果、下界ではどんなことが起きたのでしょう? あなたはご存じのはずですが、教えてもらえますか?

CL 噴火による土石流で川が堰(せ)き止められ、そのため洪水が起き、たくさんの人が亡くなりました。

TH その川の名前が吾妻川でしょうか?

CL そうです。利根川の上流になります。
注:吾妻川は渋川市内で利根川と合流している。

TH さっき、あなたのおっしゃったことに勇気を得て、もう一つ聞きます。今、あなたが語ったことが、その時代に生きたおタエさんしか知り得ないことだという証拠を、私はつかみたいと思っています。その結果、前世というものが間接的にでも証明できたら、多くの人の人生観が変わって、特に死を間近にした人たちに勇気を与えることができると思っています。このセッションの場には、その研究をしていらっしゃる小野口さんという先生も来ています。そういう人のためにも、おタエさんしか知り得ないことででも、われわれが後で調べたら何とか分かるようなそういう証拠の話か物がないでしょうか? そんなことを聞くのは傲慢(ごうまん)でしょうか? もし、お許しがあれば、それを教えていただけないでしょうか。

CL 傲慢ではありません。タエは・・・左腕をなくしています。渋川村上郷、馬頭観音下に左腕が埋まっています。

TH それはおタエさんの左腕ですか?

CL そうです。

TH であれば、今は随分時代が下がってますから、骨になっていますね。

CL そうです。

TH その骨が、渋川村、上郷、馬頭観音の下ですか?

CL そうです。

TH 下ということは、馬頭観音様は外に立っていらっしゃいますか? お堂の中ではない?

CL お堂です。お堂の下を掘るとタエの左腕が出てきます。

TH それが、タエが実際に存在した証拠になりますか?

CL そうです。

TH 馬頭観音様が祀られているのはお寺でしょうか?

CL 馬頭観音は寺ではありません。小さなお御堂(みどう)です。

TH それは現在でもありますか?

CL あります。

TH おタエさんの左腕を探すためにはその床下を掘れということですか?

CL 土、下。
注:「土、下」とは不可解な語りであるが、現渋川市上郷の高台にある良珊寺につながる坂道から脇道に少し入ったところに、石造りの馬と灯籠状の馬頭観音が祀られている。銘文には享保15年(1730年)と刻んである。天明3年(1783年)より53年前に設置されているので年代に矛盾はないし、石灯籠状の馬頭観音はお堂でもあるが、床はないので掘るとすれば直接土を掘ることになり、「土、下」という語りにも矛盾はないことになる。なお、上郷地区には他に馬頭観音はないので、守護霊の言う馬頭観音は、この石灯籠状の馬頭観音だと特定できる。
なお、渋川市上郷に馬頭観音が祀られていることをネット検索はできない。


TH どのくらい掘ったらいいのでしょうね?

CL 土石流で埋まっているので・・・。
注:この語りは、私が、実際にタエの骨の発掘作業をしかねないことを牽制するためのはぐらかし、つまり、土石流云々は嘘ではなかろうかと疑った。しかし、その後、私の読者のご努力で、上郷の良珊寺付近には過去に土石流被害があったことが、渋川市ハザードマップの検討から確認できている。



TH ちょっと掘れない。でも、埋まっているのは間違いない?


CL はい。


TH 分かりました。それ以外に、もっと何とかなる方法で、おタエさんの存在を証明する何かがありませんか? たとえば、おタエさんを、村の人たちが供養のために何かしていませんでしょうか?


CL 何も残してはおりません。村は洪水で壊滅状態になりました。

TH おタエさんのことは、郷土史か何かの記録には残っていませんか? 語り継ぐ人はいませんでしたか?

CL たくさんの人が浅間山の噴火を記録しました。

TH それは分かっています。でも、おタエさんを記録した人はいませんでしょうか?

CL 女は、道具です。
注:「女は道具です」、このように言い放つ語りは、里沙さんからも、タエからもまず思いつかない性質のことばだと思われる。

TH 道具でしたか。それでは、おタエさんを育ててくれた名主の・・・?

CL クロカワキチエモン。
注:タエは「クロダキチエモン」と語っており、タエと守護霊の語るキチエモンの姓が食い違っている。タエを呼び出した再セッションで、タエは、キチエモンの所有する田の土が黒かったので「黒田のキチエモン」とも呼ばれ、キチエモンの所有していた船着き場周辺の吾妻川の石が黒かったので「黒川のキチエモン」とも呼ばれていた、と語っている。つまり、黒川のキチエモンは通称ということであろう。なぜ、守護霊もタエも、本名でなく通称でしか告げないのかは謎である。ちなみに当時の渋川村には4人の名主がおり、その一人に堀口吉右衛門が実在していることが調査の結果判明している。堀口家の当主は、初代から明治に至るまで「吉右衛門」を名乗っているので、先代吉右衛門と当代吉右衛門の区別のため、当代について「黒田の」「黒川の」という通称で呼ばれていたと推測できる。
なお、天明3年当時の渋川村の名主を知るためにネット検索はできない。

TH そのクロカワキチエモンと連れ合いのハツは名主でしたから、その記録は残っているでしょうか?

CL 残っています。

TH どこへ行けばわかりますか? 図書館へ行けば分かりますか? それとも?

CL ・・・資料はあります。
注:資料とは、天明3年当時の人別帳と寺の過去帳であろう。しかし、渋川市では「人別帳」は戦災で焼失している。残るは寺の「過去帳」であるが、差別戒名という同和問題との絡みで公開されることが拒まれている。当時実在した上郷の名主は堀口吉右衛門であり、吉右衛門とその妻ハツの墓は上郷良珊寺の墓地だと推測し、墓碑を二度まで捜索したが、古い墓石は表面が風化し苔むしており、戒名・俗名の判読は不可能であった。
 
TH そこにハツの記録も残っているでしょうか? 多くのみなし子を育てたことぐらいは残ってるでしょうか?
 
CL たくさんの文書は洪水で流され、田畑(でんばた)の帳簿、村の様子など書きしるしたものはほとんどありません。

TH 分かりました。そうすると、おタエさんの存在そのものの裏付けを取ることは、現在のわれわれには無理ですね。

CL はい。

TH ただ、馬頭観音のお堂の下に、おタエさんの左腕が、土石流の下に埋まっているのは間違いないですね。

CL はい。

TH なぜ、片腕が馬頭観音様の下に埋められることになったのですか?

CL 雷神様を乗せる馬を守るために、タエの左腕が供えられたのです。

TH それは切り落とされたわけですか? 刀によって?

CL そうです。

TH それにタエさんは耐えたわけですか。

CL そうです。

TH それはタエさんが望んで腕を差し出したわけですか?

CL 違います。馬が必死で暴れるので抑えるために、タエの腕を馬の口取りのために馬頭観音に捧げることになりました。
注:タエも馬も龍神・雷神の供え物として、浅間山噴火とやがて起こる吾妻川の泥流を鎮めるために川中に縛られ捧げられた。馬が暴れるので、それを鎮めるためにタエの左腕を埋納した事情については、「SAM催眠学序説その42」をお読みいただきたい。

TH 分かりました。もう一つ、あなたは偉大な存在者なので、私の探究が許されるなら、魂がおタエさんの後、里沙さんに生まれ変わるまでの間に、もし、生まれ変わりがあるとしたら、そこへ里沙さんをもう一度行かせることはいいでしょうか?

CL はい。

TH ありますか、やっぱり。

CL はい。

TH あなたならすべてお見通しなので聞きますが、里沙さんの魂は、今までどれくらい生まれ変わりを繰り返したのでしょうか? 回数、分かりますか?

CL 長く繰り返している。

TH 一番古くはどんな時代でしょう?

CL 天明、タエが初。
注:里沙さんの魂は、タエが最初の人生、次がネパール人ラタラジュー、そして現世となり、現世が3回目の生まれ変わりとなる。

TH もう一つ聞きます。その魂はいったいどこから生じるのでしょう?

CL 中間の世界。

TH そうすると、あらゆる魂はもともと一つのところから生まれてくるのですか?

CL 中間の粒子が魂に生まれ変わります。

TH 中間の世界で粒子が魂になる。

CL そうです。

TH 魂は永久に生まれ変わりを続けるわけでしょうか?

CL 粒子の色が消えると、生まれ変わりはなくなります。

TH その魂は、中間の世界に留まることができるのですか?

CL わたしの一部になります。

TH 分かりました。ありがとうございました。わざわざお呼び立てして、申し訳ありませんでした。でも、随分いろんな勉強になりました。

注:ここまでの守護霊憑依中の記憶は一切ない、と覚醒後里沙さんは語っている。里沙さんについては、守護霊憑依中の記憶は一切残らないことがその後の再セッションでの憑依実験から明らかになっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
守護霊とおぼしき存在については、ワイスを始めとする前世療法の報告や、「光」や不思議な姿をした「偉大な存在者」についての報告は、本来、科学的検討の俎上(そじよう)に載せられるものではありませんし、慎重な検討が必要な主題なので、今後も考察を深めることにしますが、ここで、里沙さんのケースでの「偉大な存在者」の語りに関して、いくつか注目すべき点を挙げておきます。

「偉大な存在者」の語りとしては、次のような項目がありました。

①浅間山の龍神信仰
②上郷の馬頭観音堂とタエの左腕の埋納
③村の吾妻川泥流被害状況
④名主クロカワキチエモンと妻ハツの記録の残存
⑤タエの記録の不在
⑥「馬の口取り」という説明
⑦タエの生まれ変わり回数

なお、このほか、「中間の世界の粒子が魂になり、生まれ変わりを続け、色が消えると生まれ変わりがなくなり、自分の一部となる」といった不思議な説明が語られています。

これらが里沙さん本人の記憶ないし情報収集から導き出せるかどうかは、ポリグラフ検査を実施して検証しました。
ポリグラフ検査の鑑定では、彼女が意図的に「偉大な存在者」の①から⑦の語り内容を収集した記憶はまったくない、という結果でした。
したがって、彼女が意図的に「守護霊」の役割演技をして語ったという疑いは晴らされたと言えます。

ここで注目したいのは、タエという「前世人格」と「偉大な存在者」との、情報の差異です。
このうち、龍神信仰、上郷馬頭観音堂、「口取り」という言葉は、タエも知っていると考えられるものです。
しかし、②の「馬頭観音堂へのタエの左腕の埋納」、③の「村が壊滅状態になったこと」、④の「名主と妻の記録は残存していること」、⑤「タエの記録の不在」、⑦の「タエの生まれ変わり回数」は、タエという人格から発し得る情報ではありません。

特に、タエの左腕が切り落とされたことは、タエ自身が語っていませんし、それが馬頭観音堂に埋納されたことは、死後の出来事でしょうから、タエは知るよしもありません。

③④⑤に関しては、一部不正確であったり、確定的な検証ができないものですが、タエの立場からこのような言い方ができるとは思えません。

⑦の「タエの生まれ変わり回数」については、「偉大な存在者」は「タエが初」と言い、タエ自身が「生まれ変わり?」と聞き直すなど、生まれ変わりを経験していないので生まれ変わりの意味が理解できない、つまりタエが初めての人生ように述べたという一致がありました。

そして、最後の不思議な説明に関しては、里沙さんからも、タエからもまず思いつかない性質のものだと言えるでしょう。
ちなみにこれに類似した考え方は、「スピリチュアリズム」という西洋近代の宗教思想にもあるようです。
しかし、聴き取り調査によっても、里沙さんがそのような本を読んでいるとは考えられません。

つまり、情報の内容においても、その情報が語られる視点あるいは位相といったものからも、守護霊とおぼしき「偉大な存在者」は、タエとも里沙さんとも、かなりの大きな差異を見せているということは言えると思います。

もちろん、だからといって、このような存在者が実在するという証明にはなりません。
ただし、渋川市上郷の馬頭観音石堂の下を掘り、そこにタエの左腕らしい、10代半ばの女性の骨が発見できたとしたら、どうでしょうか。
それは、タエの実在と里沙さんへの生まれ変わりを濃厚に支持するものになるでしょうし、守護霊とおぼしき「偉大な存在者」の実在性の証明にも、可能性を開くものになるのかもしれません。


ここで語られた内容に関して、里沙さんはの次のように証言しています。

①浅間山については、活火山であることと、連合赤軍の浅間山荘事件以外知っていることはない。もちろん、見たこともない。火山について調べたことはない。

②天明の大噴火と火山雷や、それにともなう火砕流による吾妻川の泥流被害など全く知らない。

③群馬県に行ったことはない。ただし、絶縁状態で行き来の全くない親戚が桐生市にあると聞いている。渋川市はもちろん、渋川村など知らない。利根川の名前は知っているが、吾妻川は知らない。まして吾妻川が利根川の上流にあたることなど知っているわけがない。「吾妻」を「アガツマ」と読むことさえ知らなかった。

④過去に火山噴火などにまつわる人柱伝説や、悲話などの類の小説やテレビや映画を読んだり、見たり、聞いたりしたことはない。

⑤家にパソコンはあるが、インターネットの使い方を知らない。ただし、夫と息子は使える。誰かに依頼するなどして、タエの語り内容に関わる様々な情報を検索した事実はない。

なお、「インターネットが使えない」ということについては、里沙さんの息子にも、彼が電話に出たついでにそれとなく聞いて、母親がインターネットを使えないことを確認しています。

私は、さらに、セッションビデオを里沙さんに視聴してもらい、科学的研究のために本当のことを言ってほしい、と真剣に迫ってみましたが、逆に里沙さんに詰め寄られました。

なぜ、嘘をつかなければならないのか、嘘をつくことによって自分にどんな利得があるというのか、合理的な理由を教えてほしいと。

セッション記録ビデオを見て、自分自身でも全く知らないことを催眠中に語っているので、驚いているくらいなのに、嘘などついてるはずがないではないかと。

周囲からの聴き取り調査によっても、彼女が誠実な性格で、虚言癖などがないことを確認できました。
また、彼女の言うとおり、嘘をつくことによる利得は確かにありませんし、嘘をついていると疑わねばならない証拠が何一つ挙がっているわけでもありません。

これらの事実確認を踏まえて、できるだけ公正な視点から、この事例の解釈として、私が、彼女の守護霊の実在を認める立場をとる理由は、認めることによって「説明の成功」ができるからです。

目前で展開される意識現象を憑依だと認めることが、直感に著しく反していないからであり、憑依現象だと認めることが不合理な結論に帰着しないからであり、その憑依現象が現行唯物論の枠組みからはどうにも説明が成功しないからです。

SAM前世療法の作業仮説は、霊の告げた魂の構造を前提にして導き出したもので、良好な催眠状態に誘導し潜在意識を遡行していくと、意識現象の事実として、クライアントが「魂の自覚状態」に至ることが明らかになっています。

この魂の自覚状態に至れば、呼び出しに該当する前世人格が魂の表層から顕現化し、対話ができることもクライアントの意識現象の事実として明らかになっています。
また、「魂の自覚状態」に至ると、霊的存在の憑依とおぼしき意識現象が起こることもめずらしくありません。 

ラタラジューも、こうして呼び出した前世人格の一つであるわけで、その前世人格ラタラジューが真性異言で会話した事実を前にして、里沙さんの守護霊の語りを前にして、魂と生まれ変わりの実在や守護霊の実在可能性を回避するために、回りくどい心理学概念や精神医学概念を持ち出し、無理やり引き当て、霊的な意識諸現象に対してなんでもかんでも心理学的、精神医学的な解釈することは、現行唯物論科学の枠組みに固執するあまりのおよび腰的な、不自然な営みだ、と私には思われます。

そして、里沙さんに限らず、クライアントの示す霊的意識現象の諸事実は、現行科学の枠組みによる説明では、到底おさまり切るものではありません。

唯物論を絶対視し、魂や生まれ変わりの実在、霊的存在を認めることを回避する立場で、すべて非科学的妄想だと切り捨てて、どうやって唯物論で前世人格ラタラジューの応答型真性異言現象の納得のいく説明ができますか?

どうやって唯物論によって、私と対話した里沙さんの守護霊の語り(里沙さん自身の全く知らない諸情報の語り)の納得できる説明ができますか?

私には、霊的存在の実在を認めることが、SAM前世療法で展開される憑依とおぼしき意識諸現象の解釈として「思考節減の原理」にもっともかなっていると思われます。

ただし、クライアントに起こる憑依現象すべてが、真正の憑依現象であるとは判断できません。
憑依霊が語った内容を検証にかけ、明らかにクライアントの知り得ない情報を語っていると検証できた場合でなければ、判断留保とするのが妥当でしょう。
そして、検証に足る情報が語られることは極めて少ないのも事実です。

ちなみに、超心理学上では「超ESP(万能に近い透視やテレパシー能力)仮説」があります。
そして、催眠中に超常的な能力が発現したという事例は、わずかながらあるようです。
とは言え、「超ESP」のような万能の超能力そのものは、立証されているわけではありません。

しかし、下に紹介するレナード婦人のような希有な実例が存在し、しかも、ESPの限界が不明なので、これを拡大解釈し、人間には未発見の万能の超能力が存在する可能性がある、という理屈上の仮説に過ぎず、実証はまったくありません。

グラディス・オズボーン・レナード婦人は、一度も行ったことのない家の中にある閉じた本に書かれた文章を何らかの方法で読み、その文章が何ページに出ているか(場合によっては、そのページのどのあたりにあるか) や、その書物が本棚のどのあたりに置かれているかを正確に言い当てる能力を持っていました。
E・M・シジウィックは、レナード婦人の書籍実験に関する厳密な分析をおこなった論文を発表しています。(イアン・スティーヴンソン、笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』P500)

里沙さんが、レナード婦人を凌ぐような超ESPを発揮し、かなり広範囲に分散されたさまざまな断片的情報を、瞬時に入手し、それら情報を瞬時につなぎ合わせ、編集し、守護霊らしく装って語ったのだ、という解釈が成り立つでしょうか。

里沙さんの証言を信用する限り、当人にはそのような超能力もないし、それを用いて意図的に情報収集をした記憶がないことはポリグラフ検査によって明らかです。

無意識のうちにやっているとすれば、いったい誰が(あるいは何が)それをおこなっているのでしょうか。
また、無意識のうちにやっていることは証明できることでしょうか。

応答型真性異言は超ESPを用いたとしても、情報ではなく技能であるネパール語会話は取得できません。
したがって、「ラタラジューの事例」において、里沙さんが超ESPを用いることなしに、ラタラジューがネパール語会話をしている、つまり、自己内憑依現象を起こしていることは明白です。

そのすぐれた霊媒資質を備えている彼女が、守護霊の憑依ではなく、超ESPを用いて情報収集し、守護霊を偽装し語っている、と考えることのほうが不自然だと思います。

そもそも、広範囲に分散されたさまざまな断片的情報を、瞬時に入手し、それら情報を瞬時につなぎ合わせ、まとめ上げ、守護霊を偽装して語る、というような途方もない能力を発揮することが、人間に可能であるとは思われません。

実際、そのような万能の超能力(超ESP)を発揮した人間が、心霊研究(SPR)および超心理学研究のこれまで100年余の研究史上発見された事実は皆無です。

彼女が、私やセッション見学者たちを驚かせるために、無意識のうちに超ESPを駆使して情報を集め、守護霊を偽装して語ったのだ、という見方と、守護霊が実在し彼女に憑依して語っているのだ、という見方と、どちらがより検証結果を踏まえた直感に反せず、より思考節減の原理に沿った自然な解釈であるかは、すでに明白であるように私には思われます。


2015年12月1日火曜日

SAM催眠学序説 その78

生まれ変わりを否定する諸仮説の検討


生まれ変わりを科学的事実として認めることは、個人の人生観・世界観は言うに及ばず、宗教や科学をはじめとして、人間の営み全体の諸領域にきわめて広汎かつ深甚な影響を及ぼすことになります。

そのため、唯物論による世界観に安定・安住してきた多くの人々を根底から揺るがすことになり、それら唯物論陣営のさまざまな反論、ときには感情的な反感による罵倒すら受けることになります。

それほどの甚大な衝撃を及ぼす重大事ですから、否定する諸仮説が持ち出されることは当然のことでしょう。

それでは、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の事実を否定する諸仮説を冷静に慎重に検討し、一つ一つ論破してみたいと思います。

こうして、最後に残った仮説が生まれ変わり仮説であるなら、それが唯物論に真っ向から対立することになっても、謙虚に認めるべきでしょう。
しかしながら、ガチガチの唯物論者は断固として認めようとはしません。
反証を挙げて反論できないと分かると、唯物論にとって不都合な事例はなかったことにするという無視の態度を取って認知的不協和を処理することが常のようです。

 

(1)意図的作話仮説


この仮説は、里沙さんの証言をすべて否定するうえに成り立つ仮説です。
里沙さんは、前もって入念に諸資料を読み、その情報に基づいて「タエの物語」、「ラタラジューの物語」を練り上げ作話し、セッション中には催眠に入ったふりをしてその物語を語り、しかもそのすべてをなぜか隠しているという解釈です。

里沙さんの人間性そのものを否定することになるので、私としてはくみしえないものですが、これも生まれ変わりの否定仮説として一応考えておかなければなりません。
通常の手段でどれだけの情報が収集できるかという検証にもなるからです。

「タエの事例」において、この仮説には、有利になる背景があります。
それは、2003年に出版された、立松和平の小説『浅間』の存在です。
この小説は、「ゆい」という娘が主人公で、天明3年8月5日の浅間山大噴火による鎌原火砕流と、それによって全滅した鎌原村が舞台として登場しています。
「おカイコ様」という呼び方も出てきます。
この小説はラジオドラマ化され、舞台公演もされています。 
もし、里沙さんがこの小説『浅間』を知っているとすれば、架空の人物タエの物語は、さほど困難ではないと思われます。
私はこの点を彼女に詳細に尋ね、読んだことも、聞いたことも、見たことも一切ないという証言を得ていますが、意図的作話仮説に立てば、それは虚偽の証言ということになります。

しかし、小説『浅間』だけでは、これらの内容を作話として組み立てることは不可能です。「安永九年のとき13歳、三年後の天明3年のとき16歳」、「ばと様」「浅間山の龍神信仰」「上郷馬頭観音堂」などの情報はこの小説からは引き出せません。

特に、年号の問題はきわめて重要です。安永という年号は、中・高の歴史の教科書には出てきません。
ちなみに、当時私の同僚の中学校社会科教師6人に、「安永」を知っているかを尋ねてみましたが、全員が知りませんでした。まして、安永が9年で終わり天明へと改元されていることを知る一般人は、まずいないでしょう。
「安永9年のとき13歳」で、「天明3年のとき16歳」ということを、瞬時のためらいもなく言えるということは、容易にできるものではありません。

したがって、これだけのタエの物語が作られるためには、加えて、インターネットの検索能力が必須とされるはずです。
しかしながら、インターネットでもこれらの事項を検索することは、かなりの時間と知識が必要です。しかも、「ばと様」「浅間山の龍神信仰」「上郷馬頭観音堂」といった情報は、インターネットからは入手できません。
これらは、『渋川市史』を読むなり、現地を訪れるなりしないと、得られない情報です。
龍神信仰のことは当てずっぽうで言えるかもしれませんが、馬頭観音のこと、そして特に「ばと様」という特殊な呼び方は、現地でしか得られない情報だと思われます。

さらに、「水が止まって危ないので、上(かみ)の村が水にやられるので・・・」という語りで検証したように、当時上流の村であった川島村の被害まで入念に調査して作話することは、まず考えられません。
また、このような入念な情報収集をして作話し、しかもそれを意図的に隠すという必然性が彼女にはありません。
そもそも彼女は、自分の病気(脊柱側湾症)の理由を知り、現世の生き方の指針を得るために、前世療法を希望したのです。
それも何らかの詐欺行為だとすることが考えられるでしょうか。
見学に同席した研究者たちの期待に応えようとした、という見方も、そういった条件がなかった第一回セッションで、既にタエの記憶が断片的にであれ出ているのですから、不自然です。

加えて、私の催眠療法体験から見て、里沙さんが催眠に入ったふりをしていたとか、少女タエを演技をしていた、とはどうしても考えられません。
5名の信頼度の高い研究者が見学していますし、証拠として彼女の表情を克明に写したビデオが残っていますから、間違いなく、催眠性トランスに入っていたと断言できます。

さらに、用意されていたいかに巧みな作話であったとしても、私が、偉大な存在者の憑依実験をすることまでは、予想できなかったはずです。
雷神に供える馬を鎮めるために、タエの左腕が切り落とされ、上郷の馬頭観音下に埋められているという語りをはじめとする、偉大な存在者(守護霊)の語りを、その場で瞬時に作話できた、とするには無理があるように思われます。

さらにまた、里沙さんが入念な事前調査をして人を欺く意図があったのなら、決定的な証拠である「堀口吉右衛門」という名前を、なぜクロカワキチエモンと言ったのか説明できません。
私が入手できたように、天明3年当時の渋川村の名主が、「堀口吉右衛門」であることは、作話する過程で、彼女にも入手可能だと思われます。
それをわざわざ、史実と食い違うようにしなければならないのか、納得できる理由が見当たらないのです。
そして、作り話などしていない、という里沙さんの証言を、嘘だと疑わねばならない証拠が、何一つ挙がっているわけではありません。
加えて、彼女が、事前にタエの物語に関わる諸情報を意図的に収集していたことは、ポリグラフ検査によって否定されています。

「ラタラジューの事例」で語られた諸情報の入手についても、まったく同様です。


以上のように、意図的作話仮説にはほとんど可能性を見出す余地がありません。

(2)潜在記憶仮説


 「潜在記憶」とは、通常の自覚としては忘れてしまっており、全く記憶に出てこないのですが、実は潜在意識に蓄えられている記憶のことを言います。
したがって、潜在記憶仮説で、タエの語りの内容を解釈すれば、次のようになるでしょう。

里沙さんの証言は、彼女の自覚としてはそのとおりだが、記憶を忘れ去っているだけで、実は潜在記憶として、情報の貯蔵庫に蓄えられていたはずだ。
潜在意識が、情報の貯蔵庫に蓄えていた様々な情報を巧みにつなぎ合わせ、加工・編集して架空のタエの前世物語、ラタラジューの物語を作りあげ、フィクションとして語ったものだ、という説明になります。

確かに、催眠状態にあるクライアントには「要求特性」と呼ぶ、セラピストの指示に従順に従おうとし、期待に応じようとする傾向が知られてます。
したがって、過去に得てきた情報を総動員して、架空の人格を作り上げ、それを自分の前世だと語る可能性が絶対ないとは言えません。

しかし、タエの語った検証一致率84%の事実を潜在記憶仮説ですべてを説明するのは、まず不可能のように思われます。
それは、前述したように、通常の手段による意図的情報収集でも、あれだけの内容は容易に取得できないと思われるからです。
まして、偶然の経緯で、しかもインターネットなどの手段を使わず、それらを知ることは、ほぼありえないと断言できるでしょう。
また、小説『浅間』は、出版から二年しか経っていませんので、それを読んでいて忘れるということも、まず考えられません。
また、潜在記憶仮説では作為は否定されますので、「噴火」という言葉を知らないような態度を取ったことも、説明できません。

「ラタラジューの事例」 についても、里沙さんにはネパール人との接触がまったくないという生育歴と身辺調査から、潜在記憶として蓄積しようにもその記憶の入手先がないことがほぼ確実です。

これらのことから、潜在記憶仮説も、その可能性は棄却できるでしょう。
それでも、生まれ変わりなどあろうはずがないから、きっと「どこか」で潜在記憶として入手しているに違いない、というような根拠不明な主張は科学的仮説として認めることができません。

 

(3)遺伝子記憶仮説


前世記憶とおぼしき記憶に関して、「遺伝子の中に記憶が保存されるのではないか」という仮説も成り立ちます。
しかし、タエとラタラジューのケースではそれは絶対ありえません。
タエが実在したとすれば、彼女は16歳で人柱になったことになります。
彼女に子どもがいて、それが里沙さんの祖先であったということは考えられません。
16歳の若い母親を人柱にするということは、人間の心情としても、龍神という神様への「お供え」という意味からしても、ありえないからです。
また、人柱になる前に白い花嫁衣装を着てごちそうを食べたことをうれしそうに語っているのは、子を持った女性の心情とは到底思えません。
ただしタエは、セッション後のフラッシュバックでキチエモンの子を宿していたことを打ち明けています。
しかし、タエは溺死していますから、その血脈はその時点で断絶していることになります。

ラタラジューについても、里沙さんにネパール人の血が入っているかどうかを確認しましたが、さかのぼり得る限りにおいて両親双方にネパール人の祖先はいないことが明らかでした。

そして、そもそも、遺伝子にこれだけの詳細な事柄が記憶されるという科学的実証はありません。

したがって遺伝子記憶仮説は、棄却できるでしょう。

(4)透視などの超常能力(超ESP)仮説


里沙さんが、通常の方法によらず、超常能力、つまり透視やテレパシーなどによる方法でタエに関する情報をことごとく入手し、それをあたかも前世の記憶として語ったとする仮説です。

里沙さんが、テレパシーによって、同席者の心を読み取り、それらをもとに前世記憶を作話した可能性はあるでしょうか。
5名の見学者のうち、火山雷の知識のある者1名、ネパール旅行経験者1名、吾妻川を知っている者1名がいました。

私は「おカイコ様」という呼び方および、天明3年の浅間山大噴火と吾妻川の泥流被害のおおよそを知っています。
天明3年8月4日・5日の大噴火と火砕流、渋川村上郷という地名、安永という年号などの細かな情報は、私を含め同席6名の者は持っていませんでした。
したがって、この解釈には無理があります。

では極めて強力な万能に近い透視能力で、これらの情報を入手したという可能性はあるでしょうか。
突飛にみえる仮説ですが、超心理学上の「超ESP仮説」として知られている仮説です。
浅間山噴火に関する情報や、当時の渋川村の歴史的状況については、私が調べられたように、ある程度は文字記録となって残っています。
それらを私同様に入手し、前世の記録として語ったと考えることは、一つの仮説としては成り立つでしょう。
タエに関する情報は文字記録にないようですから、その部分は作話ということになります。

この「超ESP仮説」を完全に棄却するのは、「タエの事例」では不可能かも知れません。
「ばと様」という極めて特殊な表現は、透視で入手することは不可能だと思われますが、それさえも、「どこかにあるはずだ」、あるいは「現在その土地に住んでいる人の心を読んだのだ」という途方もない拡大解釈が際限なくされれば、どこまでも決着はつけられなくなります。
したがって、ここでは、反論を述べるに留めることにします。

まず、前世療法のセッション以前に、里沙さんが超常能力を発揮したことは、本人・周囲とも一度もないと証言しています。
にもかかわらず、催眠中に突如として超常能力が働き、それがほとんど万能に近いものであると説明するのは無理があるように思われます。

催眠時に超常的な能力が発現するという事例は、わずかながらあるようですが、かなり広範囲に分散された様々な断片的情報を瞬時に入手し、齟齬(そご)のないようにつなぎ合わせ、まとめ上げ、里沙さんが同一視しているタエと緊密に一致する人格を構築するのは、不可能なわざとしか思えません。
里沙さんの証言を信用する限り、当人にはそのような能力もないし、そのようなことをしたという記憶もないわけですから、一体誰が(あるいは何が)それをおこなっているのでしょうか。
「無意識」がやっているという解釈も出るでしょうが、それは証明できることなのでしょうか。

また、里沙さんは、なぜよりによって、見たことも聞いたこともないタエと自分を同一視しなければならないのか、説得力のある説明ができそうにありません。
彼女が、私や見学者を驚かせるために、縁もゆかりもない架空の人物を超常能力を駆使して作話したとする見方と、素直に「前世記憶」を甦(よみがえ)らせただけだとする見方と、どちらが自然かは明白なように思われます。

さらに、超常能力を駆使できたとすれば、名主堀口吉右衛門の存在を知り得たはずなのに、なぜそれをクロダキチエモンと言わねばならなかったのか説明がつきません。

以上を考え合わせると、超常能力(超ESP)仮説は、生まれ変わり仮説を否定するために、十分な裏付けもなく強引に作り上げられた空論のように思われます。
人間にESP(透視やテレパシー) の能力があることは証明されています。
しかし、その限界が分かっていません。
限界が分かっていないので、万能に近いESP能力者が存在する可能性があるのではないかという理屈が成り立つということであって、そもそもこの仮説自体は証明されているわけではないのです。

私には、生まれ変わり仮説より、さらに突飛で奇怪な説得力のないものに思われます。、

ちなみに、ラタラジューのネパール語による会話技能は、超ESP能力によっても取得できないとされています。
技能は情報ではなく、練習を必要とするものであり、いかなる情報も取得できるとする超ESPによっても、練習が不可欠である技能までも取得することはできません。
超能力によって技能を取得した事例はないのです。

(5)憑依(憑霊)仮説


「生まれ変わり仮説」は、霊魂仮説を認めない限り成立しませんが、霊魂仮説を受け入れた場合、タエに関してもう一つの仮説による解釈が成り立ちます。

それは、第三者であるタエの「霊」が、催眠中の里沙さんに「憑依」(憑霊)したという仮説です。
突飛にみえる仮説ですが、世界中にはそれらしい事例がないわけではありません。
里沙さんも周囲も、過去に「憑依」様の体験は皆無だと証言していますが、催眠下でそれが偶発的に起こらないという保証はありません。

前世人格か憑依霊かという問題は、生まれ変わり仮説を暫定的に採用した研究者でも、迷うところの多いもののようです。

生まれ変わり仮説も霊魂仮説も、その科学的研究はまだ確固とした体系を持っていませんので、この問題に関しても、詳細な先行研究はないように思われます。

あくまで試験的な仮説ですが、私は、「同一性の感覚」の有無と「憑依状態の記憶」の有無が、前世人格と憑依霊とを識別できる有力な指標になるのではないかという仮説を立てています。

セッション後の感想で、里沙さんは、前世のタエと現世の自分とが同一の魂であることを実感している、と述べています。
 第三者の憑依霊に対して、自分との同一性の感覚が生まれるはずがないでしょう。

また、「偉大な存在者(守護霊)」が直接語った場面に関して、催眠覚醒後に全く記憶がないと述べています。
このような構造は、他のケースにも見られるものです。
なお、宗教学のシャーマニズム研究でも、「憑霊」とおぼしき事態の場合、その間の当人の記憶がないことが多いと報告されています。



こうして、少なくとも、里沙さんにおいては、前世人格と憑依霊を識別するこの二つの指標が当てはまります。


このように想定すると、「偉大な存在者」とは何かという問題が残りますが、「前世人格」と「憑依霊」との間には、一応の線引きができるのではないかと考えています。

そして、「タエの事例」は、「憑霊」よりは「前世人格」である可能性が明らかに高いように判断できると思います。


「ラタラジューの事例」においても同様の解釈ができます。

(6) トリック(ヤラセ)仮説


疑いをかけられる当事者私と里沙さんには論外の仮説です。

しかし、可能性として、私と里沙さん、あるいはセッション見学者も含めて、事前に打ち合わせの相談のうえ、台本によるインチキセッションを企てたという仮説も考えておく必要があるでしょう。

とりわけ、「タエの事例」、「ラタラジューの事例」が、娯楽番組である「アンビリバボー」で取り上げられたので、視聴率稼ぎのヤラセの疑いをかけた人がいたようです。

しかし、この仮説が成り立つためには、you-tubeに公開してあるセッション記録映像に基づいて、どの場面の、誰の、どういう台詞が、不自然でヤラセの可能性がある、という具体的指摘をしなければなりません。

生まれ変わりなどあるはずがないから、トリックがあるに決まっている、という主張は、具体的根拠不明な思い込みによる言いがかりとして判断するしかありません。


以上、およそ提出されそうな生まれ変わり否定の仮説を取り上げ、検討を加えてみました。
まだまだこんな仮説もあるぞ、という方はどうぞコメントをお願いします。