2016年5月23日月曜日

SAM催眠学序説 その91

前世療法と前世記憶の検証放棄という現状

今回は、前世療法の歴史と問題点について考えてみます。

(1) 前世療法の発見

一般に呼ばれる前世療法は、催眠療法の一種であり、年齢退行催眠によりクライアントの記憶を本人出産以前まで誘導し、前世の記憶にある心的外傷等を取り除くことによって、現在の症状を改善できると主張されている療法です。

具体的には、退行催眠によって出生以前にさかのぼり、さに「あなたの現在の症状に関係した過去の人生があるなら、そこに行ってみましょう」などの誘導によって、前世とおぼしき記憶のイメージが出てくるというものです。

そして、その前世記憶の想起によってクライアントの抱えていた心身症状が改善するといった効果があるとされています。

さて、退行催眠によって前世記憶の想起が可能になるという「発見」は、1956年アメリカで起きた「ブライディ・マーフィー事件」にまでさかのぼります。

モーリー・バーンステインという催眠術師が、ヴァージニア・タイという女性に退行催眠をほどこしところ、彼女は、アイルランドに暮らし、1864年に66歳で死んだブライディ・マーフィーという女性の前世を想起し、建造物や自然地形を始め様々な記憶を語りました。
ヴァージニアはアイルランドを訪れたことがないのに、そこで語られた情報は、調査をしてみると驚くべき一致を見せました。

そして、この実験は『ニューヨーク・タイムズ』を始めとするメディアで大きく取り上げられ、全米およびヨーロッパで話題となったのです。 

彼女は「ブライディ・マーフィー」としての膨大な記憶を語っており、その記録が『第二の記憶・前世を語る女ブライディ・マーフィー』(邦訳)として出版されました。 

この本はベストセラーになり、アメリカに輪廻転生ブームを巻き起こしました。
マスコミによる「ブライディ・マーフィー」探しがおこなわれ、前世記憶の真偽を調査するために、多くの記者がアイルランドに派遣されるという騒ぎに発展しました。

その結果は、前世記憶の真偽は確認された点もあれば、そうでない点もあるという中途半端なものでした。

より重要な調査結果は、「ブライディ・マーフィー」の実在が確認できなかった点と、ヴァージニアが幼少の頃の家の近くに、ブライディ・マーフィー・コーケルというアイルランド移民が存在していたという二点です。

こうした事実が明らかにされたことによって、多くの論者は、ヴァージニアの前世記憶とは実は幼少の頃、ブライディ・マーフィー・コーケルから得た情報であり、それが催眠中に引き出されたに過ぎない、と結論づけたようです。

し かし、ヴァージニアはブライディ・マーフィー・コーケルとの会話の記憶はなく、また会話したことを忘れているとしても、催眠中に語られた内容は非常に詳細 であって、とてもこれだけの内容をブライディ・マーフィー・コーケルから聞き出したと結論づけるには無理があると思われます。

いずれにせよ、こうして前世記憶の真偽をめぐる「ブライディ・マーフィー事件」は幕を閉じたようです。

(2) 前世療法の発展

「ブライディ・マーフィー事件」以降、1970年代になって様々な医師や催眠療法士が、「前世退行」の研究を開始したものと思われます。

そ して、1983年にグレン・ウィリストンの『生きる意味の探究』(邦訳)、1986年にジョエル・L・ホイットンの『輪廻転生――驚くべき現代の神話』 (邦訳)、1988年にブライアン・L・ワイスの『前世療法』(邦訳)が相次いで刊行され、特にワイスの本がベストセラーとなって、前世療法は一般に広く 普及していったと思われます。

イギリスでも1979年に、ピーター・モスという催眠療法家によって『Encounters with the Past』という前世記憶に関する本が刊行されています。
ちなみに、これらの療法家は、それぞれ独自に前世療法を「発見」していったようです。

こうしてアメリカでは前世療法(退行催眠法)専門の学会が発足し、会報誌も刊行されるようになりました。

日本でもワイスの本は、1991年に邦訳・出版され、前世療法の一大ブームを巻き起こしました。
ワイスは普通の医師・催眠療法家で、死後存続や生まれ変わりに関する知識は全くなく、1980年、偶然の指示から患者の「前世記憶」の想起に出会いました。

「偶然の指示」とは、「あなたの症状の原因となった幼い頃の出来事に戻りなさい」と指示するところを、ただ「原因となった時まで戻りなさい」と指示したことでした。
すると、クライアントは驚くべきことに紀元前19世紀に生きた女性の人生を語り出した、というものです。

一人の患者への退行催眠による治療をめぐって、偶然に想起された前世記憶という未知の領域の探究を描いたミステリアスな内容と、物語風の読みやすい文体とが相まって、多くの読者を引きつけました。

退行催眠を深化していくことで、「前世記憶」とおぼしきものが想起されるという説は、アメリカでは1956年の「ブライディ・マーフィー事件」以来、比較的知られていたのでしょうが、日本ではそういった情報はなく、ワイスの本は驚きと感動をもって迎えられたようです。

これ以後、前世療法は催眠療法における大きな潮流となり、かなりの大衆的人気を博すことになりました。
アメリカはもちろん、日本でも人気があり、現在、100を越える機関が前世療法を掲げて実施していると見られます。

(3) 前世療法への批判


一方、前世療法に関する批判も多く出されています。 
もちろん、死後存続や生まれ変わりなどを頭から否定する唯物論者が、前世療法を批判するのは当然のことです。

ところが、生まれ変わり研究の第一人者イアン・スティーヴンソンも、前世療法や催眠による前世想
起に対して、厳しい批判をしています。

それは、彼が、前世の記憶をある程度持っていると思われる者を催眠に入れ、前世想起の実験を13例実施し、地名・人名を探り出し特定しようとした試みがすべて失敗した(『前世を記憶する子どもたち』P80)ということにあるようです。

こ うして、催眠中に前世の記憶らしきものが語られたにしても、催眠によって誘発された催眠者に対する従順な状態の中では、何らかの前世の記憶らしきものを語 らずにいられない衝動に駆られ、通常の方法で入手した様々な情報をつなぎ合わせて架空の人格を作り上げてしまう可能性が高いと主張します。

そして、催眠中に語られたリアルな前世の記憶が、実は架空の作話であったと検証された実例を数例あげて、催眠が過去の記憶を甦らせる有効な手段だと考えるのは誤った思いこみであって、実際には事実からほど遠いことを証明しようとしています。

こうしてスティーヴンソンは、次のように痛烈な前世療法批判を展開しています。
「遺憾ながら催眠の専門家の中には、催眠を使えば誰でも前世の記憶を甦らせることができるし、それによる大きな治療効果が挙がるはずだと主張するか、そう受け取れる発言をしている者もある。私としては、心得違いの催眠ブームを、あるいは、それに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者があるという現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている現状を、何とか終息させたいと考えている。(『前世を記憶する子どもたち』P7)

こうしたスティーヴンソンの批判の矛先が、ワイスやホイットンの前世療法に向けられているとは必ずしも言えないでしょうが、この批判がなされる同時期に、相次いで彼らの著作が公刊されていることも事実です。

前世記憶の真偽を研究するために、膨大な労力と綿密な検証作業を長年積み上げてきたスティーヴンソンにとって、催眠中に語られた前世の記憶を確かな科学的検証にかけないまま、症状改善を理由に、前世の存在を安易に認めてしまう前世療法家が、苦々しく思えることは当然でしょう。
ただし、彼は、催眠中に語られる前世の記憶をすべて無意味だとしているわけではありません。

催眠による事例の中には、彼自身の検証の結果、通常の方法では入手できない情報が少数ながら存在することも認めています。
スティーヴンソンはその後の著書『前世を記憶する子どもたち2』P106で、「私は、自らの手で調べた応答性真性異言の2例が催眠中に起こったという事実忘れることができない。このことから私は、催眠を使った研究をけっして非難することができなくなった」といくぶん持論を修正しています。

ところで、スティーヴンソン以外にも、催眠中に語られる前世の記憶は、脳の作り出したフィクションに過ぎない、とする唯物論的否定論者は少なくありません。

例えば、超常現象の否定論者として知られるロバート・A・ベイカーは、1982年のアメリカ臨床催眠学会機関誌に、自らおこなった前世療法実験の結果を発表しています。

それによれば、前世療法を褒め称(たた)えたうえで実施した被験者は、高い割合で前世記憶の想起をしたのに対し、逆に前世療法を否定し貶(けな)したうえで実施した被験者が、前世記憶を想起した割合は、非常に低かったと報告しています。

この結果から、ベイカーは前世療法による前世の記憶は事実などではなく、催眠者の誘導暗示によって作り出されたフィクションである可能性が高いと結論づけています。


(4) 日本のアカデミズムと前世療法

日本のアカデミックな催眠研究者にとっても、前世療法は目障りな存在のようです。

そもそも催眠というものは、世間では根強い偏見と誤解を持たれ続けてきたものです。
現在の科学体系に加わろうと科学としての催眠を必死に目指してきた催眠研究者にとって、前世療法は世間の偏見・誤解をいっそう助長する、けしからぬ存在と映るのも当然です。

こうした動向を示す一つのエピソードを紹介してみます。
私は、2004年、京都立命館大学で開かれた、日本催眠医学心理学会・日本教育催眠学会合同学会で、前世療法の特殊事例を研究発表しました。

なお、両学会を通じて、前世療法について発表したのは私が二人目で、過去に元田克己氏(元田教育・心理相談研究所長)が発表しているのみということでした。

私の発表分科会には、日本の心理学系催眠を代表する大学の研究者、医師、現場の教師など60名ほどが参加しています。

前世療法に対する大学研究者の象徴的意見が次の討議のやりとりに示されています。
A氏は国立大学所属の若手の催眠研究者です。

A氏 : 年齢退行催眠中に「生まれ変わり」などを先生(筆者)が言ったので、クライアントがそれに応える形で「生まれ変わり」などの言葉を出してきたのではないか。

稲垣 : そういうことは言っていない。子宮に宿る前の世界があるかどうかを確かめるために「あなたは時間や空間に関係のない世界に入っていく」という言い方の誘導 はした。

A氏 : あなたが、そういう世界に入るだろうと誘いをかけている。ということは、そういう世界にセラピストが誘導した結果、クライアントがセラピストの期待に応えるために「生まれ変わり」や「魂」を作話していく可能性がある。
前世療法には効果があるといって、何でもかんでもセラピストのほうから前世に引きずり込んでいくことには危惧を感じる。前世があくまでクライアントが出してきたものであれば、それに乗って面接を進めていくのはいい。
そうした過程をたどって、クライアントの前世の物語の決着がつくならば改善効果は大きいと思う。
だから、前世療法はナラティブセラピー(物語療法)の観点からみることもできる。
つまり、自分のそれまでの古い物語を作り替え、新しい自分へと脱皮していき、治癒していくという観点からの考え方もできる。
また、一般の人たちはの中には、催眠と言うと前世に行くのかと思っている人が多い。
だから、そうした催眠に対する期待や思い込みによって、自分の想像した前世に行ってしまうということも十分ありえる。

このA氏の意見は、語られる前世記憶の想起がセラピストの誘導とその期待に応えようとするクライアントの「作話」「前世の物語」「想像した前世」である可能性が濃厚であるという点で、前述したベイカーの出した結論と共通しています。

そして、この分科会討議は、前世記憶は論じるまでのないフィクションだという共通認識で終始しました。
私の事例発表以後、両学会で前世療法研究が発表されたことをいまだ耳にすることはありません。

前世療法は、科学としての催眠研究の対象には加わる資格のない催眠療法として日本のアカデミズムから白眼視ないし、無視されていると思われます。


(5) 前世記憶の実証放棄という現状

前世療法は、いまだ実証されていない「前世」を前提としているように見えるために、日本のアカデミズムからは正統的催眠療法とは認められていないように思われます。
一方で、日本の100を越える民間機関では現在も最も人気の高い催眠療法です。

そして、前世療法を白眼視していると思われるアカデミズムは当然としても、盛んに前世療法を実施している民間の前世療法士も、どういうわけか「前世記憶」の実証研究をまったく放棄しているという現状が続いています。

それでは海外においてはどうでしょうか。

ワイスの『前世療法』で述べられているキャサリンの事例で示された前世記憶の信憑性の裏付けは、キャサリンが絶対知るはずのない三つの情報を語ったことにあるようです。

一つはワイスの父親のヘブライ名であるアブロムを言い当てたこと、もう一つはワイスの娘の名が彼女の祖父にちなんで命名されたこと、さらに一つは、生後間もなく死んだワイスの息子の死因である心臓の先天的異常を言い当てたことでした(前掲書P56)。

このことをもってワイスはキャサリンの語った前世について、「私は事実を掌握したのだ。証拠を得たのだった」(前掲書P61)と結んで確信しています。

しかし、この三つの事実をもって前世の証拠を「確信」したとすれば、軽信の誹(そし)りを受けるのではないでしょうか。

ワイスは、イアン・スティーヴンソンの著作や、デューク大学のESP(超感覚的知覚。テレパシーや透視など)研究に関する資料にも目を通したと語っています(前掲書P39)。

であるならば、キャサリンが強力な超常能力(透視・テレパシーなど)を発揮して、ワイスの意識下から三つの情報を引き出したかもしれないというESP仮説によって説明できることをなぜ検討しなかったのでしょうか。

結局、ワイスの著作『前世療法』は、読み物としては興味深くても、学問的に信頼のおけるきちんとした検証の裏付けという観点からすれば、前世記憶の科学的実証への努力はほとんど何もおこなわれていないと言えるでしょう。

さらに同じく前世療法を扱ったホイットンの『輪廻転生』ではどうでしょうか。
ハロルドというクライアントがバイキングの前世に戻ったときに、ホイットンの求めに応じて書き記した22の語句を専門家が検証した結果、10語がバイキングの言語であったという記述(前掲書P211)については、前世存在の状況証拠として採用できるように思われます。

例えば、古ノルド語の、氷山・嵐・心臓・静かな天候、湾・容器などの単語、セルビア語の、おいしくない、堅い氷・流氷などの単語を書き綴ったとされていま す。

古ノルド語は、現在完全に死語となっている言語です。
しかも、同様の死語である古典ラテン語や古典ギリシア語のように現在も学ばれる機会のある言語ではなく、北欧の言語専門家のような特殊な研究者にしか理解不能な死語だそうです。

では、こうしたバイキングの用いた特殊な単語を書き綴ったというハロルドの事例は、前世記憶の存在を支持する強力な証拠として手放しで採用できるのでしょうか。

しかし、この事例についても、ハロルドというクライアントが強力なESP能力を発揮して、書物等から死語である単語の情報を入手した可能性を疑うことができるわけで、そうした検討がされないままで、「状況証拠ではありますが、きわめて有力なものがそろっている現在、理屈のうえで輪廻を認めるのに特に問題はな い」(前掲書P7)と断定できるものではないと思われます。

ほかに催眠療法家の検証した前世記憶の検証としては、ブルース・ゴールドバーグ 『前世探検』(邦訳)による、アイビーというクライアントの語った「グレース・ドーズの事例」が挙げられます。
詳細な殺害状況を語った前世人格グレース・ ドーズの語り内容が、ことごとく60年前の新聞記事と警察の記録に一致したというものです。
ただし、このセッションは筆記録しかないものであり、しかも、 邦訳を見る限りグレースと殺人者であるジェイクという男の対話は創作とも受け取ることができる点で、科学的信憑性に疑問が残ります。

結局、ワイスの著作、ホイットンの著作、ブルースの著作にしても彼らの実施した前世療法の中で語られたクライアントの前世記憶の厳密な科学的検証という点において、検証が不十分なままに終わっていると言わざるをえないと思います。


(6) 再び前世記憶の実証放棄という現状

(5)で述べてきたように、海外においても前世療法家自身による「前世記憶」の厳密な科学的検証は、ほとんど放棄されているという現状は、日本とあまり大差がないように思われます。

こうした前世記憶の実証放棄の現状について、超心理学者である笠原敏雄氏は、ホームぺージ「心の研究室」で次のような前世療法批判を展開しています。
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ほとんどの前世療法家は、驚くべきことに、患者の発言を歴史的事実に照らし合わせる作業をまったくしていないようです。
仮に、患者の口から、歴史的に正しい事実が語られたとしても、それが「前世の記憶」なのか、それまで本などの情報から得たものなのかはもちろんわかりません。
ですから、そうした情報に基づいたものではないことを証明できない限り、「前世の記憶」とは言えないわけです。
しかし、ほとんどの前世療法家は、それ以前に、歴史的事実との照合すらしていないし、にもかかわらず前世の記憶だと断定してしまうのです。
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一方で、前世療法について私の知る唯一の学術論文の著者である相模女子大学石川勇一氏は、その論文『前世療法の臨床心理学的検証』(「トランスパーソナル心理学/ 精神医学Vol.5 No.1)の中で次のように主張しています。
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臨床家的視点に立つならば、果てなき真贋(しんがん)論争に全精力を注ぎ込むよりも、心や魂の現実としてのイメージについて精通し、その扱い方を洗練させる 方が、ずっと有益であるように思われる。・・・前世体験が客観であるか想像であるかは括弧にくくり、どちらの可能性も残しながら、イメージその ものを現象学的に扱っていくのである。
したがって、「前世療法」は正式には「前世イメージ療法」というべきなのである。
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前世を実証することは、個人はもちろん、社会すべてにとってきわめて重大な影響を及ぼす問題です。

そうしたやっかいな真偽の検証は「括弧にくくり」、「前世イメージ療法」として扱っておくことが有益で生産的だという石川氏のような主張が、あれこれ真偽の詮索をすることより、治ればOK、とする大方の前世療法臨床家の立場を代弁し、前世記憶の科学的検証を放棄する論拠になっているのではないでしょうか。

こうして、前世記憶の科学的な検証放棄という現状が現在もなお続いていると考えられます。

前世療法の否定・批判を受けて立つ最善の策は、語られた前世記憶の科学的検証しかないと考えるのは私だけでしょうか。

 検証のされない凡百の前世記憶の羅列より、前世の実在に肉薄するたった一つの検証事例こそが、前世療法の存在意義を主張できる、と私は思います。

2016年5月12日木曜日

SAM催眠学序説 その90

スティーヴンソンの生まれ変わりの見解とSAM催眠学

私の研究の方法論は、イアン・スティーヴンソンの諸著作から学んだことをモデルとしています。
彼は、自らの手で集めている生まれ変わりを示す証拠が、自ら事実を物語るはずだ、と繰り返し述べています。

また、生まれ変わりという考え方は、最後に受け入れるべき解釈なので、これに替わりうる説明がすべて棄却できた後に、初めて採用すべきである、という研究方法を一貫して採用しています。

拙著、『前世療法の探究』、『生まれ変わりが科学的に証明された!』のタエ・ラタラジューの両事例の諸検証は、スティーヴンソンの科学的検証方法を忠実にたどっておこなったつもりです。

私が死の恐怖について、きわめて臆病な人間であったことは、このブログでも述べてきました。
しかし、死の恐怖から免れるために、宗教(信仰)に救いを求めることは、生来の気質からできなかったことも正直に述べました。
こうした私だからこそ、イアン・スティーヴンソンの「生まれ変わりの科学的研究」に強く惹かれるものを感じてきました。

彼こそ、生まれ変わりという宗教的信仰を、科学的探究の対象へととらえ直し、変貌させることに成功した先駆的科学者であると評価できると思うからです。

そこで、ここでは、彼の生まれ変わりについての見解がもっとも濃厚に述べられている『前世を記憶する子どもたち』日本共文社,1989から、その見解を紹介し、私のSAM催眠学の立場と比較してみたいと思います。
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生まれ変わったと推定される者では、先述のイメージ記憶、行動的記憶、身体的痕跡という三通りの要素が不思議にも結びついており、前世と現世の間でもそれが一体になっていなかったとは、私には想像すらできない。
このことからすると、この要素(ないしその表象)は、ある中間的媒体に従属しているらしいことがわかる。
この中間的媒体が持っている他の要素については、おそらくまだ何もわかっていない。

前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。
 私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)
私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。
そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。
人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているのに対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去 世の残渣が加わる。
したがって、私たちの個性には、人格としては決して表出することのないものや、異常な状況以外では人間の意識に昇らないものが数多く含 まれているのである。

前掲書PP.359-360
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上記のスティーヴンソンの見解とSAM催眠学の「魂の二層構造仮説」の見解とを比較してみると、ほぼ整合するところが指摘できます。

彼の言う「中間的媒体」、「心搬体(サイコフォア)」は、私の「魂」概念と同義です。
おそらくスティーヴンソンはSoulという語にまとわりつく宗教臭を嫌ったのだと思われます。

私は、「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」を、そのまま従来の「魂」の概念でも不都合はないと思いますし、新しい概念でもないのに「心搬体」などの新しい用語を用いることは不要だと思っています。

また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化(変化)する仕組みになっている」という仮説を支持するものと言えそうです。
ただし、彼は、「心搬体(魂)」を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない、と述べています。

私は、私あて霊信によって、「魂(の表層)を構成する要素がどのような配列になっているのか」を教えられ、催眠を道具にその真偽の検証によって、魂表層を構成する一つの要 素である、前世の人格たちを呼び出すことに成功したと思っています。
そして、ラタラジューの事例によって、前世人格ラタラジューは、魂表層で、肉体はなく とも生きて活動していることを実証できたと思っています。

つまり、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人 格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化する仕組みになっている」というのが、私の見解です。
つまり、「心搬体」= 「魂」の表層全体は、生まれ変わりをするたびに、表層の前世人格が増え、その人生で得た智恵が加わり、表層全体が変化していくものだということを、顕現化した前世人格の語りから確認しています。

さらに、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない」、というスティーヴンソンの見解は、そっくり私の見解と同様です。

現世の私という一つの人格が、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層を構成する諸人格の一つとして生き続けるのであって、生まれ変わるのは「表層の前世諸人格を含めた一つの魂全体」だというのが、SAM催眠学の明らかにしてきた生まれ変わりの実相だと言えます。

また、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの考え方も、私の見解にほぼ一致します。

現世の個性は、魂表層の前世諸人格たちから人生の知恵を分かち与えられることによっており、このようにして繰り返された前世の諸人格に由来する「個性」と、両親からの遺伝的資質と、現世での諸体験とによって、形成されているに違いないのです。

さて、私が、故スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「記憶」の所在についての考究でした。
彼が、「前世の記憶」が脳にだけあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」を想定していたことに照らせば、間違いありません。

私の期待したのは、その心搬体と脳との関係についてのスティーヴンソンの考究です。
前世の記憶を語ったとされる子どもたちは、その前世記憶を、心搬体からの情報として話したのか、脳から得て話したのか、いずれなのでしょうか。

私の大胆な仮説を述べてみますと、すべての事例がそうではないにしても、子どもの魂表層に存在する前世人格が、顕現化(自己内憑依)し、子どもの口を通して、前世人格みずからが自分の人生を語った可能性があるのではなかろうか、ということになります。

それは、その前世を語った子どもの12事例のうち、8つの事例で、次のように話し始めた(ふるまった)とスティーヴンソンが紹介しているからです。

①ゴールパールは、「そんなものは持たない。ぼくはシャルマだ」と答え、周囲を仰天させた。(前掲書P94)

②コーリスが1歳1ヶ月になったばかりの頃、母親が名前を復唱させようとしたところ、コーリスは腹立たしげに、「ぼくが誰か知ってるよね。カーコディだよ」と言った。(前掲書P98)

③日本に帰りたいという願望をよく口にし、ホームシックから膝を抱いてめそめそ泣くこともあった。また、自分の前で英米人の話が出ると、英米人に対する怒りの気持ちを露わにした。(前掲書P101)

④シャムリニーは、その町に住んでいた時代の両親の名前を挙げ、ガルトウダワのお母さんのことをよく話した。また、姉妹のことやふたりの同級生のことも語っている。(前掲書P104)

⑤ボンクチはチャムラットを殺害した犯人は許せないという態度を示し、機会があると復讐してやる、と何年か言い続けた。(前掲書P116)

⑥おまえの名前は「サムエル」だと教えようとしても、サムエルはほとんど従おうとしなかった。「ぼくはペルティだ」と言ってきかなかったのである。(前掲書P121)

⑦前世の話をもっとも頻繁にしていた頃のロバータは、時折前世の両親や自宅の記憶を全面的に残している子どもが養女にきているみたいにふるまった。(前掲書P126)

⑧3歳の頃マイクルは、全く知らないはずの人たちや出来事を知っているらしい兆候を見せ始めた。そしてある日、「キャロル・ミラー」という名前を口にして、母親を驚かせたのである。(前掲書P141)

以上のような事例の事実は、「子どもが前世の記憶を話した」というよりは、「前世人格が現れて人生の出来事を話した」と、現象学的にありのままに受け取ることのほうが、より自然だと私には思われるのです。

ス ティーヴンソンは、応答型真性異言の「グレートフェンの事例」において、ドイツ人少女グレートフェンを顕現化した「トランス人格(前世人格)」として解釈しています。

前世を語った子どもにおいても、前世人格の顕現化の可能性をなぜ検討しなかったのか、私には不満が残ります。
「前世の記憶」だという思い込みがあるよう に思われてなりません。

とりわけ、上記③⑤⑦などの事例は、「前世人格の顕現化」として解釈するのが自然だろうと思います。

現世の生活歴がわずかしかなく、現世の諸体験による夾雑物の少ない3歳から5歳の子どもでは、魂表層の前世諸人格のうち、より現世に近い新しい前世人格が、条件や状況に応じて自動的に顕現化することが起こりやすくなっているのではないか、と私は考えます。

成長するにしたがって現世の諸体験によるさまざまな夾雑物の増加が、子どもに起こるような自動的な前世人格の顕現化を妨げるようになると考えられます。

成人においては、そうした現世の諸体験による夾雑物からのとらわれから開放される深い催眠状態(魂状態の自覚)に至ると、前世人格の顕現化が可能になるのだ、という理解のしかたは一理あるだろうと思われます。

スティーヴンソンが存命していれば、こうした私の見解についてどう評価するか問うてみたいものです。