2016年10月7日金曜日

「要求特性」と前世人格の顕現化について

       SAM催眠学序説 その98


催眠における「要求特性」とは、催眠中のクライアントが、セラピストの要求していることを察知して、無意識的にその要求に応えようとする心理傾向を意味する用語です。

「要求特性」が、前世療法の「前世記憶」の想起の批判に用いられた場合、語られた前世記憶の真偽の検証がない事例については、批判を甘んじて受けるほかありません。 


私が、まだSAM前世療法の開発前、「タエの事例」にも遭遇していない2004年時点で、日本催眠医学心理学会で前世療法セッションの検証不可能な前世の語りについて実践発表をしたときの「要求特性」にかかわる部分の討議記録を紹介します。


アカデミズムに所属する代表的催眠研究者が、「前世療法」および、「前世の記憶」についてどのように批判的に評価しているかがよく分かります。


下記逐語録の頭のC・D・Eの記号各氏はそれぞれ大学の著名な催眠研究者です。
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: 年齢退行催眠中に「生まれ変わり」などを先生(稲垣)が言ったので、クライアントがそれに応える形で「生まれ変わり」などの言葉を出してきたのではないか。

稲垣:そういうことは言っていない。子宮に宿る前の世界があるかどうかを確かめるために「あなたは時間や空間に関係のない世界に入っていく」という言い方の誘導はした。

:あなたが、そういう世界に入るだろうと誘いをかけている。ということは、そういう世界にセラピストが誘導した結果、クライアントがセラピストの期待に応えるために「生まれ変わり」や「魂」を作話していく可能性がある。

稲垣:それは違う。クライアントが「時間や空間を超越した肉体のない状態でいる」と言ったので、「あなたは魂の状態か」と聞くと「そうだ」と答えたということだ。魂や前世が出てくるように、こちらからクライアントに誘導的に押しつけた事実はない。

:私には前世療法を実施した経験はないが、クライアントが魂を語ったのはフィクションだと思う。大事なことはフィクションがどういうふうに作られていったかであって、それはこのクライアントの精神状態のありかたによると思う。たとえば、絵を描くことによって、絵に託した自分自身を作り替えていくことができる。それと同様の状況が、催眠中のクライアントに起きているのではないか。つまり、自分の状況をフィクションに置き換えて自分を作り替えていくという催眠技法の一つとして前世療法には意味があるし、改善効果もある。そういう解釈ができると思う。

:前世がフィクションであるという前提に立てば、前世療法による改善メカニズムは、イメージ療法による改善と同様のメカニズムで説明できる。つまり、クライアントの心理には、現実問題を直視しないでフィクションに置き換えて語るという安全装置があり、自分を置き換えた前世という架空のイメージを語ることで自分の安全を守り、問題を解きほぐして改善していくという治癒の力がはたらいていると考えられる。
 したがって、自分の前世の物語というフィクションを語ることによって治癒の力がはたらき、顕著な改善効果があがるという前世療法は、イメージ療法と同様の治癒メカニズムがはたらいていると考えても十分説明できると思う。

:前世療法には効果があるといって、何でもかんでもセラピストのほうから前世にひきずり込んでいくことには危惧を感じる。前世があくまでクライアントが出してきたものであれば、それに乗って面接を進めていくのはいい。そうした過程をたどって、クライアントの前世の物語の決着がつくならば改善効果は大きいと思う。だから、前世療法はナラティブセラピー(物語療法)の観点からみることもできる。つまり、自分のそれまでの古い物語を作り替え、新しい自分へと脱皮していき、治癒していくという観点からの考え方もできる。
また、一般の人たちはの中には、催眠と言うと前世に行くのかと思っている人が多い。だから、そうした催眠に対する期待や思い込みによって、自分の想像した前世に行ってしまうということもありえる。

稲垣:私はこのクライエントに前世療法を実施することを事前に一切告げていない。その点が、普通は了解のもとで実施される前世療法とは異なっている。また、私のほうから意図的に前世にもっていこうとしたわけでもない。にもかかわらず、魂や前世が出てきたことが不思議だ。事例発表した動機もこの点にある。事前の予告なしに実施した前世療法という特異な事例だと思っている。

『前世療法の探究』春秋社、PP.138-140
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上記討議でわかるように、C・D・Eの大学在籍催眠研究者は、前世の存在などはじめからフィクションだと決めつけています。
そして、そのフィクションだと解釈できる根拠として「要求特性」を持ち出しています。
C氏の発言の「セラピストが誘導した結果、クライアントがセラピストの期待に応えるために『生まれ変わり』や『魂』を作話していく可能性がある」という批判がそれに当たります。
前世療法は、既存の催眠療法であるイメージ療法やナラティブセラピイ(物語療法)の範疇で説明可能であって、フィクションである「前世」など持ち出すことは不要である、ということなのでしょう。
しかし、こうした前世療法における「前世記憶」の批判は、想起された「前世記憶」の検証がなく真偽が不明な場合には、甘んじて受けるほかありません。
ちなみに、この学会発表の1年後2005年に「タエの事例」に遭遇し、これを2006年に『前世療法の探究』に収載し、これら批判者に献本しましたが、梨の礫でした。

さて、こうした「要求特性」を根拠した、前世療法における「前世記憶」への批判を、イアン・スティーヴンソンは、さらに辛辣に下記のようにおこなっています。
私には、この批判が、ブライアン・ワイスの前世療法を念頭において記述されていると思われます。
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こうした集中力をさらに高めていくなかで、被術者は、思考の主導権を施術者に委ねてしまうため、施術者の催眠暗示に抵抗できにくく(あるいは少なくとも抵抗する気が弱く) なってくる。催眠暗示により施術者になにか想い出すように命じられた被術者は、それほど正確に想起できない場合、施術者を喜ばせる目的で不正確な発言をおこなうことも少なくない。それでいながら大半の被術者は、自分が語っている内容に事実と虚偽が入り交じっていることに気づかないのである。

(中略)「あなたはこれから、生まれる前の別の時代の別の場所まで戻ります」と施術者に言われると、被術者はその指示に従おうとする。施術者が、たとえば、「あなたはこの頭痛の原因が過去のどこかにあることを想い出します」など、それほど明確でない催眠暗示を与えた場合ですら、同じように従順にその指示に従うのである。催眠によって誘発される特殊な服従状態のなかで被術者は、何らかの、過去にあった出来事らしきものを物語らずにはいられない衝動に駆られる(あるいは、そう仕向けられる)ため、現世の生活のなかからそれらしきものが捜し出せない場合には、前世らしき時代の記憶がそれまでにまったくなかった場合でも、それらしき話を作り上げるかもしれないのである。

(中略)催眠術を見世物にしている者をはじめ、催眠に関係したきわもの的な主張をする者たちは、催眠こそ記憶を蘇らせるための絶対確実な手段であるとする思い込みを助長してきたけれども、実際にはそれは、事実からほど遠いのである。

(中略)前世の記憶らしきものをある程度持っている者に催眠をかければ、細かい事実を他にも想出すのではないか、とお考えになるかもしれない。私自身もそのように考えたため、自然に浮かび上がった前世の記憶らしきものを持つ数名の者に催眠をかけたことがある。
私はこのような実験を13件自らおこなったり指導したことがある。一部では私が施術をおこなったが、それ以外の実験では他の施術者に実験を依頼した。その結果、ただの1件も成功しなかった。

 『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、PP.72-80
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イアン・スティ-ヴンソンは、同書P7において、「遺憾ながら催眠の専門家のなかには、催眠を使えば誰でも前世の記憶を蘇らせることができるし、それにより大きな治療効果が挙がるはずだと主張するか、そう受け取れる発言をしている者もある。私としては、心得違いの催眠ブームを、あるいはそれに乗じて不届きにも金儲けの対象にしている者があるという現状を、特に前世の記憶を探り出す確実な方法だとして催眠が用いられている状況を、何とか終息させたいと考えている」と、これまた痛烈な前世療法で想起された「前世の記憶」批判を展開しています。
そして、スティーヴンソンの批判の対象となっている催眠の専門家ブライアン・ワイスは、こうした批判に対して口を噤んで噤んで一切触れようとはしていません。
もっともワイスには、彼のセッションで語られた「前世記憶」の事例を科学的検証にかけた業績がまったくないので当然かもしれません。したがって、彼の著作は、生まれ変わり研究者からは「専門書」ではなく、「通俗書」の扱いを受けています。


これまで紹介してきた、日本の催眠アカデミズムや、イアン・スティ-ヴンソンの前世療法批判に対抗するための唯一の手段は、語られた「前世の記憶」を科学的検証にかけ、それが限りなく真実に近いことを実証する以外にないでしょう。

しかし、私の公開している「タエの事例」と「ラタラジューの事例」以外に、前世療法による「前世記憶」の真偽の科学的検証事例を、本にしろ論文にしろ公開されたものを私は知りません。


さて、それでは、私の主張するSAM前世療法における「前世人格の顕現化」現象は、「要求特性」によって説明できるフィクションでしょうか。

次に、セッション逐語録の一節を取り上げて検討してみたいと思います。(SAM催眠学序説その64参照)
このセッションは、2007年1月27日に、私あて霊信の受信者M子さんにおこなったものです。
逐語録の記号CLはM子さん、THは私です。

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CL:「そのもの」ではなく、あなたが今日、癒すべきものはM子という存在であり、アトランティスでの過去世について深く触れることは今日はできない。
だが、あなたは先ほど癒した傷ともう一つ、あなたが知らなければならない傷がある。
だが、その傷は癒され始めている。
それは、直接あなたと過去世で関わり合う者であり、「その意識」は、先ほどからあなたを見詰めている。


注:上記CLの語りの主体は、クライアントM子さんではなく、私の守護霊だと思われる。


TH:そうですか。


CL:その幼子は、あなたへと伝えたい言葉をずっと胸のうちに秘めていた。

TH:残念ですが、わたしにはそうした存在と交信する能力がありません。
M子さんに代弁してもらえますか?その幼子の言葉を。
M子さんが霊媒となって、訴えてる幼子とわたしとの仲立ちになってくだされば、その幼子を癒すことができるかもしれませんが。

:このあとのCL:の語りは、M子さんの前世である少年の口調に変わって話す。


CL:先生!・・・先生、ありがとう。(泣き声で)ぼく、先生を悲しませて、ごめんなさい。

TH:分かりました。で、あなたは何をしたんですか?


CL:(泣き声で)ぼくだけじゃなくて、みんな、みんな死んで、先生泣いたでしょ。
ぼく、先生が、ずっとずっといっぱい大切なことを教えてくれて、先生、ぼくのお父さんみたいにいっぱいで遊んでくれて、ぼくは先生のほんとの子どもだったらよかったと思ったけど、でも、死んだ後に、ぼくのお父さんとお母さんがいてね、先生は先生でよかったんだって・・・。
でも、ぼく、先生に、先生が喜ぶこととか何もできずに死んだから、ぼく、ずっとね、先生に恩返ししたいってずっと思ってて・・・このお姉ちゃんは、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね。


:この少年人格は、M子さんの魂表層を構成している前世人格の1つとして存在し、魂表層から顕現化し、現世のM子さんの肉体を借りて自己表現していることを示している。つまり、このセッション1年後に定式化されるSAM前世療法の前駆的セッションであると言えよう。


TH分かりました。きっと忘れませんよ。
それからあなたがね、こうやって現れて、直接あなたの声を聞く能力は、わたしにはありません。
でも、そのうちにそういう能力が現れるかもしれないと霊信では告げられています。
ですから、そのときが来たら存分に話しましょう。
先生は忘れることはないだろうし、あなたからひどい仕打ちを受けたとも思っていません。
だから、あなたはそんなに悲しまないでください。


CL:ぼくは、先生に「ありがと」って言いたかった。


TH:はい。あなたの気持ちをしっかり受け止めましたからね。
そんなに悲しむことはやめてください。先生も悲しくなるからね。

CL:うん。


TH:あなたは片腕をなくしていますか?


CL:生まれつき右腕がないんです。でも、先生は、手が一本だけでも大丈夫だっていつも言ってくれた。


TH:そうですか。今、あなたが生きている時代はいつ頃でしょう。
わたしには、それも見当がつかない。西暦で何年くらいのことか分かりますか?


CL:紀元前600年。(この語りの主体の声音は少年ではない。私の守護霊だと思われる。)


注:これに続く語りで、紀元前600年のマヤ文明の町パレンケで、私は、5名の孤児を世話をする教師であったことが明らかになる。この顕現化した片腕のない少年は、その孤児たちの一人であった。この私のマヤ時代の教師であった前世の検証はできない。

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さて、上記に紹介した逐語録をお読みになれば、私と、顕現化したM子さんの前世の少年人格とのやりとりが、「前世記憶」ではなく、現在進行形の対話であることに気づかれると思います。
また、前世の少年人格の次の語りは注目に値します。

このお姉ちゃんは、ぼくじゃ ないけど、でも、先生とお話したりできるのは、このお姉ちゃんだけだよ。でも、ぼくも、ずっとこのお姉ちゃんと一緒だから、だから、ぼくのこと忘れないでね。 

「このお姉ちゃん」とは、クライアントM子さんです。
この前世人格の「少年」は、その生まれ変わりである現世のM子さんに憑依して(自己内憑依して)、私と対話していると告げているわけです。
さらに、この前世人格の「少年」は、彼の生まれ変わりである現世のM子さんとずっと一緒だ、と告げています。
つまり、M子さんとともにM子さんの魂の中に今も生き続けている、と告げているわけです。

このこと、つまり、ここで起きていること、魂の表層に存在している前世人格が顕現化し、現在進行形で対話するということは、まさにSAM前世療法そのものです。

しかし、SAM前世療法が完成するのは、この2007年のM子さんとのセッションの1年後です。
したがって、私の中には、魂の表層に存在している前世人格を顕現化させる、などの作業仮説(魂の二層構造仮説)があるはずがなく、当然のことながら、M子さんが、そうした作業仮説を知った結果、「要求特性」によって、前世人格の少年を顕現化させたはずがありません。
このセッションにおいては、M子さんに、SAM前世療法の作業仮説による「要求特性」の生じる余地は、まったくないのです。
にもかかわらず、自発的に、M子さんの魂の中に生き続けている前世人格の少年の顕現化が起きたという現象は、これが「要求特性」などと無関係な、おそらく普遍的に起こるであろう催眠現象だと考えてよいように思われます。

こうして、M子さんや里沙さんのように、きわめて高い催眠感受性とすぐれた霊媒体質に恵まれている者にしか現象しない、自発的な魂状態への遡行と前世人格の顕現化現象を、一般の人々にも90%以上の確率で、意図的に現象させる催眠法こそ、SAM前世療法だと言えます。

そして、SAM前世療法で顕現化する前世人格が、「要求特性」によって現象したフィクションの人格だと断言できないことを、「ラタラジューの事例」が、明白に示しています。
ネパール人村長ラタラジューを名乗る前世人格が顕現化し、クライアントの学んでいないネパール語対話(応答型真性異言)ができることは絶対ありえないからです。


ただし、SAM前世療法で顕現化する前世人格の真偽は、検証によって確認するほかありません。
しかし、「ラタラジューの事例」という前世人格の存在の確かな検証事例を、SAM前世療法は持っています。

したがって、検証不能な前世人格の顕現化については、「要求特性」によるフィクションだと切り捨てるのではなく、判断留保とすることが妥当であろうと思っています。

今後、SAM前世療法を私から学んだセラピストによる、前世人格の真偽の検証が、地道に累積されることを期待しています。