2017年8月4日金曜日

生まれ変わりの無い魂の持ち主

  SAM催眠学序説 その104

魂がどこでどのように誕生するのかは不明です。

しかし、セッションで確認する意識現象の事実として、現世が初めての人生を送っている魂の持ち主が確かにおいでのようです。
生まれ変わりがないわけですから、前世がないということです。
これまでに10人以上確認しています。

その判断は、魂状態に遡行したときに、魂の表層の「現世のもの」しか顕現化しないこと、「現世のもの」に、○○の前世のものに交替しなさい、と命じても「誰もいません」と回答することから判断します。
あるいは、「現世の直前の人生を送った前世のものは出ておいでなさい」と指示しても顕現化しないことで判断します。

「それではあなたは、現世が最初の人生を送って魂ですか?」と尋ねると、「そうです」あるいは、「わかりません」という回答が返ってきます。
生まれ変わりを経験していないので、おそらく分からないのだろうと推測しています。
直近のセッションで、40歳男性クライアントは「交替するものは誰もいません」と答えています。

そして、最初の人生を送っている魂の持ち主の性格特性が次のようなものであることが、セッション前、セッション後のカウンセリングから明らかになっています。

①好奇心が人並み以上に強く、好奇心に駆られてすぐ行動に移る。本人はそうした自分を落ち着きのない人間であると評価している。

②性格が純朴で素直である。友達からは面倒見がよく、悪気のない好人物だという評価を得ている。楽天的であっけらかんとした印象を与える。

③騙されやすく、傷つきやすい。警戒心が薄弱であるため、裏切りに合ったり叱咤されることに傷ついて、人間不信や対人恐怖から劣等感に陥ることが多い。

こうした性格特性は、アラン・カルディックの霊信『霊の書』のなかで、通信している高級霊が、誕生したばかりの魂の特性を「無知、無垢です」と告げていることと符合しています。

このクライアントは、自分の魂が最初の人生を送っているということを知って、多くの気づきを得られたようです。
彼は、人生に傷つき閉塞感に悩んでおいででした。
晴れ晴れした表情でお帰りになりました。
はるばる米子市から泊まりがけでおいでになったクライアントです。

私あて霊信で、「あなたも魂表層の一つです」と告げており、つまり、現世の私という人格を担っているものが、魂表層に位置付いていることを示しています。

こうした、セッションの事実から、魂の表層には「現世のもの」が存在することはまぎれもない事実だと思います。
「現世のもの」の定義をすれば、「現世に生まれてからこちらの意識・潜在意識をつくりだしているもの」ということになるでしょう。


つまり、「私」という人格は、魂の表層に存在する「現世のもの」という一側面である、といえそうです。

そして、「現世のもの」は、生まれ変わりがある場合には、諸前世人格の影響を、潜在意識下で受けながら成り立っている、いわば複合的人格とだと考えられます。
私あて霊信で、「魂表層の諸人格は友愛を結び、互いの人生の智慧を分かち合っている」と告げているからです。
とすれば、魂表層の現世人格は、潜在意識下で前世諸人格から人生の智慧を分かち与えられているということになります。
ただし、諸前世人格の中には、傷つき苦しんでいるものが存在し、そうした傷ついている前世人格
からの負の影響も、当然のことながら受けざるをえません。
私あて霊信では、「傷の無い魂は存在しない」とはっきり告げています。

要するに、私という人格は、生まれ変わりをしているなら、両親から受け継いだ遺伝的資質と現世の生育歴 からのみ成り立っているわけではなく、正・負の両面の影響を諸前世人格から受けているということです。


そのように魂の表層構造から、現世人格の成り立ちを導き出せば、人格は様々な異なる側面を併せもっていることが当然である、という人間理解をするべきだということになります。

誤解をおそれずに言えば、病的な多重人格という症状を除外して、だれでも多かれ少なかれ多重人格であることが当たり前だということです。

さて、話題が少しずれますが、ワイス式前世療法を体験し、SAM前世療法を受けたところ、生まれ変わりをしていない、という結果が出たクライアントが二人おいでになります。
しかし、二人ともに、ワイス式では「前世の記憶」が確かにあらわれたということでした。
これはどのように解釈すべきでしょうか。

催眠学用語に「要求特性」という用語があります。
これは、セラピストの要求していることに、クライアントが無意識的に協力しようという催眠中の心理傾向を意味する用語です。
二人のクライアントに要求特性が働いたとすれば、すでにワイス式前世療法によって前世の記憶が確認されているわけで、つまり、前世があるという前提で、それを再確認するためにセッションを受けているわけですから、何らかの前世人格が顕現化しても不思議ではありませんし、顕現化するはずです。
それが顕現化されず、生まれ変わりをしていない、という結果なのです。


我田引水の誹りをおそれずに言えば、二人のクライアントのワイス式で現れた前世の記憶とは、要求特性によって創作された前世記憶の可能性が高いのではないかということです。

だからといって、SAM前世療法で確認した生まれ変わりが無い、という推測の検証は不可能ですから、これもあくまで仮説に過ぎません。

そして、アカデミックな催眠学の立場にある催眠研究者のほとんどは、前世の記憶にしろ前世人格の顕現化にしろ、それらは要求特性による創作である、という見解をもっています。

しかし、SAM前世療法によって顕現化した「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、要求特性による創作ではありえない、という科学的検証結果を示しています。
つまり、この二つの事例に限定して検討する限り、生まれ変わりはある、と結論するしかありません。


この検証結果は、反証可能性にひらかれた形で全セッション映像をネット上で公開し、2冊の本でも公開してありますが、きちんとした反証を挙げて否定した論者はいまだに現れていません。
なお、「ラタラジューの事例」については、二つの関連学会(国際生命情報科学会・日本サイ科学会) で発表しています。
なお、一般向けには、テレビ番組「アンビリバボー」において、2006年に「タエの事例」が25分間、2010年に「ラタラジューの事例」が60分間放映されています。