2013年11月11日月曜日

SAM前世療法の成立 その35

SAM前世療法の謎
SAM前世療法には、一般のワイス式前世療法と比較して、いくつかの解明できていない謎があります。
ワイス式前世療法でうまくいかなかったクライアントで、SAM前世療法でも成功しなかった事例は今のところありません。
両方の前世療法を経験したクライアントは30名を超えています。
この両方を経験したクライアントに報告される大きな共通項は2つあります。
①催眠中の意識状態が明らかに違う。SAMの場合、ワイス式と比べてうんと深い意識状態に入ったという自覚がある。
②ワイス式ではセラピストの質問に対して口頭で答えられるのに、SAMの場合には魂状態に至ると口頭で答えることができなくなる。
①について、ワイス式では、催眠学に則った心理学系催眠法の「催眠深度」を尺度によって確認することなく誘導が進められるので、どの程度の催眠深度に至ってセッションがおこなわれているかが不明です。
かつて、私がワイス式でおこなっていた前世療法では、「運動催眠」→「知覚催眠」→「記憶催眠」の順に、催眠深度を成瀬悟策の「標準催眠尺度」を用いて確認し、「記憶催眠」レベルの深度到達後、年齢退行によって子宮内まで退行し、その先の「子宮に宿る前の記憶(前世記憶)」に戻ります、という暗示をしていました。
しかし、私の知る限り、ワイス式体験者は、「記憶催眠」より浅い催眠深度である印象を受けます。
催眠学の明らかにしているところでは、「知覚催眠」レベルでは、五感が暗示通り知覚されます。
したがって、さまざまな幻覚を暗示によってつくり出すことが可能です。
また、創造活動が活性化され、自発的にイメージが次々に現れるようになります。
それで、被験者は、そうした自発的に出てくるイメージに対して、自分が意図的にイメージをつくり出しているという自覚をもつことはありません。
つまり自発的イメージが架空のものとは感じられず、自分の中に潜んでいた真実の前世記憶がイメージ化して現れてきたという錯覚をもつ可能性があるということです。
こうした催眠中のイメージ体験の性格を根拠にして、大学のアカデミックな催眠研究者は、前世療法における前世の記憶はセラピストの暗示によって引き起こされた「フィクション」であると口をそろえて主張します。私の敬愛してやまない成瀬悟策先生もこうした立場をとっておられます。
したがって、アカデミックな催眠研究者は、前世療法を正当な催眠療法として認めようとはしません。
こうした事情から、前世療法に関する学術論文は皆無といえる状況です。
管見するかぎり、論文は、相模女子大石川勇一氏の『「前世療法」の臨床心理学的検証』1本だけのようです。
SAM前世療法では、必ず「知覚催眠」レベルの深度に至っていることを標準催眠尺度を用いて確認します。知覚催眠レベルに至ることがない深度では、魂状態の自覚まで遡行できないことが明らかになっているからです。
そして、知覚催眠に至れば、ほぼ誰でも記憶催眠に至ることも明らかです。
  
したがって、SAMでは記憶催眠レベルの確認はおこないません。
記憶催眠を突き抜けて、さらに深度を深めていきます。
標準催眠尺度では測れない「魂遡行催眠」と私が名付けているレベルにまで深めます。身体の自発的運動は停止し、筋肉・関節の完全な弛緩状態にもっていきます。
SAM前世療法では、こうした意識状態にまで誘導するので、ワイス式より深い意識状態に至ったという報告が共通してされるのではないかと推測しています。
②については、その解明は容易ではありません。
 
SAM前世療法における魂遡行状態では、顕現化した前世人格が口頭で答えられる割合は5人に1人、約20%しか口頭で話せません。
5人のうち4人までが、どうしても口頭で答えることができないと答えます。
ワイス式ではこうした音声化できないことは起こりません。
ワイス式体験者は、誰でも前世記憶のビジョンを口頭で報告することが可能です。
この口頭で話せないという現象は、SAMの催眠深度がワイス式よりも深く、筋肉の弛緩状態がきわめて深く、声帯も弛緩し切っているので発声できないのではないか、という推測は的外れのようです。
どうも、SAM前世療法の作業仮説に理由を求めることができるのではないかと考えています。
ワイス式では、「前世の記憶として現れるビジョンをクライアントが報告する」という前提になっています。
あくまでクライアント自身が「前世記憶を想起し報告するのです。
SAMでは、「顕現化した前世人格が、クライアントの身体を借りて(自己内憑依して)対話する」という作業仮説でおこないます。
前世人格は、当時のままの個性と感情を持ち続けて、意識体として魂の表層に生きている存在なのです。
こうして、クライアントは、まず顕現化した前世人格の喜怒哀楽の感情を共体験します。
感情のみの共体験で終わる場合もあります。
療法としての治癒効果は、ビジョンより感情のほうが有益ですから、それでいいと思っています。
私の対話相手はクライアントではなく、身体をもたない前世人格という死者なのです。
死者である前世人格は、身体を失ってすでに長い時間を経ている存在です。
そこで、何人かの前世人格に、なぜ話すことができないのかその理由を指で回答してもらうことを試みたところ、「発声器官の使い方を忘れているからどうしても声に出すことができない」という回答でした。
指やうなづくという単純な動作なら、現世の身体を借りてその動作で回答することが可能であるということでした。
一理あるとは思いますが、さらに探究する必要があると思っています。
ここで注目すべきは、SAM前世療法においては、クライアントは前世人格の霊媒的な役割を担うということです。
私は、クライアントの意識の中に憑依として顕現化した死者である前世人格と、声帯にしろ指にしろクライアントの身体を借用して自己表現をする前世人格と対話するという形をとっているのです。
つまり、クライアントは、自分の身体を自分の魂の表層に存在する前世人格に貸している霊媒的役割を担うことになっているということです。
前世人格は、自分の生まれ変わりである現世の身体を媒介にして、現在進行形で私と対話をしている、これがSAM前世療法のセッション構図になっているということです。
そして、このような信じがたい構図は、「ラタラジューの事例」によって証明されたと思っています。
そしてまた、霊信からの情報の恩恵による、SAMのような前世療法は、私以外に誰も発想できない療法でしょう。
正しくは、私独自の発想によるものではなく、霊信からの教示によるものです。
里沙さんの前世人格ラタラジューは、セッション中にネパール語対話者カルパナさん(朝日大学法学部博士課程ネパール人留学生)と次のような現在進行形でのやりとりをしています。
里沙  Tapai Nepali huncha?
   (あなたはネパール人ですか?)
カルパナ  ho, ma Nepali.
   (はい、私はネパール人です)
里沙  O. ma Nepali.
   (ああ、私もネパール人です)
つまり、前世人格ラタラジューは、今、ここにいる、ネパール人カルパナさんに対して、「あなたはネパール人ですか?」と、明らかに、今、ここで、問いかけ、その回答を確かめているわけで、「里沙さんが潜在意識に潜んでいる前世の記憶を想起している」という解釈が成り立たないことを示しています。
ラタラジュー は、現世の里沙さんの身体発声器官)を借りて、自己表現している存在です。
里沙さんは、カルパナさんとラタラジューのネパール語会話の媒介役として、つまり霊媒的役割としてラタラジューに身体を貸している、とそういうことにほかなりません。
前世人格は、クライアントの魂表層に生きているが肉体を失っている意識体です。
肉体のない霊的存在(死者)です。
私は、クライアントを霊媒として用い、死者との対話をしている、というSAM前世療法のセッション構図からすると、これは19世紀半ばから20世紀はじめにかけて欧米で大流行した「交霊会」と同様の構図とも言えるでしょう。
こうした観点から、SAM前世療法を貶すとすれば、「オカルト療法」だという非難の声が聞こえてきそうです。
しかし、SAM前世療法は、科学的検証に耐えた応答型真性異言「ラタラジューの事例」を持っています。
応答型真性異言はオカルトではありません。
これまで世界で5例しか発見されていませんが、科学的な事実です。
(その36に続く)

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