2018年3月14日水曜日

前世人格の所在はどこなのか

   SAM催眠学序説 その111


2005年の「タエの事例」、2009年「ラタラジューの事例」において、被験者里沙さんの「前世記憶の想起」ではなく、「タエの人格・ラタラジュー人格そのものの顕現化」したものだとすれば、そのような前世の人格は、いったいどこに存在しているのでしょうか。

これが「タエの事例」以後、4年以上にわたって私を悩ませることになった大きな謎でした。

この謎について言及した先行研究は、イアン・スティーヴンソンに求めるほかないと思われました。

以下は、イアン・スティーヴンソン/笠原敏雄訳『前世を記憶する子どもたち』日本教文社、1989からの抜粋です。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

生まれ変わったと推定される者では、先述のイメージ記憶、行動的記憶、身体的痕跡という三通りの要素が不思議にも結びついており、前世と現世の間でもそれが一体になっていなかったとは、私には想像すらできない。
このことからすると、この要素(ないしその表象)は、ある中間的媒体に従属しているらしいことがわかる。この中間的媒体が持っている他の要素については、おそらくまだ何もわかっていない。

前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を「心搬体(サイコフォア)」と呼ぶことにしたらどうかと思う。私は、心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う。(中略)

私は、「前世の人格」という言葉を、ある子どもがその生涯を記憶している人物に対して用いてきたけれども、一つの「人格」がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しないからである。
実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返さ れた過去世の人格に由来する「個性」なのである。人格は、一人の人間がいずれの時点でも持っている、外部から観察される心理的特性をすべて包含しているの に対して、個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる。したがって、私たちの個性には、人格としては決して表出するこ とのないものや、異常な状況以外では人間の意識に昇らないものが数多く含まれているのである。

前掲書PP.359-360
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
イアン・スティーヴンソンの言う「中間的媒体」、あるいは「心搬体(サイコフォア)」は、いわゆる「魂」と同義です。
厳密な科学者スティーヴンソンは、「soul(魂)」という語にまとわりつく宗教臭を払拭し「前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体」という科学的定義を明確にしたのだと思われます。
ただし、私は、前世から来世へとある人格の心的要素を運搬する媒体を、そのまま従来の「魂」の概念でも不都合はないと思いますし、新しい概念でもないのに「心搬体」などの造語を用いることは不要だと思っています。
さて、前世人格の所在についてのスティーヴンソンの結論は、「心搬体(サイコフォア)」=「魂」が、前世人格の所在であるということになるのでしょうか。

また、彼の、「心搬体を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らないけれども、肉体のない人格がある種の経験を積み、活動を停止していないとすれば、心搬体は変化して行くのではないかと思う」という見解は、SAM前世療法の作業仮説を設けるときの重要な参考となっています。
つまり、「魂は二層構造になっており、表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格は互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・進化(変化)する仕組みになっている」という仮説を支持する見解だと言えそうです。

ただし、スティーヴンソンは、「心搬体」=「魂」を構成する要素がどのような配列になっているのかは全く知らない、と述べています。

「魂は二層構造になっており、その表層は前世人格たちが構成し、それら前世人格たちは互いの人生の知恵を分かち合い学び合い、表層全体の集合意識が成長・ 進化する仕組みになっている」というのが、SAM催眠学における作業仮説です。
つまり、「心搬体」=「魂」の表層全体は、変化していくものだということを、その後の、SAM前世療法のセッションで顕現化した前世人 格の語りから確かめています。

さらに、「一つの『人格』がそっくりそのまま生まれ変わるという言い方は避けてきた。そのような形での生まれ変わりが起こりうることを示唆する証拠は存在しない」というスティーヴンソンの見解は、そのままSAM催眠学が主張する見解と同様です。

「現世の私」という一つの人格が、来世にそのままそっくり生まれ変わるわけではなく、魂表層を構成する一つの前世人格として生き続けるのであって、生まれ変わるのは「表層を構成する前世諸人格を含めた一つの魂全体」だというのが、SAM前世療法セッションで示される生まれ変わりの実相だと言えます。

また、「実際に生まれ変わるかも知れないのは、直前の前世の人格および、それ以前に繰り返された過去世の人格に由来する「個性」なのである。個性には、そのうえに、現世で積み重ねた経験とそれまでの過去世の残渣が加わる」というスティーヴンソンの考え方も、私の見解にほぼ一致します。

現世の個性は、魂表層の前世人格たちから人生の知恵を分かち与えられており、このようにして繰り返された前世の人格に由来する「個性」と、現世での諸経験とによって、形成されているに違いないのです。

さて、私が、スティーヴンソンに求めたのは、前世の記憶を語る子どもたちの「記憶」の所在についての考究でした。

彼が、「前世の記憶」が脳にだけあるとは考えていないことは、「心搬体」という死後存続する「媒体」を想定していたことに照らせば、間違いありません。

私の期待したのは、その心搬体と脳との関係についてのスティーヴンソンの考究です。

前世の記憶を語る子どもたちは、その前世記憶の情報を、心搬体から得て話したのか、脳から得て話したのか、それとも記憶ではなく前世の人格の顕現化であるのか、いずれなのでしょうか。

しかし、スティヴンソンの著作は、この問いについてはなにも解答を与えてくれませんでした。

私が求めた解答を与えてくれたのは、人間ではなく、私の守護霊団を名乗る霊的存在でした。

13 件のコメント:

Unknown さんのコメント...

イアン スティーブンソンが調べた子供達の記憶は、後に大半が事実との不一致だと第三者によって確認されている。真性異言も充分驚くべきことだが、やはり生まれ変わりというなら前世の人物を確認、また事実の一致を確かめることが重要かと考えている。ジェームズ・レイニンガーのような実例がもっと必要なのである。
ところで稲垣氏は2010年のナル村での検証での謎を、2012年、セッションで解き明かしたとあるが、それを公開することで生まれ変わりのより強固な証拠にはならないのか?
また、SAM前世療法を用いれば、魂やあの世のより決定的な証拠となる情報が掴めたり、別の被験者から新たな証拠が掴め、霊的真理をより広めることができてもいいと思うのだが、そうはならないのはなぜか ?

稲垣 勝巳 さんのコメント...


「それを信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるけれど、疑う人にまで信じるに足る証拠はない。超常現象の解明というのは本質的にそういう限界を持っている」

これが、米国哲学者として、SPRの研究家として有名な「W.ジェームズの法則」と呼ばれているものです。「挫折の法則」とも呼ばれています。

巻き太郎さんのご質問の「SAM前世療法を用いれば、魂やあの世のより決定的な証拠となる情報が掴めたり、別の被験者から新たな証拠が掴め、霊的真理をより広めることができてもいいと思うのだが、そうはならないのはなぜか?」に対する回答は以上です。

探求する者 さんのコメント...

巻き太郎さん、>>イアン スティーブンソンが調べた子供達の記憶は、後に大半が事実との不一致だと第三者によって確認されている。

上記を裏付ける資料はどこにありますか?
検証したいと思います。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

巻き太郎さん

私も、「探求する者」さんと同様に、あなたの「イアン スティーブンソンが調べた子供達の記憶は、後に大半が事実との不一致だと第三者によって確認されている」という驚くべきコメントの内容については寡聞にして初めて知りました。

スティーヴンソンの『前世を記憶する子供たち』を読む限りにおいて、子どもたちの前世の記憶についての綿密な裏付け検証調査に疑義をはさむ余地はないように思っていました。

大半が事実との不一致だ、と再検証し確認したという「第三者」とはいかなる人物であるか、再検証した内容の分かる資料とは何かを知りたく思います。

提示していただけませんか。

迷子 さんのコメント...

こんにちは、

数年前、2ちゃんねるのオカルト版でも、

 イアン スティーブンソンが調べた子供達の記憶は、後に大半が事実との不一致だと第三者によって確認されている。

という書きこみを見ましたが、いくら調べても、未だに、どこの誰だかわかりません。

スティーブンソンの後追い調査をしたのなら相当な時間・お金・人員・労力がかかっています。

 ステーブンソンが、この様な研究に専念できたのは、アメリカ・ゼロックス社のカールソン氏が遺言で100万ドルも寄付してくれた、という事もあるので、余程、気前のいいスポンサーを見つけた。という事になります。

表に出てこない方が不思議です。

これ以上問い詰めても、おそらく、何も答えられないでしょう。

 ステーブンソン達が、どの様な研究方法をしてきたか?を知りたい方は、『前世を覚えている子どもたち』(VOICE) ご覧ください。第三者のジャーナリストの目を通した報告です。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

迷子さん

巻き太郎さんのコメントを期待していましたが、代わりにあなたがコメントしてくださったことに感謝します。

「イアン スティーブンソンが調べた子供達の記憶は、後に大半が事実との不一致だと第三者によって確認されている」という巻き太郎さんのコメントは、出典不明のいい加減な思い込み情報だと判断してよさそうですね。

生まれ変わりの真偽のような、人類にとってきわめて重大なことがらについては、その証拠を慎重な吟味を重ねて検証すべきだと思います。

私の提示している「タエの事例」、「ラタラジューの事例」についても、相当な時間・お金・人員を費やして、後追い調査で再検証する研究者が出てこないかなと期待しているところで
す。

ちなみに両事例の検証に費やした費用は何もかも計算すると100万円を超えています。
それにしても、日本の前世療法セッションは、1990年以降おそらく数千例は越えていると推測できますが、「前世記憶」の真偽の科学的検証事例の公表・公刊が私以外にないという現状はどうしたものかと思っています。


残念ながら、日本のアカデミズムでは生まれ変わり研究は異端視され、大学研究者が取り組むことはありません。
「タエの事例」、「ラタラジューの事例」のセッションDVDを、相模女子大、明治大の研究者に送付してありますが、なしのつぶてが現状です。

Unknown さんのコメント...

生まれ変わりが真実だとされる要素として、詳細な記憶・感情の引き継ぎ、あざや欠損、中間生の記憶があげられる。しかしそれらは、実は生まれ変わりを想定せずとも説明できる。
まず、この考えの根底には、オーストラリアの生まれ変わり事例研究者ユルゲン・ケイル氏が唱えた「thought bundle説」というものがある。簡単に言うと、人は死ぬ時に記憶や思考の束(魂のようなものではなく、あくまで情報)を放出し、それを胎児や乳児が読み込み、生まれ変わったかのように見える、という説である。この説では、生まれ変わった子供たちの大半が自分が死んでから次に生まれるまでの記憶がないことをうまく説明できる。また、死後の世界や生まれ変わりの法則と言ったものを説明する必要がなく、現代の科学にもそぐう。思考束がどういうものかは改名されていないが、稲垣氏の言う魂のように、科学的に検証できないものである可能性は充分にある。
thought bundle説の特徴は非生まれ変わりでありながら、本人の記憶を間接的ではなく直接的に得る点にある。真性異言はただ死者の情報を入手すると仮定される一般的なESP仮説では説明出来ないが、thought bundle説ならこの点も解消される。同様に、子供が強い感情やトラウマを持っているのもうなずける。
またあざや欠損に関しては、本人や親の心理的な要因が絡んでいる。しばしば強い信仰心を持つキリスト教徒の両手に聖痕ができるように(他にもこのような事例は探せばいくらでもあるだろう)、死ぬ時の凄惨な記憶を"直接"読み込んでしまった胎児や乳児は、その記憶のリアリティ故にトラウマや恐怖を感じ、前の記憶の保持者の死因となる部分に無意識のうちにあざを作る。欠損においても、妊娠した親がまたその親に「お前の子供は手足がない」と言われ続けた結果本当に四肢を欠損して生まれたケースがあり、胎児は想像以上に親の精神状態の影響を受ける。このことから、死んだ親戚にススをつけて後に子供にも同じ部分にあざがあった、というケースも親の精神的なものだということがわかる。
中間生の記憶に関しては、thought bundleが放出されるタイミングに謎を解く鍵がある。それが臨死体験である。私は稲垣氏と同じように、臨死体験は幻覚だと思っているが、それが圧倒的なリアリティで体験されることもまた事実である。そしてここでタイミングの話である。人は死の際臨死体験をし、そしてその後完全に死亡した後というタイミングでthought bundleが放出される。thought bundleには当然臨死体験の記憶も残るので、これを受け取った胎児が、あの世の記憶を持っていると勘違いしてしまうのも仕方ないだろう。
また、親から子に記憶が遺伝することも、最近の研究で判明している。マウスのような下等動物でも恐怖の記憶が遺伝するため、人の発達した脳ではさらに詳細な情報や記憶が遺伝することも想像できよう。これらが合わさり、中間生記憶や胎内記憶という概念が生まれる。
以上で、死後の世界や魂などを考えない方がこれまでの生まれ変わり事例もうまく説明できるということを提案したい。

Unknown さんのコメント...

言語の使用はヒトが生まれつき持っている「能力」であり、それは蓄積された記憶を元に使用される。つまり脳に手続き記憶や意味記憶さえあれば、異なる文化の言語も"ある程度"は話せよう。
技能の遺伝もちらほら確認されている。最近では澤穂希さんの娘が、生後15ヶ月で教えてもいないドリブルやフェイントをしたという事例が確認され話題になった。

thought bundleがあたかも優れていないような言い回しだが、あの世や魂や生まれ変わりなどの非科学的なものを考慮せずともこれまでの生まれ変わり現象を説明できる点は明らかに優れていると言えよう。

稲垣氏はあざや中間生記憶の説明に関しては納得されたということでよろしいだろうか?

稲垣 勝巳 さんのコメント...

巻き太郎さん

「親から子に記憶が遺伝することも、最近の研究で判明している。マウスのような下等動物でも恐怖の記憶が遺伝するため、人の発達した脳ではさらに詳細な情報や記憶が遺伝することも想像できよう」という主張ですが、応答型真性異言は「記憶(情報)」に還元できない「技能」です。

「技能」が遺伝することが実証されない限り、「ラタラジューの事例」が生まれ変わりの証拠である地位は揺らぎません。
たとえば、遺伝によって、練習ぬきで自転車に乗る技能が伝達されるという実証がありますか?


「ラタラジューの事例」を説明するためには、現世から来世へと人格、個性、記憶など心的要素を運搬する意識体(魂と呼ばれるもの)を仮説にせざるをえないでしょう。

「ユルゲン・ケイル氏が唱えた「thought bundle説」というものがある。簡単に言うと、人は死ぬ時に記憶や思考の束(魂のようなものではなく、あくまで情報)を放出し、それを胎児や乳児が読み込み、生まれ変わったかのように見える、という説である」ということですが、
この説も実証のともなわない仮説であって、生まれ変わり仮説よりさらに観念論のように思えます。

「マウスのような下等動物でも恐怖の記憶が遺伝するため、人の発達した脳ではさらに詳細な情報や記憶が遺伝することも想像できよう」というあなたの主張も、「想像」であって実証はありません。
たとえば、親の学習の記憶が遺伝されることが事実なら、生まれた子どもの生後の学習のほとんは不要になるはずですが、そのような事実は確認されたことがありません。

いずれにせよ、情報だけでなく技能も遺伝するという実証がほしいですね。

ところで、「イアン スティーブンソンが調べた子供達の記憶は、後に大半が事実との不一致だと第三者によって確認されている」という巻き太郎さんの記事の「第三者」とはいったい誰なのか、出典を提示してほしいという要求の回答がいまだにありません。

もし、「thought bundle説」によって、イアン スティーブンソンが調べた子供達の記憶が否定されたということであれば、論理の飛躍ではありませんか?
この仮説の提唱者であるユルゲン・ケイル氏は、生まれ変わりの否定論者ではなく、ジム・タッカーと共著で論文を書いているように生まれ変わり肯定の立場のようです。

「thought bundle説」によって、死後の世界や魂などを考えない方がこれまでの生まれ変わり事例もうまく説明できるから、死後の世界や魂などを考えない方がこれまでの生まれ変わり事例もうまく説明できるという、あなたの提案には同意しかねます。

人は死ぬ時に記憶や思考の束(魂のようなものではなく、あくまで情報)を放出し、それを胎児や乳児が読み込み、生まれ変わったかのように見える、という「thought bundle説」は「量子脳理論」と同じく、生まれ変わりを認めないキリスト教からの反発を念頭に置いたかなり無理な唯物論的仮説だと私には思えます。

実証がない説明仮説を「思考節減の原理」に照らして検討すれば、「魂」を想定したほうが、「thought bundle」などを持ち出すより理に適っていると思いませんか?

稲垣 勝巳 さんのコメント...

巻き太郎 さん

生まれ変わりの実証的探究をめざしている本ブログに、「thought bundle説」でもって、真っ向から、生まれ変わり仮説を科学的に否定をされようと挑戦しておいでですから、ブログ管理人の立場から、腹蔵なく実証的批判をさせていただきます。

「イアン スティーブンソンが調べた子供達の記憶は、後に大半が事実との不一致だと第三者によって確認されている」という巻き太郎さんの記事の「第三者」とはいったい誰なのか、出典を提示してほしいという再三の要求の回答がいまだにありません。
この事実は、故意に回答を避けておいでになると解釈してよろしいですね。
つまり、たしかな根拠のないあなたの憶測であったということですね。

あざや中間生記憶の説明に関しては納得しているわけではありません。私の専門分野ではありませんから判断留保です。また、私は体外離脱を否定しているわけではありません。立花隆の『臨死体験』には脳内現象説だけでは説明出来ない事例が紹介してあるからです。

私の探究の領域は、SAM前世療法の臨床事例によって前世の存在を実証的に探究することです。

なぜ、臨床事例である「ラタラジューの事例」を具体的に取りあげて、この事例が「thought bundle説」によって説明できることを具体的に実証されようとしないのですか? 
これまでの生まれ変わり否定論者も、誰一人として「ラタラジューの事例」を取り上げ、具体的反証を挙げて否定論を述べようとしませんでした。
できなかったからでしょう。

you-tubeに公開している応答型真性異言「ラタラジューの事例」をどうやら視聴しておいでではないようですね。

これを避けておいでになる理由が、「thought bundle説」を拡大視し、極端に一般化し、この説によって、生まれ変わり仮説を非科学的だと排除できるとお考えであれば、論理的思考の短絡だという誹りを免れません。
科学の方法をもって、生まれ変わり仮説を検証することは科学的と呼んで支障ないでしょう。
「タエの事例」、「ラタラジューの事例」は、科学の方法をもって検証した事例です。

生まれ変わり否定論に不都合な事例を避けて、持論が適用できる現象だけを選択的に取り上げる論法は、科学的態度とは言えないでしょうし、フェアではありません。 

そもそも「thought bundle説」の、人は死ぬ時に記憶や思考の束(thought bundle)を放出し、それを胎児や乳児が読み込む、などの説は、実証の欠片もないもっともらしい想像に過ぎません。死に際の記憶や思考の束を胎児や乳児が読み込むことができる、などの説は検証しようにも反証可能性に閉ざされており、とても「科学的仮説」とは言えません。
このような想像説ならば、研究者でなくとも誰にでも唱えられるのではありませんか?

「thought bundle説があたかも優れていないような言い回しだが、あの世や魂や生まれ変わりなどの非科学的なものを考慮せずともこれまでの生まれ変わり現象を説明できる点は明らかに優れていると言えよう」などの主張は独善に過ぎるでしょう。
魂や生まれ変わりの存在を非科学的なものと決めつけることも唯物論者の独断です。

「thought bundle説」が生まれ変わり否定のすぐれた仮説であり、科学的な説明になっているとは到底評価できません。

実証も実体も何もない、SFまがいの、thought bundleなるものを想定すれば、とりあえず生まれ変わり概念を回避して説明が成功するというだけのことです。

説明の成功が即真理だというわけでは決してないのです。
天動説でも、星の運行の説明がとりあえず成功することと同様です。

また、「thought bundle説」によれば、親の学習の記憶が遺伝されるそうですが、それが事実なら、生まれた子どもの生後の学習のほとんは不要になるはずです。しかし、そのような事実が確認されたことがありません」という私の反論に対する回答もありません。
親の「記憶の遺伝」などという説は、科学的知識に基づいて思考が出来る人であれば、とても採用できる説ではないでしょう。

さらに、澤穂希さんの娘が、生後15ヶ月で教えてもいないドリブルやフェイントをしたという事例が確認されたことをもって、「技能の遺伝」を主張されていますが、応答型真性異言という「高度な会話技能」と、ドリブルやフェイントの真似事のような「単純な運動技能」を発揮したことを同列に扱うことはとてもできない相談でしょう。
質的差違を無視して同列に論じることは、極端な一般化による恣意的推論という認知の誤りです。

また、脳に手続き記憶や意味記憶さえあれば、異なる文化の言語も"ある程度"は話せよう、などの論も、科学的実証のない単なる憶説にすぎません。

手続き記憶や意味記憶があると見做される被験者に、学んだことのないネパール語を聴いて理解できるかどうか、その理解に応じて応答的にネパール語文法に則り、意味の通じる応答的会話ができるかどうか、つまり、ラタラジュー程度の会話技能が発揮できるかどうかを検証実験すれば結果は明らかでしょう。

絶対できるはずがありません。どうぞ巻き太郎さん、検証してみてください。

さらに、100年以上にわたるSPRおよび超心理学の生まれ変わり研究、超能力研究で、学んだはずがない技能を発揮した事例はイアン・スティーヴンソンの発見した3例、SPRで検証された1例の外にありません。

技能が遺伝などしていない証拠です。

遺伝するはずのない技能である「応答型真性異言」という超常現象が、これまで世界でわずか4例ですが発見されたので、これが生まれ変わりのもっとも有力な科学的証拠として認知されています。

「thought bundle説」によって応答型真性異言の説明が成功しないかぎり、「ラタラジューの事例」を生まれ変わり仮説で説明ができるという優位性は揺らぎません。

SAM前世療法の手続きにより、「魂状態の自覚」まで誘導し、「魂の表層」から呼び出した前世人格がラタラジューです。
つまり、催眠中の「意識現象の事実」は、魂の存在を示しているのです。

ちなみに、リサさんの家系を100年溯ってもネパール人の血が一切流れていないことは、すでに検証済みです。
ラタラジューの語りを前提にすれば、彼の生きていたのは100年程度前になります。
検証は容易です。どうぞ巻き太郎さん、再検証してみてください。

検証事実から、ラタラジューの「記憶」やネパール語会話「技能」が、リサさんに遺伝して、応答型真性異言という現象が起きているなどの説明は、まったく成り立ちようがありません。

こうして、具体事例に則して事実を検証していけば、「thought bundle説」の非科学性があらわになっていきます。

「thought bundle説」の破綻していることは、すでに明らかでしょう。

このブログのモットーは、理屈より実証です。観念より事実です。

「thought bundle説」は、想像上の理屈だけであって、実証がありません。
「thought bundle説」は観念論であって、その観念を裏付ける事実はありません。

したがって、反証可能性に閉じられた非科学的仮説だと言わねばなりません。

「魂や生まれ変わりを持ち出さなくても、thought bundle説で、生まれ変わり現象を説明できる点は明らかに優れていると言えよう」という巻き太郎さんの論評は、陳腐というほかないでしょう。
さらに言えば、ユルゲン・ケイルの唱えている「thought bundle説」が、巻き太郎さんの解釈どおりであるのか疑問だと思っています。

そもそも、記憶や技能が遺伝するなどは、「thought bundle説」では唱えていないのではありませんか?
巻き太郎さんの拡大解釈による恣意的推論ではないのですか?

その獲得に練習が必須の「技能」は、「情報」に還元不可能な「暗黙知」とされています。
thought bundleに「技能」が含まれているはずがありません。
「記憶」と「技能」の決定的差違を無視することは、超心理学の生まれ変わり先行研究の素養を疑われます。

だとすれば、「人は死ぬ時に、記憶や思考の束(thought bundle)を放出し、それを胎児や乳児が読み込む」などの説は、「量子脳理論」と大差ありません。

生前の記憶が、死にともない「量子」の状態で宇宙空間に放出され、それがたまたま誰かの脳に貼り付くのだ、と説くのが量子脳理論ですが、この理論でも「技能」が量子で説明できるなどは説いていません。

thought bundle説とは「量子」を「thought bundle」と言い換えただけではないのですか? 
「thought bundle」は量子レベルのものである、と定義すれば、そっくりそのまま量子脳理論になります。ジム・タッカーは、記憶は量子レベルものだと言い出して、量子脳理論に乗り換えてスティーヴンソンの「サイコ・フォー(心搬体)」、つまり、生前の人格・記憶・個性などを運ぶ意識体という概念を否定し、量子論のトレンドに便乗しているようです。

なお、生まれ変わり仮説の観点から、量子脳理論を批判した記事は、過去のブログ記事「SAM催眠学序説その108」のⅥ「量子脳理論を説明仮説へと援用し拡大解釈した反論」で述べてありますから、どうぞお読みください。

なお、「SAM催眠学序説その115」で、生き霊の憑依現象の逐語録が掲載してあります。
この霊的現象をthought bundle説で説明出来ますか?
生まれ変わりや魂や霊の存在を否定できると主張するthought bundle説で説明できないはずはないでしょう。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

巻き太郎さんはどうやらだんまりを決め込んでおられるようです。
そこで、巻き太郎さんの、生まれ変わりの先行研究に対する素養が疑われる理由を補足しておきます。

「真性異言も充分驚くべきことだが、やはり生まれ変わりというなら前世の人物を確認、また事実の一致を確かめることが重要かと考えている。ジェームズ・レイニンガーのような実例がもっと必要なのである」

とする巻太郎さんのコメントをそのまま理解すると、どうやら「応答型真性異言」より「前世の記憶」が語られた事例を高く評価していると解されます。

「やはり生まれ変わりというなら前世の人物を確認、また事実の一致を確かめることが重要かと考えている」という文言にそれが表現されています。
しかし、イアン・スティーヴンソンの『前世を語る子どもたち』を読めば、こうした語られた記憶と事実との照合を検証する研究は相当レベルまでなされています。
巻太郎さんは、スティーヴンソンの著作をきちんと読んでおいでではないでしょう。

「前世の記憶」の信憑性にもとづく生まれ変わり仮説の前に最後に立ちはだかっている最後の壁が、万能の超能力によっていかなる「情報(記憶)」も入手できるとする「超ESP仮説」であり、スティーヴンソンはこの仮説を回避するために、超ESPを用いても入手できない会話「技能」に着目しました。
「技能」はことば(情報)に還元できない暗黙知と呼ばれ、超ESP仮説でも入手できないことは先行研究から明らかになっています。
その超ESP仮説の適用できない事例として「応答型真性異言」の発見に努めたわけです。

したがって、「前世の記憶」より「応答型真性異言」のほうが、生まれ変わりの証拠として信憑性 、科学性が高いと評価されています。

こうした先行研究の素養があれば、「真性異言よりも、やはり生まれ変わりというなら前世の人物を確認、また事実の一致を確かめることが重要かと考えている」などの見解が述べられることはないでしょう。

同様に「イアン スティーブンソンが調べた子供達の記憶は、後に大半が事実との不一致だと第三者によって確認されている」などの出典不明の見解が迂闊に述べられることもないはずだと考えています。

thought bundleは、「記憶や思考の束(魂のようなものではなく、あくまで情報)」といことであれば、「情報」ではない「技能」は、thought bundleには含まれず、それを胎児や乳児が読み込んでも、「応答型真性異言」という技能が発揮できないことはすでに明らかです。

こうして、応答型真性異言「ラタラジューの事例」を、ラタラジューのthought bundleを被験者リサさんが読み込んで起こした現象なのだ、と説明することは破綻しています。

「生まれ変わり仮説」を非科学的だと決めつけ、生まれ変わり以外の説明ができることが科学的なのだと思い込む唯物論信仰が、thought bundleなどという荒唐無稽な説をありがたがる非科学的な思考に陥っているのではありませんか?


稲垣 勝巳 さんのコメント...

「生まれ変わり仮説」を非科学的だと決めつけ、生まれ変わり以外の説明ができることが科学的なのだと思い込む唯物論信仰が、thought bundleなどという荒唐無稽な説をありがたがる非科学的な思考に陥っているのではありませんか?

という批判を前コメントでしておきました。

これまで、量子論という物理学の最先端の説明理論にとびついて、生きている人間の心の力で
「生まれ変わり仮説」を否定できるとし、「生まれ変わり」を非科学的だと決めつける論法の主張です。生まれ変わりなどの奇怪なことがあるはずがない、という決めつけの結論がまずありきの硬直した唯物論者の主張です。

「量子脳理論」、「量子もつれ」、そして今回の「thought bundle説」などです。

これらの諸説は反証可能性に閉じられており、その意味で科学的仮説とは言えません。
どこまでも、説明可能な想像上の「説」でしかありません。
「仮説」というためには何らかの「仮説検証の方法」が示される必要があります。

こうした唯物論者に共通の思考パターンは、反証可能性にひらかれている具体事例「ラタラジューの事例」を具体的反証を挙げて批判できないことです。

とりあえず説明可能な抽象論、観念論に終始して自己満足していることが共通してます。

生まれ変わりを示す具体的事例で、具体的反証を挙げて生まれ変わり仮説への反論を求めると、途端にだんまりを決め込み、本ブログから撤退する、という不作法な態度も共通しています。

そして、動画を公開している「タエの事例」、「ラタラジューの事例」の視聴もしておらず、
本ブログで公開している両事例の逐語録にも目をとおしていないことも共通しています。

また、生まれ変わりの先行研究に対する無知ないし無視していることも共通しています。

その結果、応答型真性異言という学んだはずのない「会話技能」を「情報」といっしょくたにしていることも共通しています。

反論対象についてきちんと調べず、安直に反論するという知的怠慢が共通しています。
反論のために、先行研究や具体的事例を取り上げ、緻密な論理を積み上げて反論するという作業が杜撰であることが共通しています。

練習を不可欠とし、「情報」には還元できない、学んではいない「技能」を、生きている人間の心の力で獲得できることを実証しないかぎり、唯物論によって「生まれ変わり仮説」を葬り去ることができないことになぜ気づくことができないのでしょうか。

心と脳の一元論(唯脳論)がいまだに実証されていない現実になぜ気づくことができないのでしょうか。
意識の根源が脳である、とする唯脳論の立場は憶説に過ぎないのです。

私は、確かに、医療における治療薬など唯物論の多大な恩恵を受けて生きています。

しかし、唯物論では理解不可能な、応答型真性異言、前世人格の顕現化、未浄化霊の顕現化、生き霊の顕現化などの意識現象の事実が存在しており、これらの諸意識現象を理解するためには、唯物論とは別の説明体系が不可欠であろうと主張しているのです。

稲垣 勝巳 さんのコメント...

巻き太郎さんのあらたな投稿がありましたが、こちらの質問に正対して答えようとされず、論点ずらしの意図が明白な観念論のコメントであり、実証のともなわない不毛な議論に陥ったという管理人の判断により、投稿は削除しました。
なお、巻き太郎さんの最後の投稿は、たった一文の無礼な捨て台詞でした。

生まれ変わり否定の観念論のコメントは、これまで掃いて捨てるほどありました。
このサイトのテーマは、「生まれ変わりの実証的探究」です。
今後、実証のともなわない、何とでも言えるような観念論のみの議論は投稿されても掲載はいたしません。

「コメント投稿の留意点」をよくお読みになってご了解願います。

なお、巻き太郎さんは、今後、持論の生まれ変わり否定の観念論の主張は、それを容認・歓迎する他のサイトで、どうか気が済むなだけやってください。